骨の話・ネアンデルタール人論15

 現在の集団的置換説の論者たちは、ヨーロッパのクロマニヨン人がアフリカのホモ・サピエンスだと決めてかかっている。その前提で、アフリカのホモ・サピエンスのほうがネアンデルタール人よりも知能が優秀だったと主張している。
 しかしそれは前提にはならない。そんな証拠などない。ネアンデルタール人クロマニヨン人になっていったのだからクロマニヨン人のほうが進んでいるのは当たり前だという考えも成り立つ。
 ネアンデルタール人クロマニヨン人の形質に変ってゆく可能性はなかったとは、けっしていえない。
 骨格なんか、気候や生活のスタイルが変わればかんたんに変わってしまう。
 日本人の平均身長は、明治時代から現在までのたった100年で10センチ以上伸びた。それは、ネアンデルタール人が温暖期の数千年間でクロマニヨン人に変わっていったのと同じ値です。そしてそのクロマニヨン人だって、最終氷期の激烈な寒さにさらされたらまたネアンデルタール人の体型に戻っていった。
 ネアンデルタール人クロマニヨン人の骨格の違いは身長のほかに、クロマニヨン人の頭蓋骨のほうがすっきりしたかたちをしているということが指摘されています。そりゃあ、気候が温暖になって環境の圧力が和らげられたらすっきりしてゆきます。
 ネアンデルタール人だって子供の頭蓋骨はわりとすっきりしています。それが大人になるにつれて環境の圧力にさらされながらだんだん歪んでくる。環境の圧力が弱まれば、とうぜんすっきりしたまま成長してゆくことができる。平均身長が伸びるのと同じ理屈でしょう。
 しかしクロマニヨン人になっても、肌の色や性質は変わらなかった。ヨーロッパ人の肌は、今でもネアンデルタール人と同じように早く成長して早く老化してゆく性質を持っている。これは、アフリカ人とはちょっと違うはずです。
 アフリカ大陸は広くて、南アフリカはもう中国や九州と同じくらいの気候です。それでも彼らはなぜ黒人のままかといえば、アフリカ中央部から拡散してきた人々だからでしょう。人類の肌はなぜ白くなったかといえば、北の果てまで拡散していったからであり、その血と交じり合って中緯度地方でも白くなった。南アフリカは、北の果ての血がほとんど混じっていないから、中国人や日本人ほどには白くならない。
 人類はアフリカで発生したわけで、もしも南アフリカていどの中緯度以上の地域に拡散していかなかったのなら、中国人も日本人もエジプト人もいまなお南アフリカ人と同じくらいの肌の色で、南アフリカ人よりも白いのは北の血が混じっているからでしょう。
 ただサバンナの民がエジプトに殖民していっただけなら、エジプト人の肌は白くなっていない。人類史の進化発展は、人の移動よりよりも遺伝子や文化の伝播のほうがずっと大きな契機になっている。
 もしもアフリカのサバンナの民がたった10万年で世界中を覆ってしまったのなら、人種の違いなどほとんどないでしょう。インド人も中国人もベトナム人も、みな南アフリカ人のような形質でないとつじつまが合わない。その違いは、最初の人類拡散以来の歴史を持っているのであり、地球上のすべての先住民は数万年前に移住してきたアフリカ人に取って代わられたなどということはない。どの地域であれ、最初の拡散以来、それぞれの風土に合わせてそれぞれ別の歩みをしてきたのです。


 アフリカのホモ・サピエンスであろうとあるまいと、人類の骨格は、環境の圧力が弱まればどこでもすっきりしてくる。
 大雑把にいえば、ネアンデルタールの骨は体も頭蓋骨もあれこれゆがみがあって、アフリカのホモ・サピエンスにはそれがなくすっきりしていた。すっきりしてくることをひとまず進化というらしい。
 とくに氷河期のアフリカは一年中気候が温暖で、ヨーロッパよりもはるかに環境の圧力が少なかったからいち早く骨格がすっきりしていった。
 しかし、たとえば置換説の論者たちがさかんにアフリカのホモ・サピエンスの拡散が起きていたといっている5、6万年前はすでにすべてのアフリカ人の骨格がすっきりしていたかというと、そうでもない。そのころでもまだ原始的な頭蓋骨の人類はたくさんいたのであり、生活環境に恵まれた集団だけが骨格をすっきりさせていっただけです。
 言い換えれば、そうした進化はネアンデルタール人の集団でも起きてくる。これは、遺伝子の問題ではない。遺伝子の問題は「結果」にすぎない。すっきりした骨格になる遺伝子を持った個体でも生き残れるようになったからそれが採用されていったのであって、すっきりした骨格が有利だったのではない。すっきりした骨格は不利なのです。氷河期の北ヨーロッパならなおさらのこと。
