日本文化論の深層・「時代は変わる」17


日本人は「日本文化論」が好きだといわれている。それほどに日本文化の伝統とか日本人とは何かということがうまく自覚できない。それはまあ自意識が希薄だからだということになるのだろうが、日本人は、自分たちの国と外国との違いをうまく認識できない。自分たちの国はこういう国だということがわかっていれば、違いもわかる。しかしわれわれは、外国人から教えられてはじめて、ああ日本というのはこういう国か、と納得したりする。
中国・朝鮮の人たちは、自分たちは日本人よりも優秀な民族だという意識を持つことができるが、日本人は自分のことがよくわからないから、自分たちの方が優秀だとも劣っているとも思いようがない。もちろんこれは、欧米人に対してもそうである。日本人が「日本文化論」が好きだということは、そういうことを意味する。
自分たちの方が優秀だとか劣っていると思うのは、自分たちのことを知っている民族が思うことだ。中国・朝鮮の人たちは、そういうふうな思い方ができるから、日本に対してあれこれ屈折した思いを抱いてしまう。
日本人は、自分のことがよくわからないから、自分たちの方が優秀だとも劣っているとも思いようがない。そして、自分たちの国がどういう国かよくわからないのだから、愛国心というのもうまく持つことができない。明治以後の戦争の世紀になってそんなプロパガンダも盛んに叫ばれてきたが、われわれが日本列島1万3千年の歴史で身体化している意識にはないから、いまだに日の丸も君が代もピンとこない。それは、戦争の反動だからではない。日本列島の伝統としてピンとこないのだ。
われわれ日本人に愛国心を持てといっても、ちょっと無理なのだ。この国が存在することを否定するつもりはさらさらないが、どんな国かよくわからないのだから、愛しようも嫌いようもない。
何度もいうが、日本人は、外国人に対する優越感も劣等感も持っていない。日本人とは何かということがわからないのだもの、持ちようがない。そして、日本人とは何かということがよくわからないくらいだから、外国人のこともじつはよくわからない。
わかることは、ただもう自分が日本人であること、そして外国人は外国人であるということそれだけだ。
われわれは、自分たちが日本人だという意識はけっこう強く持っているのかもしれない。しかしそれは、国を意識しているからではない。自分の中に日本列島1万3千年の歴史とともに身体化している生態=伝統を感じるからだ。
生態、すなわち「この生のかたち」として日本人であることを自覚している。もしかしたらそれは、国を意識することよりももっと濃密な日本人であることの自覚かもしれない。そうやって日本人として意識しているから、国に対する意識が薄くなってしまう。
アメリカ人はアメリカという国を意識してはじめてアメリカ人であることの自覚がもてるのだろうが、日本人は、身体的な「この生のかたち」そのもので日本人であることの自覚を持ってしまっている。そしてそれはもう、外国人と優劣を比べられるようなものではない。日本人は日本人、外国人は外国人、それだけのことだ。



われわれは、海に囲まれた島国で、国境線という意識を持たないままで歴史を歩んできた民族である。愛国心を持てといわれても無理だし、愛国心よりももっと濃密に日本人という意識を持ってしまっている。日本人とは何かという命題を持たないまま、濃密に日本人という意識を持ってしまっている。
この国において、愛国心が強くなるのは、そういう身体化したレベルの自覚が希薄になるときである。この国が世界でいちばんだと思うのもだめな国だと嘆いたり腹を立てたりするのも、身体化した自覚が希薄だからだ。
われわれは中国・朝鮮人を嫌いになることはあるが、日本人の方が優秀だと思うことはできない。それとこれとはまた別なのだ。現在、中国・朝鮮に対する「いやだなあ」という思いは、日本中に広がっている。だから、新大久保をデモしてヘイトスピーチを叫ぶ一団もあらわれてくる。しかし、攻撃・排除しようとするのは、自分の正当性を強く意識しているからだろう。それは、日本列島の伝統的なメンタリティではない。彼らは、ヘイトスピーチを叫びながら、同時に仲間どうしの団結=ネットワークを確認し合っている。仲間が欲しい人たちなのだ。伝統を身体化していないものどうしのネットワークを欲しがっている。在日朝鮮・韓国人を攻撃・排除することによって日本人であることの自覚を確認し合っている。身体化しているものがないから、そうしないとうまく自覚できない。
