ネットワークの関係に未来はあるか・「時代は変わる」14


現在、上野千鶴子らの社会学者をはじめとして多くのオピニオンリーダー的な知識人が、「ネットワーク」こそ新しいあるべき人と人の関係だと合唱しまくっている。
人間社会のネットワークの関係はそれほど新しいものではないし、未来の成功が約束されているわけでもないし、そこに人間性の本質があるというわけでもない。
たとえば、韓国や中国の血族ネットワークは、そんなに素晴らしいのか。それらは現在少しずつ壊れ始めている「人を縛る」システムであり、壊れたほうがいいという意見も多い。
表面的なかたちだけの関係でネットワークを広げてゆくのか、それとも目の前のすでにあるまったりとした関係の中で心のやりとりをやりくりしてゆくのか。いったいどちらが人間の本性に沿った関係の作法だろうか。
文化人類学者たちは、人類史におけるネットワークの原型をアフリカの原住民たちの生態から探ろうとしている。そこでは、家族的小集団で移動生活をしながら、ひとつの「部族」というネットワークの関係をつくっている。そうして彼らは、われわれはみな遠いむかしのひとりのカリスマの末裔である、というような物語を共有し、現在でも年に一度か二度、国中に散らばった一族が一か所に集まって集会とかお祭りのようなことをしていたりするらしい。
ひとまずアフリカは人類発祥の地である。それはもう、きっとそうだろう。しかし、彼らのネットワークが人類の集団や関係の祖形かというと、それは違う。それは、2〜3百万年前ころにサバンナに出て移動生活をするようになってから生まれてきた生態であって、それまでの数百万年は別の生態があった。
人類が直立二足歩行をはじめて猿から分かたれたのは6〜7百万年前ころだといわれている。
つまり、その数百万年後にサバンナに出て小集団で移動生活をはじめネットワークをつくっていったのは、便宜的な間に合わせの生態だったのだ。
人類はもともと猿としての限度を超えて大きな集団をいとなむ存在だった。それが、人類の生息圏の森がだんだん縮小してゆき、小さな集団でサバンナの中の小さな森から森へと移動してゆく生態に変わっていった。
そうしてそんな生活に対応できなかったものたちは、大きな集団を抱えたまま追われるようにアフリカの外へ外へと拡散していった。じつはこの拡散していった集団こそ、直立二足歩行の開始以来の人類の伝統を継承してきたものたちだったのだ。
人間は、限度を超えて大きく密集した集団をいとなんでしまう存在である。その鬱陶しさにうんざりし嘆きながら、新しい出会いにときめき、さらに大きな集団へと膨れ上がってゆく。その「嘆き」と「ときめき」の振幅から人間的な文化や文明が生まれ育ってきた。
限度を超えて大きく密集した集団の鬱陶しさをやりくりしながら文化や文明を生み出してゆくのが人間の根源的な生態である。
アフリカの原住民の小集団で移動生活をしながらネットワークをつくってゆくのは、じつは人間の本性から逸脱した生態であり、だからアフリカは人類の文化・文明の発展の歴史から取り残されてしまった。
人類の文化・文明の発展は、より大きな集団をやりくりしていったところから生まれてきた。これはもう、歴史の厳然たる事実である。
アフリカ原住民のネットワークなんか調べても、人間の本性というか原初的な生態に迫れるわけではない。それによってわかるのは、アフリカはなぜ世界の歴史から取り残されてしまったかということであり、人間社会におけるネットワークの文化はつねに限界がつきまとっているということである。



一時期のポストモダニストたちは、「ノマド遊牧民)」のネットワークの関係こそ人間の生態の根源であり究極であると盛んに合唱しており、その流れで現在の社会学者や文化人類学者のネットワーク信仰になっているのだろうが、たぶんそんなことでは人と人の関係の問題は解決されない。そんなところに人と人の関係の本質も醍醐味もない。解決があると思うこと自体が問題の本質を見誤っているのであり、解決できない鬱陶しさを抱えてやりくりしてゆくのが人と人の関係の文化なのだ。
