ネアンデルタール人と日本人・1

行き止まりの地



ネアンデルタール人と原初の日本人は似ている。
ネアンデルタール人のことを調べると原初の日本人がわかってくるし、その逆もいえる。それは、両者に血縁関係があるというのではなく、似たような状況があった、ということだ。
ネアンデルタール人は、アフリカを出た人類が拡散していって、北ヨーロッパというひとまず果てまでたどり着いた人々だった。それが50万年前。
一方、アジアに拡散していった人類にとっては、日本列島が最果ての行き止まりの地で、それがたぶん10〜20万年前。その時期ははっきりとはわかっていないが、とにかく氷河期の大陸と地続きになっていたころだ。
「行き止まりの地」のメンタリティというのがある。これがネアンデルタール人と日本人の最初の共通点である。
行き止まりの地では、人が入ってくるばかりで、あまり出ていかない。
そうなると、人々の気質はどうなってゆくか。
どんどん人口が増えて、大きな集団が生まれ、人と人の関係をやりくりする文化が発達してくる。そうして定住するということを覚えてゆく。
チンパンジーの集団は、100個体くらいが限度だといわれている。ネアンデルタール人は、その限度を超えて大きな集団をいとなんでいた。ネアンデルタール人は、そういう人類史の実験を最初に体験した人々だった。
そのころアフリカでは、家族的小集団で移動生活をするということを続けていた。古人類学では、3〜4万年前のアフリカ人が北ヨーロッパに移住していったということになっているのだが、そんな小集団での移動生活しか知らない人々がいきなりヨーロッパに大集団で乗り込んで行って定住生活をはじめるということはいくらなんでもありえない。そういうことは、そうなってゆくまでの長い歴史を体験してきて、はじめて可能なのだ。
中近東や南ヨーロッパでも、そこからさらに移住してゆく先があったから、集団の規模は限度を超えるということはなかった。もちろん人類の限度と猿の限度はその時点でも同じではなかっただろうが、現在のように無際限に膨らんでゆける能力は彼らにはなかった。そういう能力の基礎は、北ヨーロッパネアンデルタール人がつくった。
いいかえれば、そのときはまだ限度を超えて大きな集団で暮らすことができなかったから、どんどん拡散していったのだ。
しかし、行き止まりの地ではもう、そんなことはできない。そうなってはじめて人類は、限度を超えて大きな集団で定住してゆくということを覚えた。
したがって、アフリカのホモ・サピエンスが大集団を組んで旅をしてゆくということはありえない話なのだ。また、原始時代の道なき道を女子供を連れた大集団で旅をしてゆくなんて、さらにありえないことだ。
原始時代に旅ができたのは、男だけのしかも小集団にかぎられていたし、女は成人するとよその集落に移住してゆくという習性を人類史の起源のころからすでに持っていた。これはもう、むやみに近親相姦させないという自然の摂理だったのかもしれない。
人類が拡散していったのは、旅によるのではなく、既成の集団の外側に外側に新しい集団ができていったからで、集団の規模が限度を超えたらもう集団を維持できなかったからだ。
というわけで、10〜20万年前の日本列島でも、行き止まりの地ならではの大きな集団で暮らす文化が育っていった。
そして氷河期明けの縄文時代にはこの文化を持った人々が小集団で暮らすようになっていったのだが、そこのところはあとで考えることにする。とにかく氷河期の大陸と地続きになっているころの日本列島でも、限度を超えた大きな集団で定住してゆくという人類史の実験がなされていたはずである。



人類の定住文化の基礎は、行き止まりの地でつくられた。アフリカじゃないし、アフリカ人がいきなりそこに移住してつくったのでもない。最初のホモ・エレクトスと呼ばれる人類が100万年以上かけて拡散しながら少しずつその資質が形成されてゆき、行き止まりの地にたどりついてさらに本格化していったということだ。