 たぶんそういう遺伝子の突然変異はいつでもどこでも起きているが、その遺伝子のキャリアの個体は生きにくいから、採用される条件が整わなければ採用されない。それだけのこと。それは集団の生態の問題です。環境の圧力がやわらげられれば、ごつごつしたネアンデルタール人の骨格だって自然にすっきりしてくる。骨格は遺伝子よりもむしろ気候や生態によって決定される。べつにアフリカ人にヨーロッパに来てもらわなくても、ネアンデルタール人だけで変わってゆくことができる。


 これはちょっとややこしい話になるのだが……。
 アフリカでホモ・サピエンスが生まれたといわれている15万年前からヨーロッパにクロマニヨンが登場した3万5千年前までの中東あたりはどうなっていたかというと、温暖期にはホモ・サピエンス的な骨格になり、氷河期はネアンデルタール人的になるというように、7、8万年周期で変化していました。
 人類学者のほとんどはこれを、暖かくなるとアフリカからホモ・サピエンスがやってきて。寒くなると北からネアンデルタール人が下りてきた、といっています。
 まったくばかげた歴史解釈です。
 中東には中東人がいただけでしょう。彼らはたぶん、200万年以上前からそこに住み着いていた。そしてここは北と南の中間の地域だから、両方と血が混じりやすい。寒くなれば北から伝播してきたネアンデルタール人の血と形質を持った個体が多く生き残ってゆくし、暖かくなれば南の遺伝子のキャリアが増える。
 人類学者のいう通りなら、中東の先住民なんかひとりもいなかったことになる。しかしそのころの中東は緑が多く狩の資源も豊富な大地だったのであり、砂漠化していったのは氷河期明けの文明の発生以降のことです。だから、もしかしたらいちばん人口密度が高かったのかもしれない。
 温暖期は、およそ13〜7万年前ころです。このころの中東人の頭蓋骨はホモ・サピエンス的なすっきりしたかたちになっていた。
 そして奇妙なことに、この頭蓋骨は、同じころのアフリカ北部よりもずっとすっきりしているのです。アフリカ北部はまだ原始的なゆがみを持った頭蓋骨が多かった。
 つまり、北アフリカよりも中東のほうが環境の圧力を和らげる生活文化と体質を豊かに持っていた。
 まあこの中東人はクロマニヨン人とよく似ているから、ストリンガーなどは、彼らがヨーロッパに殖民していったといっているのだが、それではその7万年前とクロマニヨン人が登場した3万5千年前とのあいだの4万5千年のタイムラグの説明がつかない。
 おそらく彼らだって、7万年前以降の氷河期になればネアンデルタール人的な骨格に戻っていっただけです。その証拠に、そのころの中東での出土人骨はみなネアンデルタール人的です。
 まあそのころの中東は北とも南とも血や文化の多少の交流はあったにせよ、骨格が変わっていった基本的な理由は、気候という環境の圧力にあるのでしょう。13〜7万年前の中東人の骨格が同じころの北アフリカ人のそれよりももっとすっきりしてモダンだったのは、アフリカの影響でもアフリカ人がやってきたのでもなく、気候の温暖化によって彼ら自身が勝手に変わっていったのでしょう。


 ヨーロッパにしろ中東にしろ、アフリカの後を追うようにして形質が変化していったのではない。
 アフリカから出土する骨の証拠はヨーロッパに比べるととても少ないのだが、一時的に気候がゆるんだ間氷期である3万五千年前の北ヨーロッパのクロマニヨンの頭蓋骨は、同じころの北アフリカ人のそれよりももっとすっきりしていた可能性がある。
 3万5千年前以降のヨーロッパでは、北のほうから先に骨格がクロマニヨン化していった。もしもアフリカ人が移住してきたのなら、まず比較的に住みよい南ヨーロッパに住み着き、ネアンデルタール人は北の果ての地域にに追われていったはずです。でもじっさいはそうはならなかった。南ヨーロッパにいつまでもネアンデルタール人的な形質の集団が残っていた。
そしてこのころの中東もまた、まだネアンデルタール人的な形質でなければ生きられれなかったのです。それは、北ヨーロッパネアンデルタール人が、すでに環境の圧力を和らげる文化を中東やアフリカよりもずっと進化させていた、ということを意味する。
 置換説の論者たちがいうようにアフリカ人がアフリカを出て世界中に殖民していったのなら、中東や南ヨーロッパこそ真っ先にアフリカ人化していなければならない。