まあ彼らはそれを共同体の制度性に対する批判の切り札にしたかったのだろうが、共同体の制度性だってひとつのネットワークの思想なのである。民衆を支配することは、民衆をネットワークの網に組み込んでしまうことである。「日本国民」というネットワーク=制度性は、「われわれはみなジンギスカンの末裔である」という遊牧民のネットワークと同じなのだ。
世界の隅々までネットワークの網を張り巡らせることが現在の「グローバリズム」であるとしても、人と人の関係の本質や醍醐味は、目の前の見える範囲のまったりとした関係の中で、その「外部」など勘定に入れないことにある。
その本質と醍醐味は、根源的には、目の前の「あなた」が人間のすべてだ、という感慨にある。そういう根源と究極を眺望できないものたちに「ノマド」だの「ネットワーク」だのといわれても、ちゃんちゃらおかしいだけだ。
グローバリズムのネットワークを獲得すれば金もうけには都合がいいのだろうが、人と人の関係の本質と醍醐味は、「目の前のあなたが人間のすべてだ」という瞬間を体験しているものが知っているのだ。
共同体の「外部」にネットワークを持っているものが人と人の関係の本質と醍醐味を知っているのではない。それは、「今ここ」がこの生やこの世界のすべてだ、という体験ができるものが知っている。
そしてそういうこの生の結晶作用というか純粋体験は、じつは誰もが心のどこかしらに持っているのではないだろうか。「ときめく」とは、まあそういう体験なのだ。



家族や恋人や古くからの友人などとの近しい関係と、どんどん遠くまでネットワークを広げてゆく関係と、どちらがわかりやすい関係かといえば、後者である。乱暴にいってしまえば、後者は表面的なかたちだけの関係であるのだから、とてもわかりやすい。
しかしわかりやすい関係に、人と人の関係の本質や醍醐味があるわけではない。
前者の近しいまったりとした関係においては、心のやりとりがともなうからややこしくわかりづらい関係になってしまう。しかしその「わからない」ということのなやましさこそ、じつは「ときめき」の正体なのだ。
「わからない」という場に立って「私はあなたに対して何をしてあげることができますか?」と問うていったところから「おもてなし」の作法が生まれてきた。
「おもてなし」は「今ここ」の一度きりの一期一会の事件なのだ。コーヒーが嫌いな相手にどれほどおいしいコーヒーを出しても無意味だろう。
「おもてなし」の関係は、ネットワークの関係の対極にある。
ネットワークの関係においては、相手の心の動きなんか気づかないしあまり気にもしない。そうしてその言葉や態度だけで相手の心がわかった気になれる。
それに対して目の前の「今ここ」の関係においては、心のやりとりをするからこそ、相手の心の動きはわからないということがわかる。であればそうそういつも型どおりに仲良くしていられるとはかぎらないし、そうやってつねに相手の心を問い合うというかたちで心がやりとりされている。
ネットワークの関係においては、仲良くすることがすでに前提になっていて、心なんか問い合っていない。同じように思い同じようにふるまうのが前提になっている関係はわかりやすい。おたがいの心なんか問い合わずに最初からわかっているつもりでいられる。わかっているということにして関係をつくってゆくのがネットワークの作法である。
しかし、仲良くできると決まっている関係などはない。それは、あなた次第なのだ。仲良くできると決まっているネットワークの関係をどんなにたくさん集めても、人と人の関係の本質や醍醐味はどこにもない。それは、勤勉なようでいて、じつはとても怠惰で鈍感な人と人の関係の作法なのだ。



人の心は、「あなたが人間のすべてだ」と思ってしまう瞬間を体験する。あるべき人と人の関係は、そこから問うてゆくしかない。
ネットワークの関係なんか、広げれば広げるほど薄っぺらで嘘っぽくなってゆく。
