気がすんだ・ここだけの女性論8


井原西鶴の小説に「雲隠れ」という作品があります。
ある大店の若旦那が、吉原で遊びまくったあげくに身上をつぶして町からいなくなってしまう。数年後、昔の遊び仲間が偶然別の町で出会ったとき、若旦那は貧乏長屋のわび住まいで、売れっ子の花魁だった女が女房になっていた。同情した男は他の仲間にも声をかけて店を建て直す資金を集め、後日届けに行ったが、そのときはまたどこかに雲隠れしてしまっていた……という話です。
若旦那がなぜ再び雲隠れしたかといえば、昔の仲間に見つかって恥ずかしかったからというより、今の暮らしを邪魔されたくなかったからでしょう。それはそれで人生の味わいがあり、昔の暮らしに舞い戻りたいとも思わない。もう気がすんだ。それはきっと売れっ子の花魁だった女房だって同じだったのでしょう。
やりつくして、もう気がすんだ……人生だって、そんなふうに思って死んでゆければいいのでしょう。
しかし、そんなふうに思えるのは、けっしてかんたんなことじゃない。現代人の欲望はかぎりがなく、そうかんたんにはあきらめない。
「いい女」になろうとがんばることだって、歳をとればとったなりにアンチエイジングのプチ整形をしたりなどして、いつまでたってもあきらめはつきません。人生の最後に悪あがきしているお騒がせな被介護老人はいっぱいいます。
何事においても「もう気がすんだ」という体験ができなければ人は生きられない。次に進めないし、人生を終わりにすることもできない。
人は、「もう気がすんだ」という気分で死んでゆき、「もう気がすんだ」という気分で生きはじめる。
その若旦那だって、「もう気がすんだ」という気分を体いっぱいに持っている女がそばにいたからこそ、そういう気分で「雲隠れ」できたのだろうと思います。



恋人と別れることや離婚することを受け容れるのは、「もう気がすんだ」という気持ちになることでしょう。
女は、もともと自分の体や生きてあることにうんざりしている存在だから、そういう気持ちになれるものを持っている。そうやって、かんたんに「非日常」の世界に入っていってしまう。
男を捨てた女は、男に対する未練などさっぱり捨てている。
亭主が浮気をして女房が家を出てゆく。亭主は追いかけ、あれはただの浮気だから戻ってくれといっても、いやだ、という。
そして亭主は、女房がやきもちを妬いて出て行った、と思う。でも、そうじゃないのですよね。男をそばに置いておこうとするのがやきもちです。この場合の女房は、「もう気がすんだ」という気持ちで出て行ったのですよね。やきもちを妬いているわけでも、男を恨んでいるわけでもない。
「そのていどの男だったのか」という幻滅をふだんから持っていたから、それをきっかけにして出て行った。たいていの場合は、それだけのことのようです。やきもちを妬かれるほど執着されていたら、出て行きはしない。
どんなに浮気をしても女房に逃げられない男もいれば、一回の浮気であっさり捨てられる男もいる。



女は、死んでゆくことと和解できる。男ほどにはじたばたしない。
「もう気がすんだ」という気持ちになれるのは、きちんとこの生を体験しきり、味わいつくしているからでしょう。
幸せであろうと不幸であろうと、そういう気持ちになれる女はなれるし、近ごろはいつまで経ってもなれない女が増えてきている。
どうしてそんなかたちだけの幸せな人生にこだわるのか。生きるということは、自分が何を感じ、何を見たかということでしょう。
感じるべきものは感じた、見るべきものは見た……そういう思いになって女は亭主を捨てて出て行くのだろうし、死んでゆくのでしょう。
人は、いつ死んでしまうかわからない。生まれてすぐに死んでゆく赤ん坊や子供もいれば、若い盛りのときに死んでゆかないといけない人もいる。たとえ90歳まで生きようと、これでもう気がすんだという気持ちになれるかどうかどうかはわからない。今日はなれても、明日になればまた迷っている。
とにかく、死んでゆくときには「もう気がすんだ」という気持ちになれないといけない。なれたほうがいい。人間はそういう気持ちになれる生き物だし、なれなくてじたばたする生き物でもある。
女はなれる生き物だし、なれないでじたばたする男は多い。
そしてそれはまた、生き方の問題でもある。女はほんらい、いつでもそういう気持ちになれるくらいこの生を味わいきり体験しきって生きている。
たぶんそうやって男を捨ててしまうし、「やらせてあげてもいいかな」という気分にもなる。