これは、戦中・戦後の日本人のひとつの傾向である。戦中は、欧米を排除することによって日本人であることを確認していったのだが、それは、先験的に身体化している自覚を喪失することでもあった。もともと外国人に対する優越感も劣等感もない民族だから、そうしないと戦争なんかできなかった。そして自覚を失っているからこそ、「八紘一宇」だの「忠君愛国」だのというスローガンを叫んで自覚しなおすということをしないといけなかった。
また戦後は、敗戦の反動で、自覚すること自体を放棄していった。一時的にアメリカの属国になったし、属国であるという自覚を生きようとした。日本人であることの自覚を希薄にして世界標準にキャッチアップしてゆくことが善とされるようになっていった。
戦後は、「八紘一宇」だの「忠君愛国」だのというスローガンを放棄したから、さらに日本人であることの自覚が希薄になっていった。その代わりとして、みずからの国を嫌悪する左翼系知識人が雲霞のように登場してきた。戦前の愛国を叫ぶことも、戦後の国をさげすみ嫌悪することも同じなのである。とにかく、「国」を意識しないと日本人であることを自覚できなくなってしまった。そのようにして戦後は、先験的に身体化している自覚がさらに希薄になってきた。
「日の丸」「君が代」を敬えと強制してくる今どきの右翼だって、身体化しているはずの先験的な日本人の自覚を喪失している人たちなのだ。「日の丸」「君が代」がないと日本人として自覚できないなんて、病気である。もともとわれわれは、「日の丸」も「君が代」もない歴史を歩んできた民族なのである。
そうやってすでに身体化しているはずの日本人であることの自覚をすっかり失ってしまったのが、戦後という時代だった。石原慎太郎も橋下なんとかも現在のこの国の総理大臣も、そうした先験的な自覚を喪失している戦中・戦後の落とし子なのだ。
今どきの「ネット右翼」と呼ばれる一群だって、もっとも日本人であることの自覚を喪失してしまっている人たちなのだ。彼らは、その喪失感を埋めようとして右翼思想を叫んでいる。新大久保のヘイトスピーチしかり、先験的な日本人の自覚を喪失していることの病理現象なのだ。
われわれが身体化している日本人としての自覚は、国を意識することも、外国に対する優越感や劣等感を持つこともできない。
ほんらい、この島国の「日本文化論」は、「国のかたち」を問うことではなく、われわれ自身の「この生のかたち」を問う試みなのだ。それは、たとえばアメリカなどのように「国のかたち」を問うてすむだけのかんたんなものではない。この生や死とは何かという、人間として永遠に問い続けるほかない問題なのだ。



というわけで戦後社会には、「国のかたち」を問うことばかりしたがるたくさんのいかがわしい「日本文化論」があらわれてきた。内田樹の「日本辺境論」はその極めつけのひとつだし、80年代に日本文化論をさかんに論じていた岸田秀のいうこともそうとういかがわしかった。
そんな二人がタッグを組むかたちで内田樹が『日本辺境論』の中でこんなことをいっている。

かつて岸田秀は日本の近代化を「内的自己」と「外的自己」への人格分裂という言葉で説明したことがありました。世界標準に合わせようと卑屈にふるまう従属的・模倣的な「外向きの自己」と、「洋夷」を見下し、わが国の世界に冠絶する卓越性を顕彰しようとする傲岸な「内向きの自己」に人格分裂するというかたちで日本人は集団的に狂ったというのが岸田の診断でした。この仮説は近代日本人の奇矯な振る舞いをみごとに説明した理論で、現在に至るまで有効な反証事例によっては覆されていないと思います。
岸田の理論に私が付け加えたいと思うのは、この分裂は近代日本人の固有のものではなく、…(略)…私たちの文化の深層構造を久しく形成していたというアイデアです。

何をとんちんかんなことをいっているのだろう。こんなことはずっと前からいわれてきた、どうしようもなくステレオタイプなコピペの理論にすぎない。戦後の左翼系知識人はみなこの論調で日本文化を分析してきた。
彼らは、コピペするしか能がなくて、コピペすることが才能だと思っている。
「世界標準に合わせようと卑屈にふるまう従属的・模倣的な『外向きの自己』」だなんて、さんざん聞き飽きた戦後の「日本文化論」である。ただのコピペじゃないか。この二人には、問題設定を自分でできない、という限界がある。そりゃあそうだろう。この国の戦後社会は、まずアメリカから与えられた問題設定でスタートした。そのせいだろう。問題設定をすでにあるところから掠め取ってきては自分のオリジナルであるかのような顔をして吹聴して見せるのは、戦後の左翼系知識人たちの常套手段である。
『日本辺境論』は、内田樹のただの「自分語り」である。あちこちから問題設定を借りてきては、自分のその意地汚い根性(自意識)を正当化するためのへりくつをでっちあげている。だが日本人は、もともとそんな騒々しい自意識の病とは無縁の民族だった。
