戦後とは何か・「時代は変わる」6


戦後の時代様相には、やはり「戦争の時代が終わった」という気分が大きく作用していたのだろう。
もちろん局地的な戦争はその後もずっと続いてきたのだが、あの世界的な大戦争が終わったことの安堵と虚脱感は、ひとまず世界中が共有していた。
そして敗戦国の日本は、国としても「自立」を放棄した。
いったん放棄するとなると、きれいさっぱり放棄してしまうのがこの国の国民性で、戦争直後の人々には、「日本人」という意識はあったのだろうが、国としてのアイデンティティは忘れていたのかもしれない。
もともと国家に対する意識が希薄な民族だったのだから、そのことに対する抵抗感も薄かったのだろうか。
なにしろ江戸時代までは、支配者以外の一般民衆に国家という意識はなかったし、国旗も国歌もなかった。
明治維新から太平洋戦争敗戦までのたった80年の国家意識だった。ひとまずその国家意識を清算したところから戦後を歩みはじめた。
戦争に負けると、時代が変わる。
戦争に負けて侵略された体験は、世界中のほとんどの国が持っている。おそらくそのたびに国家の制度性は強化されてきた。国として自立しなければならないという意識が強くなってゆく。集団への帰属意識が強くなり、人と人の関係も密着してくる。
日本も、戦争に負けてこのような傾向が生まれてきた。団塊世代は、集団への帰属意識が強く、まわりが辟易するほど人と人の関係も密着している。それは、彼らがベビーブームの世代で大きく密集した集団の中で育ってきたからではなく、戦争に負けた直後の時代状況で育ってきたからだろう。
団塊、すなわち大きく密集した集団の中に置かれれば、むしろ逆に集団への帰属意識は薄くなり、人と人の関係もむやみに密着しない配慮が必要になってくる。なのに団塊世代は、みずから進んで集団に帰属してゆき、人と人の関係もことさらなれなれしい。これは、国が戦争に負けて侵略されたという体験から起こってくる生態でありメンタリティなのだ。
そしてこの生態とメンタリティは、かつて一度も侵略されたことのない日本列島の伝統とは逆立している。そのように戦後は伝統を否定して歩みはじめた。
国家への帰属意識が薄く、人と人の関係もむやみになれなれしくしないように配慮し合うのがこの島国の伝統だった。まあそういう伝統を持っているから、大震災の被災民が大勢で狭い体育館に閉じ込められても大きな混乱を起こさなかった。彼らは、行政(=国家)がしてくれることはあまりあてにせず、自分たちで生活をやりくりしていった。
戦後社会と団塊世代は、そういう伝統を否定し、国家という単位を大いに意識しつつ、人と人もなれなれしい関係で結束してゆこうとしていた。
国家に反抗するのは、それだけ国家という単位に執着しているからだ。子供が母親に駄々をこねるのは、べつに母親から離れたがっているのではない。それが彼らの全共闘運動であり、だからその後サラリーマンになれば大いに会社に対する忠誠心を発揮した。
国が戦争に負けて侵略されると、人の心や生態は団塊世代のようになってゆく。
そのとき日本列島は、歴史上はじめて国と国の戦争に負けて侵略されるということを体験した。われわれはそういう体験をして成長したのか、それとも心歪んであさましい人間になってしまったのか。
朝鮮半島は、何度も侵略されながらそのたびに国としての自立を取り戻して歴史を歩んできた。そういう民族と、70年前のあの敗戦まで一度もそれを体験することがなかった日本列島の住民とでは、そのメンタリティや生態にきっと大きな違いがあるのだろう。



戦後のこの国は、すっかり欧米文化になついてゆき、みずからの伝統や既成の権威を否定していった。
いったん階級をなくして平等な社会になった、といえるのかもしれない。貴族階級の没落とか農地解放とか、その「平等意識」とともに人口の都市流入がダイナミックに起きてたちまち工業化に成功し、経済活動が活発になっていった。
戦後社会の動きには、この「平等意識」が大きく作用しているように思える。それがいいことか悪いことかはともかくとして。
団塊世代をはじめとして戦後の人々は、この「平等意識」でなれなれしい関係をつくってゆき、それが復興のダイナミズムになったと同時に、日本列島の伝統の基本的な人と人の関係の作法がどんどん壊れていった。
世界的に既成の権威が否定されていった時代だった。
そうして「ポップ=表層」の文化が花開いていった。
このことを一般的にはどのようにいわれているかといえば……平和で豊かな時代になって一般の民衆でも文化的な生活を享受できるようになったから民衆のレベルに合わせたというか民衆が主導したポップで表層的な文化が花開いてきた……ということらしい。
しかしこれは、ずいぶん人をバカにした解釈である。
民衆でも文化を享受できるようになったのなら、民衆でもクラシック音楽に親しんだり小説を書いたりアカデミックな学問ができるようになったというべきだろう。実際、そのような状況になっていったし、民衆の中からそれらの分野での優秀な才能もたくさんあらわれてきた。
