原始時代の集団性・ネアンデルタール人論81

今どきの多くの人類学フリークが信じているらしい、ネアンデルタール人が暮らしていた4〜3万年前のヨーロッパにクロマニヨン人ホモ・サピエンスというアフリカ人が大挙してやってきた、などいう話はありえない。そんな陳腐で途方もない空想を歴史の真実にされたらたまったものではない。
原始時代のアフリカ人が同時代のヨーロッパ人以上の大集団を組織できできるはずがないし、女子供を連れてはるばる道なき道を旅するということもできるはずがないのだが、そうやって先住民であるネアンデルタール人を滅ぼし入れ替わっていったことを「集団的置換説」といい、今やこの国ではそれが常識であるかのように合唱されいる。
アフリカ人はいまだに大集団で行動することが苦手な民族であり、だから国家の建設が遅々として進んでいない。そんな民族が、そのころ地球上でもっとも大きな集団をいとなんでいたに違いないネアンデルタール人を凌駕するほどの集団をどうして組織できよう。
なぜそんな他愛もない絵空事を、どうして多くの人たちが信じてしまうのだろう。
こんな安っぽい空想・妄想がひとまずれっきとした学説として世界中に流通しているなんて、まったくばかげている。
もしもクロマニヨン人が人類史上画期的な大きな集団を組織していたとすれば、ネアンデルタール人クロマニヨン人になっていったからだ。状況証拠として、それ以外に考えられない。
 クロマニヨン人は、「アフリカ人」だったのではない。100万年前からヨーロッパに住み着いてきた歴史を持ったネアンデルタール人の末裔だった。氷河期の北ヨーロッパには、50万年前から住み着いていた。そういう歴史の厚みの上にそこで暮らすことを可能にしていたのであって、同じだけの歴史を熱帯のアフリカで生きてきた民族がいきなり順応できる土地ではなかった。
 集団的置換説の論者たちは、現在の人類はすべて20〜10万年前にアフリカを出てきたアフリカ人の末裔であるといっていたのだが、現在のゲノム遺伝子の分析などから、純粋なアフリカ人の末裔などアフリカにしかいないということがわかってきている。そうして今や、4〜3万年前のヨーロッパではそのとき移住してきた多数派のアフリカ人と少数派の先住のネアンデルタール人が交雑・混血していた、などというくだらない物語を平気で合唱している。
 そのとき、アフリカからヨーロッパにやってきたアフリカ人などひとりもいない。ただ、アフリカの遺伝子がヨーロッパに伝播していっただけのこと。集団から集団へと手渡されながら遺伝子だけが旅をしていっただけのことで、人が旅していったのではない。ヨーロッパのネアンデルタール人ネアンデルタール人どうしで交雑していただけであり、それでもアフリカの血が混じったクロマニヨン人になっていった。
 現在の地球上の人類はすべてホモ・サピエンスであるというのなら、人類の血はいずれ世界中に伝播してしまうという人類ならではの普遍的な生態の問題であって、現在の人類は20万年前以降のアフリカ人の末裔ばかりであるということではない。集団的置換説の論者たちはかつてそんなことばかり合唱していたが、遺伝子分析が進んだ今、そんな途方もないバカげた理屈は成り立たなくなってしまっている。
 遺伝子の研究が進んだ今、置換説の論者たちが合唱するような、現在の人類はすべて20万年前のアフリカ人の末裔であるというバカげた理屈は成り立たない。


 たしかに20万年前のアフリカ人(ホモ・サピエンス)の血が世界中に伝播していったのだろうが、それがそのままアフリカ人が爆発的に人口を増やしながら世界中に旅していったということにはならない。そんなことはありえない。それくらい、ちょっと考えればわかることではないか。
 現在の人類の遺伝子の組成がほとんど同じでみな「ホモ・サピエンス」だといっても、それほど人類の血は世界中に伝播し混じり合ってしまう、ということを意味しているだけだ。世界中の人類が血の一部にアフリカの血を混入させている、というだけのことさ。