自分の人生が大切だから「やらせてあげる」という気分になるのではない。人生などというものは捨ててしまう気分でやらせてあげるのであり、やらせてあげればさらに「もう気がすんだ」という気持ちになる。
女は「もう気がすんだ」という気持ちでさっさと「非日常」の世界に入っていってしまう存在だから死ぬときにもじたばたしないし、男はその気配に引き寄せられてゆく。美人だとかいい女だとかかしこいとか心がやさしいとかという以前に、男が女に引き寄せられることの根源はそういうところにある。ほかのことは、根源的にどうでもいいことなのです。そういうかたちで男と女の関係が成り立っているのです。だから、死ぬまで連れ添ってゆけるし、どんなハンサムとブスの関係でも成り立つ。
根源的には、あなたが「いい女」であることなんかどうでもいいことなのです。そんなものを見せびらかしたって、男と深い関係を結べるとはかぎらない。いずれは、飽きられる。うまくやる女もいるのだろうが、そんなことは相手の男しだいだし、なりゆきしだいのことです。



とにもかくにも男と女は関係を結ぶことができるようになっているし、見せびらかす必要なんかないのだし、見せびらかしていたらかえって薄っぺらな関係になってしまう。
女は、男なんか置き去りにして「非日常」の世界に入っていってしまうのであって、社会という日常世界でうろうろしている男に寄ってゆく存在であるのではない。
自分が「いい女」であることを見せびらかすのは、男に寄ってゆくのと同じで、自分も男と同じ日常世界でうろうろしているだけです。根源的には、男はそんな女に引き寄せられるのではないし、そんな女はいずれ飽きます。
飽きずに眺め続けられるような美人なんかいないのだし、美人だという自意識を振り回されたら、男は引きます。上手に隠しているつもりでも、それはもう、自分の気づかない何かのはずみでちょいちょい現われてしまう。
「いい女」になろうと努力することなんか、悪あがきです。その努力が、あなたの知性や感性を鈍くしている。自分を「いい女」だと思っていない女のほうが魅力的なのです。
まあ、ブサイクな女だと悪目立ちしないためのたしなみというのはあるだろうが。



「恋をしている人は輝いている」などという。
じゃあ、恋をしていないと輝いていないのでしょうか。
恋という特別な関係など持たなくても、輝いている人は輝いています。この世界やこの世界の他者に豊かにときめいてゆく感性を持った人は、いつだって輝いている。
恋をしていないときだって輝いていなければ恋に出会うこともない、ともいえる。
恋をして輝く、なんて嘘です。
女優が結婚をして昔のような輝きがなくなったというのは、よくあることです。
女優とは、世界中の人にときめいていて、世界中の人からときめかれている存在です。誰も自分のものにしようとしないし、誰のものにもならない。だからたぶん、結婚しないほうがいい場合も多いのでしょう。まあ、どんなタイプの女優であるかということともかかわっていることだろうが、自分の幸せを見せびらかすのが商売ではないですからね。
今どきの女性論のライターはそれで商売しているのだろうが。



恋をしているばっかりに、相手だけしか見えなくなり、世界が狭くなってしまうことはよくある。そうやってこの広い世界に対して鈍感になってゆき、あげくの果てにその相手との別れが受け入れられなくてますます心が荒んでいって最後には刃傷沙汰を起こしたりする人だっています。
ひとりの相手しか見えなくなってむやみなやきもちを妬くことは、輝いていることでしょうか。むやみな独占欲を起こして相手を支配しにかかっている人は、男でも女でもいくらでもいる。
人付き合いの作法を教えてやる、などといっても、他人をたぶらかすための意地汚く小ずるいテクニックあをあれこれいっているだけだったりする。
まあ最低限の作法やたしなみはあるとしても、出たとこ勝負でときめいてゆくことのできない人が魅力的であるはずがない。
生き方の知恵や恋をする相手を持っていれば輝いていられるとはかぎらない。そういう身分でありながら「ブサイクだなあ」と他人から思われている男や女はいくらでもいるじゃないですか。
恋をすれば輝くとはかぎらない。
恋をしていようといまいと、この世の中にはいろんな人の人生があり、いろんな心模様がある。
こんなに考えてこんなに生きたら幸せになれますよ、といって人を扇動している今どきの女性論なんて、ほんとにくだらないと思う。
人がどんなに考えどんなに思おうと、どんなに生きようと、人それぞれの勝手じゃないですか。
幸せだろうと不幸だろうと、恋をしていようといまいと、どちらでもいい。その人がその人だけの人生を生きているという輝きはあるのです。