50万年前に行き止まりの地まで拡散していった人類とアフリカにとどまっていた人類はその時点で同じミトコンドリア遺伝子を共有していたらしいが、同じメンタリティではなかった。そこにたどり着くまでの歴史の伝統というものがある。この歴史の伝統がそこに住み着くことを可能にした。
そういう拡散して住みにくい土地に住み着いてゆくという伝統を持たない3〜4万年前のアフリカ人がいきなり出かけていって住み着いてしまうというようなことはありえない。遺伝子学の証拠がそれを証明しているといっても、それは遺伝子学がまだ発展途上だからであり、まだそんなことはありえないという証明ができるレベルまで達していないというだけのことだ。
この国では、アマチュアの人類学フリークだけじゃなくプロの研究者だって、3〜4万年前の北ヨーロッパクロマニヨン人はアフリカのホモ・サピエンスだと合唱しているのだが、そんなことはありえない。
わからないかなあ。ネアンデルタール人クロマニヨン人に変わっていっただけなんだよ。
そこに住み着くことができる歴史の伝統を持っているものがそこに住み着いていったのであって、アフリカからいきなりやってきて住み着いてゆけるというものではない。そしてその歴史の伝統は、50万年100万年というとても長い時間をかけて蓄積されたものだった。もともと熱帯種である人類が氷河期の極寒の地に住み着いてゆくということは、今どきの低脳な人類学フリークが考えているほどかんたんなことではない。
この国の赤澤威が先導しているらしいネアンデルタール研究なんて、ほんとに程度が低くて呆れてしまうばかりだ。彼らのような想像力も思考力も貧困な連中が何人集まって考えたって、ネアンデルタールの姿はなにも浮かび上がってこない。彼ら一派が共同執筆したらしい『ネアンデルタール人の正体―彼らの「悩み」に迫る― 』という本では、ほとんどの研究者が、ようするに北ヨーロッパネアンデルタールはアフリカのホモ・サピエンスよりも知能が劣っていた、という安っぽい思考を繰り返しているだけだった。だから「悩み」なんだってさ、ああほんとにくだらない。
50万年間そこに住み着いてきた歴史の伝統を持っているものたちが、その極寒の環境に順応してゆくための体質においても気質においても暮らしの技術においても、いきなりアフリカからやってきたものたちよりも劣っていたということなどあるはずがないじゃないか。
人類学を考えるのに、発展途上の遺伝子学のデータが絶対で、人類が長い時間をかけて培ってきた伝統など無視してしまっていいのか。だいたい、データの読み方そのものが間違っているということもありうる。彼らの薄っぺらな脳みそででっちあげたそんな妄想をありがたがる趣味など僕にはない。



ネアンデルタールがクロマニヨンに変わってゆくためには1万年では時間がなさすぎる、といっている研究者は多い。しかしそうじゃないのだ。最近の遺伝子研究では、1000年でもじゅうぶんに起こりうる、という方向になってきている。
つまり、その個体が後天的に獲得した形質も遺伝してゆく場合があるということがわかってきたのだとか。
形質なんか、4世代か5世代でずいぶん変わってしまう。ネアンデルタールがクロマニヨンになってゆくことなんか、アフリカの黒人がヨーロッパの白人に変わるのよりもずっとかんたんなことだ。置換説の研究者たちは、アフリカの黒人がヨーロッパに移住していった時点ですでに白人に変わっていた、というのである。
この国のネアンデルタール人の研究者など、アホばっかりだ。
海部陽介という赤澤威一派の研究者の「人類がたどってきた道」という本だって、中学生の昼休みの雑談みたいなレベルのことを書き散らしているだけである。
まあ「集団的置換説」の研究者としてはイギリスのクリストファー・ストリンガーが世界的に有名だが、やっぱり妙に遺伝子学に引きずられているだけで、人類学者としての人間理解や歴史というものに対する視点はまるで低俗だ。ただの人類学オタクが遺伝子学や考古学のデータをいじって勝手な物語を妄想しているだけである。