 世界中の人類がある同じ遺伝子を共有しているのに、一部のアフリカ人だけはその遺伝子が混じっていない、という例もある。それは、アフリカ人がいかに拡散してゆかない生態を色濃く持っているかということを意味している。そしてアフリカ以外の地のものたちも、アフリカに向かって拡散してゆくということはほとんどなかった。アフリカが故郷なら、アフリカに帰ってゆくものたちだっていくらでもいたはずだ。
 700万年前ころにアフリカの中央部で生まれた人類はやがてアフリカの外まで拡散していったが、その700万年のあいだアフリカ中央部にとどまり続けてきたものたちもいた。それがアフリカの歴史であり、拡散してゆかないことこそアフリカの伝統なのだ。
 だからアフリカ人は未発達だとか、そういうことではない。拡散してゆくのも人類の生態なら、拡散しないでけんめいに住み着いて住み着いていゆこうとするのも人類普遍の生態であり、その住み着いてゆくことができる生態によって、どんな住みにくい地でも住み着きながら拡散していったのだ。
 アフリカだろうとアフリカ以外の地だろうと、人がそこに懸命に住み着いてきた歴史を持っているのだ。それを考慮できないで、20万年前以降のアフリカ人が人類の歴史をつくったと決めつけているなんて、まったくバカげている。あなたたちには、歴史を読み解くという能力が決定的に欠落している。ヨーロッパの歴史は、100万年前からそこに住み着いてきた生態の上に成り立っている。北ヨーロッパにかぎっても50万年の歴史があるわけで、4〜3万年前にアフリカからやってきたアフリカ人がつくったのではない。あなたたちは、自分の勝手な妄想・空想に流されて、人類の歴史の厚みや重みや深さというものをなめている。そこまで考える読解力や想像力がなさすぎる。
 読解力とは、いったん自分を捨てて生まれたばかりの子供のような無邪気さとともに気づいてゆくこと。それは、本を読むことだろうと歴史を読むことだろうと、ふだんの人と人の関係で相手の「感慨のあや」に気づいてゆくことだろうと同じだ。
 どいつもこいつもくだらない空想・妄想で知ったかぶりしていい気になっていやがる。集団的置換説の世界的な権威であるC・ストリンガーも、それに追随するこの国の古人類学者たちも、彼らの思考力や想像力なんて、みんなそのレベルだ。
 人が歴史をつくるのではなく、歴史が人の生態をつくる。現在のヨーロッパ人の生態や気質は、彼らの先祖がそこに住み着いて以来の100万年の歴史の上に成り立っている。そして人「人類」という概念は、猿から分かたれて二本の足で立ち上がって以来の700万年の歴史の上に成り立っている。
 何が「ホモ・サピエンス」か、そんな科学的には何の根拠もない薄っぺらな概念を子供のおもちゃみたいにもてあそんでいい気になってもしょうがない。
げんみつには、現在の人類は20万年前のアフリカ人の子孫ではない。誰もが血の中にその遺伝子を混入させているだけのことで、20万年前にアフリカ人だったのではない。20万年前のアフリカ人はアフリカにしかいなかったし、4〜3万年前のヨーロッパにアフリカ人などいなかった。
 4〜3万年前のアフリカ人がヨーロッパに移住して先住民であるネアンデルタール人駆逐していったのがクロマニヨン人である……などういう集団的置換説はどうしようもなくもなくバカげたデマゴーグであり、しかしこの国ではそれが古人類学の疑うまでもない常識のようになっている。
 4〜1万年前の原始時代のヨーロッパでクロマニヨン人の文化が花開いていったというのなら、それは100万年前からそこに住み着いてきたネアンデルタール人の艱難辛苦の歴史の上に成り立っている。その艱難辛苦の歴史とともにクロマニヨン人の知性や感性やときめきが生まれ育ってきたのだ。


