滅びるということ・日本人とネアンデルタール人100


もうひとつ気になるのは、日本人の死生観である。こちらは宿題がまだいっぱい残っていて、まとめられそうにないが、とにかく書いておくことにする。
戦後の日本人が歴史意識を失ったということは、死生観をちゃんともてなくなったということであり、それがさまざまな社会病理が起きてくる一因になっているのではないかと思える。
なんのかのといっても、世界の民族はみんな自分たちの歴史的な死生観をもって生きているが、戦後の日本人は、そこのところが何か根無し草のようになってしまっている。
だから、おかしなスピリチュアルの教祖様にしてやられるし、ターミナルケアは試行錯誤のしっぱなしになっているらしい。
まさか、すべての日本人を、キリスト教で安心させてやることもできないだろう。
仏教といっても、ほとんどの人は本気で信じているわけでもない。
そうして神道は、なんだか宗教かどうかもあやしい。
しかし日本人は、キリスト教の教会もお寺も神社もぜんぶ好きだ。ぜんぶ好きだからこそ、それらの宗教性にはあまり興味がなくて、「雰囲気が好きだ」などとあいまいなことをいう。
けっきょくそれらのどれにもみずからの死生観の支えになるものを見つけ出せないで、変なスピリチュアルやカルト宗教に走る人も多い。
キリスト教の人だってキリスト教が信じられなくなったりすることもあるのだから、ややこしい。
宗教なんて、ようするに共同体(国家)の成立以後に生まれてきたもので、それ以前の人類700万年の歴史に根ざしていない。
人類700万年の歴史とともにある人間の本性に根ざした死生観とはどんなものだろう。
もちろん僕にもよくわからないし、わかったからといって現在の死んでゆこうとしている人の心のやりくりに役に立つのかどうかもわからない。
ただ、人間の本心のところにある死生観というのは、宗教が提示しているものとはちょっと違うような気がする。



たぶん、日本人の歴史の無意識には、死んでゆくことに対する拒否反応がない。だから、宗教的な死生観を確立できないのだろう。確立しようとする意欲が希薄な歴史意識が誰の中にもある。
そうして、教会にもお寺にも神社にも、いそいそと出かけてゆく。
神道は、日本列島土着の宗教だったのか。
結論だけをいわせていただくなら、そうじゃない、仏教をまねてというか、仏教ではないもうひとつの宗教たらんとして宗教のようになっていっただけだ。
神道なんて、宗教とは思えないようないいかげんさではないか。日本人が宗教をつくろうとしたって、あんないいかげんなものにしかならない。神道が原始的なアニミズム(呪術)として発生してきたのなら、その延長でもっと本格的な宗教になっているだろうし、今ごろ伊勢神宮は呪術の大本山になっている。
修験道とかの日本の呪術なんて、密教陰陽道を真似して生まれ育ってきただけである。
日本列島土着の呪術など、もともとどこにもなかったのだ。奈良時代以降の呪術が、どうしてあんなにも熱心に密教陰陽道を真似しなければならなかったのか。
そして日本列島では、呪術ですら、本格的になればなるほど山の中に入っていってなされる。山の中に入ってゆけば呪術の能力が得られるという以前に、日本人はなぜ山の中に入ってゆきたがるのだろうという問題があるし、そもそも人類700万年の歴史が山の中に入ってゆきたがる心性とともに動いてきた。そういう呪術以前の問題があり、日本列島の歴史は呪術以前の問題としてはじまり、今なお宗教以前の心で宗教とかかわっている。じつにいいかげんに。



