おもてなし・「時代は変わる」15


「おもてなし」という人と人の関係。
「おもてなし」の文化が発達すれば、必然的に「別れを惜しむ」人と人の関係が豊かになってくる。それは、人類の定住生活の基本的な生態である。
一般的には、人類は生産効率を上げるために定住生活をはじめたというようなことがいわれているが、そうではない。人類は、その歴史のはじめから、定住して猿としての限度を超えて大きく密集した集団をいとなむ存在だった。
アフリカの原住民が小集団で移動生活をしているといっても、それは人類史の祖形でもなんでもなく、人類史の途中でサバンナに出てきたことによる間に合わせの逸脱した生態だったのであり、それ以前の人類は森の中でまったりとした定住生活をいとなんでいた。
人類は、その途中の段階で定住生活をはじめたのではない。まったりと定住して生きるのが人類の基本的な生態だったのだ。そして、まったりと定住して生きながら、「おもてなし」という人と人の関係の作法の文化を洗練させてきた。
原初の人類集団は、別れを惜しみながら膨らんでいった。猿は余分な個体を群れの外に追い出すが、人類はそれをしなかったことによって二本の足で立ち上がり、猿から分かたれた。
二本の足で立ち上がれば、そのぶんそれぞれの個体が占めるスペースが狭くなり、大きな集団になっても体をぶつけ合わないで活動することができる。それは、余分な個体を追い払うことをしないひとつの「おもてなし」の作法であり、「別れを惜しむ」メンタリティの萌芽だった。
原初の人類が地球の隅々まで拡散していったのは、住みよい土地を求めていったからではなく、どんなに住みにくい土地にも住みついてゆく能力を持っていたからだ。彼らは、住みにくいところ住みにくいところへと拡散していった。
なぜそんなことができたか?
そんなところでも食糧を調達できる能力があったから、という一般的な解釈はまちがっている。
それは、集団をいとなむための「おもてなし」の作法と「別れ惜しむ」メンタリティを持っていたからであり、その能力が住みにくさをいとわなかったからだ。住み着いたからそこでの食糧調達のノウハウを獲得していったのであり、最初からそんなことができるはずがない。
ひとまずそこに集落をつくったとする。それで、周囲のどこに行けばどんな食料が得られるかとかどこが危険かというようなことは、住み着かなければ知ることができない。住み着くことによってだんだんわかってくることだ。
何はさておいても、集団をつくって住み着いてゆくことができなければはじまらない。
われわれ現代人だって、いきなり旅人としてその街にやってきて、どこにスーパーがあってどこに病院があるかということなどわからないし、その街に住みつく能力は、どんな旅人よりも、その街に住みついているものたちの方が持っている。これはもう、人類の歴史の法則だ。旅人は、いつだって住み着いているものたちの助けを借りて住みついてゆくのだ。
つまり、旅人を住み着かせてやることのできる「おもてなし」の作法が人類拡散をもたらしたのだ。そうやって外に外に定住集落がつくられていった。
そこに住みつく能力は、食料調達の能力にあるのではない。そういうことを経済の問題で考えると間違う。
原初の人類が集団をつくってそこに住み着いてゆく能力は、人と人の関係をやりくりする「おもてなし」の作法と「別れを惜しむ」メンタリティにあった。それによって、どんなに住みにくいところでも住み着いていった。人間が集団をつくってそこに住み着いてゆくということは、そういうことであって、食料調達の問題ではない。住み着くことによって食糧の調達ができるようになってゆくだけのこと。