 まったく、彼らの考える何もかもがバカげている。自分を物差しにして、自分の思いたいように勝手に決めつけている。4〜3万年前のアフリカ人がはるばる旅をしてきてヨーロッパに住み着いていったと空想することがそんなに楽しいか?それが歴史の真実だと決めつけて平気でいられるなんて、考えることが不用意すぎるし、人間をなめている。そうやって「自分の世界」から抜け出せないなんて知性や感性の貧困以外の何ものでもない。自分なんか振り捨てたまっさらな心にならないと、世界や他者に気づいてゆくことはできない。
「自由」とか「解放」というのは、「自分」から解き放たれることであり、「自分」に執着することではない。現代人の自我=自意識は、そうやって「自分」に閉じ込められている。
 たとえば、ささくれができた指で机の表面を撫でても、ひりひりする自分の指を感じるばかりで、机の表面の質感はまるでわからない。それが「自分に執着する(=閉じ込められている)」ということであり、机の表面の質感をありありと感じているとき、自分の指に対する意識が消えている。この世界や他者の存在をありありと感じてときめいてゆくということは、「自分から解放される」という体験なのだ。
「自分から解放される」体験は、じつは誰でもしている。そこに、普遍的な人間性の自然がある。
自我=自意識の確立なんて、ささくれができた指ののようなものだ。自我=自意識は、人の心の「ささくれ」なのだ。彼らはその自我=自意識で、「4〜3万年前のアフリカ人がヨーロッパに移住していった」という薄っぺらな物語を合唱している。
人間的な知性や感性は、世界や他者の輝きにときめきながら、「自分からの解放」として生まれ育ってくる。
内田樹上野千鶴子のように「自尊感情=自我」をまさぐってばかりいるものの知性や感性などたかが知れているし、それはそのまま現代社会そのものの病理現象でもある。
人類は、生き延びようとする自我を捨てて、どんなに住みにくい土地でもけんめいに住み着きながら。地球の隅々まで拡散していった。それは、「自己実現」などということではなく、「自分からの解放」だった。自分を生き延びるに値する存在であるとする「自尊感情」などというものに執着していたら、住みよい土地しか目指さない。そうして今ごろ人類は、温暖な気候で食料資源の豊富な住みよい土地ばかりにひしめき合っていることだろう。しかしじっさいの人類史はそうではなかった。つねに住みにくさをいとわず移住していった。
近代のヨーロッパ人がアメリカ大陸に移住していったときだって、誰にとってもそこは住み慣れた故郷よりもはるかに住みにくい土地だったのであり、何はともあれその住みにくさをいとわずに住み着いてゆくダイナミズムによって現在のアメリカへと発展してきたのだ。そこはもう、「自尊感情」など捨てて「いつ死んでもいい」という感慨になってゆかなければ住み着いてゆくことのできない苛酷な環境だった。まあそうやって平気で人と人が殺し合う社会にも豊かに助け合う社会にもなっていったのだ。
 人類拡散すなわち人類が生まれ故郷のアフリカの外へと拡散していったことは、より住みにくい土地に住み着いてゆくことだったのであり、それは生き延びようとする自我の欲望によって実現していったのではなく、「もう死んでもいい」と思い定めて自分から解放されるカタルシスを汲み上げてゆく体験だった。
「人類拡散」という問題は、そこのところを考えないと何もわかってこない。それは「人間とは何か」という問題をいったん白紙にしたところから問うてゆくことであって、人間のいとなみが生き延びようとする欲望とともにあると最初から決めてかかっていると間違う。
 まあ、氷河期の北ヨーロッパに住み着いてゆく能力が、そこに50万年住み着いてきたネアンデルタール人よりもいきなりやってきたアフリカ人の方が豊かにそなえていたなどと、あなたたちはどうしてそんな横着で雑駁な思考ができるのか。
 それはもう、東南アジアだろうと中近東だろうと同じで、旅人はつねに先住民からその土地の住み着き方を学んでゆくしかないのが歴史の法則である。旅していったアフリカ人が先住身を凌駕していったなどということは、地球上のどこにおいても起きていない。文明の発達した国の日本人が未開のアマゾンやアフリカに旅していって、先住民よりもその土地で生きてゆく方法を豊かにそなえているということなどありえないではないか。
