都市の起源(その四十二)・ネアンデルタール人論193

その四十二・言霊信仰という嘘

日本列島の古代人は、「大和はことだまの咲きはふ国」といった。
「ことだま」というと、多くの古代文学研究者が「言葉の霊魂」というような意味に扱っているのだが、そういう解釈になっていったのはおそらく「御霊信仰」が大流行した平安時代以降のことで、もともとの「ことだま」という言葉は「語り合うことのよろこび」というような意味だったのであり、「ことだま」の「こと」は「語り合うこと」の「こと」なのだ。
「こと」のほんらいの意味は「生起する事象」というようなニュアンスで、「言葉」そのものを限定して意味していたのではない。だから「言葉」だって「ことのは」といった。つまり「言葉=ことのは」とは、「口からこぼれ出る音声」ということ。
やまとことばの「こと」と「もの」が一対の言葉であるとしたら、「こと」は「出会いと別れ」という「生起する<事象>」であり、「もの」は「一緒にいること=くっついていること」すなわち「すでに存在している<状態>」をあらわした。
そして「たま」は、「充足」の語義、すなわち「満ち足りた心」というのがほんらいの意味なのだ。
したがってこの場合の「ことだま」は、「出会い(=語り合うこと)のよろこび」を指している。

しきしまのやまとのくには ことだまのさきはふくにぞ まさきくありこそ(柿本人麻呂


この歌は遣唐使として旅立ってゆく友人を見送るときに差し出したもので、「まさきくありこそ=どうか無事に帰ってきてくれ」と詠っているらしい。
無事に帰って来て、また楽しく語り合いたいものだ、という願いを込めているのだ。「言葉の霊魂」なんか関係ない。大和の国は出会いのよろこびがあふれている国ではないか、無事に帰って再会したいものだ、ということ。
「まさきくあり」は、「希望がある」というような意味。語源においては、希望に胸がふくらむことを「さく」といった。だから、つぼみがふくらんで花になることを「咲く」という。言葉は「感慨の表出」として生まれてきたのであり、それに合わせて「咲く」という動詞がつくられていった。古代以前の人々の意識の中には、そうした「感慨の表出」という言葉の起源のかたちが残っていた。彼らは「咲く」といっても、そこに「希望に胸がふくらむ」という感慨も合わせて表出していたし、聞くものもとうぜんそれをくみ取っていた。そうやって「語り合うこと」がより豊かに花開いていった。彼らの語らいは、「意味」だけをやりとりしていたのではない。その向こうにこめられてある「感慨」も同時にやりとりしていたのだ。そうやって「ことだま」の花が「さきはふ=咲きそろって」いった。
「語らい」の中で「ことだま」が咲き開く。言葉に霊魂があって、ことばを口に出せばそれが実現するとか、そんな霊魂信仰が古代人にあったのではない。ただもう、語り合うことのよろこびが咲きそろう、といっているだけなのだ。
この歌のあとの部分では「葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国 然れども 言挙げぞ我がする……」と続いている。
「言挙げ」とは、願い事を口にすること。むやみにそれをしないのがこの国の流儀だ、といっているわけで、つまり「<言葉の霊魂>なんか信じていない」ということだ。信じていれば、「言挙げ」しまくるさ。しかし彼らには、言挙げしたってそれが実現するわけではないし、むやみに願い事を口にするのははしたないことだ、という意識があった。まあこの場合は「それでも私は言挙げせずにいられない」と詠っているわけで、「言葉の霊魂」なんか信じていないからこそ、その「言挙げ」がよりいっそう切実な響きなっているのだ。
この歌の「ことだま」を「言葉の霊魂」と解釈してしまうと、この歌の情趣なんか消え失せてしまうし、それに「言挙げせぬ」ということと論理的に矛盾している。
この歌では「さきはふ」と「まさきく」と、「さき」という言葉が繰り返されている。この「さき」は、絶望と紙一重の希望であり、あの時代に遣唐使として旅立ってしまえば、難破して荒波に呑まれてしまうことも多く、再会できる可能性はほとんどなかった。べつに「言葉の霊魂の力でなにがなんでもあなたを無事に帰してみせるぞ」と意気込んでいるのではなく、「きっともう二度と会えないのだろうな」という「嘆き」の深さを詠っているわけで、そういう薄氷を踏むような心模様とともに「さき」を繰り返しているのだ。
古代以前の「ことだま」という言葉は、「言葉の霊魂」のことではなく、「語り合うことのよろこび」を意味した。
「ことだま」とはつまり、語らいによろこびをもたらす「エスプリ」のこと。日本列島の古代人だって、ちゃんと「エスプリ」を心得ていたのだ。言葉がさまざまなニュアンスを含んだ彩錦になっていることを意識しながら語り合っていたのであり、柿本人麻呂のこの歌は、希望を詠いながら絶望の深さも表現している。
人は、言葉を支配しながら言葉を扱っているのではなく、言葉に支配されながら言葉を扱っているのであり、そこにこそ「言葉のエスプリ=ことだま」が宿っている。言葉に支配されているものの言葉の表現のほうが、ずっと高度で鮮やかなのだ。

