巫女はなぜかわいいのか・神道と天皇(154)

人類史700万年の99・9パーセントは、女によってリードされてきた。男が主導権を持つようになったのは、政治経済や戦争等を基礎にした文明社会が生まれてからのここ数千年のことにすぎない。
ひとまず男のほうが知能も体力も勝っていることにしたとしても、文明制度以前は、それでも女にリードされてきたのだ。そしていまだに世界中の男たちの誰もが、「女にはかなわない」という気分をどこかしらに抱えている。世界中がひとまず、セックスは女の許しを得てやらせてもらうものだというたてまえを持っている。だから、レイプが犯罪になる。そして女だって、セックスは男を許す行為だという自覚があるから、レイプをされると深く傷つく。それが、人類世界の基礎的な合意なのだ。
言い換えれば、人類は女がリードする歴史を歩んできたから、女は男を許すことができるのかもしれない。男の求愛を受け入れるということは、男を許すことだ。
男にとって、女の何がかなわないのか?
男は生きものとしての心構えがあいまいで、女のほうがずっと確かなかたちをそなえている。「人間は本能が壊れた生きものである」などといっても、そんなことは男によるたんなる言い訳であり我田引水にすぎない。
女のほうが人としても生きものとしても、その本質をよく心得ているし、その本質に添って生きている。
つまり男は、生きものにも人間にもなりえていない存在なのだ。そのくせ、神のように正しく清らかに生きる、などという。なりえていないから、そういうしゃらくさいことをいう。
しかし文明以前の男たちは「なりえていない」ことをちゃんと自覚していた。だから、女のリードに従って生きていた。
避けがたく文明制度の枠にはめ込まれた存在である男にとって人間性の自然を生きるというか人間であることは、けっしてかんたんなことではない。人間性の自然とは、これは何度も書いてきたが、死に対する親密さ、すなわち生きられなさを生きることであり、「もう死んでもいい」という勢いで生きることだ。男はそれを、女から学ぶ。この世に女が存在するから人はそういう勢いを持てるのであり、それによって人類の世界は進化発展してきた。心が異次元の世界に飛躍・超出してゆくこと、その勢いで原初の人類は二本の足で立ち上がり、その後のさまざまな文化のイノベーションが起きてきた。
たとえば、人間性の自然としての言葉に対する親密さと感受性は女のほうがすぐれている。人間性の自然は、女が担っている。
和歌をはじめとする日本列島の古代の文学は女を中心にして起きてきたし、そもそも縄文文化は女の文化だった。日本列島の精神風土は、女がリードして育ってきた。

日本列島の軍隊は、古来から女のメンタリティに男の身体能力が組み合わさって成り立っていた。たとえば古事記におけるオトタチバナヒメは、みずから嵐の海に飛び込んで見せることによって、ヤマトタケルの軍隊を「死ぬ気で戦え!」と鼓舞した。そのように女は死を受け入れることができる。その潔さが、良くも悪くも現在までのこの国の戦争の仕方に大きな影響を及ぼしている。まあ切腹も特攻隊も、そういう伝統なのだ。
人類史における戦争は、文明国家の発生とともに本格化してきた。大和朝廷という文明国家の発生はおよそ1500年前のことで、大陸からは3000年くらい遅れている。それは海に囲まれた島国で異民族集団との軋轢のない歴史を歩んできたからだが、それがなければ国家として結束する必要もなければ、本格的な戦争も起きてこない。
縄文時代に戦争がなかったのは考古学の常識だが、弥生時代奈良盆地だって戦争の痕跡というようなものはない。弥生時代奈良盆地では祭りの道具に銅鐸や銅鏡等の青銅器が使われるようになってきたわけだが、それに対して九州・中国地方は銅剣や銅矛を祀っていた。このことを、戦争祭祀の文化圏と農業祭祀の文化圏というように分類されたりしているわけだが、とにかく弥生時代奈良盆地に戦争ばかりしている国家共同体などなかった。
戦争や国家の政治制度がなかったということは、女がリードする社会だった、ということだ。そういう土地柄から現れてくる集団のカリスマは女に決まっているわけで、だから卑弥呼が君臨していたなどともいわれている。
卑弥呼が実在したかどうかということなどわからない。しかし、祭りの際に「巫女」が祀り上げられていた、と推測することは困難ではない。もっとも神聖な存在とはもっとも浮世離れした存在であり、人々は、思春期の少女のその異次元性を祀り上げていった。
死に対する親密な感慨こそこの国の文化のもっとも本質的な伝統であり、昔にさかのぼればさかのぼるほど、現世的な偉大さよりも異次元性に対する憧れが強かった。
思春期というのはまだ少女の段階であって、女としての美しさや魅力を備えているとはいえないだろう。それでも人類は、その時期の少女を女神のように祀り上げてきた。それは、彼女らの身体が漂わせているその「姿」に「異次元性」を見ているからだし、そうやって世界中どこでも「処女」が神に捧げる「生贄」として選ばれてきた。
心がこの世の外にさまよい出てしまっている思春期の少女は、存在そのものの気配、すなわちその「姿」が漂わせている気配として「異次元性」をそなえている。「恋に恋するお年頃」とか「夢見る女学生」とか、彼女らの心はすでにこの世の外を漂っているし、その拒否反応が彼女らの「身体の輪郭」を鮮やかに際立たせている。
日本列島の民衆は、文明制度が生み出した観念としての「神の絶対性」ではなく、人間性の自然としての「処女の身体の輪郭の鮮やかさ」を祀り上げて歴史を歩んできた。