人間ほど「別れを惜しむ」気持ちを持っている生き物もいないだろう。それは、限度を超えて大きく密集した集団の中で人と人の関係をやりくりしてゆく能力、すなわち「おもてなし」の作法を熟成させてきた結果である。
「別れを惜しむ」気持ちで住み着いてゆく、ともいえる。
別れない、というのではない。別れるときに「別れを惜しむ」気持ちが生まれる。
人と人は、別れて存在している。別れを惜しみながら、別れて存在している。
限度を超えて大きく密集した集団をいとなむためには、それでもたがいの身体のあいだに「すきま」が確保されていなければならない。たがいの身体のあいだに「すきま」をつくり合いながら、限度を超えて大きく密集した集団で住み着いてゆく。「すきま」をつくり合いながら別れを惜しんでいるのが人と人の関係である。別れるから、別れを惜しむのだ。
道を歩いていて人とぶつかりそうになったら、誰だって本能的によけようとする。これは「別れる」という関係である。そうして、「ごめんなさい」とかなんとか声を掛け合う。これは「別れを惜しむ」関係である。まあそんなようなことだ。人間社会の「おもてなし」の作法は、このような関係を基礎にして生まれ育ってきた。
人と人は、先験的に「別れ」と「別れ惜しむ気持ち」を共有している。そういう関係の上に人間という存在が成り立っている。
くっつこうとしているのではない。別れながら別れを惜しんでいる。おそらくこれが、人と人の関係の基礎的なかたちなのだ。
現在の文化人類学者の多くは原初の人類集団は小集団どうしのネットワークの関係で成り立っていたと考えているし、社会学者はネットワークこそあるべき未来の人と人の関係であると主張する。
ネットワークの関係をつくろうとするのが人間性の基礎であり究極である、と彼らはいう。
このブログでは、そうではない、と前回に書いた。
おそらく、ネットワークの関係がほころびはじめているのが、現在という時代なのだ。
だからこそ、ネットワークが大事だと声高に叫びたがる人間も増えてくる。そんな時代はもうすでに終わっているはずだが、叫びたがる人間は目立つし、その声に引きずられる人間もたくさんいる。
そうして時代の終わりを感じているものいわぬサイレントマジョリティは、まるで存在しないかのようにみなされる空気がつくられてゆく。
終わっているはずだが「終わらせたくない」というのが現在の時代の気分だろうか。
バブル景気もまた終わっているはずだが「終わらせたくない」という気分の人がたくさんいて、『野心のすすめ』などという本が売れたりする。そうやって人々が引きずられてしまう。それが現在であるらしい。
この本の著者はもしかしたら若い世代を励ますために書いたのかもしれないが、実際に励まされたのは、彼女と同じようにバブルの時代を懐かしんでいる40代以上の世代だったらしい。
まあ、そんなところだろう。「時代の終わり」を認めたくない世代である。若い世代はたぶん、もうちょっと素直に「終わり」の気分を持ちはじめている。というか、現在の大学生以下の世代はもう、バブルの時代があったということ自体を知らない。世の中を実際に動かしている大人たちはバブルの時代を再現したくて「上昇志向=野心」を持てと若者を煽り立てるが、それに対して若者たちは「いいよ、もう」という気分になってきている。



ある社会学の統計によれば、現在の20代の若者の70パーセントはいまの自分の暮らしに「満足している」と答えているらしい。
しかし、「満足している」という心のニュアンスは微妙だ。それがそのまま「幸せだと思っている」ということだとはかぎらない。べつに幸せでなくとも、何かが欲しいということもなければ、「満足している」と答えるしかない。
40代以上の大人たちのような上昇志向がなければ、「満足している」としか答えようがない。というか、満足するということ自体に、あまり興味がない。上昇志向をたぎらせた大人たちが何かを達成して満足するとか、そういう体験そのものにあまり興味がない若者がいる。
彼らは「満足している」と答えるが、そのニュアンスは、大人たちが抱いているイメージとはだいぶ違うのかもしれない。
「満足している」という気分それ自体が無意味に思える気分がある。
まあ「満足している」ということでもいいのだが、彼らにとっての満足とは、欲しいものを手に入れていることではなく、欲しいものなどないことに満足しているのかもしれない。
人間は、何かを欲しがる生き物であるのか。
目の前の人や世界に深く豊かに反応していれば、欲しがる心など起きてこない。
彼らは、目の前に深く豊かに反応してゆける人や世界が存在していることに満足しているのかもしれない。
欲しいものが手に入ることだけが人間の満足であるのではない。欲しいものなどない、という満足もある。
目の前の人や世界にときめいていれば、欲しいものなど必要ない。目の前の人や世界は、欲しがらなくてもすでに目の前に存在している。
何かを欲しがるのは、目の前の人や世界にちゃんと反応していないからである。というか、目の前にないものを欲しがっているのだ。それを、欲望とも上昇志向とも野心ともいう。
目の前にないものを欲しがっている大人たちと、目の前のものに反応してまったりと生きている若者たち、そういう構造があるらしい。時代といっても、日本人すべてをひとくくりにして語ることなどできない。
もちろん、大人たちもいろいろだし、若者たちもいろいろなのだが、おおざっぱにいえばそのような傾向の違いはあるのかもしれない。
「満足している」といっても、自分や自分が手に入れているものに満足しているということではない。ひとまず自分を取り巻く人と人の関係に満足している、ということだ。そしてそれは、「目の前のあなたが人間のすべてだ」という感覚を持っているからだ。