僕は家族の関係を否定するつもりはないが、そこにあるべき理想の関係があるとも思わない。ネットワークの対極にあるのは、家族の関係ではなく、「あなたが人間のすべてだ」と思ってしまう体験である。
「おもてなし」の根源=究極は、「あなたが人間のすべてだと思ってしまう体験」にある。人類は誰の中にもそのような心の動きがあるから「おもてなし=サービス」の文化を持った。その精神こそが人と人の関係の基本であり、それはつまり他者との出会いに「ときめく」ということだ。
そしてより深く豊かにときめく心を持っているのは、ネットワークを広げているものではなく、「今ここ」をまったりと生きているものだ。その「停滞」の中でこそときめく心が熟成されてゆく。
「今ここ」をまったりと生きている「停滞」の中の「鬱陶しさ=嘆き」こそが他者との出会いに「ときめく」心を育てる。
いや、「今ここ」の目の前の「あなた」に対して「あなたこそ人間のすべてだ」という「ときめき」を持たなければ、そのような「停滞」の中の「鬱陶しさ=嘆き」を生きることはできない。そうやって「ときめく心」が醸成されてゆく。
ネットワークとは「今ここ」の外に人がいるというコンセプトであり、その時点ですでに「今ここの出会いのときめき」を喪失している。ときめくとは、「今ここ」の外には誰もいない、という感慨なのだ。
人間はもともと「今ここ」をまったりと生きる存在だったのであり、そこから人や世界に対して豊かにときめく心が生まれてきて世界中に拡散していったし、人間的な文化や文明も発展してきた。
ネットワークの関係には「今ここの出会いのときめき」がない。
たとえば、アフリカの移動生活をしている小集団どうしがが出会っても、たいしてときめき合うこともなく、あっさりとその場で別れる。ときめき合って一緒に暮らそうということにはならない。まあ、そんなことができない環境なのだ。今でもアフリカ人は、「別れを惜しむ」ということをあまりしない。あっさり別れることができる人たちであるらしい。言い方は悪いが、それは、猿であった時代の邪魔な個体を群れから追い払うことができるメンタリティの残り香のようなものかもしれない。アフリカの移動生活をしている小集団どうしは、別れを惜しまない。
原初の人類は、邪魔な個体を追い払うことができない状況で二本の足で立ち上がり、猿から分かたれた。「おもてなし」の作法と「別れを惜しむ」メンタリティは、人類の生態の根源とかかわっている。
たとえ一瞬なりとも「あなたが人間のすべてだ」だと思ってしまうから別れを惜しむ気持ちが湧いてくるのだ。
一方原初のアフリカの小集団での移動生活は、そういう人間としての根源的な生態をいったん水で薄めることによって成り立っていた。ネットワークを持っていれば、いちいち別れを惜しむ必要はない。
現在のネットワークの関係を称揚する知識人たちも、おそらくそのようなわかりやすい人と人の関係で生きているのだろう。彼らには、「おもてなし」の作法も「別れを惜しむ」メンタリティも希薄である。希薄だからネットワークの関係を生きることができる。
まったりと「今ここ」を生きているものたちの「おもてなし」の文化は、「別れを惜しむ」文化でもある。「あなたが人間のすべてだ」という気分になってしまったら、別れを惜しまずにいられない。



ネットワークの関係が人類拡散をもたらしたのではない。
たとえば原始時代に、まず複数の集団があり、それらの集団の外を歩いているものどうしが出会って別れを惜しみつつそれらの集団の外に新しい集団をつくってゆく。そのとき彼らは、集団の中で培われた「おもてなし」の文化を持っていたから、別れを惜しむ関係になってしまった。そのようにして人類は拡散していった。