ポップで表層的なカルチャーの流行は、べつに民衆のレベルに合わせて生まれてきたのでも、民衆が主導して生まれてきたのでもない。ひとまず既成の権威のがわにいる知識人や芸術家の知性や感性がどんどんポップで表層的になっていっただけである。
戦争の時代が終わった、という時代の様相によって、誰もがポップで表層的になっていったのだ。
誰もが「時代の子」であり、そのことにおいて知識人も大衆もない。
国が戦争をしていれば誰もが過剰な緊張を強いられるし、平和になればそういうことの反動があらわれる、時代の気分として。
たとえば、戦争のときは、敵に対する憎悪とか恐怖が培養され、それによって集団の結束が強くなる。敵といっても、相手の国だけではない。嫌いな人間だって敵だ。戦争をしている国の人間は、避けがたく憎悪と恐怖の感情を抱え込んでいる。それはもう、勝っている国だろうと負けている国だろうと同じだ。
しかし戦争が終われば、緊張の糸が緩む。憎悪と恐怖の上にこの生を成り立たせていた心がそれを失えば、心の動きそのもの単調になる。
戦争によって国民の心を高揚させて結束を図ろうとするのは、アメリカの支配者の常套手段である。
心が高揚するというか、知性や感性を豊かにはたらかせる機能として芸術文化が生まれてくる。戦争ばかりしている国の国民は、戦争をしていない平和な時代になると心が豊かにはたらかなってくるし、豊かにはたらかせる機能として芸術文化が生まれてくる。
平和に飽きてきた時代の芸術文化は、どうしてもアクティブで騒々しくなるし、直接的表層的になる。つまり「デマゴーグ」として煽り立てる機能が必要になる。そういう機能を持っている芸術文化がもっとも有効なのだ。これが、1960〜70年代の世界的な傾向だった。
またデマゴーグは、広く普遍的であるより、ドメスティックな細部においてこそ盛り上がる。
アメリカの芸術文化は、アメリカ的であることによって大きく盛り上がる。アンディ・ウォーホールは、マリリン・モンローの写真やキャンベルのスープの缶詰をコラージュしていった。アメリカ国民は、平和な時代の「アメリカ的なもの」を渇望していた。戦争になれば誰もが自動的に「アメリカ」で盛り上がるわけで、それが習い性になってしまっている国民はもう、平和な時代になっても「アメリカ的なもの」でなければ高揚できなくなっていた。
20世紀前半は世界的に戦争の時代だった。その反動として、60年代70年代にはポップで表層的な文化が世界中を覆っていた。アンディ・ウォーホールはドメスティックな細部のデマゴーグが渇望されている時代の寵児というかカリスマだった。



敵に対する憎悪と恐怖を共有してゆくことによって戦時下の国民は高揚し結束してゆく。支配者にとっては平和な時代にもそれは必要だし、そういう高揚感はいつの時代にも人々が求めているわけで、そのための芸術やスポーツや学問や金儲けや人と人の関係だ。
戦争という麻薬を体験してしまうと、平和な時代にはかんたんに高揚できなくなるし、かんたんに高揚できる戦争に代わる麻薬が求められる。
「表層」の「ポップカルチャー」は、ドメスティックな細部をあぶり出すデマゴーグであり、作為的に高揚感を生み出す麻薬である。
60年代から70年代にかけては、世界的にそういう作為的に高揚感を生み出すポップで表層的な文化が盛んになってきた時代だった。
アメリカだけではない、そのころ世界をリードしていたフランスの現代思想家たちだっていいかげん表層的で安上がりなことばかり言っていたし、それに影響されたこの国の柄谷行人蓮実重彦浅田彰ニュー・アカデミズムのブームの知識人にしても、80年代の一時期に活躍しただけで、その後に目立った思考の展開は見せていない。彼らには、本格的にこの生や世界を探求する思考能力はなかった。欧米の思想を上手にコラージュして貼り付けていただけだもの、けっきょくそうやって「デマゴーグ」を発信し、新しい「デマゴーグ」にとって代わられただけだった。
まあ戦後とは、人の心がそのようなデマゴーグにかんたんにしてやられる時代だった。「戦争の世紀」を通過してきたあとで、人々は「精神の基礎体力」を喪失していた。だから作為的に精神を高揚させる文化装置が必要だったし、また、戦争の時代には敵に対する憎悪と恐怖を募らせることが習性になっていたために、憎悪と恐怖が心の動きの基礎に居座っていた。
憎悪と恐怖は、人類が戦争をはじめた共同体(国家)の発生以後にもたらされた快楽の基礎であり、平和な時代になってもこの感情から快楽を紡ぎ出そうとする習性は残ったし、この感情をどう始末するかも平和な時代の課題になった。
デマゴーグは、人の心に憎悪と恐怖とそれにともなう快楽を呼び覚ます。
戦争ばかりしてきた人間は、かんたんに憎悪と恐怖を呼び覚まされる存在になり、憎悪と恐怖で快楽を得ようとする存在になった。
