別れのかなしみ・「時代は変わる」16


現代人は、時代の終わりに対する視線を喪失し、つねに「新しい時代とは?」と問い続ける。それは、みずからの生の終わりと向き合うことのできる感性を喪失している、ということでもある。それで老人はボケてしまったり、老人でなくてもアンチエイジングの治療が盛んになっているというのはそういうことだろうし、早い人は30代でもう美容外科のお世話になっているのだとか。とくに独身のキャリアウーマンはそういう経済的な余裕があるし、見栄も強い。いつまでも若いことはひとつの「女子力」だとみなされている時代だ。
独身の上野千鶴子氏は、「おひとりでさびしいでしょう」といわれると「よけいなお世話だ」と思ってしまう、といっておられる。そりゃあそうだろう。しかしそのとき彼女には「私はあなたたちよりずっとたくさんのネットワークを持っている」という自負がある。
彼女は独身ではあるが、厳密には「おひとりさま」ではない。たくさんのちやほやしてくれる取り巻きがいるし、近くにも遠くにもたくさんの親しい交友関係を持っている。ぜんぜん「おひとりさま」ではない。ひといちばい人間関係に浮かれて生きているご身分なのだ。そうやって浮かれながら、だんだん人間に鈍感になってゆく。この人は、さびしくないからだめなのだ。「ええさびしいです」といえるくらいなら大したものだが、「おひとりさまの老後」という本を読むかぎりでは、そのようなネットワークの人間関係に浮かれまくって生きているだけらしい。
どこが「おひとりさま」なのか?
ほんとうの「おひとりさま」は、ちやほやしてくれる取り巻きも親しい交友関係も持たない。世の中には、そういうほんものの「おひとりさま」の老人はいくらでもいる。いや、老人にかぎらない。とにかく、そういうネットワークを持っていないほんものの「おひとりさま」の人の方がずっと人に対してときめく心を持っている。
ほんとうのおひとりさまは「今ここ」で世界が完結しているし、ネットワークを持っている人の世界はどこまでも広がってゆく。豊かなネットワークを持っているということは、「今ここ」の目の前の人に対するときめきを喪失しているということであり、ときめいてしまったらネットワークは広がってゆかない。目の前の人の前で立ち止まるということをしていないのだ。
「今ここ」なんかどんどん振り捨ててゆく未来志向・上昇志向によってネットワークが広がってゆく。
ほんとうの「おひとりさま」は、「今ここ」に立ち止まって目の前の人や世界にときめいている人である。少なくとも、ネットワークづくりに邁進している人よりもずっとときめいている。
ほんとうの「おひとりさま」は、世界の終わりを知っている。世界の終りのところに立ちつくしている。
ネットワークづくりに邁進している人は、世界の終わりを知らない。それは、みずから生の終わりと向き合える心をすでに喪失してしまっている、ということでもある。そしてそれは、上野氏一人だけではなく、現代社会の病理でもある。



ネットワークを称揚して生きていると、物事の「終わり」が見えなくなってしまう。
「終わり」は「別れ」でもある。そして「別れのかなしみ」は「出会いのときめき」とセットになっている。このふたつの体験の上に「おもてなし」の作法が洗練してきたのであり、それが日本列島の伝統的な美意識の基底にもなっている。
「別れのかなしみ」を知らないものが「あはれ」とか「はかなし」とは思わないし、それは「出会いのときめき」を知っているものの感慨でもある。そういうところから、日本的な「おもてなし」の作法が洗練発達してきた。
それはつまり、「終わり」を知っている意識なのだ。
日本列島の歴史は、人と人が出会いと別れを繰り返してきた歴史だった。
縄文時代の男たちは山道を旅しながら山の中の女子供だけの小集落を訪ね歩くという暮らしをしていた。氷河期明け直後の縄文初期はほとんどの平地が湿原になってしまい、山間地に小集落をつくって暮らすしかなかった。まあ最初は、氷河期の延長として狩り場を探しながら比較的大きな集団で移動生活をはじめたのだろうが、それがだんだん小集団になってゆき、ついには体力のある男だけが旅を続けて女子供は山あいに小集落をつくって定住してゆくというかたちに「分かれて=別れて」いったのだろう。
おそらく、そういう歴史の必然的ななりゆきがあった。
日本列島の歴史は、最初から「別れ=終わり」とともにあった。別れのかなしみから歴史がはじまった、というべきか。そうして別れと出会いを繰り返しながら、人と人の関係の作法の文化を紡いできた。なにしろ縄文時代は1万年続いた。この1万年で、日本的なメンタリティの基礎はおおかた出来上がっていたのだろう。
日本列島の「おもてなし」は、縄文時代の、女たちの小集落が旅する男たちをもてなすというかたちからはじまっていたのだ。