 3万5千年前といえば、間氷期とはいえ、北アフリカも中東も南ヨーロッパもまだそれなりに寒くもあったから、骨格がすっきりしてこなかった。しかし死と背中合わせのような激烈な寒さを潜り抜けてきた北ヨーロッパネアンデルタール人にとっては、それだけですでに天国のような気候だった。
 これは、体質や生活の技術だけではなく、気質の問題でもあります。北ヨーロッパネアンデルタール人は、ちょっと気候がゆるんだだけでもう、大いにときめいていった。そういう「ときめく」という心模様が、北ヨーロッパはとても豊かだった。つまり、気持ちの持ちようそのものが、すでに環境の圧力を和らげていたわけで、それに歴史とともに蓄積してきた体質と生活技術のアドバンテージも加わっていた。だから、北アフリカや中東や南ヨーロッパよりも早くから骨格がすっきりしていった。
 ネアンデルタール人がクロマニヨンになっていったのは、アフリカ人がやってきたのでも、アフリカ人の遺伝子を受け継いだのでもなかった。彼らはもっとも苛酷な環境を潜り抜けてきたからこそ、環境の圧力を和らげる体質や生活技術やメンタリティをもっとも豊かにそなえていた。
 環境の圧力が和らげば、骨格は変わってゆくのです。
 人類の骨格がすっきりしていったことは、環境の圧力を和らげる体質や生活文化が進化発展していった人類史の必然的な帰結であって、アフリカのホモ・サピエンスの遺伝子が世界中に伝播していったことによるのではないし、ましてや彼らが世界中に殖民していったことによるのではさらにない。
 もちろんホモ・サピエンスミトコンドリア遺伝子は世界中に伝播していった。しかし人類の骨格がすっきりしていったことは、それとはまた別の問題です。
 3万5千年前に北ヨーロッパネアンデルタール人がいち早く骨格をすっきりさせていったとき、北アフリカや中東や南ヨーロッパではまだ原始的な骨格で四苦八苦していたのです。
 ネアンデルタール人の平均身長は160センチ台で、アフリカのホモ・サピエンスは180センチ以上だった。しかし6万年前の中東のケバラ洞窟のネアンデルタール人の遺骨には、187センチの人も混じっていた。それは、そのときネアンデルタール人はすでにそれだけの身長になる可能性の体質を持っていたということを意味するはずです。
 クロマニヨンの男の平均身長が180センチ以上だったといっても、それがただちにアフリカ人であることの証拠にはならない。そしてそんなクロマニヨンも最終氷期の激烈な寒さにさらされればまたどんどんもとのネアンデルタール人的な骨格に戻っていったし、それでも温暖期になった現在は180センチの平均身長になっている。
 骨格は、遺伝子だけが決定しているのではない。気候や生活様式の変化によってもずいぶん変わってしまう。気候や生活様式の変化によって遺伝子も変わってゆくということだろうか。160センチ台でなければ生きられないのならそういう遺伝子ばかりになってゆくし、180センチでも生きられるのなら、そういう遺伝子も残ってゆく。
 ネアンデルタール人がクロマニヨンに変ってゆく契機と必然性は確かにあった。


 4〜3万年前にヨーロッパに移住していったアフリカ人などひとりもいない。そのことの根拠をここで何度も書いてきたのだけれど、どうしてそんな途方もないことをありうるかのように思えるのだろう。アフリカのサバンナに住んでいた原始人が大集団を組織して原始時代の道なき道を旅していっただなんて、あるはずがないじゃないですか。
 人類の旅の原点は、ひとりで漂泊してゆくことにある。
 そういうひとりひとりがどこからともなく集まってきて集団になり、住み着いてゆく。その果てしない繰り返しで地球の隅々まで拡散していった。
 しかしアフリカのサバンナの民は、知らないものどうしがときめき合ってゆくというメンタリティを持っていない。彼らは部族意識・家族意識でつながっていて、外部のものとは敵対することはあってもときめき合うことはない。彼らのメンタリティから、拡散してゆく習性は生まれてこない。とにかくそうやって700万年サバンナで暮らしてきた人々なのだから、気候が変わったからといって部族まるごとの集団でよそに移住してゆくということはしないし、しなかった。
 原始人は、世界中どこでも、集団で移住してゆくということなどしなかった。住みなれた故郷以上に住みよい土地などないのです。住みにくくなれば、もっとよその土地に移住してゆくということができなくなる。そういう意味では、住みやすいことのほうがもっと移住してゆく契機になりうる。住みやすさのために緊張の糸がゆるんで、ついふらふらとさまよい出てゆく。現代人は、田舎の暮らしに退屈して都会に出てゆく。