そんな分裂した意識の持ち主は世界中のどの国にも一定数いるし、そういう傾向が中国大陸や朝鮮半島の人々方が希薄だともいえない。彼らはまわりの国をいつも意識してきたし、この島国では水平線の向こうにほかの世界があることなど忘れたままの歴史を歩んできた。
明治以後の日本人は、そんな意地汚いスケベ根性で欧米の文化を吸収していったのではない。欧米人は、日本人にそんな「卑屈にふるまう従属的・模倣的な」態度で寄ってこられてうれしがりながら次々に最先端の知識を授けていったのか。ずいぶん欧米人を甘く見た分析である。彼らは、そんな態度で寄ってこられても、鼻でせせら笑うだけである。彼らには「贈与と返礼」の伝統がある。どんなに媚びへつらってきても、得るものが何もない相手にむざむざと与えるようなことはしない。
戦後の左翼系知識人である内田樹岸田秀蓮実重彦柄谷行人も、そうやって欧米人から鼻であしらわれて帰国しただけである。
明治以降の急速な脱亜入欧は、欧米人が日本人の無邪気で旺盛な「先取の気性」と高度に洗練された「おもてなしの作法」に興味を持ったこともある。そうやって日本人がたちまち欧米人の研究室の一員に加えられたりしたし、よろこんで日本列島に教えに来ようともした。そこのところで中国や朝鮮半島の留学生たちは、日本人に比べるとずっと欧米人から冷や飯を食わされてきたのである。
中国人や朝鮮人だって、100年以上前から欧米の世界標準にキャッチアップしようと必死に頑張ってきたのである。それでも日本人以上の成果を得ることができなかった。欧米に出向いて商売をすることは日本人よりもむしろ先んじていたが、欧米の文明を吸収する機会は日本人ほどには与えられなかった。あえて偏見を交えていえば、彼らは、日本人ほどには損得抜きで欧米から学んでゆこうとする態度は希薄だった。
媚びへつらうだけで学ばせてもらえるほど、欧米人はお人よしではない。
明治の留学生たちは、欧米の先進文明にプラスアルファをもたらす可能性を持っていたから迎え入れられたのだ。まあ理科系は、学問の性格上そこのところを認めてもらえるアドバンテージがあったが、文科系はなかなか難しかったのかもしれない。というか文科系は、媚びへつらうのがやっとだったし、媚びへつらう伝統があったのかもしれない。
たしかに戦後の左翼系知識人たちは、欧米文化を世界標準として媚びへつらうことばかりしてきた。もしかしたらそれは、江戸幕府御用達の儒学崇拝学問以来の伝統の無意識であるのかもしれない。
まあそのようにして明治以後の一部の文科系インテリは「『洋夷』を見下し、わが国の世界に冠絶する卓越性を顕彰しようとする傲岸な『内向きの自己』」というルサンチマンをふくらませてきたのかもしれない。それはたしかに媚びへつらう卑屈な心情の裏返しであり、内田樹を見ているとよくわかる。そんな意識だったから彼らは、欧米人から鼻であしらわれ続けてきたのだ。そういう文明開化以来の軍人や政治家や文科系知識人の中にため込んだルサンチマンが太平洋戦争の引き金になっていったのかもしれない。
そんな「傲岸な内向きの自己」を隠し持ちながら欧米人にすり寄っていったら、必ず見透かされてしまう。中国人は、そんな「中華思想」を見透かされて長く冷や飯を食わされてきたのだし、いまだに世界の嫌われ者になっている。
明治の日本人は、揉み手をして西洋人にすり寄っていったのではないし、腹の中に西洋人を見下す傲慢を隠し持っていたのでもない。もっと無邪気に「進取の気性」を携えて留学していったし、伝統的な高度に洗練された「おもてなしの作法」で欧米人を日本列島に迎えていたのだ。
内田樹岸田秀のいうような俗物根性で欧米人と付き合ってゆけるはずがない。彼らのその低劣な人間理解は、いったいなんなのだろう。そんな陳腐な論理で日本人を語ってもらっても困るし、戦後はこのような日本人観ばかり横行していた。
そんな「洋夷を見下す……」という意識など欧米と戦争するようになって一時的につくられたプロパガンダだったのであって、「私たち(日本列島)の文化の深層構造を久しく形成していた」メンタリティなどであるものか。
今の中国人や韓国人だってけんめいに日本人を見下す発言を繰り返しているではないか。そういう状況になればどこの国の人間だってそういう気になってそういう発言をするさ。そんな振る舞いのどこに日本列島ならではの「深層構造」があるというのか。戦争になればそんなことを叫ぶのは、どこの国でも一緒だ。
日本人の「深層構造」には、外国に対する優越感も劣等感もない。そんな意識を持つほどみずからの存在や生のかたちをちゃんと自覚してはいない。だからわれわれは、「日本文化論」をつねに問い続けねばならない。



