時代の終わり・「時代は変わる」18(この稿終わり)


この論考のタイトルは、『時代の終わり』あるいは『時代は変わるか?』とするべきだったのかもしれない。
いつまでたっても夢や野心の上昇志向を称揚して終わることができなくなってしまっているのが現在の時代のありさまのようにも見える。
時代が変わるとき、その前に「時代の終わり」が感知されるはずである。
「ネットワーク」とか「上昇志向=野心・夢」が人間の希望になることができる時代はすでに終わっているはずなのに、相も変わらずそうしたスローガンが合唱されている。そういう「戦後」という時代はすでに終わっているはずなのだが、皮肉なことにその夢や野心に邁進するというそのこと自体が「終わり」を見ないという意識の上に成り立っており、そのためにまだまだ終わっているとは思っていない人がたくさんいる。彼らに興味があるのは、何が終わったかということではなく、次の新しい時代は何かということだ。
欲望には限りがない。欲望や夢や野心に邁進して生きた戦後社会の人々は、すでに「終わり」を感じることができない意識になってしまっている。
その「終わり」を感じることができない意識が新しい時代に向けて問題提起すると「ネットワーク」や「野心のすすめ」ということになるらしい。
ネットワークの関係を持たないと生きてゆけない世の中ではあるが、それが人と人の関係の希望になるのでも、人の心を深く豊かにするのでもない。
ネットワークの関係を標榜する彼らには「何が終わったか?」という問題意識などなく、つねに「これからくる新しい時代とは?」と問い続ける。永遠にそう問い続けて生きてきてゆく。彼らは、新しい時代を問うその夢や野心自体がすでに終わっている時代であることに気づかない。
彼らは「終わり=死」を永遠に先送りしてゆく。それはつまり、自分の未来を問い続けていることである。彼らに興味があるのは自分であり、自分の未来である。彼らが問うているのはつねに「自分」であり、自分は時代とどうかかわってきたか、これからどうかかわってゆくか、そればかりだ。
時代などただの幻想で、確かなのは「自分」の存在だと思っている。



1960年代後半には、吉本隆明の『共同幻想論』が全共闘世代に大きな影響力を持った。これは、「国家とは幻想である」というテーマで書かれた本である。つまり、確かなのは「自分」の存在だけで国家も時代もただの幻想だという意識がこのころにはすでに定着していた、ということだ。吉本隆明をはじめとして、「自分」をまさぐることばかりしている人間の世の中になっていた。
はたして国家や時代はただの幻想だろうか。「自分」という存在は確かなものだろうか。これはまあとてもややこしい哲学的な命題であるのだが、ここではひとまずそこに深入りすることはやめておこう。
ただ、国家や時代とかかわっている「自分」ばかりまさぐっている人間は、国家や時代は「自分=人間」がつくるものであって、「自分=人間」が国家や時代によってつくられているという意識はない。
国家や時代を「自分=人間」がつくるものだと思うなら、国家や時代とは何かと問う必要ない。「自分=人間」の都合のいいようにつくってゆけばいいだけである。
まあ彼らは、国家や時代というものを甘く見ているし、「自分=人間」を過信している。団塊世代をはじめとして、そういう人間を大量に生みだしたのが戦後という時代だった。
なにが国家が幻想なものか。そして「自分」なんてただの「幻想=意識」にすぎないではないか。この世の確かなものは、つねに「自分」の外にある。「自分」とは、外界に反応して生起する「意識」にすぎない。「自分」ほどあやふやなものはない。
国家であれ時代であれ、それこそが確かな存在なのだ。「自分」なんか、その国家や時代によってつくられているだけである。
しかし戦後社会においては、「自分=人間」が国家や時代をつくっていると思う人間ばかりになっていった。そうやって「新しい時代をつくる」という発想はしても、「時代においてなにが終わっているか」ということは見えない人間ばかりになっていった。そうして、まだまだ「ネットワーク」や「上昇志向=野心・夢」で新しい時代をつくれると思っている。