大陸の場合なら、自分たちのところにやってくる異民族との関係は、戦争侵略の相克や交易の駆け引きやらつねに緊張関係がともなっていたが、そうした関係とは無縁の日本列島では、ひたすら「おもてなし」の作法が追求されていった。
そしてその「おもてなし」は、つねに「出会いのときめき」と「別れのかなしみ」がセットになっていた。
人間は、別れのかなしみを知っているから、出会いのときめきを体験する。
時代が変わるということも、まあそのような体験である。
春が終わったことを感じることによって、夏が来たことを知る。
そして日本列島の場合は、春の盛りのときに、すでに春が去りつつある気配と夏が忍び寄ってきていることを感じる。そこから「初もの」を珍重する習俗が生まれてきた。日本列島の住民は、そうやって、「別れのかなしみ」と「出会いのときめき」を同時に体験してきた。これは、縄文時代の1万年のあいだ、つねに別れが約束されている相手の「おもてなし」をしてきた伝統なのだ。
日本列島の旅人をもてなすという伝統は、縄文時代にすでにつくられていた。古代人の旅はそうした「おもてなし」の伝統に支えられていたし、その後の旅の僧や旅芸人にしても、「おもてなし」と出会うことのよろこびなしに旅を続けることなどできるはずがない。
「おもてなし」が手厚ければ手厚いほど、おたがい「別れのかなしみ」は避けられない。
「別れのかなしみ」は、出会ったときからはじまっている。そういう人と人の関係が、季節の感じ方の伝統にも反映されている。
「日本列島の伝統文化は四季があることから生まれてきた」などとよくいわれるが、それはたんなる「結果」であって「原因」ではない。まず、そのように感じる人と人の関係の習俗があったのだ。四季は、ほかの国にもある。
まず日本的な人と人の関係の伝統が基底にある。それは、「別れ=終わり」に気づいてゆくメンタリティである。一期一会、「今ここのあなたが人間のすべてだ」と思い定めて「おもてなし」をしてゆくこと。そしてこの作法において女の方が深く身体化しているのは、縄文時代1万年の伝統があるからだ。
つまり、女の方が「別れ=終わり」に敏感で耐久力がある。
とすれば、日本列島の初期の歴史は女がリードしてきたのかもしれない。しかしこれは、日本的な文化が女性的であるというより原始的であるからだろう。原初の人類史そのものが、そのような人と人の関係を持っていた。
原初の人類は出会いと別れを繰り返しながら地球の隅々まで拡散していった。人と人の関係には、「出会いのときめき」と「別れのかなしみ」が通奏低音のように流れている。これは、べつに大げさなことではない。道を歩いていて人とぶつかりそうになって思わずよけ、「ごめんなさい」と言葉を掛け合ったり微笑み合ったりするようなことだ。この関係の中に、すでに人間としての「出会いのときめき」と「別れのかなしみ」がにじんでいる。
そういう人間としての自然にせかされて縄文時代1万年の習俗が生まれ育っていったのであり、それが日本列島の伝統文化の基底になっている。



縄文時代はネットワーク社会だったかというと、そうではあるまい。
ネットワークの関係になっていたら、やがてひとつのネットワーク共同体が出来上がってゆく。そうして、適当な開けた台地を探して大きな集落をつくるようになってゆくはずだが、三内丸山遺跡の例外があるとしても、ほとんどは山あいの2、30人の小集落ばかりだった。山間地でも、大きな集落をつくれる場所がなかったわけでもあるまい。三内丸山遺跡だって、それが都市へと発展することなく、中期には消滅してしまっている。
彼らは、ネットワークの関係をつくらなかった。小集落の方がよかった。ひとまず目の前のまったりした関係を受け入れ、それをやりくりしていった。やりくりしつつ、ときどき訪ねてくる旅人の小集団をもてなしときめいていった。
彼らは、より大きな集団をつくって旅人である男たちと一緒に暮らすということをしなかった。そのつどの「別れ」を受け入れていった。
より大きな集団はつくらなかったが、小集団でまったりと定住してゆくということもしていた。そこには、近代的な「個人=おひとりさま」というような意識もなかった。
アフリカの移動生活をしている小集団と違って、女子供だけの小集落をつくってまったりと定住してゆくことがどんなにしんどいことか。それでも彼らは、その関係をやりくりしてゆく文化を育てていった。それはまあ、旅の男たちの訪れに深く豊かにときめいてゆく体験があったからだろう。
「個人=おひとりさま」という意識など持っていたらそのようなしんどい関係を生きることはできないし、持っていなかったからこそ旅人の訪れに深く豊かにときめいてゆくこともできた。