秋葉原通り魔事件の加藤君は、携帯端末を片手に都市空間をただよっている「おひとりさま」だった。そういう「ネットワーク」の関係をつくろうとして生きていた。
彼は、目の前の人と人の関係に絶望していた。
パソコンやケータイによるネットワークの関係は、無限に広がっている。それは、われわれの希望になるか?彼は、そういう終わりのない迷宮に入り込んでしまっていた。
オタク趣味の若者は「リアル」の人間と関係を結べないといわれている。マンガやアニメの二次元の世界に耽溺している、と。
しかし、オタクどうしの「リアル」な人と人の関係もあるのだろう。
それに対して加藤君は、もっとラディカルに「リアル」な関係から逃げようとしていた。「リアル」な関係に耐えられない心をつくってしまうような家庭環境があったらしい。彼は、とくに「リアル」な関係をつくるのが下手だということもなかった。それでも、「ネットワーク」の関係に逃げ込まずにいられなかった。これは、思春期における親との関係から受けた心的外傷からきているのだろうか。彼は、親とのあいだで心のやりとりをする関係を持つことに失敗した。というか、親との心のやりとりに傷ついた。
おそらく、現代人の多くは核家族から何らかの心的外傷を受けているからネットワークの関係が称揚されるのだろう。
ネットワークの他者は、「リアル」な心のやりとりをしなくてもすむいわば二次元の他者である。戦後社会は、都市流入者を多く生み、彼らが先導しながら人と人の関係が心のやりとりが希薄な表面的な関係になっていった。それは、ただ表面的な仲よしこよしの関係をつくることもあれば、心のやりとりを前提にしていないから平気で相手の心を傷つけてしまう言葉や態度を生むこともあった。
親が平気で子供を追い詰めてしまうことができるのは、心のやりとりができる能力や作法をすでに喪失しているからだろう。そのとき、親は子供の心を追い詰めていることに気づかず、子供だけが心のやりとりを体験して深く傷ついている。そうして、心のやりとりをする「リアル」な関係に対する拒否反応が膨らんでゆく。
加藤君の親たちは、子供に対する「おもてなし」の作法を喪失していた。子供は、親たちのもとを訪れた「お客様」なのである。そういう作法を持たない親たちに育てられて加藤君はもう、心のやりとりをする「リアル」な人と人の関係を生きることができなくなってしまっていた。彼がアニメの主人公のような愛らしい女の子を彼女にしたいと願ったことは、身のまわりの女の子に心がときめかなくなっていたということを意味する。ときめく相手は、つねに身のまわりの外にいた。そうやって、ネットワークの世界にのめり込んでいった。
ネットワークの関係が称揚される時代であるということは、心のやりとりをするリアルな関係を結ぶことができなくなっている時代であるということだ。
べつに相手の心がわかるということではなく、人と人は心のやりとりをして関係を結んでいるという実感があるかどうかということだ。言葉によって心が運ばれてゆく。言葉によってその心の意味や内実がわかるということではなく、心が運ばれてきているという気配を感じるかどうかということだ。そういうリアルな関係を結ぶか、そこから逃げて架空のネットワークの関係に耽溺してゆくのか。



人間は住み着く生き物であり、住み着いて関係してゆけば、どうしても心のやりとりが生まれてくる。その生々しさが鬱陶しくならないように按配する作法をつくってゆくのが、住み着くということである。
直立二足歩行をはじめた原初の人類はもともとまったりと定住してゆくタイプの猿だったのであり、それが途中でサバンナに出てネットワークの関係を生きるようになったのだが、
そのライフスタイルに違和感を覚えたものたちがアフリカの外へ外へと拡散してゆき、とうとう地球の隅々まで住み着いていった。
人類拡散は、どんな住みにくいところでも住み着いてゆくことができたという、その逆説の上に成り立っているのであって、もっと住みよいところ目指すとかネットワークを広げてゆこうというような上昇志向によってではない。
ネットワークのメンタリティを生きたアフリカのサバンナの民は、けっきょく人類の歴史から置き去りにされるほかなかった。
現代人がどんなに「ネットワーク」の関係の有効性を大合唱しても、それは人間の本性にかなったものではないというのも確かなことなのだ。
ネットワークの関係の非人間的な色合いというのも、加藤君の例をはじめとして、検証すればいくらでもあげつらうことができるはずである。
今どきは、詰め込み教育はだめだ、などとよくいわれるが、たくさん知識を詰め込んだものほど上位の大学に進むことができるという現実はちゃんとある。
「終わり」のないネットワーク社会では、人々の脳のはたらきは必然的に無限に知識を詰め込もうとする傾向になってゆくし、そんな脳のはたらきが重宝される社会の構造になってゆく。また、欲望も限りがなくなってゆくし、そうでなければ消費社会は活性化しない。
まあ、「終わり」を見ることができないということ、それが問題だ。それは、根源的には、人と人の関係の貧しさの問題だろうと思える。加藤君はその貧しさを生きるほかないところに追い詰められていたし、戦後社会はその人間関係の貧しさによって未曾有の経済繁栄を達成した。
だから大人たちはいまなおネットワークの関係にこだわるのだが、しかし人間が人と人の関係を生きる存在であるかぎり、その貧しさに対する反省というか拒否反応は避けがたく生まれてくる。そのようにして、「おもてなし」という言葉が見直されるようになってきたのだし、それは、日本列島の住民が身体化していている伝統的な人と人の関係の作法でもある。
「おもてなし」といっても、人と人の関係の文化の問題でもある。そこのところが変質していったのが戦後という時代であり、日本列島の伝統的な人と人の関係の文化の根底にあるのはおそらく「別れ=終わり」の意識にある。その歴史を遡行することはとてもやっかいなことだが、次回にひとまずおおざっぱに試みてみようと思う。
ここで問うているのは、「新しい時代」ではなく、あくまで「時代の終わり」なのだ。
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