それに比べて「多地域進化説」のミルフォード・ウォルボフは、人間の歴史の必然やなりゆきをちゃんと考えようとしている。
「イヴ仮説」というのがある。現代人のすべてのミトコンドリア遺伝子は10万年前のアフリカの一女性のものに収斂される、という。そういう最強のミトコンドリア遺伝子が10万年かけて世界中に伝播してゆくということはありうる。しかしそれを、アフリカを出た一集団が人口を増やしながら世界中に拡散してすべての原住民を滅ぼしてしまったなどという奇想天外な物語にして遺伝子学者が語るのは、越権行為というものである。その遺伝子は、集落から集落へと手渡されていっただけだろう。そのホモ・サピエンスという最強のミトコンドリア遺伝子は、ゆっくり成長するが長生きするという特徴を持っていてしかも女親からしか伝わらないものだから、集落から集落へと手渡されてゆくだけでそういう現象はじゅうぶん起こりうる、と現在の一部の遺伝子学者はいっている。そうやってすべての原住民がホモ・サピエンスになっていっただけなのだ。
なのに、アフリカを出た一集団が世界中を覆っていった、すべての原住民は絶滅した、と一時期は大騒ぎしていて、ストリンガーも赤澤威もこれで決まりだとわがもの顔で吹聴していた。
まあ今でも、アフリカの大集団がヨーロッパに移住していってネアンデルタールを吸収していったとストリンガーは主張し(以前は「絶滅させた」といっていた)、この国のネアンデルタール学者やジャーナリストもそれに賛成しているのだが、原始人が大集団で道なき道を旅してゆくなどということができるはずがないし、おそらくそのころヨーロッパに移住していったアフリカ人など一人もいないのだ。
そのころのアフリカ人は、そんなことをしたがるメンタリティを持った人種ではなかった。アフリカの伝統的なメンタリティがどのようなものかという考察が、世界中の「集団的置換説」の研究者は全然できていない。
その遺伝子は、ただ、集落から集落へと手渡されながら広まっていっただけなのだ。
人類の遺伝子と観念は、たちまち世界中に広まってしまう。近代における梅毒やエイズの遺伝子が世界中に広まってゆくのに要した時間などわずか数10年のことだった。
原始時代に、旅人の大集団が先住民を絶滅させたり吸収してしまうということなど起こり得ない。先住民が散発的にやってくる旅人を吸収していっただけであり、これが原始時代の歴史の法則なのだ。
ネアンデルタールがクロマニヨン(ホモ・サピエンス)に変わっていっただけなのだ。ネアンデルタールは、滅びてなどいないし、遠来のアフリカ人に吸収されたのでもない。



「集団的置換説」の愚劣さをいおうとすると、つい感情的になってしまう。
彼らは、人間の歴史というものに対するビジョンがなさすぎるのだ。
話を元に戻そう。
人類は、住みにくい地住みにくい地へと拡散していった。
その住みにくい地でもいとわず住み着いてゆくメンタリティと集団運営の文化は、行き止まりの地にたどり着いたものたちが伝統としてもっとも豊かにそなえているはずである。そういう歴史の伝統をそなえていたから、そのころいちばん住みにくい地であったはずのところに住み着いてゆくことができたのだ。
どんなところでも、はじめての土地がもといた場所より住みやすいはずがない。そしてその住みにくさを住み着いてゆく能力は、知能が高いとか体力があるとかそんなことではなく、はじめてのものどうしでも仲良く連携してやってゆけるメンタリティにある。そうやって人類は、拡散してゆくほどに、連携する集団運営の能力を身につけていった。その能力によって、住みにくさをいとわず住み着いてゆくことができた。人と人がときめき合う関係があるのなら、住みにくさもいとわない。人間というのは、そういう生き物だろう。どんなに知能や体力があっても、人ときめき合う関係を持つことができないのなら、その新しい土地に住み着くことはできないし、その集団に参加してゆこうとも思わない。