それに対してネットワークの関係意識は「個人=おひとりさま」に執着したところから生まれ育ってくるわけで、縄文人の関係意識は、あくまで「目の前のまったりとした関係を生きる」ということにあり、彼らはまわりの集落と抗争することも連携することもなかった。そういう関係があれば避けがたくより大きな集落になってゆくはずだが、そうはならなかった。より大きな集団をつくらないと抗争には勝てないし、連携していれば自然に一緒に暮らすようになってゆく。つまり彼らは、大きな集落をつくってゆけるようななれなれしい関係を避けて、つねに「別れ=終わり」の意識を内包した関係を結んでいた。そしてここで日本的な「おもてなし」の作法の基礎がつくられていったのだ。
いつ別れてもいい間柄でときめき合ってゆく、これが「おもてなし」の作法だ。
「別れのかなしみ」を身体化している日本列島の住民に、ネットワークの関係はなじまない。「別れのかなしみ」とともに「今ここの目の前のあなたが人間のすべてだ」とときめいてゆく。それが、日本列島の伝統的な人と人の関係の流儀だ。
縄文人は、近代的な「個人=おひとりさま」という意識が希薄だった。彼らは、抗争もネットワークの関係をつくることもしなかった。彼らの旅人をもてなす作法は、「今ここの目の前のあなたが人間のすべてだ」という感慨を込めてゆくことにあった。彼らは、ひとまず目の前のあなた以外、すなわち自分たちの集落を囲む山の向こうには何もないし誰もいないと思い定めてもてなしていった。縄文集落の規模が1万年のあいだにほとんど大きくなっていかなかったことは、そういうことを意味する。
山の向こうとネットワークを持っていたら、集落は必ず大きくなってゆく。
日本列島の「おもてなし」の作法の伝統は、出会ったときからすでに「別れのかなしみ」を意識しつつ、それでも「今ここの目の前のあなたが人間のすべてだ」とときめいてゆくことにある。
まあ日本列島の住民は、伝統的にそういうふうな季節の移ろいの感じ方をしてきた。



現代社会のことを考えてみよう。
現在、上野千鶴子という抗争好きな人が「おひとりさまの老後」などといってひといちばい声高にネットワークの称揚を叫んでいることは、何やら象徴的である。
ネットワークの関係は、その外部との抗争を契機にしてつくられてゆく。
アニメオタクのネットワークは、アニメを知らない人たちと没交渉になってゆくことの上につくられてきた。彼らの一般人と「没交渉」になるという処世術は、ひとつの「抗争」である。一般人が飲み会に誘っても、みごとなくらいきっぱりと拒絶する。普通は、しょうがないからここはひとまず付き合うしかないかと思うケースはいろいろあるものだが、「個人=おひとりさま」の意識が強い彼らにはそのような心の動きはない。
人がその誘いを断れないのは、「別れのかなしみ」を無意識のうちに身体化しているからである。うれしそうにいそいそついてゆくのも、きっぱり断るのも、そうしたこととはちょっと違う。
オタクと呼ばれる人たちが人に対する関心がないかといえばそうではなく、仲間意識や特定の相手に対する所有欲といえるほどのなれなれしさもまたひといちばい強く持っている。仲間に対しては、いそいそついてゆくのだ。
彼らは、「別れのかなしみ」が希薄である。
バブル景気真っ盛りの80年代後半に起きた連続幼女誘拐殺人事件の犯人である宮崎勤という人は、そうやって幼女という他者との「別れ=終わり」のない関係にのめり込んでいった。彼が「オタク」という言葉が話題になったことのはしりで、そこから秋葉原通り魔事件の加藤君までの伝統になっていった。
ネットワークの関係意識が生まれ育ってくる「個人=おひとりさま」の意識は、「別れ=終わり」に対する感性を喪失した人と人の関係に対するなれなれしさや抗争衝動を生む。彼らは、人を殺してしまうくらい人に対してなれなれしい部分を持っている。これはきっと、上野千鶴子の抗争好きと一緒なのだ。
「個人=おひとりさま」の意識は、他者を排除する意識の上に成り立っている。他者を排除することによって、ネットワーク的な予定調和のなれなれしい関係がつくられてゆく。
ネットワークはたしかに仲よしこよしの関係になれるシステムである。しかしそれが理想というわけでも人間性の本質だというわけでもない。そこには仲良くなれることが約束されたものどうしの予定調和の関係があるからこそ、「出会いのときめき」も「別れのかなしみ」もない。彼らの人と人の関係には「おもてなし」の作法は必要ない。きっぱり拒絶するか、予定調和でなれなれしくしてゆくか、そのどちらかであり、「おもてなし」をして按配してゆくというような関係はない。
「おもてなし」をしないと関係が成り立たないから「おもてなし」をするのだ。しなくても仲良くできるに決まっていて、仲良くできない相手は排除すればいいだけなら、そんな作法を持つ必要もない。
