女の覚悟・神道と天皇(55)

起源としての天皇は女だった、といってしまうと、多くの歴史家にとって、その考えが右翼的であれ左翼的であれ、あまり都合がよくないらしい。
もしも天皇奈良盆地で自然発生してきた存在であるのなら、その歴史に最初から「万世一系」とか「男系相続」というようなことがあったはずもないのだが、彼らは、古事記の記述のような「よその土地から男の支配者としてやってきた」ということを鵜呑みにしてしまっている。
「氏より育ち」というではないか。
天皇の血筋なんか大した問題ではない。天皇として育てられたかどうかということのほうがずっと大きな問題なのだ。現在の秋篠宮だってひとまず皇太子に次ぐ皇位継承有資格者らしいが、「私は天皇として育てられていないからその資格はない」というような発言をしている。
日本列島は、家系なんかいくらでも変更・捏造してしまう風土であり、天皇の祖先はアマテラスという神だっただなんて大嘘以外の何ものでもないし、それでもかまわないのだ。なぜなら、神の子孫だから天皇を祀り上げているのではなく、祀り上げているから神の子孫ということにしているだけだから。
支配者だったら、みずから神の子孫だと名乗って民衆に信じ込ませようとするだろう。しかし天皇の場合は、民衆が勝手にそういうことにして祀り上げていただけなのだ。血筋なんかどうでもいいが、それ相応の品位というか輝きをそなえていなければ祀り上げることなんかできない。その品位と輝きに感動することによって天皇が生まれてきた、というのが歴史の自然ななりゆきであり、はじめに優秀な血筋があった、ということは論理的にありえない。それでは、天皇が生まれる前に天皇が存在していた、といっているのと同じになってしまう。
最初は血筋とか世襲ということに関係なく天皇という存在が継承されてゆき、やがて天皇天皇として育てなければその品位と輝きが身に付かないというレベルまで洗練していった果てに、世襲の習俗になっていったのだろう。まあ、日本列島は芸能の風土なのだ。芸能は小さいときからはじめてみっちり仕込まなければ一流にはなれない。それと同じことだし、祭りの際の歌や踊りの名手が代々の「天皇=きみ」の座についていたということも考えられる。
卑弥呼が実在したかどうかはともかく、そういう存在が起源としての天皇だろうし、それは呪術師だったのではなく、祭りのときのカリスマのような存在だったに違いない。
日本列島の歴史においては、祭りと呪術を結びつけるべきではない。日本列島の祭りの歴史は、「芸能」の歴史なのだ。古代以前の神社には呪術がなかったから仏教が輸入されたのだし、その後の神仏習合によって神社の祭りにも呪術的な要素が加わってきたとしても、本質的には神社はつねに田楽や猿楽をはじめとする「祭り=芸能」の拠点として機能してきたのだ。