つまり人間は、もともとまったりと「今ここ」を生きる存在だったからこそ地球の隅々まで拡散していったのだ。拡散していったものたちは、もとの集団の場所よりも住みにくいところであってもそれをいとわなかった。いとわなかったのは、「おもてなし」の作法と「別れを惜しむ」メンタリティとともに「まったりと今ここを生きる」生態をすでに持っていたからだ。人類は、住みにくいところ住みにくいところへと拡散していった。
人類は、「おもてなし」の作法と「別れを惜しむ」メンタリティを持っていたから、大きな集団をいとなむことができるようになっていった。アフリカで移動生活をしていた人たちは、人類の歴史のそうした流れに乗り遅れてしまった。
アフリカでの移動生活が、その後の人類拡散や文化・文明の発達をもたらしたのではない。移動生活ができない大きな集団を抱えたものたちが、アフリカの外へ外へと追いやられながら人類拡散や文化・文明の発達を実現していったのだ。彼らがなぜ移動生活ができなかったかといえば、そのときすでに移動生活ができるものたちよりも人類史の伝統である「おもてなし」の作法と「別れを惜しむ」メンタリティを深く身体化していたからかもしれない。
まあ「おもてなし=サービスの文化」や「別れを惜しむ歌」は、世界中の民族が持っている。ネットワークの関係は、そういう人類の普遍的な生態に沿ったものではない。あえていえば、そういう人と人の関係に鈍感なものたちがネットワークの関係に邁進できるのであり、ネットワークの関係に邁進すればするほど鈍感になってゆく。
戦後の経済繁栄は、都市流入者によるネットワークの関係に邁進するダイナミズムの上に築かれた。彼らとともにあったポップな大衆文化はひとまず「サブカルチャー」と呼ばれたのだが、それこそがじつは時代のメインストリームだった。
で、その流れに違和感を持つサイレントマジョリティの気分を表現する文化現象はなかったかといえば、それもあった。日本人が身体化している伝統的なメンタリティがそうかんたんには消えるはずがないからだ。どんな時代になっても、人が身体化している伝統的なメンタリティはどうしても残ってゆく。どこの国でもまず伝統を第一義に考えようとするのだが、この国の戦後においては、それは二義的なものだった。「おもてなし」の作法と「別れを惜しむ」メンタリティこそこの国の伝統文化であるはずだが、それを振り捨てたネットワークの関係がメインストリームになっていった。
戦後社会は、経済繁栄の時代になればなるほど「別れを惜しむ歌」としての歌謡曲がどんどん増えていった。80年代は、バブルの豊かさを反映した「Jポップ」の時代であると同時に、「さざんかの宿」「みだれ髪」「天城越え」等々、別れ歌の演歌の全盛時代でもあった。バブルとは、そういう対極的な性格の両者が共存している時代だった。
別れ歌の演歌は、ネットワークの関係で経済繁栄に邁進するメインストリームに対するいわばカウンターカルチャーだった。そこに、メインストリームとは対極にいるサイレントマジョリティの気分が反映されていたのだし、バブル景気に浮かれていても誰の中にもそういう「もうひとつの気分」があった。



バブルの繁栄が陰りを見せてきた1993年、教師と女生徒が淫行の果てに心中するというなんだかひどく悲観的なモチーフの「高校教師」というテレビドラマが大ヒットし、そのドラマの主題歌として使われた70年代中ごろの作品である森田童子の「僕たちの失敗」という曲も大いに注目された。
「僕たちの失敗」は、フォークソングのジャンルに入るのだろうが、そのタイトル通り、暗い別れ歌である。
森田童子は、1960年代後半の全共闘運動にシンパの高校生として参加していたらしい。そして彼女が音楽活動をはじめた70年代にひとつの時代の終わりを目撃した気分があったのかもしれない。彼女はつねに「時代の終わり」を意識していて、そのあとにやってくる新しい繁栄の時代に対する興味も希望もないようだった。
1993年も、まあバブルという未曾有のひとつの時代が終わったことを告げる年だったのかもしれない。
