女の本能・神道と天皇(54)

「いつ死んでもいい」ということは、「死にたい」ということとは違う。その覚悟に、「死にたい」という欲望はない。
言わずもがなのあたりまえのことだが、人はいつ死ぬかわからない存在なのだから、いつ死んでもいいという覚悟で生きてゆくしかない。
ところがこの世の中には、明日も生きてあることを前提にすることが正当なことであるかのように考えている人がいる。そりゃあ誰だってひとまずそういう前提を持ってしまうわけだが、そう考えることになんの後ろめたさもはにかみもなく居直っているなんて、人としてなんだかブサイクだと思うし、その鈍感さはなんだか怖い。
われわれは「今ここ」とせっぱつまった真剣勝負を切り結ぶだけの覚悟も感受性もないから、つい明日も生きてあることを当てにしてしまう。
しかし生きものであるかぎり、明日はない、今ここしかない、という最終的な事態は遅かれ早かれ必ずやってくるし、じつは誰もが心の底ではそういう覚悟で生きている。それが、生きものとしての本能のようなものだ。
未来などあるかどうかわからない、確かなことは「今ここ」があるということだけであり、心の底では「今ここ」を生ききるしかないという覚悟が疼いている。しかし現代人は、その覚悟を封じ込めて、明日も生きてあることを前提にした世の中の動きに身をまかせてゆく。そうして、人間的な知性や感性がしだいに鈍磨してゆく。心はあれこれせわしなく動いていても、「今ここ」の目の前の世界に対する反応は停滞し澱んでいる。反応しないで、勝手に吟味し裁くことばかりしている。生き延びるためのアイテムとしての人や物や知恵や知識に対する執着だけは旺盛だが、それはたんなる自己撞着であり、「目の前の世界に反応し驚きときめいている」のではない。そうやって心が病んでゆく。
意識が「自分=この生」に貼りついて、心が病んでゆく。意識を「自分=この生」から引きはがさないと、心は停滞し澱んでゆく。意識とはもともと「自分=この生」の「外」の世界に反応する装置として発生するのであり、「自分=この生」を忘れた他愛ない心を持たなければ人は生きられない。つまり、そういう生きものとしての本能はそのまま人間性の自然でもあり、そこから人間的な知性や感性が進化発展きたのだし、そのはたらきとともに神道が生まれてきた。
神道は、仏教のような生き延びるための救済をもたらす装置ではなく、「いつ死んでもいい」という覚悟とともに、この世界の輝きに他愛なくときめいてゆくための装置なのだ。人類はそういう流儀で生きながら知能(知性や感性)を進化発展させてきたのであって、べつに生き延びようとあくせく頑張ってきたのではない。
「いつ死んでもかまわないという覚悟」とともに「異次元の場」に超出してゆく心の動きが人類史にさまざまなイノベーションをもたらしたのだし、そこにこそ神道が生まれてきた契機がある。

「死ぬ気で頑張る」などといってしまうとずいぶん陳腐な表現だけれど、それはもう確かにそうで、命のはたらきはそこでこそもっともダイナミックに活性化する。
人類は「いつ死んでもかまわない」という覚悟とともに歴史を歩んできた。このことはもう、このブログでは「ネアンデルタール人論」でも何度もいってきたことだが、日本列島の歴史的な精神風土は、そのような人類史の「自然=普遍」を継承して成り立っている。
文明社会の自然がそのままに原社会に自然・不変だとはいえないということは、ちゃんと肝に銘じておく必要がある。
まあ人類史においては、大人のさかしらな「生きる知恵」などより、生まれたばかりの子供のような「他愛ないときめき」のほうがずっと多くのイノベーションをもたらしてきたのだ。その「異次元の場」への超出という発想の飛躍は、人間性の自然というか人の本能のようなものとしての「いつ死んでもかまわない」という覚悟を源泉としている。
自分を忘れて何かに熱中するとは、自分という存在が「異次元の非存在の場」に超出して「消えてゆく」ことであり、その「消えてゆく」ことのカタルシスが人を生かし、人類の歴史の進化発展を導いてきた。そのカタルシスとともに「いつ死んでもかまわない」という覚悟が生まれてくる。
「自分=この生」に執着するなら、執着すればするほどその延長としての「死後の世界」を想定しなければならなくなる。そしてそこには「消えてゆく」ことのカタルシスはないのであり、自分を忘れて何かに熱中することも、自分を忘れて世界や他者の輝きに他愛なくときめいてゆくという体験もない。