もともと日本人は「あの水平線の向こうはなにもない」と思って歴史を歩んできた民族であり、外国に対する優越感も劣等感もない。そこのところは「白紙」なのだ。明治の人たちは白紙で西洋文明に飛び込んでいったから、たちまちそれを吸収してゆくことができたのだ。
日本文化の伝統を語るのに、どうして岸田や内田自身の薄っぺらな思考や俗物根性に当てはめなければならないのか。
良くも悪くも、自意識の希薄な日本人は、心の中を「白紙」にできる。だから、みずからの伝統をうまく自覚できない。うまく自覚できないのが伝統なのだ。自分のことはよくわからないし、他人に対する妙な劣等感も優越感もない。ただもう「白紙」でときめいてゆく。自分という存在のあいまいさと、他者という存在の確かさ……この感覚があるから進取の気性で飛び込んでゆけるし、高度に洗練された「おもてなしの作法」を作り上げることができた。そうして、だからこそいつまでたっても外交交渉がうまくできない。
「白紙」だから第二次世界大戦中のプロパガンダにしてやられてしまった。性に合わない優越感を持たされて混乱してしまった。
内田や岸田のいう他者=西洋に対する劣等感や優越感は、自分の存在の確かさを自覚した戦後的な自我意識にすぎない。それは戦後に西洋から輸入した「近代」の意識であり、そんな物差しで日本列島の伝統を語ろうなんて、頭悪すぎるよ。
心の中を空っぽにできる、ということ。そうやって「すべてを水に流す」という伝統的な関係の作法も生まれてきた。日本人は、べつに欧米人が相手でなくても、基本的な人との関係の作法としてつねに「白紙」で他者と向き合いときめいてゆくという伝統を持っている。そしてそれは、「終わり=別れ」に対する視線である。それが、「出会いのときめき」と「別れのかなしみ」を繰り返してきた民族の伝統なのだ。
まあ、時代の終わりを見ることができるから、戦争に突入すればかんたんにその気にさせられてしまったのだろうし、あんなにひどい敗戦で打ちのめされてもいち早く復興してゆくことができたのかもしれない。
もしかしたら新しい時代に入ってゆける能力は、日本人がいちばん持っているのかもしれない。日本人のそういう先取の気性は、西洋人も経験的によく知っている。今、世界の先進国が閉塞感に陥っている時代だとすれば、日本人がどのようにして新しい時代にこぎ出すかということは、それなりに世界中が注目しているのかもしれない。
新しい時代を構想するから新しい時代にこぎ出してゆけるのではない。頭の中を「白紙」にしてこぎ出してゆくのだ。原初の人類は、そうやって地球の隅々まで拡散していった。新しい土地によりよい暮らしが待っているとわかっていたのではないし、それを期待していたのでもない。ただもう「白紙」の心で、どんなに住みにくくても住み着いていったのだ。
新しい時代なんて誰にもわからないし、人間が新しい時代をつくれるのでもない。新しい時代が新しい人間をつくるのだ。
ポストモダンといわれて久しいが、いまだにその「モダン=近代」の終わりがよく見えていない。見えるはずがないのだ。
世界中が今、グローバリズムという「終わり=出口」が見えない閉塞感に陥っている。
グローバリズムとは、閉塞感のことだ。それは、ポストモダンの精神ではない。「モダン=近代」が出口のない迷宮に入り込んでしまった姿なのだ。
日本列島の文化の基底には「終わり=別れ」に対する視線がある。「ジャパンクール」などといって、世界中が今、その「終わり=別れ」に対する視線の動向を注目している時代かもしれない。
もう、出口の先に天国や極楽浄土があるといって問題が解決される時代ではない。出口なんか見つけたってだめなのだ。「今ここ」を「終わり」にしつつ「今ここ」に生きてゆくこと、それが日本列島の風土であり、そこのところを世界が注目しているのではないだろうか。
新しい時代を生きる能力は、新しい時代を構想したものではなく、「終わり」を見たもののもとにある。そうして、「白紙」の心で新しい時代に飛び込んでゆく。新しい時代を生きることなんか、出たとこ勝負だ。原初の人類はそうやって歴史を歩んできたのだし、日本人はその伝統をもっとも色濃く引き継いでいる民族であるのかもしれない。べつに、辺境意識で世界にキャッチアップしようとしたり駆け引きしたりして歴史を歩んできたのではない。
出たとこ勝負ができるということ、その即興性こそ日本列島の伝統にほかならない。それは、新しい時代を構想する能力ではなく、今ここの「終わり」を深く思い知る能力である。
「終わり」を思い知ることこそ、今ここのこの生やこの世界に深く豊かに「反応」してゆくことができる能力であり、その出たとこ勝負で飛び込んでゆけるのが、この生を味わいつくすことができる人間ほんらいの能力でもある。
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