おそらく、上昇志向という夢や野心をたぎらせることが称揚された戦後という時代は、バブル景気の崩壊のところで終わっている。
戦後という時代は、ひとまず世界中が第二次世界大戦という最終戦争が終わったことの解放感からはじまった。西側の資本主義圏諸国であれ、東側の共産圏諸国であれ、その解放感とともに「上昇志向=夢・野心」を紡いでいった時代であり、また、欧米の「近代的自我」というような意識が主導する時代でもあった。
誰もが「自分」という意識に凝り固まっていっている時代だったのかもしれない。日本列島は、まあ敗戦国であることや外来文化に拒否反応がない民族性も相まって、その欧米的「近代的自我」とやらをいち早く吸収してまたたく間に復興していった。
世界中が「夢はかなう」という「上昇志向=野心」に邁進している時代だった。
日本列島はその流れにいち早く乗っていったのだが、それがいつまでも続くはずがない。ひとまず90年代初頭のバブル崩壊ゴルバチョフソビエト連邦解体は、「上昇志向=夢・野心」の「近代的自我」で生きてゆける時代ではなくなっていることをあらわしていたのかもしれない。「何かが終わった」という意識は世界中の誰の中にもあった。おそらく西側諸国だって世界運営そのものは終焉を迎える時期にあったし、大衆参加による民主主義国家の運営も、自由主義経済によるお金が権力であり正義であるという価値観も、すでに行き詰まりが見えていた。
なのに、ソビエトの解体や中国の自由化政策やアジアの先進国の台頭などによって世界のマーケットが拡大し、アメリカをはじめとする資本主義圏が息を吹き返し、「終わり」が先延ばしにされてしまった。そうして以前にもまして、大衆参加による民主主義国家の運営やお金が権力であり正義であるという価値観が称揚されるようになっていった。それでもその後にリーマンショックなどがやってきて、ほんとうにもう時代の終焉を意識してもよかったはずだが、やっぱりまだ懲りることなく、とうとう出口のない迷宮に入り込んでしまった感がある。



「終わり」を見ることのできない精神の迷宮。
戦後社会は、今ここの「時代の終わり」など見ないでつねに「新しい時代」を合唱しながら「終わり」を先延ばしにしてゆく上昇志向とともに流れてきたのだが、その思考習性はいまだに続いている。
まあ世界的に「終わり」を見る視線を失ってしまっている時代なのだが、それが人間の本性でもないのだから、当然それではすまないという思考や生き方も若い世代から生まれてくる。
新興国はまだまだそれで突っ走ることができるのだろうが、先進国の若者はもう、そんな大人たちの思考や生き方に幻滅を感じはじめている。とくに日本列島では、「あはれ」とか「はかなし」とか「わび・さび」とか「無常」とか、そうした「終わり」を見る視線を伝統として身体化しているから、何かと上昇志向だけではうまくいかない時代になれば、どうしてもそのような気分が浮かびあがってきてしまう。
日本列島には、親や大人が親や大人であるというだけで尊敬されるような文化の伝統はない。それは、お隣の韓国の伝統と比べてみればよくわかるだろう。日本列島の若者からしたら、韓国の若者はどうしてあんなにも親に気をつかって従順にならないといけないのだろうと思うのだが、その韓国ですら、そろそろ親子の世代間に意識のギャップが生まれてきているらしい。
それはつまり、西側の資本主義のスローガンそのものが行き詰まりを見せはじめることでもある。何かがすでに終わっているはずだが、大人たちはまだ終わったとは思っていない。少なくとも「上昇志向=夢・野心」がスローガンになる時代が終わったとは思っていない。彼らは、そういう「上昇志向=夢・野心」で新しい時代をつくれるとまだ信じている。
新しい時代は、人間がつくるのではない。人間の作為的な意識の及ばないかたちで向こうからやってくるのだ。