「処女崇拝」の伝統は多かれ少なかれ世界中にあるのだが、日本列島はとくにそれを洗練発達させてきた。
たとえば「ひらがな」を生み出したことも、「潔く死ぬ」というコンセプトの「切腹」や「特攻隊」も、おそらく「処女崇拝」を基礎にしている。
この世でもっとも潔く死んでゆくことができる存在は「処女=思春期の少女」である、ということは、誰もが認めるに違いない。かんたんに手首を切ってしまったり、死ぬことばかり考えている年ごろなのだ。彼女らは、この生を深く嘆き、この生から解放されたがっている。すなわち、この生を超えてゆこうとしている。この世のもっとも「神聖なもの」は彼女らが知っているのであって、宗教者ではない。
「ひらがな」 は、意味表出としての漢字を純粋な音韻表出の文字に変えてしまうかたちで生み出された。それは、いわば漢字の死であり、漢字が異次元の世界に超出してしまうことだ。漢字の延長でありながら、意味表出の機能が色濃い漢字の束縛からの解放でもある。それは、今どきのギャルが「気持ち悪い」のことを「キモイ」というのと同じタッチで、「ひらがなの誕生」だってもしかしかしたら思春期の少女たちがきっかけをつくったのかもしれない。たとえば少女どうしの手紙の交換で、大人に見つかってもわからないようにするために、彼女らだけに通じるそんな「略字」をつくって遊んでいたのかもしれない。それは、ただの他愛ない遊びであると同時に、心がこの生の外にさまよい出てしまう傾向を持った彼女らでなければ生み出せないことだったともいえる。小林秀雄はこのことを、きわめて高度な「離れ業」だ、といった。
つまり、「死に対する親密な心」が「ひらがな」を生み出した。それは、「処女=思春期の少女」がもっとも深く切実に抱えている。
日本文化の伝統は、「処女崇拝」の上に成り立っている。日本文化の処女性、そこから今どきの「かわいい」の文化が生まれてきたのだし、しかもそれは世界中で理解され受け入れられている。そのことが何を意味するか?日本文化の伝統は、けっして独特というようなものではなく、きわめて普遍的で原始的であるだけなのだ。
海に囲まれた島国である日本列島の国家文明の発祥は1500年前のことで、大陸の四大文明から数千年遅れている。つまり日本列島は、世界の文明史における一周遅れのランナーであると同時に、現在の人類が近代文明の病理を克服してゆこうとしているなら、その先頭ランナーにもなっているのではないだろうか。