 近代のヨーロッパからのアメリカ大陸移住やこの国の終戦直後のブラジル移住などのムーブメントにしても、そこが住みよい土地だとは誰も思っていなかった。住みにくさを覚悟して移住していったのです。人類は、住みにくさを受け入れることができるメンタリティを持っているから地球の隅々まで拡散していった。
 どんな技術も、上手にできないことの居心地の悪さを受け入れながら上手になってゆく。それと同じことで、そういう居心地の悪さを受け入れるメンタリティは人間特有のものです。
 人類集団は、不可避的にはぐれて出てゆくものを生み出してしまう。それが、人類拡散につながった。
 ただ、700万年の昔からその地を動かなかったアフリカのサバンナの民は、昔も今も、世界でいちばんはぐれて出てゆくことをしない習性を持った民族なのです。
 人類学者は、7万年前以降の気候が乾燥寒冷化した氷河期突入によってアフリカの人口は半減したとシュミレーションしているらしいが、じっさいにそうだったかどうかはわからない。
 日本列島では、気候が乾燥寒冷化した弥生時代人口爆発が起きた。農業の発展によって人口爆発が起きたのではない。人口爆発が起きたから農業が発展したのです。
 氷河期のアフリカ中央部は、人口が増えようと減ろうと、とにかく灼熱の日差しから解放されて一年中温暖な気候になったのです。それはつまり環境の圧力が和らいだということであり、それによってサバンナの民はますますすっきりした骨格になっていった。
 また環境の圧力を和らげる要素は気候だけでなく、生活技術の文化やメンタリティの問題もある。その生活技術やメンタリティにおいては、もっとも苛酷な環境で暮らしていたネアンデルタール人がもっとも進んでいた。だから、一時的に氷河期の寒さがゆるむと、北アフリカや中東や南ヨーロッパよりも早く骨格がすっきりしていった。
 それはべつに、アフリカ人のおかげでもなんでもない。ネアンデルタール人の生活技術の文化やメンタリティのたまものです。


 ひところの置換説の論者のあいだでは、ネアンデルタール人ホモ・サピエンスが交配可能な人類の範疇に入らない、というような意見も流布していたが、交配なんかしなくてもネアンデルタール人だってすでにホモ・サピエンス=人類だったのです。われわれは、数万年前から数十万年前のヨーロッパから中東アジアにかけて住んでいた人びとのことをネアンデルタール人と呼んでいるだけです。
 そしてアフリカ中央部のサバンナから南にかけては、まわりの地域と血(遺伝子)の交換をしていない純粋ホモ・サピエンスがいた。彼らは世界中に拡散していった人種ではなかったし、彼らよりもネアンデルタール人のほうがはるかに広い範囲に分布していた。
 すくなくとも人類の骨格はそれぞれの地域で独自にすっきりしていったのであって、サバンナの民の遺伝子が伝播していったせいではないし、ましてやサバンナの民が世界中を覆っていったのでもない。たしかにサバンナの民のミトコンドリア遺伝子は世界中に伝播していったが、それはべつに骨をつくる遺伝子ではないはずです。
 現在のヨーロッパ人の骨格や肌は、ネアンデルタール人由来のものであるはずです。いずれそれが証明されることでしょう。
 最近のゲノム分析によると、現代人の遺伝子にネアンデルタール人のそれが混じっている割合は数パーセントらしいが、そんなこといったってネアンデルタール人独自の遺伝子がもともと数パーセントだったからでしょう。ネアンデルタール人だって、残りの90数パーセントはそのころの全人類と共有していたのではないのか。
 まあ遺伝子のことはよくわかりませんけどね。とにかくここでは、数万年前のアフリカのサバンナの民が大集団を組織して世界中に拡散していっただなんて、そんなくだらない妄想をむやみに振りまかないでくれといいたいのです。
 何はさておいても、人が旅をすることの原点は、そのような集団の行為にあるのではない。ひとりで漂泊することにある。この生の世界をひとりでさまよっているような途方に暮れた感慨は誰の中にもあるでしょう。その漂泊の心を携えて人と人は寄り添い、同情したりときめいたりしている。
 人間的な心模様としての「漂泊」という問題がある。
 そういう人間的な漂泊の心模様は、拡散の歴史を持たないアフリカのサバンナの民よりも、北の果てまで拡散してきたネアンデルタール人のほうがずっと豊かにそなえていたのであり、この漂泊の心模様が人類の文化が花開いてゆく契機になった。このことをこれから考えてゆきたいと思っています。
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