それが歴史の法則ではないだろうか。直立二足歩行の開始以来、人類史は、ずっとそのようにして流れてきた。歴史は、人間の目指す方向に動いてきたのではない。
あなたが何を目指してもだめだし、何を目指せと扇動してもだめなのだ。
新しい時代を構想できる能力など、なんの値打でもない。人間の歴史はそのように動いてきたわけではないし、新しい時代を構想することの卑しさというのがある。そういうことに対する羞恥心のない人間があふれている世の中になってしまった。
人間が住み着くことは、「終わり」を刻印することである。
生きることは、今ここに「終わり」を刻印してゆくことである。「終わり」を刻印して、出たとこ勝負に挑んでゆくことだ。それが人間の生きるいとなみであり、知性や感性の問題でもある。
人間社会がなぜ「伝統」というものを持っているのかといえば、それが、今ここに「終わり」を刻印する機能になっているからだ。伝統とは、未来を構想するな、といういましめであり、伝統を携えて新しい時代に出たとこ勝負で飛び込んでゆくのだ。
人類が伝統を持っていることは、歴史はつねに出たとこ勝負で流れてきたということの逆説なのである。
伝統を身体化している意識は、不可避的に今ここに「終わり」を見てしまう。いいかえれば、伝統とは「終わり」を見る知性や感性から生まれ育ってきたというか、そうやって濾過されてきたひとつの洗練にほかならない。
「時代は変わる」ではなく、「時代は終わる」ということ。現在は、そこのところを見失っているのかもしれない。「閉塞感に覆われている」などというが、解放感は「終わり」を見る意識のもとにしかやってこない。閉塞感とは、出たとこ勝負ができない意識のことだ。
たとえば日本列島の古代人は物事が終わってさっぱりすることを「たまきはる」という枕詞に託していた。坂上郎女の歌における有名な「たまきはる命にむかふ」というフレーズは「何もかも忘れて出たとこ勝負で生きてゆく」という意味だ。
なのに現代人はなぜかこれを「未来を構想して永遠を生きる」というように解釈してしまっている。言葉の解釈なんて、なんとでも勝手なこじつけができる。そうやって現代人は、何がなんでも「終わり」を見るまいとしている。そうやって扇動する知識人がたくさんいて、事態をさらにややこしく出口のないものにしてしまっている。
「未来を構想する」ということ、それ自体が閉塞感の元凶なのだ。未来を構想してもその通りにならないことは、すでに誰もが知っている。バブルの崩壊以来、何度もそんなことを繰り返してきたわけで、もう、出たとこ勝負で飛び込んでゆくしかないのだ。



「もう終わってしまったんだよ」と深く思い知ること。
ジャパンクール、という。日本人にとっては当たり前のことが外国人にとっては「クール」な知性や感性のように見えるらしい。それは、未来のことを勘定に入れずに「今ここ」の「終わり」と向き合う、すなわちそういう出たとこ勝負の知性や感性というか美意識のことかもしれない。
たとえば冬のさなかにすでに冬の「終わり」の気配が忍び寄っていることに気づくこと。日本人はつねに「終わり」を見ているから出たとこ勝負ができる。即興性、と言い換えてもよい。明治の人々は、そうやって欧米の先進文明を窮してきた。新しいことは、予期せぬかたちでわれわれの目の前にやってくる。それに驚きめきながら反応してゆくことを先取の気性という。
しかしそういう伝統的な知性や感性を喪失しているのが、戦後という時代を引きずる現在の状況であるらしい。もはや、予期した通りの未来がやってくる時代ではない。
何かが終わってしまった、と世界中の誰もが感じている。
われわれは、この世に生まれてきた瞬間に、存在しないことの平穏を失った。人間はなぜ、こんなことを思うようになってしまったのだろう。おそらく、人との出会いと別れを繰り返す歴史を長く歩んできたからだ。明日も死後の世界も存在しない。ただもう、何かが終わったという「今ここ」があるだけだ。われわれは、終わりに気づくことを繰り返しながら生きている。そうしてじつは、すなわち意識の根源においては出たとこ勝負で「終わりの次の事態」を生きている。