共同体というシステムを持たなかった縄文人は、他者となれなれしくする意識も他者を排除する抗争好きの意識も希薄であると同時に、「個人=おひとりさま」という意識も希薄だった。彼らは、仲良くできるに決まっている関係など持たなかったし、抗争もしなかった。そうして、ひたすら一期一会の「おもてなし」の作法の文化を育てていった。
いいかえれば、他者と仲良くできるに決まっている関係をつくることと外部の他者を排除してゆくコンセプトの上に成り立った共同体のシステムから「ネットワーク」を称揚する思想が生まれてきたということであり、戦後社会はそのようにしてはじまりバブルの繁栄へと突っ走っていったということだ。
バブルの繁栄によってネットワーク社会が完成し、オタクと呼ばれる若者たちを生み出した。彼らは、他者との関係をやりくりする「おもてなし」の作法を喪失していたし、社会全体がそんな作法など持たなくても経済繁栄に対する信仰を共有してゆくことで関係をつくれる状況になっていた。



おそらく、戦後のはじめから日本列島の人と人の関係は変質しはじめていた。それは、地方から都市に流入してゆく人が爆発的に増えていった状況とともに起きてきた。
地方に残った人々や都市の先住民のあいだには、ひとまず戦前の人と人の関係のメンタリティや作法は残っていた。もちろんそれは都市流入者自身の中にも心の底の無意識として潜んでいるものだったのだが、都市流入者どうしの表面的でわかりやすいネットワークの関係も必要だった。
戦後の時代は、おそらくそういう二つの流れがあった。戦後のはじめは戦前の作法やメンタリティを色濃く残していたはずだが、60年代から70年代にかけてこの差が逆転し、「個人=おひとりさま」によるネットワークの関係の社会になっていった。
たとえば、酒場や喫茶店の文化が、このころから変質していった。
60年代までの酒場の女たちは「おもてなし」の作法を豊かに持っており、そのおかげで店に集まってくるいろんな職種の客どうしも大いに盛り上がった。つまり、店が古代以来の「市」のようなお祭り広場の雰囲気があった。そういう日本列島の伝統が残っていた。
しかし、70年代の後半からバブルの時代にかけては店も客も階層化してゆき、それぞれの店に同じ階層の客が集まるようになっていった。そうして店が、店の外でのネットワークをつくる場にもなっていった。また上位の階層の店の女たちの価値は、「おもてなし」の作法よりも若いとか美人であるとか、そういうことで測られた。たぶん、西洋のサロンのような雰囲気になっていったのだろう。
多くのサラリーマンが会社の経費を使い、酒場は仕事場の延長でもあった。
バブルの時代のころ、銀座のバーのあるママがいっていた。むかしはホステスと客が心中する事件がときどき起きたが、このごろはもうすっかりなくなった、と。
「今ここのあなたが人間のすべてだ」と思い定めて客をもてなす伝統文化が消えて、広く表面的なネットワークの関係になっていった、ということだろうか。
しかしそれでも、そのバブル真っ盛りの時代に「天城越え」という暗い心中の歌が大ヒットしたりするのだから、伝統的な関係の作法やメンタリティがすっかり消えていたわけではなかった。それは、すっかり西洋風の「個人=おひとりさま」のネットワークの時代になっても、ずっと時代の通奏低音というかカウンターカルチャーとして生き続けてきた。
70年代後半からバブルの時代にかけては、あっけないほどつぎつぎに伝統文化が滅んでいったが、それでも日本人が日本人でなくなることはなかったらしい。
日本人は「終わり=別れ」の意識とともにある民族だから滅んでいってもいいのだが、そのとき滅んでゆくものを見ていた人と、新しい時代の到来に浮かれつつなおも新しい時代を目指していた人がいた。
良くも悪くも日本人は、バブルに浮かれつつも、滅んでゆくものに対する視線=嘆きを捨てたくなかった。そのようにして「天城越え」がヒットし、バブルの崩壊直後には「僕たちの失敗」という時代遅れの歌が突然よみがえった。
縄文以来の日本列島の伝統的なメンタリティは、新しい時代を構想することにあるのではなく、滅んでゆくものを見つめることにある。その「嘆き」を、日本人は決して手放さない。そして人と人の関係の作法もまた、胸の奥に「別れのかなしみ」と「今ここの目の前のあなたが人間のすべてだ」という思いを共有してゆくことにある。その「嘆き」と「ときめき」の上に、日本的な洗練された「おもてなし」の作法が成り立っている。
現在もなおバブル以来のネットワークの関係が優勢で、それによって社会経済が活性化する仕組みがあるとしても、それだけではすまない心の動きは誰もが持っている。
人間なら誰しも、その胸のどこかしらに「今ここの目の前のあなたが人間のすべてだ」とときめいてゆく感慨が潜んでいる。
人間なら誰しも……。
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