6世紀の大和朝廷がどうして仏教を輸入しようとしたかといえば、それまで日本列島には宗教というものがなかったからだ。民衆に宗教心を持たせてひとつにまとめないとうまく支配できないと判断したからだろう。
ほんとに神道が土着の宗教(呪術)としてあったのなら、たかが仏教式の呪術をしたら疫病の蔓延が鎮まったとか、そのていどのことでたちまち神道から仏教に乗り換えるということなんかするはずがないし、じっさい、民衆に仏教が広まっていったのは中世以降のことである。それまで民衆にとっての仏教など、われわれがキリスト教の教会で結婚式を挙げたりして楽しんでいるのと同じようなものだったのだ。
日本列島の初期の仏教は、あくまで大和朝廷の政治方針だったのであって、民衆のものでも原始的な呪術であったのでもない。
ローマ帝国キリスト教を国の宗教にしたのは、すでに民衆のあいだに広まっていたからであり、キリスト教で支配してゆくのがいちばん効率的だったからだろう。
日本列島でも、神道が宗教になっていたら、神道で支配してゆくのが最善だったはずである。
しかし、そのとき神道は、宗教でもなんでもなかった。神社は、ただのお祭り広場だった。民衆はもう、そこでのお祭り騒ぎに明け暮れたり、ばかでかい古墳を造ったりというようなことばかりして、あまりまじめに働こうとはせず、なかなか生産効率が上がらなかった。
で、大和朝廷の威光を示す象徴として、仏教を輸入し民衆に押し付けようとしていった。
何が疫病退散か。そんなものは後世のつくり話に決まっている。そのとき大和朝廷だって、原始的な呪術の上に成り立っていたのではなく、ちゃんと政治をしようとしていた。それは、税をとって、強大な軍隊を組織してゆくことだ。そのためには、民衆に遊び呆けていられては困る。ちゃんということを聞かせてこき使ってゆくにはどうすればいいかと考えたのであり、そのための仏教だった。
そのとき権力者は政治に目覚めていたし、民衆は宗教(呪術)も知らず遊び呆けていた。
もしも民衆に宗教があったら仏教を輸入する必要なんか何もなかったし、民衆も自分たちのお祭り広場を取り上げられたくなかったから、そのお祭りを神道という宗教のようなかたちにしていったのだ。
それはまあ、上においても下においても、宗教を知らなかった日本人が宗教と出会ってゆく体験だった。そのとき支配者階級はどんどん仏教に洗脳されていったが、民衆は、自分たちが歴史的に引き継いできたお祭り広場を守ろうとして、その祭りを神道という宗教のようなものにしていった。
人は、政治的になると、どんどん宗教的になり迷信深くなってゆく。日本列島の歴史で最初に悪霊に悩まされたのは支配者階級であって、民衆ではない。民衆は、支配者階級のその迷信深さにしたがっていっただけである。そうやって少しずつ自分たちの習俗を宗教的にしていった。
もともと宗教というものを知らない民族だから、いまだに「教会もお寺も神社もみんな好き」というノウテンキなことを続けているのだ。



現在の歴史家はみな、はじめにアニミズム(呪術)ありきで古代や古代以前の人々の習俗を語りたがる。彼らは、資料として残っている中世や近世の宗教的な習俗から、古代や古代以前においてはもっと純粋な呪術だったのだろうと類推してゆく。しかしそのころすでにそんなことをしていたら、現在の日本人はもっと宗教的な民族になっていて、今ごろは「どんな死生観を持てばいいかわからない」などという迷いはけっして持たないだろう。
それらは、だんだん宗教的なニュアンスを付与されていったのであって、宗教の習俗として発生したのではない。
村の鎮守の森は最初、お祭り広場をつくろうとして発想されたはずだが、それではお上が許してくれないから、とりあえずお上が好きな「御霊信仰」の場にした。だから「天神様」が多いのであり、「鎮守の森」すなわち「悪霊を鎮める」という呼び方が定着していったのだが、やっていることは今でもただのお祭り騒ぎであって、信仰心が基礎になっているのではない。
日本人は、お祭り騒ぎがしたいのだ。
お祭り広場は、縄文集落にも必ずといっていいほどあった。それ以来の伝統である。呪術をするためなら家の中でもいいが、お祭りはそうはいかない。まず広場で集落にやってきたお客さんの集団を歓迎するお祭りをして、それからひとりひとりを家の中に招き入れていた。
人類の祭りは共同体(国家)の発生以来だんだん宗教の意味合いを持ってきたが、お祭り騒ぎはもう人類史がはじまったときからやっていたのであり、みんなで二本の足で立ち上がるということ自体がひとつのお祭りだった。



