感想・2018年8月22日

<世界の終わり>
大阪桐蔭が優勝した。
去年の夏の甲子園では、開会式のときにプラカードを持つ女子高校生が熱中症で倒れ、今年は去年以上に苛酷な炎天下の大会になり、観客の中にも熱中症になる人が続出した。
で、マスコミのインテリたちのあいだでは「夏の甲子園はもうやめた方がいい」とか「涼しいドーム球場でやればいい」というような良識ぶった意見がしたり顔でいわれたりしたのだが、よけいなお世話だと思う。何をくだらないことを、と思う。
人類の祭りは死と背中合わせのところでなされるのがその本質であり、選手であれ観客であれ、そこで大いに盛り上がっているのなら、他人がとやかく言ってもはじまらない。
人類滅亡ほどめでたいことはないのだ。人の心は、その「世界の終わり」に遭遇することによってもっとも華やぐ。
人は、「世界の終わり」から生きはじめる。人の心から「もう死んでもいい」という勢いを奪うことは誰にもできないし、その勢いとともに人類は進化してきた。
われわれは国家制度からがんじがらめに支配されて生きているのだし、そこからの解放として、「もう死んでもいい」というところまで心を飛躍させたいという願いは誰の中にもあるに違いない。