 原始時代の旅なんか、つねに個人かもしくはきわめて小さな集団でなされていただけであり、その個人や小さな集団どうしが出会って新しい大きな集団になっていったのが「人類拡散」であり、近代のアメリカ大陸への移住だって同じこと、大きな集団で移住していったということなど、じっさいには近代においてすらない。
原始人が大集団を組織しながら女子供を連れて新しい土地に移住してゆくということなど、あるはずがない。そんな薄っぺらな物語を思い描いて、知ったかぶりして、何が楽しいのか。そんな知ったかぶりのアホたちに人類の歴史を勝手に決めつけられたくはない。
たしかに今どきは無理が通って道理が引っ込む世の中なのだが、そんな世の中だから認知症鬱病やインポテンツが増えてくる。
「人類の歴史は生き延びるためのいとなみだった」という認識が、そもそもおかしい。それは、「もう死んでもいい」と思い定めたところから心が華やぎときめいてゆくいとなみだったのであり、そうやって言葉をはじめとする人間的な文化が生まれ育ってきたのだ。


原始時代の人類が地球の隅々まで拡散してゆく現象が起きたということは、集団で旅していったということを意味するのではなく、その集団はつねに離合集散を繰り返していたということを意味しているのであり、彼らは生き延びようと懸命に集団を維持しようとしていたのではなく、「もう死んでもいい」と思い定めながら集団からはぐれてゆく心模様を誰もが持っていた。
あの三内丸山遺跡縄文時代においては例外的に大きな集落だったが、縄文中期には人がいなくなっていた。それは、集団ごとべつのどこかに移住していったのではない。もしそうなら、別の地に同じ規模の大集落があらわれているはずだが、そんな考古学の証拠などどこにもない。つまりそのとき、ばらばらにどこかに散っていったのだ。そしてネアンデルタール人の洞窟集落だってこのような例がいくらでもあり、ほとんどの人類学者たちはそれを「集団ごとどこかに移住していった」といっているのだが、そうじゃない、「ばらばらに散っていった」だけなのだ。それが人間性の自然であり、現代人だって、会社や学校という大きな集団をつくっても、毎日みんなばらばらに散ってそれぞれの家に帰っているではないか。猿とは違う人間集団のダイナミズムは、そういう「集団からはぐれてばらばらに散ってゆく」という生態やメンタリティの上に成り立っている。
ネアンデルタール人だろうと縄文人だろうと、世界中の原始人が「集団のアイデンティティに依拠する意識」が希薄だった。なぜならそれは猿の集団意識であって、人類はそれを捨てて猿から分かたれたのだ。
猿は集団のアイデンティティを持っているから、集団の規模を適正なレベルに保って、余分な個体は追い出してしまう。しかし人類は、集団のアイデンティティに依拠していないから、どんな大きな規模になっても平気でいられる。誰の心も、どこかで集団からはぐれてしまっているからこそ、平気でいられるのだ。集団に依拠しているから無際限に大きな集団になれるのではない、依拠していないからなれるのだ。
したがって、原始人が大きな集団で移住していったということは、人類の行動原理に照らしてありえないことなのだ。彼らの集団はつねに離合集散を繰り返していたのであり、だからこそ人類拡散が起きたのだし、その行動習性は、ひとまずそのころの地球の果てまで拡散してきていたネアンデルタール人がもっとも色濃くそなえていた。
人の心は、どこかしらで集団からはぐれてしまっている。そうして目の前の他者に他愛なくときめいてゆく。この人間性の自然によって人類拡散が起きた。
集団的置換説の論者たちが能天気に合唱するような、700万年の人類史をアフリカにとどまり続けてきたアフリカのホモ・サピエンスがたちまち地球の隅々まで拡散していったということなどありえないし、拡散しながらすべての先住民と入れ替わっていったということもさらにありえない。