生きた瞬間に、この生は終わっている。終わることに気づくことが生きてあるということだ。
この生を味わいつくすとは、「終わり」を味わいつくすことだ。
人間は「目的」に向かって生きているとよくいわれるが、われわれの意識は、つねに身体の動き(生きるいとなみ)の一瞬あとに生起する。われわれの意識は、この生の一瞬あとを生きている。そうやって生きるいとなみが終わったことに気づくというかたちで意識が生起する。そうして、次の瞬間を出たとこ勝負で体験してゆく。
「終わり」に気づくということは意識のはたらきの自然としてすべての人間に普遍的にそなわっている。人間は、終わりに気づく生き物だ。そうやって「終わり」に気づきながら出たとこ勝負に出ていった結果として人間的な知性や感性が進化してきた。
終わりに気づく知性や感性を持たなければ、この生を味わいつくすことはできないし、死んでゆくこともできない。
魅力的な人は終わりに気づく知性や感性を持っている。それはまあこの社会でうまく生きてゆく能力とは別のものだろうが、うまく生きている人間が魅力的な人だとはかぎらないし、この生を味わいつくしているともいえない。
ときめくとは、出たとこ勝負で予期せぬ出来事と出会う体験である。そういう予期せぬ言葉や姿や振る舞いを持っている人が魅力的であるのだろう。美人とは、予期せぬ姿のことをいう。この世にほかに人間がいることを忘れさせてくれる。美人と出会った心は、そうやって「終わり」を体験している。
出たとこ勝負をすることは、「終わり」を体験することでもある。「終わり」を体験してまっさらな気持ちになることを「ときめく」という。
人とときめき合って生きることができるのなら、この生のおおかたの問題は解決されているのだろう。そこのところがうまくできなくて人は、悩んだり心がゆがんだりしてゆく。
貧乏で心がゆがむということもあるだろうが、裕福だからその問題は解決しているともいえない。われわれは、あのバブル景気で、終わりに気づく視線を持ち、生きてあることを味わいつくす知性や感性を豊かにし、若者に慕われるだけの魅力をそなえた大人になることができたかといえば、そうでもなく、かえってそれらの資質を失ってしまったともいえる。
「衣食足って礼節を知る」というのはむかしの話で、貧乏人が必要以上にそれを得ると、かえっておかしなことになってしまう。日本人は、戦争に負けていったん極貧の身になり、そこから戦後を生きてたった40年でバブル景気にたどり着いた。そうやって成り上がり根性のゆがんだ部分が一挙に噴き出したのかもしれない。そうして「終わり」が見えなくなってしまった。
衣食足って礼節を知るとは、「終わり」を知る知性や感性を持っているということだ。もうこれでいい、と思うことが「衣食足る」ということだろう。もっともっとと果てしなく欲望をたぎらせていったバブルの感性が「衣食足る」のかたちだったとはいえない。
「もうこれでいい」と思って心をいったん「白紙」にするから新しい人や時代との出会いにときめいてゆくことができる。
日本的な「おもてなし」の作法は、「終わり=別れ」に気づく知性や感性とともに生まれ育ってきた。今ごろになってこの言葉が叫ばれるのは、ときめき合って生きることが模索されていることのあらわれかもしれない。それが、人間が生きてあることのもっとも基礎的なかたちだ。それがないと人は生きられなくなってしまう。
現在、もう一度日本列島の伝統をちゃんと見なおしてみようとする動きはあるだろうか。そこのところはまあよくわからないのだが、『日本辺境論』みたいな成り上がり根性丸出しでバブルのへその緒が切れていない幼稚で愚劣な日本文化論を振りまかれても邪魔くさいだけだ。
戦後という時代が終わっていないのではなく、戦後という時代の終わりが見えなくなっている時代であるのかもしれない。
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