バブル景気とは、「僕たちの失敗」だったのだろうか。「春の木漏れ日の中で君のやさしさに埋もれていた僕は弱虫だったんだよね」と繰り返されるフレーズがこの歌の主題だった。バブルの繁栄に浮かれていた自分ははたしてほんとうの自分だったのだろうか、ほんとうの自分はもっとほかのところにいたのではないだろうか……そういう気分が誰の中でも起きてきた時代だったのかもしれない。
森田童子が活動していたバブル前夜の70年代後半とバブル以後の90年代では、もちろん同じではない。しかし彼女は、人々が経済繁栄に浮かれだしてきた時代にあって、徹底的に「時代の終わり」を意識していた。その曲や歌い方は人によって好き嫌いがあるとしても、その「時代の終わり」に対する憑依の仕方は並の才能ではない。
普通の人間は、今ここの「時代の終わり」を見ることを避けて、「新しい時代」を夢見ようとする。「終わり」と向き合うメンタリティを喪失したことも、戦後の病理のひとつである。それは、「死」と向き合うことができなくなってしまった、ということでもある。人においても時代においても、そうやって「終わり=死」は永遠に先送りされてゆく。しかし彼女は、ひたすらそれと向き合った。
「目の前のあなたが人間のすべてだ」という関係から、「ネットワーク」の関係へ……この歌は、人と人の関係が変質してゆくバブル景気前夜の活気に浸食されてゆく古い時代の挽歌だったのかもしれない。そうして10数年後に、今度はバブルの時代の挽歌として使われた。
日本列島の住民は、どんなに浮かれても、ネットワークの人間関係だけを生きることはできない。どこかしらに、「目の前のあなたが人間のすべてだ」とときめいてしまう心が潜んでいる。
まあ「高校教師」は近松の「心中物」のような古風な話で、主人公の男女が「目の前のあなたが人間のすべてだ」という気分を共有しながら破滅してゆく物語だった。心中は、良くも悪くも「目の前のあなたが人間のすべてだ」と思ってしまいがちな日本列島の伝統だろう。
そのときすでに誰もがバブルの終焉を感じはじめていて、このドラマのヒットによってとどめを刺された、ということかもしれない。そうして、これからの新しい時代は表面的な広いネットワークの関係ではなく、限定された空間での「目の前のあなたが人間のすべてだ」という感慨をくみ上げてゆく関係を模索してゆくことになるのだろう、とひとまずそのときだけは思ったのかもしれない。
「物質の時代から心の時代へ」、あのころよくそんなことがいわれたものだ。
バブルの繁栄は、絶頂期のときからつねにそうした「カウンターカルチャー」を抱えていた。それは、サイレントマジョリティの声であり、誰の中にも潜む「もうひとつの声」でもあった。
日本人が身体化している伝統的なメンタリティ、それがたぶん、バブルの繁栄の時代にもずっと通奏低音として流れてきた。「これはきっと何かのまちがいだ、ほんとうのことはもっと別のところにある」という思いがずっとあったからこそ、そのとき「高校教師」や「僕たちの失敗」という思い切りペシミスティックなドラマと歌がもてはやされたのだろう。
上昇志向で突っ走ってきたバブルの浮かれ騒ぎの余韻はいまだに残っている。しかしそれでも、この国の伝統として身体化された気分や人と人の関係が消えてしまったわけではない。「終わり=別れ」に対する「嘆き」は、この国の伝統文化の通奏低音である。
「今ここのあなたが人間のすべてだ」という気分、それは、今ここのこの島国が世界のすべてだと思い定めて歴史を歩んできた民族の無意識(風土性)であり、まあそれが「無常観」の伝統だといってもいい。ネットワークの関係は、そういう歴史の無意識になじまない。
ネットワークの関係が希望だの理想だのと合唱できるなんて、人と人の関係に対するセンスが鈍感で野暮ったいんだよね。それは、戦後の都市流入者の勝手な思い込みに過ぎない。そんな「おもてなし」の作法も「別れを惜しむ」メンタリティも喪失した空虚な関係は、じつは都会にも田舎にもない。
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