日本列島の芸能は、神社を拠点にして育ってきた。
能や歌舞伎だって、原点は神社の祭りにある。詳しいいきさつを書くことは省くが、世阿弥や出雲阿国の才能は神社が育てた。
神道の歴史は芸能の歴史であり、その果てに能や歌舞伎という男だけの芸能になったといっても、その芸の神髄は男が女を模倣することにあり、女の情感や情念を表現することこそもっとも大事だともいえる。
縄文・弥生時代の祭りが育てたのは「呪術」ではなく「芸能」であり、それは、つねに女がリードしてきた。
万葉集の中心になっているのは恋の歌をはじめとする「情感」の表現であって、政治や宗教や戦争をあらわす男性的叙事詩的な歌などほとんどない。古代以前、少なくとも縄文時代の1万年のあいだには男の文化としての政治も宗教も戦争もなかったのだから、そういう表現が生まれてくる基盤がなかった。
数十人程度の小集落がそれぞれ孤立して点在していただけの縄文時代には、共同体という単位の集団は存在しなかった。だから戦争がなかったわけだが、したがって集落の広場で催されるその祭りの賑わいは、「集団の結束」というコンセプトとしてではなく、「男女の出会い」の場であることによって生まれてきた。しかもその出会いは、つねに女によってリードされてきた。
まあセックスをはじめとする色恋のことは、女は生まれながらにしてプロフェッショナルだが、男は死ぬまでアマチュアにすぎない。
縄文時代の祭りは「男女の出会いの場」だったのであって、「集団の結束」というコンセプトなどなかった。そんな目的があったのなら、そのころすでにたくさんの「都市集落」が存在していたはずだし、戦争も起きていたことだろう。つまり日本列島では、「集団の結束」というコンセプトを持たない、純粋な「男女の出会いの場」としての祭りを1万年も続けてきたということであり、その1万年の歴史とともに洗練してきた文化が弥生時代になったらたちまち崩壊したということがあるはずもなく、それ以後の歴史もその基礎の上に流れてきたのだ。
そういう1万年の歴史の上に「芸能」の文化が育っていったのだ。
だから、万葉集も、政治や宗教そっちのけの情緒的な歌が多く、共同性としての「集団の結束」を称揚した歌などほとんどない。天皇や貴族でさえも色恋や自然に対する詠嘆等の歌ばかり詠んでいるし、それは、女にリードされている精神風土だった、ということだ。
色恋のことなら、女ほうが才能豊かだ。
まあ四方を海に囲まれた島国で異民族との軋轢のない土地柄だったから、「集団の結束」を目指す必要がなかった。
今でもこの国は、異民族との関係にナイーブなところがあるし、そのぶん「出会いのときめき」や「別れのかなしみ」を豊かに表現できる文化土壌になってもいる。
人と人の関係に一喜一憂しながら生きるなんて愚かなことだが、そのことを大雑把に処理しながら上手に生きることによって失ってゆく知性や感性もある。そしてそれは、ある種の女々しさであると同時に、「いつ死んでもかまわない」という深い「諦念」というか「覚悟」が生まれてくる源泉でもある。
人と人の関係に一喜一憂していたら、生きるのが面倒になってしまう。深く嘆けば「いつ死んでもかまわない」という覚悟になるし、嘆きの深さのぶんだけ出会いに対するより豊かなときめきにもなる。まあ、そういう体験とともに芸能の文化が育ってくる。

女は、集団に対してわりと従順だが、「集団の結束」を構想する能力はない。
「女三界に家なし」というように、心が集団から離れてしまっているからこそ、従順になって生きようとする。
男は、心が集団にからめとられているからこそ、集団に対して駄々をこねたり、集団のあるべきかたちを構想しようとしたりする。
国家に対する「反抗」なんか、人としての尊厳とか本質を守る行為でもなんでもない。左翼的全共闘的な、そんな空騒ぎなんか、何十年も前にとっくに終わっているのだ。
いつまでも「反抗」だの「民主主義」だのといっていてもしょうがないし、薄っぺらな脳みそで「美しい国」だの「神ながらの道」だのと騒いでいるのもばかばかしいかぎりだ。
日本列島1万3千年の歴史の伝統を考えるなら、日本人は「国家」なんか信じていない。信じていないから、賛成することも反対することもしない。国家が存在することを逃れがたい「運命」と嘆きつつ受け入れてゆく歴史を歩んできただけのこと。古代の防人だろうと太平洋戦争の出征兵士だろうと、たてまえとしては「万歳」と叫びつつ、じつは「運命と嘆きつつ仕方なく受け入れていた」だけだろう。「運命を受け入れ」そして「滅びてゆく」ことにカタルシスを汲み上げてゆくのは、「みそぎ」という日本列島の伝統的な精神風土にほかならない。
嵐の海に飛び込んで見せたオトタチバナヒメに象徴されるような、「いつ死んでもかまわない」という、女のそうした覚悟や潔さにリードされながら日本列島の精神風土が形成されてきた。
女は、国家も家もこの生の尊厳も信じていない。ただそれを「運命」として嘆きつつ受け入れているだけだ。女ほどそれらを信じていないものたちもいないし、女ほどそれらに従順なものたちもいない。それが、日本列島の歴史的な精神風土になっている。