10万人のネアンデルタール人の生息域に100万人のアフリカ人が移住してきただなんて、何をくだらないことをいっているのだろう。そんなことはあるはずがないのだ。そのころヨーロッパにやってきたアフリカ人などひとりもいない。アフリカ北部まで拡散していたネアンデルタール人がそこでアフリカの遺伝子を拾ってしまい、それがネアンデルタール人の集落から集落へと手渡されながらとうとうヨーロッパ全域まで広がっていっただけなのだ。


ネアンデルタール人は、ヨーロッパ中で同じような石器を使っていた。それは、彼らの集団がそれほどダイナミックに離合集散を繰り返していたことを意味する。石器だけでなく、血もまたダイナミックに混じり合っていた。そうやってヨーロッパ中で「ホモ・サピエンス化=クロマニヨン人化」していったのであって、アフリカ人がやってきたのではない。
アフリカ人は、尻の大きなホッテントットとか、すらりとした高身長のマサイ族とか、背の低いピグミー族とか、ヨーロッパ人に比べてはるかに形質が多様である。置換説の研究者たちはそのことをして「人類の形質の多様性の基礎はアフリカにある」というのだが、そういうことではない。それほどにアフリカ人は集団間で血が混じり合うことをしない歴史を歩んできたということを意味するだけだ。
現在のアジア人とアフリカ人とヨーロッパ人のあいだで形質が大きく違っているのは、たかだか数万年前のアフリカ人がそこに移住して生じさせたものではないことを意味する。もしもそういう共通の基礎があったのなら、それほど大きな違いにはなっていない。それぞれの百万年単位の歴史風土の違いがそういう違いになっているのだろう。
単純に考えて、熱帯のアフリカ人が熱帯のアジアに移住しても、文化においても身体形質においてもそれほど大きな違いになるはずがない。
ある置換説の研究者はこういう。黒人が寒いヨーロッパ移住して白人に変わってゆくくらい5000年もあれば十分だ、と。だったら、もともとアジアの黄色人種だったエスキモーは5000年で白人に変わっていったか?アフリカ人どうしの形質の違いだって、数万年以上べつべつに歴史を歩んできたから生じたのだろう。
ヨーロッパ中で同じ文化や形質だったネアンデルタール人の方が、同じころのアフリカのホモ・サピエンスよりもはるかに拡散の習性をそなえていたのだ。
アフリカ人は集団のアイデンティティに依拠する意識(部族意識)が強く、ヨーロッパ人の方が、心が集団からはぐれてゆく「孤独」をよく知っている。よく知っているから、ユーロ連合という無際限に大きな集団としての共同体をつくることもできる。
 なにはともあれ、集団からはぐれてゆく心模様を持っていなければ、人間的な無際限に大きな集団はつくれないし、人間的な高度な連携プレーも生まれてこない。人類のそういう生態の基礎は、心が集団からはぐれながら氷河期の北ヨーロッパまで拡散していった歴史とともに生きていたネアンデルタール人がつくった。
 ただ知能が発達すればそういう生態をつくれるというものではないし、そもそも人間的な知能とはどういうはたらきかということを置換説の研究者たちは何にもわかっていない。
 人類の歴史は、生き延びようとしてきた歴史であるのではない。「もう死んでもいい」という無意識の感慨とともに集団からもこの生からもはぐれてゆく歴史だったのであり、それによって人間的な、心が華やぎときめいてゆくダイナミックな生やダイナミックな集団性が生まれ育ってきた。
 

人類はもともと、猿のような、みずからの属する集団をみずからのアイデンティティの根拠にしようとする意識は持っていなかった。
だから日本列島の住民は、それを伝統的に「憂き世」といって嘆きの対象にしてきた。嘆きつつ受け入れてきた。嘆きつつ受け入れているからこそ、そこからの解放として目の前の他者に対するときめきが豊かに体験される。人類にとっての集団は、歴史的にそういう体験をするための装置として機能してきた。べつに日本人だろうと欧米人だろうと、人は時代を嘆き国を嘆きつつして生きている存在なのだ。嘆きつつ受け入れている。
