しょうがない・神道と天皇(145)

日本列島が「あいまい」の文化であることの本質は、ものごとを善悪や正邪で裁かない、ということにある。
すべてのことは割り切れない、割り切れないと割り切ってゆくのが、日本列島の思考の流儀だ。それが「しょうがない」ということ。
国家制度や宗教は、善悪をはっきり規定して集団の秩序を確立してゆこうとする。国家の法も、宗教の戒律も、つまるところ「神の裁き」という絶対的な規範が信じられていることの上に成り立っている。まあそうした「絶対的な規範」によって人びとの心を縛り思考停止に追い込んでしまえば、支配秩序はより確かなものになる。
国家の法だろうと宗教の戒律だろうと、人々を思考停止に追い込むための装置であり、だから政治家も宗教家も、人を洗脳する「教育」ということにものすごく熱心になる。
北朝鮮イスラム社会も子供のうちから洗脳してしまうから、いったん白紙にしてあれこれを問うてゆくという思考ができなくなっている。幼児体験として刷り込まれたものは、よほどのことがないかぎり、死ぬまで引きずってゆくしかない。
それに対して日本列島の伝統としての民衆社会の、たとえば村の「寄り合い」などでのいさかいの調停においては、善悪のことはいったん白紙にしてみんなで好き勝手に語り合いながら、話のなりゆきで着地点を見つけてゆくという方法を取ってきた。基本は「無主・無縁」なのだ。善悪を裁く資格のあるものはいない、という前提で語り合っていた。善悪の基準がないということは、この世のすべてを許している「神聖なもの」が祀り上げられているということであり、それが「水に流す」という作法にもなっている。

誰も洗脳しないし、誰からも洗脳されない、という社会。
もともと日本列島の民衆社会では、「子供には子供だけの社会がある」と合意されていた。それは、権力社会に対して民衆だけの社会を持っていたからだ。日本列島は古代からすでに民衆自治の文化を持っていたわけで、支配(=洗脳)することもされることも望まないメンタリティの伝統がある。しかし、だからこそたやすく支配されてしまう、という一面もある。そうかんたんに洗脳されないから、支配されることに耐えられる。日本人はとても支配・洗脳に従順であると同時に、けっして支配・洗脳されないメンタリティも持っている。
古代人は漢字を輸入したが、漢字を平仮名に変えてしまった。古代の民衆は、平仮名しか使っていなかったのであり、和歌はぜんぶ平仮名で表記するという習慣は今なお一部で続いている。まあこのことひとつとっても古代の民衆がまるごと仏教を受け入れたということなどあるはずがないし、もともと宗教が存在しない土地柄だったということを、どうして歴史家は考えようとしないのだろう。
日本列島では、権力社会とは別に民衆社会だけの集団性の文化を持っている。なぜなら四方を荒海に囲まれた島国で、異民族からの侵略に対して権力者に守ってもらう必要がなく、たとえ支配されても、権力者にたよるという気持ちはなかった。だから、「洗脳」されることはなかった。
日本列島の「語らい」の文化の伝統においては、洗脳=説得しようとするのは卑しいことだし洗脳=説得されるのは愚かだ、という認識がある。
だから昔の日本列島の子供たちは、そうかんたんに大人から洗脳されないで、子供だけの社会をつくっていた。大人たちだって、権力社会とは別の流儀の社会性を持っていて、善悪で裁くということをしない民衆自治の調停システムを持っていたし、古代には仏教とはまるで世界観が違う神道を生み出した。
日本語(やまとことば)の本質的な機能は、「伝達=説得=洗脳」にあるのではないのですよ。あくまで「あいまい」な「感慨のあや」を表出し、それを共有しながらときめき合ってゆくことにある。そしてそれは、善悪で人を裁かない、ということであり、古代の仏教伝来のときまで宗教なんか存在していなかったことを意味する。
宗教とは人を「裁く」装置であり、この国には大人が子供や若者を裁かない文化の伝統がある。「負うた子に教えられ」などという諺があるし、江戸時代までは「若衆宿」という若者だけの自治組織をつくる習俗があったし、戦前までは「青年団」というかたちで引き継がれていた。
とはいえ明治以降の国家神道教育勅語などで子供をむりやり洗脳してしまう制度が敷かれてゆき、敗戦後の現在もその余韻は残っている。ただ、そうした「伝統」がすっかり消えてなくなったわけではなく、この国の子供や若者たちは、ほかの国よりはずっと大人たちに洗脳されていないし、だから現在の「かわいい」の文化が生まれてきた。
政治や宗教は、子供に大人と同じ世界観や価値意識を持たせるが、それは、大人によって子供が洗脳されスポイルされることでもある。
日本列島の子供や若者は政治にも宗教にも興味がない、と嘆く声がある。しかし政治や宗教に興味のある子供や若者の精神は、はたして健康なのだろうか。

