感想・2018年7月7日

      <情交と性交>


日本人よりも、たぶん西洋人のほうがずっと家族を大切にする。
一般的には、日本人は集団的で西洋人は個人的だとよくいわれるが、われわれには彼らほどの愛国心も公共心もない。
日本列島の愛国心なんか明治以来のたかだか150年の歴史だし、社会保障制度も彼らに比べればずいぶん遅れている。
人類史における「家」という建物は、女が子供を産んで育てる場としてはじまった。そのかたちはもう、日本列島も西洋も同じで氷河期明け間もなくのころだけれど、男がそこに入り込んで家族を形成するようになったのは、6〜7千年前のエジプト・メソポタミア文明が最初で、西洋もほどなくその影響を受けていった。
古代までツマドイ婚という乱婚の習俗が残っていた日本列島の家族の歴史は、せいぜい1500年くらいしかない。
日本列島の家族の歴史は浅い。「家制度」にこだわる、といっても、家系とか血のつながりなどに対する意識はわりと適当で、よくいえば融通無碍、家族の中身よりも「家」というかたちがあればそれでよい、というようなところがある。
万引き家族』だって、そういうわりといいかげんなかたちの大家族制度の伝統の上に成り立っている、ともいえる。
戦後の核家族化によって「家族」のかたちが固定化されて融通の利かないものとして意識されるようになってしまったが、もともと「家族なんて血がつながっていようといまいとたいして問題ではない」という伝統なのではないでしょうか。
だから、日本列島の女の貞操観念は薄い。彼女らには、「種族維持の本能」なんかない。セックスなんか、気が向けば「やらせてあげる」というだけのこと、家族だって細やかに心が向き合っていれば、血のつながりなんかたいして問題ではない。
日本人は、この鬱陶しい世間からの避難場所としての「家」を大切にしてきたが、血のつながった「家族」にこだわってきたわけではない。
家族という血のつながりにいいかげんな伝統だからこそ、日本列島の娼婦は「情交」をしてくれてただの「性交」では済まさない、という側面だってあるわけです。たとえば、「男の着ているものを脱がせてちゃんとたたんでしまう」という世話は、今どきフーゾクの世界にしか残っていないともいえる。