処女を祀り上げる・神道と天皇(147)

人は「きらきら光るもの」が好きだ。このことは、人類史のもっとも大きな問題のひとつではないだろうか。
人類は原初以来、「きらきら光るもの」に魅せられながら歴史を歩んできた。その「輝き」は、どこからともあらわれて、どこかしらに向かって消えてゆく。その不思議。その非存在性=異次元性。その「非存在の異次元の世界=この生の外の世界」に対する「遠い憧れ」によって、二本の足で立ち上がり、地球の隅々まで拡散してゆき、火を使うようになり、言葉を生み出していった。
起源としての貨幣だって、貝殻や小石やビーズの玉などの「きらきら光るもの」だった。
骨だって、磨けばきらきら光ってくる。原初のビーズの玉は骨からつくられたし、骨になってから埋葬するという縄文以来の「もがり」の習俗は中国や朝鮮にもあったともいわれている。
5万年前のネアンデルタール人だって、頭部の肉や皮をそぎ落として埋葬するという習俗を持っていた。だから遺跡から発掘された頭骨にはたくさんの小さな傷がついているのだが、凡庸な古人類学者はそれを戦闘やカニバリズム(食人)の証拠だなどといっているのだが、なんと薄っぺらな思考をするのだろう。原始的な石器でその作業をすれば表面にたくさんの傷がつくのはとうぜんだし、戦闘や脳みそを食うためなら、頭骨は破壊されていなければならない。
人類の歴史には、首を切り落とす習俗の伝統がある。死の恐怖が肥大化した現代人人にとってそれはとても残酷なことのように映るが、もともとは死者の尊厳を祀り上げる行為だったのだ。
「きらきら光るもの」すなわち「非存在=異次元の世界」に対する遠い憧れは、原初以来の人類史の伝統にほかならない。原始人だって、無意識的本能的には、そういうこの生の外の世界を切実に意識していた。
人類の知能が猿のレベルを超えて発達してくれば、とうぜん生きてあることのいたたまれなさは意識するようになるし、そこから「きらきら光るもの」が示している「非存在=異次元の世界」に対する遠い憧れが生まれてくる。
人は、「異次元の世界」に対する遠い憧れを生きている。「きらきら光るもの」は、心が異次元の世界に超出してゆく契機になる。この世のもっとも「神聖なもの」は、「きらきら光るもの」なのだ。「神という存在」ではない、「光という非存在」なのだ。たとえ文明社会に「神という存在」に対する観念が機能しているとしても、それでも人の心の奥底には「光という非存在」に対する遠い憧れが息づいている。
人は、「光のシャワー」のような幻視(ヴィジョン)を「神との出会い」のように思い込んだりしているが、「光」はあくまで「非存在」の世界の象徴であり、それ自体「光」が「神」よりももっと「神聖」な対象であることを意味している。
まあ、神は存在するといいつつ、神を存在として見ることは不可能なのだ。それはあくまで概念であり観念であり言葉にすぎない。
神を信じようと信じるまいと、人の心の中には「神聖=異次元的=超越的なもの」に対する遠い憧れがあり、それが「きらきら光るもの」だ。

まだまだほとんどが湿地帯であった弥生時代奈良盆地に人々が集まってきたのは、その水の「輝き」だったのであり、その水が干上がって生まれた土地に「清浄=神聖」なものを感じたからだった。そうしてそこに立ってその気配に包まれていれば、出会った人々もいつにも増して他愛なく豊かにときめき合っていった。この体験を基礎にして、奈良盆地に日本列島のどこよりも大きな都市集落が生まれていった。
それは、政治でも経済でも宗教でもなく、ただもうどこからともなく人が集まってきて他愛なくときめき合う「祭り」のダイナミズムを基礎にしている現象だった。
初期の奈良盆地には、政治も経済も宗教も存在していなかった。つまり、そこに人々の日常の暮らしがあったわけではない。そこはまだまだ水浸しの土地だったのであり、家を建てて集落をつくることも農地をつくることもできない場所だったわけで、一部の干上がった土地で「祭り」が繰り返されていただけだった。今ふうにいえば、イベント会場があっただけ、ということだ。そしてその「祭り」というイベントによって「他愛なくときめき合い連携してゆく」という集団性が育ってゆき、やがて土地が干上がってゆくにつれてあちこちに集落や農地が生まれていったし、その集団性のダイナミズムで積極的に干拓してゆくという動きも盛り上がっていった。
その干拓事業が発展して巨大前方後円墳の造営になっていった。それは、湿地帯の水を一カ所に集める工事で、掘削した土を池の中央に盛り上げたその丘を「神聖な場所」として祀り上げるために天皇の墓として捧げられた。だからそこを「陵(みささぎ)」と呼んだ。
最初は湿地の水を川に流す灌漑用水路をあちこちにつくっていただけだったのだろうが、稲作がさかんになったことによって、日照りの夏場に水を供給できる溜池をつくる必要が生まれてきて、前方後円墳のかたちになっていったのかもしれない。
もともと「神聖なもの」に対する遠い憧れを共有しながら集まってきた人々だった。そこに奈良盆地の集団性のダイナミズムがあったわけで、超越的な「神聖なもの」には現世的な善悪の裁きも階級の上下もなく、つまり政治も宗教も機能していない「無主・無縁」の混沌とした集団だった。そこには、家族も親族も仲間も存在しなかったからこそ、誰もが他愛なく豊かにときめき合ってゆくことができた。