人が「死にたい」と思うとき、「自分=この生」の延長としての「死後の世界」が想定されている。なにはともあれそれはひとつの「欲望」であり、「いつ死んでもかまわない」という覚悟は、「死にたい」という欲望ではない。
武士が「名こそ惜しけれ」などといって自分や自分の家の名誉のために切腹自殺をするとき、「名誉が残る」という「死後の世界」を想定しているのだろうか。しかしそれは、残されたものたちに名誉をプレゼントして死んでゆくということでもあるわけで、それを自分が「消えてゆく」ためのよりどころにしているともいえる。
まあ、その価値観というか観念的な理由付けは何であれ、「いつ死んでもかまわないという覚悟とともに生きる」ということは、封建時代の武士だけのことではなく、縄文時代以来の伝統の精神風土であり、農民をはじめとする庶民だって同じで、日本人みんながその流儀で歴史を歩んできたのだ。そしてそれは、直立二足歩行の開始以来の人類史の伝統でもある。原初の人類は、「いつ死んでもかなわないという覚悟」で二本の足で立ち上がったのだ。
日本列島には、直立二足歩行の開始以来の人類史の伝統が残っている。
「いつ死んでもかまわないという覚悟」は人類史の伝統であるはずだが、文明の発祥を体験した人類は、その伝統を打ち捨てて「自分=この生」に対する執着を肥大化させてゆき、戦争をしたり宗教を生み出したり心を病んだりするようになっていった。
しかし極東の島愚である日本列島では、仏教伝来のそのときまでは、世界のそうした歴史とは無縁に、ひたすら「いつ死んでもかまないという覚悟」の「原始文化」をそのまま洗練発達させていった。仏教伝来のそのときには、すでにそうした文化が完成されていたから、そのメンタリティが壊されることなく、そのメンタリティのままに仏教を受け入れていったし、そこから神道という宗教のようで有永宗教ではない新しい習俗も生まれてきた。
「いつ死んでもかまわないという覚悟」ともに「自分=この生」に執着する「自我」が希薄だから、なんでも受け入れることができる。何よりもまず、死んでゆくことを受け入れることができる。それによって神道が生まれてきたし、「腹切り」とか「神風特攻隊」というような妙な習俗も生まれてきた。

神風特攻隊のことをちょっと考えてみようか。
断わっておくが、僕は右翼でもなんでもないからそれを賛美しようとするつもりはさらさらない。かといって否定するつもりもない。日本列島の伝統の精神風土においてはそういう習俗が生まれてくる必然性がないわけではない、といいたいだけだ。
「いつ死んでもかまわない」という精神風土だから、そういう習俗も生まれてくる。
とすれば、それを命令したものたち責めれば済むという問題でもない。そういう命令が生まれてくるような歴史風土があるのだ。
戦後数十年たって、そういうことを決めた軍司令部のものたちの同窓会のような集まりがあった。そこで彼らは、自分たちがどうしてあのような愚かで理不尽なことを決めてしまったのかと反省しつつ、けっきょく誰にもその理由が分からなかった。司令部全体がなんとなくそういう空気になってしまった、と回顧するのが精いっぱいだった。
まああの戦争そのものが、負けること覚悟の特攻戦略だったともいえるわけで、最後にはそうなるのが必然だったのかもしれない。ゼロ戦に乗って華々しく散っていったものたちだけではない、焼夷弾を抱えて敵の陣地に飛び込んでいった地上戦の兵士だってたくさんいる。いやもう、召集令状を受けてそれに従うこと自体が、すでに「いつ死んでもかまわない」という覚悟を決める「特攻精神」の上に成り立っていた。
ゼロ戦の特攻隊だけが特別だったのではない。あの戦争における兵士は誰もがすでに「特攻隊」だったのであり、彼らはみな死を覚悟して召集令状を受け取った。戦後、あの戦争に参加した多くの兵士たちが「どうやって死んでゆくかということばかり考えていた」と回想している。それはもう、ゼロ戦パイロットだろうと地上戦の歩兵だろうと同じだった。
「永遠のゼロ」とかなんとかといって、ゼロ戦の兵士だけを美化するなんて、考えることが薄っぺらすぎる。
死と向き合い死を覚悟することにおいては、みな同じではないか。
坂口安吾は、「特攻隊は何はともあれ潔く死を覚悟したひとつの可憐な花だった」というような意味のことをいった。それはたしかにそうだが、あの戦争の兵士たちはみな「可憐な花」だったのだ。
人が兵士になることは、誰にとっても死を覚悟するほかない状況を背負うということであり、日本列島はことにそういうことを強く意識してしまう歴史風土になっている。
誰が特攻隊という作戦を決めたのか、というようなことは問えない。避けがたく特攻隊が生まれてくるような状況(=運命)があったのだ。