生きてあることは嘆くことであり、しかし心はそこから華やぎときめいてゆく。そうやって人類の知性や感性は進化発展してきた。言い換えれば、幸せ自慢ばかりして生きてあることの嘆きの希薄なものは、それだけ華やぎときめいてゆく心としての知性や感性が育ちにくい限界を抱えている。
だから、今どきの幸せ自慢の人生論や人間論や女性論などは、ひとまず眉に唾をつけて聞いておいた方がよい。われわれは、幸せであることや人からちやほやされることに戸惑ってしまう。幸せになりたいとか人からちやほやされたいと願いつつ、いざなってみると戸惑ってしまう。幸せを知らないものほど幸せになりたがるし、人からちやほやされたことがないものほどちやほやされたがるところがあったりする。そして、幸せ自慢をするということは、それだけ知性や感性が貧弱だということのあらわれなのだ。本人は大いに豊かなつもりでいて大いに自慢したがるが、客観的には本人が思うほど豊かになりえていないことが多いし、そうやって自慢して生きてきた結果として認知症鬱病やインポテンツになったりする。
本格的な知性や感性の持ち主は、ひたすら「知らない=生きられない」ことを嘆いている。
幸せになったり人からちやほやされたりしたときは用心した方がいい。それは、知性や感性やときめきを停滞させる契機になることが多い。人は幸せを自覚した瞬間から、あまりもの考えたり感じたりしなくなる。考えたり感じたりしているつもりでも、すでにその心の動きに限界が生じている。
平和で豊かな人生や社会がもちろん悪いわけではないが、むやみにそれを欲しがったり、みずからのアイデンティティにしたりしていると、知性や感性やときめきが停滞してくる。だから人は、いつの時代も時代を嘆いている。
知性や感性やときめきの源泉は「嘆き」にある。人と人は、「嘆き」を共有しているときにこそもっと豊かにときめき合っている。そうやって人は、もらい泣きをするし、感動している。
文明社会は、個人を支配しそれを賛美させようとするかたちではたらいている。共同体(国家)や時代に踊らされて生きていれば、幸せになれるし、生き延びる能力を持つことができる。踊らされていなければ幸せになれないし、生き延びられない。そうして幸せになり生き延びる能力を持つことによって、思考や感性が停滞してゆく。
文明社会は、人を思考停止に追い込む。お金を欲しがらせることによって、「お金とは何か」ということを考えさせない。そういう本質的な問いを奪ってしまう装置なのだ。社会の価値に殉じて生きさせることことによって「社会とは何か」という本質的なことを考えさせない。つまり、「社会を嘆く」ということをさせない。
働く能力を持つとか、正義を主張するとか、いい女になるとか、それらはつまりこの社会で生き延びる能力を持ち幸せになる方法であるが、そうやって「いかに生きるべきか」という命題に走って「生きるとは何か」ということを考えなくなる。文明社会の共同体(国家)や時代は、人にそういう「本質」を考えさせない機能を持っている。そういう「本質」においては、誰だって遊んでいたいし、正義などどうでもいいし、いい女として男にちやほやされることよりも自分からときめいてゆくことの方がずっと深いカタルシスを体験できる。容姿とか振舞いとか、男にちやほやされるいい女になろうとがんばることばかりしていると、自分からときめいてゆく「感動する心」が希薄になってゆく。しかし社会は、容姿や振舞いで女の価値を決めているわけで、そういう社会や時代に踊らされていい女になろうとがんばる。そうしてしだいに深く豊かにときめいてゆくことができる知性や感性が停滞してくる。
もともと男の心は、女であることそれ自体にときめいてゆくようにできている。しかし文明社会では「いい女」でなければ男との関係を結べないような仕組みになっている。「いい女」になろうとがんばらせることによって、「女とは何か」とか「生きるとは何か」とか「人間とは何か」という本質的な問いを奪ってしまう