そこは、あちこちから知らないものどうしが集まってきて新しい集団を形成してゆく場所である。
原始時代は、大集団がそのまま移動してゆくということはなかった。
知らないものどうしがときめき合ってゆくということがなければ人類拡散は起きなかった。
ユートピアを目指して、などという問題ではないのだ。そんな俗っぽいスケベ根性のどこが美しくどこが人間的だというのか。ユートピアは、原始時代だろうと現代だろうと自分が生まれ育った土地に決まっている。
彼らは、そんなユートピアである自分が生まれ育った土地を捨てるかなしみを持ち寄り共有しながらときめき合い、その新しい土地に住み着いていったのだ。
遠くまで拡散していったものたちほど、知らないものどうしがときめき合うことができるメンタリティをそなえている。
なんのかのといっても、現在の北ヨーロッパは、ほかの地域以上に移民を受け入れることをしている。知らないものどうしがときめき合う歴史の伝統が世界で一番分厚く堆積している土地柄なのだ。そしておそらく、そういうことの裏返しとして奴隷制度や階級制度が生まれてきたのだろう。彼らはとにかく知らないものどうしが出会うことに対する拒否反応がない。
逆にアフリカで小集団の移動生活をしている人たちは、知らないものどうしの関係を持ちたがらない。だから、長身のマサイ族とか尻が大きいホッテントットとか小柄なピグミーとかに別れてしまうというボトルネック現象が起きてきたし、無数の部族ごとに言語が違うというようなことにもなっている。
彼らは、アフリカを出て世界中に広がってゆくような生態を持っている民族ではない。
知らないものどうしがときめき合うという生態を獲得しなければ人類拡散は起きなかった。したがって原始人の世界で、拡散していった大集団が先住民を滅ぼしてしまうということなど起きるはずがない。むしろ旅人は、先住民の助けを借りてはじめてその地に住み着いてゆくことができるわけで、先住民は助けてやるような生態を持っていた。
まあヨーロッパ人が奴隷を持ったのも、先住民として住み着くことを助けてやる行為のひとつだったのかもしれない。



原始時代の行き止まりの地では、旅人をもてなす文化が育ってくる。おそらく北ヨーロッパネアンデルタールはそういう文化を持っていたし、氷河期の日本列島の住民にもすでにその文化が芽生えていたはずである。
氷河期の日本列島は、世界でもっとも石器文化が進んでいる地域だった。
そのころの日本列島は、北海道はシベリア大陸とつながっており、九州は朝鮮半島と地続きになっていた。だから、北と南の両方から異なった石器文化が入ってきていた。まあ行き止まりの地だから、いろんな石器文化が入ってくる。そしてそれらが融合して最先端の石器が生まれていった。いろんなアレンジができる選択肢を持っていたのだから、より高度になってゆくのは当然である。
そしてこのことは、旅人が侵略していったのではないことを意味する。侵略すれば、侵略した旅人の石器が最優先され、先住民の石器は捨てられる。それでは、大陸と同じになることはあっても、大陸よりも進化した石器は生まれてこない。日本列島の石器がどんどん進化していったということは、先住民がそれを受け入れアレンジしていったということを意味する。北からの旅人も南からの旅人も、すべて先住民に吸収されていったのだ。
一部の朝鮮の学者は、朝鮮半島からの旅人が日本列島の文化の基礎をつくったといっているらしいが、そうではない、朝鮮半島からの旅人はすべて先住民に吸収され、より高度な石器文化がそこから生まれてきたのだ。そのころ、朝鮮半島そのままの石器を使っていたわけではない。
原始時代は、どこでもつねに先住民が旅人を吸収してゆくというかたちだったのだ。