日本列島の住民は、本能的というか深層心理的には、「いつ死んでもかまわない」と覚悟することを生きる作法として歴史を歩んできた。それが、「無常」とか「わび・さび」とか「あはれ・はかなし」とかの世界観や生命観や美意識になっている。
僕はべつに特攻隊を悪だとも思わないし、特攻隊だけを美化して見るつもりもない。彼らはそのときになって必死に「いつ死んでもかまわない」という覚悟を決めたというなら、生まれつきの身体障害者の中には、生まれたときからずっとその覚悟で生きている人がいるし、まあおおむね女は、生まれたときからというか本能的にそういう覚悟を持っている。男なんて、しょせんは追いつめられてようやくその覚悟ができるようになる中途半端な生きものだともいえる。
男は、女以上に文明社会の制度にからめとられた存在だから、そういう覚悟をするのに悲壮な煩悶を繰り返さねばならない。その大げさな悲壮感ゆえに美しいと称えられるのか。たぶん女なら、もっとスムーズに覚悟を決めてみせるだろう。沖縄戦のときのひめゆり部隊の少女たちのように、女なら、そんなしゃらくさい悲壮感や煩悶もなしに、ごく当たり前のようにその覚悟の中に飛び込んで見せることができる。
こうなったらもうしょうがないと腹をくくること、それは、美しいかどうかというような問題ではない、心が社会の制度性にからめとられているか否かの問題だ。女は、男よりは社会の制度性から離れて「身体の孤立性」を持っている。まあ女も歳をとればどんどん制度的になっていったりするが、少なくとも思春期の少女たちは、心も身体=姿も、みごとに孤立している。孤立しているぶんだけ潔い。彼女らこそ、「いつ死んでもかまわない」という覚悟を持っている。
男の芝居じみた悲壮な覚悟よりも、女の他愛なく本能的なそれのほうがずっと純粋で美しいともいえる。

古事記オトタチバナヒメは、嵐で難破しそうなヤマトタケルの船団の危機を救うために、誰に命令されたわけでもないのに海に飛び込んで見せた。それは紛れもなく「特攻精神」であり、良くも悪くも日本列島にはそういう伝統がある。そしてその「いつ死んでもかまわない」という覚悟の精神風土は、女の本能によってリードされてきた。
「特攻精神=散華の精神」のことを「大和魂」というなら、それは「女の本能」の模倣にすぎない。
古代における神道の成立だって、おそらく「女の本能」がリードしてきたのだ。
神道における死んでゆくことは、天国や極楽浄土に旅立つことではない。何もない「黄泉の国」の闇の中に「溶けて消えてゆく」ことだった。つまり「今ここ」の「異次元=非存在の場」に超出してゆくことだったわけで、そういうラディカルに飛躍・超出してゆく心の動きは、社会制度にからめとられている男にはなかなか体験できない。女から学んではじめて「ああそうか」と気づくことができる。
もしも神道が男のプロデュースによって生まれてきたものだとしても、そのコンセプトは「女の本能」から学んだことの上に成り立っている。
ヤマトタケルは、嵐の海に飛び込んだオトタチバナヒメに励まされて東国平定を成し遂げていったのだし、古事記の男の神はみな、女の神の影響下にある。イザナギイザナミからはじまって、笑ってしまうくらい終始みごとにそういう関係になっている。
まあ、特攻隊の軍人さんたちだって、女学生や売春婦や故郷の母や恋人などの「女」に励まされながら飛び立っていったのだし、日本列島の女たちにはそういう能力があるらしい。
じっさい特攻隊の出撃に際しては、女学生をはじめとする近在の女たちが手やハンカチを振って送り出すのがひとつの習わしになっていた。
特攻隊だろうとなんだろうと、男の潔さや大和魂の正味は、「女の本能」に背負われたものでしかない。
いや、縄文時代以来の日本列島1万数千年の歴史は「女の本能」に背負われて流れてきた、というべきだろうか。したがって、神道の本質も天皇の起源も、そこのところを問うてゆく必要があるのではないかと思える。
起源として天皇は女だった。べつに支配者としてどこかから奈良盆地にやってきたというようなことではない。弥生時代以来の奈良盆地の暮らしから、民衆に祀り上げられながら自然発生してきただけのこと。
いやこれはべつに僕だけの考えでなく、名前は忘れたけどそういうことをいっている研究者はちゃんといるのだ。
神道天皇について考えることは、女の本能というか本性について考えることでもある。このブログでは、偉そうに先行文献がどうのと並べ立ててその受け売りをするよりも、そちらのほうがずっと大事なことなのだ。