日本列島の住民は国家を信じていないから、国家を構想することもしない。国家を構想する思考なんか、日本的な精神でもなんでもないし、高度な知能・知性でもなんでもない。
すなわち国家神道なんか、ほんものの神道でもなんでもない。神仏習合から生まれてきたまがい物の神道にすぎない。権力志向が強いものたちは日本的な精神が脆弱だから国家神道にのめり込むのだし、民衆は日本的な精神が豊かだから、そんなまがい物でも受け入れてしまう。
戦後左翼のように国家神道天皇を否定するだけですむ問題ではない。それもまた、度し難い権力志向のひとつのかたちにすぎない。
国家文明はひとまず現在の人類が背負うほかない必要悪であり歴史の「運命」であるが、それを信じるかどうかということとはまた別の問題にちがいない。日本列島の歴史的な精神風土は、国家を信じたり当てにしたりするようにはなっていない。現在はまあそれなりに国家論や政治論がお盛んだが、それでもわれわれはどこかしらでそのことに対する拒否反応が疼いている。それが、この国特有の政治的な「無党派層」とか「無関心層」という現象の意味するところではないだろうか。
国家制度に対して従順ではあるが、信じてはいないということ。それは、ひとつの「けがれ」なのだ。国家制度もこの生もひとつの「けがれ」であり、避けがたい「運命」でもある。そしてそれでも心は世界の輝きにときめいているのだし、死ぬまでは生きているしかない。生きてあることが許されるのなら、生きていられる。「みそぎ」とは、生きてあることの許しを乞う行為だ。神が存在するはずもないが、それでも人は何かに対して許しを乞うているし、許されてあると自覚できることのカタルシスが人を生かしている。
日本列島の住民はこの世界をつくり支配している存在など信じていないが、それでも何かに対して許しを乞うている。それをさしあたり「かみ」と呼んでいるが、「かみ」は「無=非存在」であり、関係を結ぶことができるような対象ではない。つまり、赦してくれる対象ではない。われわれは永遠に「許されない」存在であり、「許しを乞う」という態度それ自体を生きている。
「許されない」存在だから生きていられる。生きることは、「許しを乞う」ことだ。許される当てもないまま許しを乞い続けることだ。人は、そういう気分で生きている。誰の中にも、そういう気分が疼いている。

女は運命に従順であり、運命だと思い定めれば、嵐の海に飛び込んでゆくこともいとわない。男はそこにおいて女ほどラディカルではないにせよ、本質的には、そういう「覚悟」が人を生かしている。世の中や人生がどうのこうのといっても、けっきょく誰だってそういう「覚悟」で生きている。今どきは、よりよい社会をつくるためとかよりよく生きるためとかのさまざまな処方箋が提出され、誰もがそれを欲しがっている時代であるとしても、どんな解決もないところに追いつめられたらもう、「覚悟」を決める以外にいかなる方法もない。
ひどい世の中であればあるほど、ひどい人生であればあるほど、「覚悟」を決めて生きるしかない。
女は、本能的にそういう「覚悟」を持っている。われわれはもう、そこから学ぶしかない。日本列島の精神風土は、女の「覚悟」にリードされながら培われてきた。すなわち神道の本質には「いつ死んでもかまわない」という女の「覚悟」が宿っているのであり、その起源においては「仏教」や「呪術」による「救済」など当てにされていなかった。
そのころは、日本列島の民衆が歴史上かつて体験したこともない国家制度や宗教(=呪術)による支配が間近に迫ってきている極めて危機的な状況だったのであり、それはもう受け入れるしかないと「覚悟」しつつ「今ここ」を精一杯生き切るための世界観や生命観や生活作法として神道が生まれてきた。
太平洋戦争のときの召集令状だって、女が覚悟しているのに、男たちが覚悟しないわけにはいかなかった。とくに思春期の娘たちのほとんどは、戦地に赴いた兵士たちをまっすぐに憧れ慕っていたわけで、召集令状にうろたえることは、娘たちから幻滅されるというか、娘たちをかなしませることだったのだ。
まあ、モテる男の気分でいたいとか、美しく凛々しい男でありたいというような虚栄心は、じつは女よりも男のほうがはるかに強い。人は、「生き延びる」という目的だけで存在しているのではない。そんな「生命賛歌」など、人類史の普遍でもなんでもない。
そうして現在においても、グローバル化とか精神の荒廃とか、仏教伝来のときと似たような未知の危機的状況に突入している時代であるのかもしれない。
解決策はあるのかないのか。なければもう、「覚悟」して生きるしかないし、解決策なんか欲しがらないのが日本列島の伝統なのだ。
解決策を欲しがったら、召集令状を受け入れることはできない。
神や仏が救ってくれるとか、死んだら天国や極楽浄土に行ける、というような「解決策」など欲しがらないのが日本列島の伝統なのだ。そうやって未来の救済とか希望というようなものはないと「覚悟」して「今ここ」を精一杯生ききろうとすること、そんな無常観は、じつは男よりも女のほうがずっと確かにそなえている。
まあ今どきは、そうやって男が女から励まされたり教えられたりするような状況は希薄になっているのかもしれないが。