これは、弥生時代に大陸文化が入ってきたときだって同じだろう。大陸文化がそのまま定着していったのではない。大陸文化を吸収してアレンジしてより新しい文化が生まれていっただけだ。これが日本列島の伝統である。現代人だって、英語が入ってきても、たとえば「マクドナルド」というようにすべて日本的な発音の和製英語にしてしまう。関西人なんか、ただ「マクド」などといっている。
日本列島では、氷河期からすでに旅人をもてなすという文化を持っていた。そして縄文時代には、女たちが山間地に小集落をつくって定住し、山道を旅する男たちの小集団の訪れを受け入れもてなすという習俗になっていった。そしてこの習俗は、旅の僧や旅芸人を村人がもてなすというかたちで江戸時代までずっと続いてゆくことになる。
つまり日本列島では、原始時代の普遍的な習俗がずっと後の時代まで引き継がれていたということだ。これは、氷河期が明けて大陸から切り離されて孤立した島国になったことによるのだろう。



これは、北ヨーロッパネアンデルタール人だって同じだったはずである。
ヨーロッパの入り口がギリシャブルガリアあたりだとすれば、行き止まりは西フランスからスペインの地域になる。このあたりはネアンデルタール人の遺跡が多く、人口も多かったのだろう。そして、石器文化もいちばん進んでいた。
このあたりは、アルプスを挟んで北の地方と南の地方の両方の文化が入ってくる。その選択肢の多さが他の地域より進んだ文化を生み出した。つまりその先進性は、先住民によるものだったのだ。
洞窟に壁画を描くことも、この地域からはじまった。それは、みんなが洞窟に集まって語り合うということが盛んだったことを意味する。
現在の人類学では、文化の先進性をつねに知能の高さで語りたがるのだが、そうではない。けっきょく人と人の関係の豊かさが文化の先進性を生むのであり、それは、旅人がそこを占領して教えるというのではなく、先住民が旅人をもてなしながらそこからさらに新しい展開をつくってゆくことによるのだ。
行き止まりの地だけではない。新しい文化は、よそからもたらされるのではなく、そこで生まれるのだ。最初の新しい文化はどうして生まれたかといえば、それもまた異文化と融合してゆくことによってだろう。異文化が新しい文化になるのではない、異文化を受け入れもてなすことによって新しい文化が生まれてくる。
人と人の関係の豊かさが新しい文化を生むのだ。
原始時代の文化の先進性は、人類発祥の地ではなく、人類拡散の行き止まりの地から生まれてきた。
そうして発祥の地であるアフリカのサバンナの民は、氷河期明けの歴史において世界から取り残されてゆく運命をたどるほかなかった。彼らは、そこから出てゆこうとしなかったし、そこにやってくるものもいなかった。
もちろん原始時代の初期はアフリカがいちばんの人口密集地だったのだからそこでいち早く原始文化が花開いていったのだが、彼らの人と人の関係の文化は、どんどん閉鎖的になり固定化していった。今やアフリカでは、何百もの部族がそれぞれ言葉が違うというような関係になってしまっている。
文化の発展は、知能がどうのという問題ではない。人と人の関係の豊かさの問題なのだ。
それはきっと現在でも同じだろう。個人においても国においても、人と人の関係が停滞すれば、文化も停滞する。
人類の人と人の関係は、拡散すればするほど豊かになっていった。人と人の関係が豊かになっていったから、住みにくい土地でも住み着いてゆくことができた。そして住みにくい土地でも住み着いてゆくことができる作法として文化が発展してきた。
人類拡散は、ユートピアを目指したのではない。「目指す」という目的意識そのものがなかった。集落の外で知らないものと出会ってときめいていったからそこに新しい集落をつくり、新しい文化を生み出していったのであり、そうやって拡散していった。
ユートピアを目指して旅をしただの、先住民を滅ぼしただの、そんな非生産的で低俗な雑談はもうやめてくれよと思う。
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