宗教とは、死を怖がっている人を救うものだろう。
しかし日本列島は、あまり死を怖がらない歴史を歩んできた。古代人は「死んだら何もない黄泉の国に行く」といった。こんなことは、死を怖がっていたらいえない。彼らは、死と和解してゆく文化を持っていた。中世の「無常感」もその延長で、多くの武士は死んでゆくことなど平気だった。
つまり日本列島は、死を怖がる人を救う文化=宗教を持っていないのだ。
だから、現在のターミナルケアが困難なものになっている。
日本人にとって死の安心は、天国や極楽浄土に行くことではなく、おそらく死の瞬間の恍惚であり、死んだら消えてゆくということ自体が安心だった。
「山の中に入ってゆく」ことはこの世から消えてゆくことでもある。そういうカタルシスとともに富士の樹海に入ってゆく人もいる。しかし日本人が華道とか書道とか芸道とかとなんでも「道」にしてしまうのは、その探求の作法が「山の中に入ってゆく」というニュアンスの気分とともにあるからだ。
その消えてゆくカタルシスのことを、古代人は「たまきはる」といった。「きはる」とは「消えてゆく」ということ。「極まる」ではない。
「黄泉の国に行く」とは「死んでゆくということは消えてゆくということだ」という死生観であり、すなわち「滅びてゆく」ということ、日本人は、そういう死生観=美意識で歴史を歩んできた。
琵琶法師が歌い語る「平家物語」が、なぜあんなにも広く民衆に支持されてきたのか。それは、天国や極楽浄土に行く話ではない。滅びて消えてゆく話だ。そして消えてゆくことができないものは亡霊となってこの世にさまよわねばならない、というかたちで能の物語になっていった。
靖国神社だって、戦争で死んでいった人たちが亡霊となってこの世をさまよわないでもすむようにというコンセプトの「御霊信仰」なのだ。だから、A 級戦犯の悪人たちも祀っている。それはもう日本人の歴史的な無意識の問題だから、いいとも悪いともいえない。
東条英機の亡霊に化けて出てこられたらいやではないか。



この世の中には、ものすごく憎悪の意識が強くて執念深い人がときどきいる。そういう人は、日本人の感覚からしたら、ちょっともう人間とは思えない。病気じゃないか、と思う。その延長として悪霊が発想されていったのだろう。
この社会に共同体の制度や宗教が定着してくると、だんだんそういう傾向を強く持った人があらわれてくるようになる。そういう人は、権力社会を生きるには有能であったりするが、同時に激しい政争を引き起こす種ともなる。
まあ「御霊信仰」は、権力社会の政争がエスカレートしていって生まれてきたのだろう。
そして村社会においても、憎悪の意識が強くて執念深い人は権力社会以上に異様な存在だから、悪霊が憑いた存在として村社会から排除されるという動きも起きてくる。そしてその人たちは山の中に入っていったり漂泊の旅に出るなどして「みそぎ」を果たして村に戻ってきたり、そのままの暮らしになっていったりした。
鎮守の森の祭りは、そういう悪霊のような人たちと出会う場でもあったし、排除した村人たちの「みそぎ」の場でもあった。
日本人は宗教心がないから、悪霊は無限遠点に向かって排除してしまえばいいという発想はもてないし、必ず戻ってくるという畏れがある。だから、鎮守の森に祀って鎮めてやらないといけない。
いずれにせよ、共同体の制度性とともに「悪霊のような人」があらわれてくる社会になったから悪霊が信じられていったのであり、最初から悪霊を信じていたのではない。もともと日本列島は、そういう呪術社会ではなかった。
仏教では、悪人は死んだら地獄という無限遠点にいってしまうと教えられているが、日本列島では、悪霊・亡霊となってこの世のどこかをさまよっているという発想をした。
日本人は、そういう「無限遠点」をうまくイメージできない。それは、「今ここ」の裂け目の向こうがわの「非日常」の空間を「他界」とする思考の流儀の文化になっているからだ。つまり、「山の中に入ってゆく」ということがコンセプトになっている日本文化は宗教的ではない、ということである。
日本人は、日常の「無限遠点」を想定する宗教の死生観をうまく自分のものにしてゆくことができない。天国も地獄も、「ああそうか」と思いながら、本気で信じてはいない。まあ「悪霊のような人」だけが信じている。
「悪霊のような人」は、この社会ではその有能さをもてはやされるか排除されるかのどちらかである。だからけんめいにもてはやされる存在であり続けようとする。そうして、それに失敗して鬱病になったりもする。しかしこのような傾向は、現代人のすべてが多かれ少なかれ抱えてしまっているのかもしれない。「消えてゆく」というタッチを失うと、その両極を揺れ動きながら生きてゆかないといけなくなる。