そういう本質的な問いを持ってしまえば、人間性の自然において、「もう死んでもいい」という無意識の感慨とともに社会からはぐれていってしまう。社会が「憂き世」になってしまう。しかし人の心は、そこから華やぎときめいてゆくようにできている。
まあ、共同体(国家)や時代が共同体(国家)や時代に踊らされない人間をつくろうとするはずがないし、それでも人は、人間性の自然において、「共同体(国家)や時代」すなわち「社会という集団」からはぐれてゆく心模様を持っている。


人は、「社会という集団」からはぐれながら目の前の他者にときめいてゆく。集団からはぐれ出ていったところで他者と出会ってときめき合い、そこで新しい集団が生まれてゆく……そうやって原始人の集団は離合集散を繰り返しながら地球の隅々まで拡散していった。
どこの集団でもひとりひとりが集団からはぐれ出てゆくことが起き、その結果としてはぐれ出てきたものどうしが出会ってときめき合い、そこにより大きな新しい集団が生まれてゆく。人類拡散は、そういうことの果てしない繰り返しだったのであって、置換説の研究者たちが合唱しているような、あらかじめ大集団を組織して旅をしていったのではない。
ひとりひとりが旅をして(=はぐれ出て)いった結果として大集団になっていったのだ。そうしてそこからまたひとりひとりがはぐれ出てゆき、別の新しい大きな集団が生まれてくる。その繰り返しの果てに、氷河期の北ヨーロッパネアンデルタール人が登場してきた。
人は、集団からはぐれてゆくメンタリティや生態を持っているから、無際限に大きな集団をつくることができる。みずからのアイデンティティを集団に依拠しているからではない。無際限に大きく密集した集団なんて鬱陶しいに決まっている。はぐれてゆく心を持っていなければ耐えられるはずがないし、はぐれてゆく心を持っているからその無際限に大きく密集した集団を受け入れる。その無際限に大きく密集した集団は、その鬱陶しさゆえに、そこからはぐれて解放されてゆくことのカタルシスをより深く豊かにしてくれる。
よい社会をつくろう、と扇動したって無駄なことだ。人は、人間性の自然として、社会をつくろうとする衝動そのものを持っていない。人と人がときめき合った結果として、自然に社会集団が生まれてきてしまうだけなのだ。つまり新しい社会は、よい社会をつくろうとする意図によって生まれてくるのではなく、人と人がときめき合う関係がエネルギーとなって生まれてくる。ファシズムによってときめき合っている社会もあれば、マルクス主義でときめき合っていった社会もある。人は、正しい選択などしない。よい社会かどうかなど関係ない。人とと人がときめき合う関係が新しい社会が生まれてくるエネルギーになる。
人と人は、「憂き世」と嘆きながらときめき合ってゆく。
原発のある社会も、銃のある社会も、ろくでもない。それでもそれを嘆きつつ受け入れてゆく。この社会もこの生も「ろくでもない」と嘆きながらときめき合ってゆくのが人間性の自然なのだ。
正義で人や社会を裁いても、人や社会がその通りになってゆくわけではない。正義で人や社会を裁く人間が魅力的であるわけでもない。悪人であろうと愚かであろうと、人は魅力的な相手にときめいてゆく。そして人と人がときめき合っていることこそ、新しい社会が生まれてくるエネルギーになる。


集団からはぐれ出てきたものどうしが出会ってときめき合いながら、新しい土地に新しい集団が生まれてくる。その果てしない繰り返しによって人類拡散が起きてきた。そんな人類拡散の果てに氷河期の北ヨーロッパネアンデルタール人が登場してきたのであれば、彼らの集団のメンバーが固定的なものであったはずがない。彼らの集団は、たえず離合集散を繰り返していた。そしてその離合集散のダイナミズムが、その後に共同体(国家)という際限なく大きな集団が生まれてくる契機になったのだ。