不幸な人生の輝いている人と幸せな人生の鈍くさい人と、どちらがいいともいえないでしょう。
最近の女性論は、まず「幸せになるためにはどうすればいいか」とか「いい女になるためにはどうすればいいか」というような問題の立て方をして書きはじめる。
でもその前に、「人間とは何か」とか「女とは何か」という問題があるわけじゃないですか。
「恋をするためにはどうすればいいか」というのなら、「恋とは何か」という問題だってある。
なんのかのといっても、人は、自分がどういう人間であるかということの前に、この世の中にはどんな人がいるのかということが気になってしまう存在ではないでしょうか。
そうしてキラキラ輝いている人と出会えばときめかずにいられなくなる。
キラキラ輝いているかわいいものやすてきなものとの出会いだってある。
自分がどんな人間かとか自分をどうつくってゆくかということだけにこだわってばかりはいられない。
自分の人生ばかりにこだわっていられるなんて、人や世界に対して鈍感な証拠です。
人との出会いに体ごと反応して生きている人は、自分が幸せかどうかとかいい女であるかどうかということにこだわってばかりはいられない。
だからそういう人は、ときに不幸になってしまったりする。いつもそうやって体ごとときめいたりかなしんだりして生きている。
まあ、人生とか自分ということに対して無防備でありすぎるのでしょう。
でも、その生まれたばかりの子供のような無防備な心こそが、その人を輝かせている。



あなたが幸せでいい女で恋をしているからといって、あなたが輝いているとはかぎらない。まあ自分に自信がなくて不安だから、そんなことばかりにこだわるのでしょうね。そんなことばかりにこだわっているから、ブスほどそんなことばかりにこだわる、といわれなければならなくなる。
その自信を持たないといけないということが、よけいな心の動きなのですよね。現代は競争社会だから、どうしても人の心をそういうところに追いつめてしまう。
自信なんか持たなくてもいいのです。自分なんかどうでもいいのです。自分のことなど忘れてしまっているところでわれわれは、この世界や人にときめいている。
この世界や人に体ごと反応してときめいている人は、自分のことなんか気にしちゃいない。
必要以上に自分のことが気になるのは、現代社会の病理的な傾向のひとつです。
人はどうして自分のことが気になるのか。現代の競争社会の中に置かれているからです。人と自分を比べて劣っていることに耐えられないから、人よりいい女になろうとしたり人より幸せになろうとしたりする。
大昔の人たちは、現代人ほどには自分のことを気にしてなどいなかった。自分のことなど忘れて、ただもう他愛なくこの世界や人にときめいていた。
原始時代に戻れというつもりなどさらさらないけど、原始人の心を失っているなんてみっともないことです。人間なら誰の中にもそういう心の動きは残っているはずです。われわれはそういう心でときめいたり感動したりということを体験しているのです。それは、自分を忘れて夢中になってゆく体験です。


10
人間は、どうしてそんなにもダイナミックに「自分を忘れる」という体験をするのでしょう。それがその人の輝きになっているし、その人の体験するときめきやかなしみになっている。
涙を流すことだって、その人の輝きです。
人間はたぶん、自分を忘れたがっている存在なのですよね。だからこそ、この世界や人に豊かに反応できる存在になっている。
それほどに深く自分に幻滅している、ということでしょうか。
きっとそうなのでしょう。
「どうして自分はこの世に生まれてきてしまったのだろう?」という思いは誰もがもったことがあるはずです。
べつに生まれてきたかったわけでもないのに、それはとても理不尽なことでしょう。
じゃあ、幸せになればその理不尽は解決されるかといえば、幸せなのに死んでゆかねばなならい。若くてきれいな女になったのに年取ってゆかないといけない。病気なれば苦しい思いをしないといけない。生きていれば、いやなことはいくらでもある。生きているから、そして自分を持っているから、いやな思いをしないといけない。
女はまた、毎月のさわりと付き合っていかないといけないという受難をかかえている。それだけでももう、ほとほとうんざりすることでしょう。
どんなに幸せになったって、自分や生きてあることにことにこだわっていればいやな思いはしないといけないのです。
だから人は、できることなら自分や生きてあることを忘れて生きていたい、と願う。
「自分」なんか、いやなことを味わうための装置です。
幸せであろうとあるまいと、自分や生きてあることに幻滅しながら存在しているのが人間です。だからこそ、自分を忘れて豊かにこの世界や人にときめいてゆくことができる。
自分をつくるのが上手な人より、自分忘れてしまうことができる人のほうが輝いている。けっきょくそういう人のほうが豊かに生きてあることを体験し味わいつくしている。
人の心の仕組みは、たぶん、自分を忘れてこの世界や人にときめいてゆくことができるようになっている。それができれば、恋なんかしなくてもいいし、それができなければ恋もはじまらない。
まあ、男をたぶらかし飼いならす恋というのもあるのだろうし、そういう恋の仕方なら今どきの女性論にいくらでも答えが載っているのでしょう。
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