まあ大和朝廷という国家制度が生まれてくれば階級意識や結束意識などとともにそれなりの秩序も整ってくるが、秩序のぶんだけ集団の野放図な賑わいも減衰してくる。
集団の秩序は、集団の賑わいを減衰させ、集団がふくらんでゆく原動力にはなりえない。
弥生時代初期の奈良盆地はもっとも人口密度が低い土地のひとつだったのに、もっとも大きな都市集落になっていった。それは、階級や貧富などの政治・経済的な秩序がはたらいていない場所だったからだ。
政治・経済の秩序が集団を発展させるのではない。なりゆきまかせのまま、その混沌を収拾するための「連携」が豊かに起きてきて発展してゆく。つまり、なりゆきまかせの「祭り」の賑わいが集団を発展させるのであり、「祭り」の本質は「神聖なもの=超越的なもの」に対する遠い憧れを共有してゆくことにある
もともと過疎の土地だった奈良盆地が日本列島でもっとも大きな都市集落になってゆく過程においては、つねに「無主・無縁」の祭りの賑わいが生成していたし、つねに「神聖なもの=超越的なもの」に対する遠い憧れが共有されていた。
で、そのとき祀り上げられていた「神聖=清浄」なものは、「水」であり、干上がった「土地」だった。
日本列島の伝統としての「みそぎ」の文化とは、清浄なものを神聖なものとして祀り上げること。そして「みそぎ」の語源は、普通に考えれば「身を削ぐ」と解釈できそうだが、「み」は「水」のことだともいえる。「水を削ぐ」すなわち「水が干上がる」。彼らの干拓事業はひとつの「みそぎ」だったのであり、その場所で「祭り」が行われていた。
まあ、なんのかのといっても人が生きていられるのは他者とのときめき合う関係に身を置いていられることにあり、政治や経済はそのあとの二義的な問題だろう。
いずれにせよ弥生時代奈良盆地が大きな都市集落へと発展していったもっとも大きな要因は、政治のことでも経済のことでもなく、じつは湿地帯の水が干上がっていったことに対する人々の感動にあるのではないだろうか。それによって「祭りの賑わい」が生まれ、人と人がときめき合う集団のダイナミズムが起きていった。
政治によって結束していっても、経済によって競争しても、そうやって爆発的に人口が増えてゆくダイナミズムは起きてこない。そのことはもう、政治経済の制度が発達した現在のこの国で人口増加が起きていないことによって証明されている。
終戦直後の、あの貧しく混乱した状況でこそ、人口爆発が起きた。そこには、それなりに人と人が豊かにときめき合い、「祭り」としての歌謡曲や映画等の娯楽文化が花開いてゆく状況が確かにあったのだ。つまり戦後においてもっとも早く復興したのは、政治でも経済でもなく、娯楽文化だった。
人類史に進化発展をもたらすのは、原始時代だろうと現代だろうと、「祭りの賑わい」であり、人と人の豊かにときめき合う関係なのだ。人の集団のダイナミズムは、そこにこそある。
弥生時代奈良盆地の発展を、政治や経済の問題設定で語ってもしょうがない。神武天皇がやってきた、などというのは、政治の世界の都合で書かれた(=捏造された)記録文書だからだ。それだけのことさ。