われわれ人類は、心が集団からはぐれてゆく遺伝子を共有している。
まあ、ひとまずそこは人類拡散の行き止まりの地だったわけで、人類は、拡散してゆく新しい土地がなくなったことによって、共同体(国家)という無際限に大きな集団を生み出していったのかもしれない。
ともあれ人の心の自然は、猿と違って集団のアイデンティティに依拠していない。社会を嘆くのが人の心の自然であり、社会に踊らされているから社会を嘆きつつ「よい社会をつくろう」というスローガンを合唱したりする。そのへんがちょいとややこしいところで、そういうスローガンとともに現在の社会を否定しているからといっても、けっきょくは社会に踊らされているだけのこと、「よい社会をつくろう」というスローガンを持つこと自体が社会に踊らされている観念なのだ。
社会を嘆きつつ受け入れるのが人の心模様の自然であり、だから、支配者と被支配者の関係が生まれてきてしまう。支配者とは心が社会に踊らされている人種であり、支配されるものたちの心は社会からはぐれてしまっている。はぐれつつ支配されることを受け入れている。
「よい社会をつくろう」と扇動したり合唱したりすることだって、けっきょくは支配欲なのだ。最上層の本格的な支配者だろうと、最下層の貧乏人だろうと、社会に踊らされているものほど支配欲が強い。べつに支配者だけが支配欲が強いのではない、その「社会に踊らされている」観念が支配欲なのだ。社会は正義を提供し、その正義で人を裁く。それが支配欲だ。
家族は、支配欲の温床だ。人類史における家族という集団は、共同体(国家)の発生とともに生まれてきたのであって、原始社会にはなかった。そして家族という集団は、離合集散を繰り返すのがその本質的な生態になっている。子供の心は、成長すれば自然に家族からはぐれ出てゆき、新しい出会いを体験してゆく。
家族からはぐれてゆくのが、人間性の自然なのだ。
内田樹は支配欲のかたまりのような人間だから、家族も共同体も賛美している。
そして『共同幻想論』を書いた吉本隆明は、「社会の共同幻想と家族幻想=対幻想は逆立する」といって家族幻想=対幻想を賛美してみせたが、彼には共同体と家族が同根の集団だということが何もわかっていなかった。
ともあれ世の中は、正義で人を裁くことばかりしていると、とても住みにくくなってしまう。社会=共同体(国家)は正義で人を裁く場であり、そういう社会の仕組みに踊らされている人間ほど人や社会を裁きたがるし、家族を賛美したがる。つまり彼らは集団をつくろうとするのが人間性の自然だと考えているのだが、そうではない、人の心は集団からはぐれてゆくのであり、はぐれてゆく心を持っているから無際限に大きな集団になってしまうし、支配されることを受け入れてしまう。そしてそのはぐれてゆく心を共有しながら豊かにときめき合う体験もするし、そのはぐれてゆく心を携えて学問や芸術に目覚めてゆく。
文明社会を生きることは、なんともややこしく、原始人や生まれたばかりの赤ん坊のような純粋に他愛なくときめいてゆく心がどんどん塞がれてゆく。そうやって思春期の混乱というか煩悶が起きてくる。そこで居直って正義で人や社会を裁く心を身につけながら大人になってゆくか、それとも人間性の自然としての他愛なく世界や他者にときめいてゆく心をそのままま守り育ててゆくか。思春期の若者は、そういう心を守り育てようとして、学問や芸術や恋愛などに目覚めてゆく。心が家族からはぐれてゆくことだって、まあそういう現象だといえる。
 人の心の自然は、集団からはぐれてゆく。ここでいいたいのはようするにそういうことで、だから人類拡散の遺伝子を色濃くそなえたネアンデルタール人の集団が離合集散の生態持っていたのは当然のことだったし、同じころのアフリカ人が大集団を組織してはるばるヨーロッパまで旅していったこともありえないのだ。
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