女にはかなわないということ・神道と天皇(56)

起源としての天皇は、女だった。
そうとしか考えられない。
縄文時代以来の考古学的事実や伝統的なこの国の精神風土を検証してゆけば、どうしてもそういう結論に導かれてしまう。
「武士道」とか「大和魂」などとかっこつけていっても、しょせんは「女の本能」を模倣しているにすぎないのだ。
なんのかのといっても、その精神の「潔さ(諦観)」や「覚悟」において、男よりも女のほうがずっとラディカルというか過激で本質的なのだ。
日本列島の歴史は、女にリードされて流れてきた。この国では、どうして「無常」とか「わび・さび」とか「あはれ・はかなし」というような概念を称揚したがるのだろう。そんなことが大事であるかぎり、女にはかなわないのだ。そういう思考や美意識において傑出した男たちが数多く歴史に登場してきたとしても、そういう思考や美意識を標榜すること自体がすでに女の模倣なのだ。時代が進めばどうしても男たちの活動が目立つ社会構造になってゆくが、だからといってそれが男の優位性を証明しているとはいえない。
「男だって女の腹から生まれてくる」などとよくいわれるが、この国の世界観や生命観や美意識はことに女の影響下にあることが色濃い。じつは、社会の構造そのものが女の影響下にある。
つまり、たとえ天皇が男であっても、その存在の本質は「女性性」にある、ということだ。起源においては天皇は女だったのだし、その本質的な性格は「女性性」を基礎にして洗練されてきたのであり、その「女性性」ゆえに深く慕われ祀り上げられていったのだ。

女性性すなわち女の本性・本能とは何かということをここではひとまず「いつ死んでもかまない」という覚悟を持っていることだといってみたわけだが、それは直立二足歩行の開始以来の人類史そのものの基礎的なメンタリティでもあるはずで、人の知性や感性の進化発展はそのことの上に成り立っている。
原初の人類は二本の足で立ち上がったことによって女の性器が尻の下に隠され、しかもその性器そのものも猿のようなあからさまな発情期の兆候をあらわさなくなってゆき、そのときから男は女を追いかける存在になっていった。つまり猿はまあボスが君臨するオスが上位の社会であるが、人類社会においてその関係が逆転したのだ。
猿のような生存競争が中心の社会なら当然オスの方が優位だが、女上位になった原初の人類社会では、そうした競争原理が崩れていった。
動物の社会では、メスをめぐってオスどうしが競争することがよくあるが、その逆のメスどうしの争いはほとんどない。凡庸な生物学者はよく「生物は子孫を残すためにセックスする」などというが、セックスをしたら子供が生まれるということ知っている人間以外の生きものなどいないに違いない。セックスがしたいからするだけだし、そのあとにみずからを生命の危機にさらす「妊娠・出産・子育て」が待っていることを知っていたら、とてもじゃないがする気になれないだろう。「子孫を残す」ということは、根源的にセックスの契機(モチベーション)にはなりえない。子孫が残ってゆくことはたんなる「結果」であって、セックスの「目的」ではない。
妊娠も出産も育児も、人間であれ他の生きものであれ、生存というレベルにおいてはひとつの受難にほかならない。ことに猿のような生存競争のある社会においては、おおきなハンディキャップになってしまう。それでもメス=女がその「運命」を受け入れるのは、先(未来)のことなど何も考えていないからだし、「今ここ」にときめき「今ここ」を精一杯生ききろうとするからだろう。
生きものは、未来に向かって生き延びようとしているのではない。意識のはたらきが「今ここ」に憑依してゆくからで、そのはたらきが生きものを生かしている。「今ここ」に「反応」することなしに生きものが生きてあることなんかできない。本能というのなら、そこのところにこそある。妊娠・出産・育児のことなどそのときになってから考えるからセックスができるのだし、それは人間だって同じにちがいない。

セックスは「今ここ」に憑依してゆくいとなみなみであり、「今ここ」で死んでゆく(=自分が消えてなくなる)いとなみなのだ。だから女は、生まれながらにその行為のプロフェッショナルであることができる。日本列島の古代および古代以前のセックスは、女のそうした本能・本性にリードされて成り立っていた。「ツマドイ婚」とは、男が女を追いかけ、セックスをさせてくれるかと問い、セックスの仕方を教えてくれと問うてゆく習俗だったのだ。女がいやだといえば一歩も進めない習俗、だから現在でもこの国では、裸で抱き合っても本番はさせてもらえないという、女にとってはまるで綱渡りのような危うく微妙なフーゾクのシステムが成り立っている。おそらく欧米やイスラム文化圏ではありないことに違いない。そうやって日本列島では、「いつ死んでもかまわない」という覚悟の勢いで「今ここ」に意識を集中しながら他愛なくときめいてゆくという、女の本性・本能にリードされる社会になっていった。政治や宗教だってそのことの上に成り立ってきたし、そうやって天皇が生まれ、神道が生まれてきた。

天皇とは民衆によって一方的に祀り上げられている存在であって、民衆を支配している存在ではない。
おそらく、日本列島の住民が天皇に支配されていた時代など、どこにもない。ときの権力者によって常にあたかも天皇が支配しているかのように偽装されてきただけだ。記紀神話だって、ひとまずそういう書きざまになっている。しかしそれはもう、天皇のあずかり知らぬことなのだ。
古事記の前書きには天武天皇の要請で編纂したと記されてあるが、この時代に前書きを書く習慣などなかったといっている研究者もいる。現存する古事記のもっとも古いものは平安時代に書き写されたものであり、最初の古事記には前書きがなかった可能性もある。したがってそれは、平安時代の権力者がそのように書いておくように指図しただけかもしれない。
百歩譲って最初から前書きがあったとしても、天武天皇の側近の権力者がそのように書かせただけかもしれない。
もともと天皇は民衆から一方的に祀り上げられている存在であり、みずからの権威を民衆に知らせようとする動機を持っていないし、その必要もないのだ。
万葉集などに天皇の歌が数多く残っているといっても、ほとんどはそばに仕えているものの代作であり、何が天皇の実作かということはもうわからない。ともあれ、支配者だったら、女々しい恋の歌など公にさらすことはない。天皇の仕事は、「支配者の立場にいる」ことであって、「支配する」ことだったのではない。実際に「支配する」ことなどぜんぶ貴族にまかせていたし、支配したがったら、貴族によって退位させられるだけだった。
政治や経済の社会のいとなみはひとまず男がリードしている。だから権力者は平気で天皇を支配しにかかる。それはもう今でも昔でも同じであるが、しかしそれでも権力者は、天皇がそなえている「女性性」に対してはつねにひざまずいてゆくしかなかった。その、「この生=自分」から超出している他界性としての「いつ死んでもかまない」という覚悟と、この世界のすべてを許しときめいている他愛なさに対しては。
まあこの国の歴史において、天皇のそうした「品格」を超えることができる権力者はひとりもいなかった。
女のしとやかさとかやさしさとか、そんなことはどうでもいい。根源的な意味での人としての「品格」は「女性性」にあり、その「覚悟=他界性」と「他愛なさ」にある。品性とは他界性である、と言い換えてもよい。
宗教なんかほんとにどうでもいいのだけれど、宗教が提出する「他界性」という問題は決して無視することはできない。そこにこそ「この生」の命のはたらきの根源の問題も人としての「品格」の問題も成り立っているのだから