弥生時代奈良盆地の集団のダイナミズムの基礎になっていたのは、政治でも経済でもなく、「祭りの賑わい」にあった。
「祭り」においては、「神聖なもの=超越的なもの」が祀り上げられる。だから「祭り」というわけで、古代以前の日本列島におけるその対象は、この世界を創造したり裁いたりする「神(ゴッド)」などではなく、この世界そのものとしての森羅万象であり、そのもっとも「神聖=超越的=清浄」な対象は、「干上がった土地」だった。
まほろば」といえば「豊かな土地」というような意味に解釈されているが、はたしてそうだろうか。
まほろ」も「ま」は、「まっ白」の「ま」、「強調」の接頭音。
「ほ」が問題なのだ。「干す」の「ほ」、「ホッとする」の「ほ」、「ほぐ」という古語は「祝う」という意味だった。
「ろ」は、「中心」というような意味。「とこ=今ここ」の中心だから「ところ」という。
「ほろり」の「ほろ」、「滅びる」の「ほろ」、「カタストロフィ」、すなわち身も心もそこに引き寄せられて消えてゆく心地の「カタルシス=みそぎ」のこと。「まほろ」とは、干上がった土地の「めでたさ」をあらわす言葉だったのではないだろうか。
日本列島の伝統においては、女のオルガスムスのように「消えてゆく心地」こそ最高の「快楽」であり「みそぎ」の体験なのだ。
「やまとは国のまほろば」というとき、そこは「聖地」であり、「理想郷」だった。
水の輝きがそこを「聖地」にしていたのであり、干上がった土地はすなわち水に浄められた神聖な土地だった。その「神聖=清浄」に対する遠い憧れを共有しながら「祭りの賑わい」が盛り上がり、人と人が豊かにときめき合う関係の集団性が生まれていった。

神であれ国家であれ、あくまで現世的なものであって、「神聖なもの」たりえない。
集団が「結束「する」ことと「賑わい活性化する」こととは違う。「結束」することは「停滞」でもある。集団は、第三者を排除する「憎悪」や現世的な「欲望」を共有することによって「結束」してゆくが、それは「停滞」してゆくことでもある。つまり、この生に閉じ込められたら心は活性化しない。
人と人がときめき合いながら「賑わい活性化」してゆく集団性は、異次元的な「神聖なもの」に対する遠い憧れが共有されているところでこそ生まれてくる。そうやって「現世=この生」を超えてゆくことによって賑わい活性化してゆく。
現在だろうと古代だろうと、ときめき祝福する心が豊かに湧いてこなければ、人と人の関係も集団も活性化しない。そんなの、あたりまえのことだろう。弥生時代奈良盆地はそういう関係性や集団性を持っていたから、そのころの日本列島でもっとも大きな都市集落へと発展していった。
では、現在のこの国においてそういう伝統がきちんと引き継がれているだろうか?引き継がれているのなら、少子化もいじめもハラスメントも起きていないし、むやみな右翼的ナショナリズムが優勢になることもない。そういう他者を裁くとか第三者を排除するというような衝動は、この国の民衆社会の伝統ではない。文明制度が高度に発達してくればどうしてもそういう関係性や集団性になってくるのだが、それでもそれ一色にはならない民衆社会の関係性や集団性を持っているのがこの国の伝統であり、少なくとも世界に発信されている「かわいい」の文化を育ている若者たちは無意識のうちにそういう伝統に寄り添ってゆこうとしている。
この国の民衆社会におけるときめき合い許し合う関係性や集団性は、伝統という地下水脈として、けっして消えてなくなることはないに違いない。なくなっていなかったから、あの大震災のときに暴動が起きることもなくみんなで粛々と助け合っていったのだろう。そのようにして今なおそういう伝統が残されていることが証明された。
そのとき人々は、「結束」したのではない、「連携」していったのだ。「結束」して暴動や戦争や革命が起きる。それは、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というような集団心理という名のエゴイズムであり、他者との関係に対する意識がはたらいていない。
「お国のために奉仕しろ」という右翼のナショナリストに、他者に対する意識などはたらいていないだろう。「お国のために奉仕する」というエゴイズム。「わが身を捨てる」というエゴイズム。意識が国と一体化してゆくこと。そうやって心は時代と一体化してゆくし、神と一体化してゆく。
一方「連携」は、エゴイズム(自意識)を捨てて他者に献身してゆく行為である。「連携」は、他者に対する意識であり、献身し合うこと、そうやって集団が活性化してゆく。これが、弥生時代奈良盆地の集団性だった。