日本人は、死んで消えてゆくのが怖いのではない。消えてゆくことができないのが怖いのだ。
ちゃんと消えてゆきたいものだ、という願いとともに亡霊の話が生まれてきた。
消えてゆくことのカタルシスというものがある。それとともに人類の歴史があったのであり、このカタルシスの体験とともに人類の知性や感性が発達してきた。
「山の中に入ってゆく」ことは、「消えてゆく」ことである。人間は、根源においてそういう衝動を持っている。子供が「かくれんぼ」をすることだって、まあそういう衝動だろう。
人類の原始性としての「消えてゆく」ということ。日本文化の基底は、そういうコンセプトで成り立っている。
太平洋戦争のあんな無残な敗戦に民衆が耐えられたのも、「消えてゆく=滅びてゆく」という文化を持っていたからだ。日本人は、めでたしめでたしのハッピーエンドの物語よりも、「行く方も知らずになりました」という「道行き=フェードアウト」の話のほうに魅了されてきた。おそらくそこに、日本人の死生観がある。



そして、消えてゆくことができれば、つらいこの世も生きてゆくことができる。
つらいこともいやなこともさっぱりと忘れて、一日一日を点を打つように生きてゆければいい。過去は忘れて、未来も思わず、つねに「今ここ」で消えてゆく……これが日本人の無常感であり、死生観にもなっているのだろう。
我を忘れて何かに夢中になり、終われば、「ああさっぱりした、これでもう死んでもいい」という気分になってゆく。まあ、セックスのあとの気分のようなものだ。一年中発情している猿になった人間は、そういう気分で生きている存在にもなっていった。
やっぱり、我を忘れて何かに夢中になってゆくお祭りは必要なのだろう。それがあって、はじめてさっぱりと消えてゆくこともできる。まあ、学問だろうと芸術だろうとスポーツだろうと金儲けだろうと政治だろうとセックスだろうと、すべてはお祭りだ。
しかしその終わったあとのさっぱりした気分は、「充実した人生だった」と満足することではない。からっぽになってしまうのだ。そういうカタルシスがある。
終戦直後の日本人だって、からっぽになってしまった。だから彼らは、衣食住よりももっと切実に「娯楽」を求めた。娯楽があれば、衣食住の窮乏に耐えることができた。彼らは、からっぽになることのカタルシスを知っていた。
そして戦後に生まれた世代は、つねに豊かになってゆく社会の中で、空っぽになることのカタルシスを知らないまま育っていった。それは、日本人としての歴史意識を喪失することであり、そうやって今、日本人の死生観が混乱している。