中国や韓国の人々はいまだに日本に対する憎悪と恐怖から逃れられないし、それを外交のカードに使い続けている。彼らにとっては、その憎悪と恐怖が快楽でもある。
戦争の時代が終わって人々の心がどのように変わっていったかということは、人々の心が戦争によってどのように歪んでしまっていたかという問題でもある。
憎悪や恐怖は、人の心を歪ませる。戦争に勝った国も負けた国も、人の心にそういう後遺症を残す。



1894年の日清戦争の勃発から1945年の太平洋戦争の終結まで、ちょうど50年である。戦争に勝っても負けても、人の心は歪んでしまう。その50年のあいだに日本人の心はどのように変わってしまったか、あるいは変わらなかったのか、それも問題だ。
これはもう世界的な傾向だったのだろうと思えるのだが、心の底に憎悪や恐怖を抱え込んでしまった人間たちによって「戦後」という時代がスタートした。
人が共同体の制度のもとで暮らし、その共同体が絶えず他国との緊張関係や戦争関係にさらされていれば、誰もが避けがたく心の底に憎悪と恐怖を抱え込んでしまう。そういう心を引きずって戦後という時代がはじまり、表層的なポップカルチャーが渇望されていった。
大陸の国々はもう何千年も前からずっとそういう関係の歴史を歩んできたし、それに対して海に囲まれた日本列島では、そのような緊張した関係とは無縁のまま比較的憎悪や恐怖が希薄な人と人の関係の歴史を歩んできた。そういう国民が、20世紀になっていきなり大陸並みの緊張関係の歴史を歩むようになり、敗戦とともに他国に侵略されるということも体験した。
それが日本列島の伝統ではないにせよ、戦後の人々は心の底に避けがたく憎悪と恐怖を抱え込んでしまっていた。
心の底に憎悪や恐怖を抱えていると、人や世界に対して素直に反応してゆくことができずに、どうしても鈍感になってゆく。だから、手っ取り早く表層的なポップカルチャー、すなわち伝染力の強いデマゴーグに飛びついて自分の心を活性化させようとする傾向になってゆく。
心が鈍磨しているから、刺激を求める。そしていったんその刺激を体験してしまったら、さらに強い刺激を求めてどんどんエスカレートしてゆく、麻薬やセックスのように。
ポップカルチャーはアクティブで騒々しい伝染力を持っているし、アクティブで騒々しい人間を生み出す。
この国でも戦後は、アクティブで騒々しい人間をたくさん生みだしたし、そういう人間がもてはやされる時代になっていった。戦争によって知性や感性が鈍磨してしまっていたのだ。心の底に憎悪や恐怖を抱えているとどうしてもそうなるし、憎悪や恐怖の上にしか心が動かなくなる。
人格者を気取ってヒューマニズムを説いても、その態度や思考はヒューマニズムを持っていない人間に対する憎悪や恐怖の上に成り立っている。人間の思考や態度を「こうでなければならない」と決めつけようとするのは、人間に反応するのが怖くて反応する能力を喪失しているからである。反応する力があれば、反応する心が生まれ行動が生まれる。そういう「なりゆき」を生きるのがほんらいの人と人の関係の醍醐味であり、その醍醐味を知らない人間が人格者になってゆく。
戦後は、「どのように生きるか」とか「どのような社会をつくるか」とか、そういう作為的な思考が蔓延していた。
人や世界に反応する知性や感性を喪失した戦後の人々は、作為的に人や世界との関係をつくってゆこうとした。つくってゆかなければ人や世界との関係の高揚感が生まれなかった。自然に反応して高揚してゆくという知性や感性を喪失していた。
AKBのブームは、みんなしてデマゴーグをツイートし合いながらみんなして作為的に高揚感つくりあげているのだろう。
柄谷氏も蓮実氏も、人間や世界に反応しながら思考をせかされてゆくというような知性や感性はけっきょくそなえていなかった。そなえていたら、今でもどんどん刺激的冒険的な著作をどんどん発表しているはずである。どうやら彼らは、80年代ですでに思考停止してしまっていたらしい。
「戦後」とは、デマゴーグをコラージュしてゆく時代だった。そしてそんな時代はまだ終わっていない。
しかしそんな空騒ぎもだんだんほとぼりが冷めてきて、日本列島の伝統の知性や感性がよみがえりつつある時代でもある。
まあ僕個人としては、それは、日本列島の伝統というより人類普遍の原始的な知性や感性だと思っているのだが。
原始的な知性や感性をそのまま洗練させてきたのが日本列島の伝統なのだ。
つまり、国家と国家の戦争というものを知らない歴史から生まれ育ってきた知性や感性。
もちろん団塊世代が「戦争を知らない子供たち」などと自画自賛してフォークソングを歌ったって、そんなものはただののうてんきで短絡的なデマゴーグだったのだが。
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