自分を忘れて他者に憑依してゆく心の動きは、男よりも女のほうがずっとラディカルにそなえている。世界の輝きに憑依してゆく、と言い換えてもよい。連携の集団性は、女がリードする社会において活性化する。つまりそれは、男がリードする政治や戦争に熱心な権力社会を動かす原理ではないということだ。それは、女のメンタリティによってリードされた民衆社会において活性化する。
日本列島の民衆社会における集団性の伝統は、「無主・無縁」の原理の上にときめき合い献身し合い「連携」してゆくことにある。「遠くの親戚よりも近くの他人」ということ。自分が生き延びるとか、国が存続するとか、将来が安定するとか幸せになるとか、そんなことよりも、古代の民衆にとってはもう、「今ここ」において世界が輝いていること、何よりもその体験をよりどころにして生きていたのだ。
古代以前の民衆に、現代人ほどの損得を計算する自意識があったはずはないし、計算できるほどの社会状況があったはずもない。
生まれたときから計算ずくで生きはじめる人間なんかいない。古代以前の民衆社会はそんな生き方をしようとする欲望が生まれてくるような状況はなかったし、とにかく大和朝廷が生まれる前までは、「無主・無縁」を基本的なコンセプトとして動いている社会だった。まあ都市とは世界中どこでもそのような構造であり、都市の活動のダイナミズムは、血縁を離れてたくさんの見知らぬ人と出会ってゆくことの上に成り立っている。
とはいえ、大人になれば結婚してまた家族=血縁をつくってゆくわけで、純粋に「無主・無縁」を生きているのは「若者」といわれる時期だけかもしれない。
都市のダイナミズムは、若者たちが担っている。なんのかのといっても、人生の華は若者時代(青春時代)にあると多くの人が思っているのは、体の若さだけでなく、心の動きだってみずみずしく自由だと思っているからだろう。
そうして、この世でもっとも「無主・無縁」の心映えをそなえているのは、「処女=思春期の少女」にちがいない。
「正月は家族で初詣」などと思っているのは大人や子供ばかりで、思春期の少年少女はそういう現世的な予定調和の秩序から逃げ出したいと思っている。
まあ老人になればいやでももう一度そこに立たされるわけで、人は「青春時代」に対する愛着・哀惜の思いなしに生きてゆくことはできない。

人類史が思春期の少女の「姿」を祀り上げてきたのは、けっして女としての美しさとか魅力に対してではない。人はその「姿」にこの生やこの社会を超えた「異次元の世界=神聖なもの」の気配を感じている。
古代以前の民衆の男たちは、「処女=思春期の少女」とセックスをしたがったのではない。それなりに冒すべからざる気配を感じていたわけで、婚姻制度が定着したことによって処女が商品価値になっただけだろう。処女とセックスするなんてめんどくさいだけだし、処女を女にしてゆく楽しみはあるかもしれないが、処女漁りがセックスの最高の楽しみであるのなら、古代以前のフリーセックスの社会は成り立たない。処女が価値であるのなら、次の夜にセックスする必要はなくなってしまうし、セックスする価値のない女ばかりの世の中になってしまう。
処女は文明社会の商品価値ではあるが、セックスの楽しみを与えてくれる対象ではない。まあ処女を女神として祀り上げてきた歴史があるから、商品価値になっていったのかもしれない。
処女は、セックスという現世的ないとなみの外にいる存在であり、そういう意味で女としての価値(=セックスアピール)は希薄だが、しかしだからこそこの生を超えた異次元的な気配がその「姿」にあらわれている。
思春期の少女の「姿」を表するときに「初々しい=清純」というような言い方をしたりするが、その「初々しい=清純」ということが「異次元的な気配」なのだ。
思春期の少女の「姿」には、たしかに大人の女でも子供でもない「異次元的な気配」が漂っている。彼女らは、われわれよりもずっとまわりの世界に対する違和感をひりひりするような皮膚感覚として持っている。中学生くらいの時期の少女は、家の中ではベッドでゴロゴロしながらケータイをいじるようなことばかりしているなどとよくいわれるが、それだけ外に出たときには皮膚も脳もひりひり緊張したくさんのことを感じているからであり、その反動として、ぐったりと疲れて物憂い状態になりあくびが出たりする。彼女らは、「光」がそうであるように、この世界の違和としてのもっとも神に近い存在なのだ。だから古来より、神に捧げる「生贄」として選ばれてきた。
彼女らには、神に選ばれたものとして存在することの恍惚と不安がある。恍惚が反転して自殺願望になる。「死=異次元の世界」に対する親密な感慨、この国にはそんな「処女=思春期の少女」を祀り上げる伝統があるから「特攻隊」や「腹切り」の習俗にもなるし、それが天皇制の基礎になってきた。
男女平等どころではない、この国は女を祀り上げて歴史を歩んできたのだし、それは死を祀り上げることと同義だし、そこから生まれてくる集団性や人と人の関係の作法の伝統があるわけで、その本質は「連携」ということにある。
この国では、奈良公園の鹿とか、長野では猿も温泉に入っているとか、瀬戸内海のウサギの島とか、人と動物だってときめき合い「連携」しているし、「草食男子」という生きものだっている。現在の社会的状況が少々ひどいことになっているとしても、歴史の伝統においては、まあそういうことだ。
神武天皇という強く偉大な支配者が奈良盆地にやってきた、というようなことを史実にしてしまってはいけない。
今どきの右翼は、「ますらをぶり」などというようなことをこの国の精神風土であるかのように思い込んでいるらしいが、そういうことじゃないんだなあ。