「希望」がこの生を活性化させるのではない。この生を嘆き、「もう死んでもいい」という心地に浸されているところでこそ命のはたらきが華やいでくる。そういうときにこそ、この世界は輝いて立ちあらわれてくる。「末期(まつご)の眼」というのだろうか、釈迦だって、臨終の際には、「この世界はなんと美しく輝いていることだろうか」と詠嘆したという。
未来に希望があるということは、「今ここ」は希望でもなんでもない、すなわち「今ここ」の世界は輝いていない、といっているのと同じだろう。
生き延びる希望があるということは、自分の命に執着しているだけで、自分の外の世界の輝きにときめていないということを意味する。つまりそれは、むしろ病んでいる状態なのだ。
そりゃあ誰だって希望は欲しいが、そうやって安心してしまえば、心は停滞してゆく。
心は、末期の眼において華やぐ。それは、人生においてもっとも純粋でせっぱつまった「今ここ」の瞬間なのだ。
死んでゆくもの、すなわち「生きられないこの世のもっとも弱いもの」は、「末期の眼」で世界や他者と向き合っている。だから人は、赤ん坊や老人や病人や身体障害者をけんめいに介護しようとするのであり、そういう存在の尊厳というものがある。
そして、「処女=思春期の少女」もまた、成長段階にさしかかったみずからの身体の鬱陶しさ(=嘆き)を抱えながら、心はすでに死のそばに飛び立っている。そうやって彼女らは、世界や他者の輝きに他愛なくときめいてゆく。その表情や姿の美しさにはそういう浮世離れしたというか超越的な気配が宿っているわけで、世界中の人類がそれを祀り上げる歴史を歩んできた。
処女崇拝の歴史……日本列島では古代以前からそうやって巫女の舞を祀り上げてきたし、中世フランスの屈強な男たちの軍隊もまた、そうやってジャンヌ・ダルクを祀り上げながら戦い、国家の危機を救った。
まあ、「かわいい」という「ときめき」は、生き延びる「希望」なんかない「末期の眼」の体験にほかならない。そこでこそ、世界は輝いている。世阿弥は、「萎れたるこそ花なり」といったが、そうした「わび・さび」や「あはれ・はかなし」の美意識はまさしく「末期の眼」から生まれてきたのであり、すなわちそれは、人類の普遍的な原始性としての「処女崇拝」の文化だともいえるわけで、だからそれは外国人にも理解できる。
まあ、そのような日本列島の伝統は、権力社会に対する民衆社会のカウンターカルチャーとして生成してきた。

能はもともと田楽・猿楽という民衆芸能であったわけで、それがやがて権力社会に受け入れられていった。そのようにして民衆社会の文化が活性化していれば、最終的にはそれが権力社会に入り込んでゆく。言い換えれば、日本列島の権力社会の仕組みは民衆社会に影響されながら変わってゆく、ということだ。
権力者は、「集団=国家」が生き延びるためには何をすればいいかと考える。それに対して民衆は、生き延びる希望を失った「末期の眼」を掬い上げながら他愛なくときめき合ってゆくことによって集団性の文化を育ててきた。希望を失うことが希望であるという文化。両者の世界観は根本において逆立している。だから民衆は避けがたくカウンターカルチャーを持ってしまうわけだが、だからこそ権力社会は民衆を無視して民衆支配は成り立たないことを本能的に知っている。だから彼らは、民衆が祀り上げている天皇を滅ぼしてしまうことができなかったし、天皇を権威づけることこそ民衆支配にもっとも有効だということを本能的に知っている。彼らは、民衆以上に天皇を神格化して怖れている。民衆はただもう一方的に他愛なくときめいているだけだで、たとえば民衆は天皇を目にすればただ他愛なく喜んで手を振ったり旗を振ったりしているだけだし、権力者や右翼は深く最敬礼して顔を上げない。
日本列島の民衆は、権力社会に対するカウンターカルチャーとしての民衆だけの文化を持っているのであり、日本列島の伝統のメインストリームはそこにこそある。
無常感は、希望なんか持たないことにある。そうやって「今ここ」の森羅万象の輝きに他愛なくときめいてゆくことにある。「世界は輝いている」ということ、そうやって「今ここ」に体ごと反応してゆくその「即興性」にこそ、人の心の動きの自然・本質がある。
人間性の自然・本質は、民衆の文化のもとにある。だから権力社会の文化もやがては民衆文化に侵蝕されてゆくのであり、民衆社会の大人たちだって「処女=思春期の少女」を祀り上げずにいられない。
人間性の自然・本質はこの生に対する「嘆き」にあり、人類はそこに立って「今ここ」の世界の世界の輝きに豊かに反応しながら知能や文化を進化発展させてきた。そしてそれが「処女=思春期の少女」のもとにもっとも深く宿っているということを、人は本能的に感じ取っている。
未来に対する計画性や希望が何ほどのものか。「今ここ」に対する豊かな反応なしに人類の進化もイノベーションも起きるはずがない。
若者が必ずしも「未来の夢」を生きているとはかぎらないし、それが健康なことかどうかもわからない。計画性や希望などというものは共同体の制度性にすぎないのであり、そこに人間性があるというのは大人たちの自己正当化の論理にすぎない。
未来のことはそのときになってから考える、と思ってなぜいけないのか。まあ、そうやって政治に対する無関心層や無党派層がいるわけで、無常感のこの国はとくに多い。
現在の若者たちにロリータ趣味が広がっているということは無常感の問題でもあり、「処女=思春期の少女」は誰よりも「今ここ」に体ごと反応しながら生きているし、その輝きは未来まで続くことが約束されていないはかなさをはらんでいる。
日本列島の文化の処女性は、無常感の上に成り立っている。
希望なんかなくてもよい。この生の嘆きを共有しつつ他愛なくときめき合っていられるなら、人はそれをよりどころにして生きていられる。