われわれの意識は、今ここの世界にありったけの命で反応し、やがてさっぱりと納得し、からっぽになってゆく。この生のはたらきは、そういうことの繰り返しであって、伸びきった飴の棒のように続いているのではない。
一日一日がすでに消えてゆくカタルシスとともにあり、そういうトレーニングを積んで生きてきた人がさっぱりと死んでゆくことができる。充実した人生だろうとひどい人生だろうと「もうこれで気がすんだ」という気分の体験は人間ならだってするはずだが、日本列島の戦後社会では、その体験をできない人が増えてきた。そういう人ははた迷惑だし、本人もまた、死んでゆくときに悪あがきして荒れ狂ったりする。「もういいじゃない、あなたは自分の思うように生きてきて立派な人生だったのだから」といってやっても、聞く耳を持たない。「立派な人生を生きてきた俺がなぜここで死なないといけないのか?」と煩悶する。
まあ、STAP細胞の小保方さんもホリエモンもまさにこれと同じで、生涯、「もう気がすんだ」という体験ができない人たちなのだろう。
何ごとかをなしたとかなさなかったとか、そんなことは関係ない。
あのひどい戦争のさなかに置かれていた人たちは、つらいばかりの人生だったのに、それでもちゃんと「消えてゆく=滅びてゆく」ということを抱きすくめながらそのつらさに耐えてきた。
ちゃんと死んでゆくことができるタッチを持っているから生きてゆくこともできるのだし、生きてあることのカタルシスを汲み上げることもできる。どんな立派な人生を生きようと、最後の最後で悪あがきするのは、そういうカタルシスを汲み上げてこなかった証拠だ。
そういうカタルシスを汲み上げてゆくタッチとして、日本文化が育てられてきた。
「消えてゆく=滅びてゆく」、その気分で昔の人は「あはれ」とか「はかなし」といった。
日本列島の歴史においては、死を怖がっている人を救うための「宗教という装置」が機能してこなかった。
古代以前の人々の習俗は、呪術であったのではない。彼らは、そんなものを知らなかった。そこから古代以後に少しずつ呪術的宗教的な意味合いを付与されてきたのが、日本列島の民俗学的習俗なのだ。


10
何はともあれ、宗教で日本人を救うことはできない。
死んでも霊魂が残る、と思いたい人は思えばいい。しかし日本列島の住民が歴史的に「さっぱりと消えてなくなる」というコンセプトの「あはれ」や「はかなし」の文化を紡いできたのも事実であり、それは、日本人は歴史的な無意識として霊魂を知らない、ということを意味する。霊魂があろうとなかろうと、霊魂などというものは知らない。
その、(根源的には)霊魂を知らないというところに、日本人の死生観や美意識がある。
われわれの一挙手一投足に「霊魂は知らない」という無意識がはたらいている。
たとえ古代や中世の人々がさかんに霊魂の話を語り合っていたとしても、それはあくまで霊魂を知らない人たちの霊魂の話なのだ。
平家物語」は、滅んでいった人々の霊魂が天国に召されてゆく話ではない。あるものはきれいさっぱり消えてゆき、あるものは亡霊となってこの世をさまよっているという話である。それは、人々に死後の世界を思い浮かべさせるための話だったのではない。彼らは、霊魂などというものは根源において知らなかった。
それは、死んでゆく瞬間のカタルシスを歌い上げる物語だった。
その「消えてゆく=滅んでゆく」ということのカタルシスを。
まあこういうことを女は本能的に知っているけど、男はなかなかそれに気づけない。だから、そのタッチを学ぶためだけでも、女と一緒に暮らす価値はないわけではない。
昔のおばあさんが上手に死んでいったのは、死んだら浄土にゆけるという信仰心ゆえのことではない。浄土真宗では、そんなことは思っちゃいけない、そんなことはぜんぶ阿弥陀如来にお任せしなさい、と教えている。これが、霊魂を知らない民族の霊魂の話のタッチなのだ。
昔のおばあさんが上手に死んでゆくことができたのは、「消えてゆく=滅んでゆく」ということのカタルシスを本能的に知っていたからであり、そのタッチで「平家物語」に涙していたのだ。
現在のターミナルケアの思想だって、そういうおばあさんから学ぶことはあるに違いない。
「起源の習俗はアニミズム(呪術)としてはじまった」などという今どきの歴史家が合唱する倒錯した言説にだまされてはいけない。
日本列島に宗教心の伝統などというものはない。
まあ内田樹上野千鶴子も伊勢白山道も江原啓之もいわば「悪霊のような人」たちであり、それらの言説が現代人の全般的な心模様を代表するようにもなっているのかもしれないが、そこに日本人の歴史の無意識のほんとうのかたちがあるわけではない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一日一回のクリック、どうかよろしくお願いします。
人気ブログランキングへ