都市的なエスプリ(機知)は、「支配されてしまう無防備な心」とともに育ってくる。それはひとつの「ひらめき」であり、たとえば気の利いたアドリブがいえる能力は、知能の高さや知識の豊かさの問題ではなく、「今ここ」を鮮やかに感じ取ってゆくことができる心の上に成り立っている。その言葉は、知能や知識によってあらかじめ用意されているのではなく、とつぜん言葉のほうから自分の心に降りてくる。そのとき心は、言葉に対して受動的になっている。
豊かなエスプリ(機知)をそなえている人は、言葉を支配しない。言葉に対して「支配されてしまう無防備な心」になっているからこそ、言葉のほうから心に降りてきて気の利いたアドリブになる。そこにこそ、都市的なエスプリ(機知)の真骨頂がある。
都市生活者は、「避けがたく支配されてしまう無防備な心」を抱えている。それが彼らのエスプリを豊かなものにしていると同時に、それゆえにこそ心が傷つき弱ってゆく危うさにもなっている。
世界の輝きにときめく心を持っているからこそ、深く傷ついてしまう。まあ、深く傷つきながらエスプリが育ってゆく、ともいえる。そりゃあ、人が生きていれば、多かれ少なかれ誰だって傷つく場面に遭遇する。そこで、他人の「支配されてしまう無防備な心」に付け込んで支配することを覚えてゆくのか、それともひたすら傷つきながらそれを肥料にしてエスプリを育ててゆくのか。それはたぶん、「反応」することをやめて自分だけの世界を確立した「賢いもの」なるか、それとも「生きられない愚かで弱いもの」として「反応」し続けるか、という問題でもある。
性格が明るいか暗いかというような問題ではない。
明るくのうてんきでも無意識のところでは「傷つきながら生きてきた」という歴史を持っていないとはかぎらないし、明るくのうてんきに振る舞っていても、表情や思考や行動が妙に平板でひとりよがりな人もいる。
人は、生まれたばかりの子供のような「やわらかい心」で世界の輝きに反応しときめいてゆくことができるか。そこに「都市のエスプリ」という問題がある。彼は、深く傷ついても、病んではいない。
傷つきやすい人の表情は、やわらかく豊かなニュアンスを持っている。いいかえれば人は、傷つくまいとして、憎しみや支配欲を募らせ、表情や思考や行動が硬直化し病んでゆく。それはきっと、心が「動かない」というより、心が「逆流している」のだろう。
今どきの社会で、なりゆきのままにスムーズに流れてゆくことができる心で生きるのはとても難しい。そりゃあ、傷ついてしまう。ともあれ誰だって、この世に生まれてきて、まずそこから生きはじめるのだ。赤ん坊は、そうやって「おぎゃあ」と泣いている。