戦後は終わったとか、まだ終わっていないとか、この論議の決着はついていないし、最近は日本会議や総理大臣をはじめとする戦前回帰の思想が台頭してきた。そうして道徳教育というかたちで、小学生のときから洗脳してしまおうとする動きにもなっている。したがってこれはもう明治回帰ともいえるわけで、あの太平洋戦争がどうだったかというような話ではなくなってきている。つまり戦後の総括とは、明治維新から敗戦までの歴史を総括するということだ。
日本列島の戦後はまだ総括されていないどころか、総括したがらない右翼勢力がのさばっているし、戦後の70年が総括に向けた歴史だったかということも定かではない。まあそれは、一部の左翼がいうように天皇制を解消すればそれですむというものではないし、右翼を見習って国家神道教育勅語万歳ということでももちろんない。
ともあれ天皇制は、明治になってから国歌や国旗のように権力社会の意図で新しくつくられたものではなく、日本列島の歴史の必然性をともなって1500年以上続いてきたものだから、いくら戦争に負けたからといって、解消してしまうのが日本人の総意だともいえない。
日本人は天皇制に懲りているのではない。たぶん、敗戦による戦争や国家神道の強制に懲りているグループと、逆にそれを復活させようとしているグループとの対立が、いまだに尾を引いている。
まあ日本人が本格的に異民族との戦争をはじめたのは明治以降のことだし、負けたのも一度だけだから、懲りない人たちが残っていてもしょうがない。
その気になれば日本人はけっこう戦争に強いし、今どきの先進国の戦争はテクノロジーの勝負だから、頑張ればどこの国とだって戦える。いまや戦争が肉弾戦でないからこそ、以前にも増して戦争に向かうハードルは低くなっている。民衆の中にも、戦争を待ち望む軍事オタクは、どうしても一定数いる。
死ぬまで戦え、という。
人類にとって「人類滅亡」はひとつの理想であり、だから戦争をするのだし、滅亡に向かおうとすることこそ生きるのいとなみのダイナミズムにもなっている。生き延びることに汲々としていたら進化発展などない。
人の心は「滅びる」ということに引き寄せられてゆく。自分が滅びようと、相手が滅びようと、ともに滅びようと、「滅びる」というそのことに対する愛着がある。「滅びの美学」、それはもう、人類全体が共有している。
人を殺すことも殺されることもとても恐ろしいことだけど、あるとき殺すことも殺されることも快感に変わるということは、想像できないことでもない。それは、「殺すなかれ」という社会制度や宗教からの解放でもある。まあ、社会制度に従順なものや宗教者ほど戦争における解放感は大きいし、殺したり殺されたりすることに対する恐怖も肥大化する。その矛盾の混乱とともにPTSDが深く刻まれてゆく。
いつもいやいやしょうがなく兵士でいる、ということなんかできない。そりゃあ戦争状態になれば興奮するし、恐怖だっていっそう膨らむ。狂気、というのだろうか。「滅びる」ということに魅入られてしまう。
帰国した兵士は、つねに神に裁かれている。人の心は、裁かれながら病んでゆく。

戦国時代の武士たちは、PTSDに悩むことなどなかったのだろうか。日本列島は神の裁きが機能していないし、いちおう「すべては許されている」という文化の伝統があるから、殺すことや殺されることに対して、大げさに興奮することも恐怖することもあまりなかったのかもしれない。
まあ明治以降は日本列島もまた「神の裁き」の国になっていったわけだし、現在はもう世界中が有形無形に「神の裁き」に覆われてしまっている。
とはいえ、今どきのこの国の国会で官僚がのらりくらりとあいまいな答弁を平気で繰り返しているのは、この国が伝統的には「神の裁き」の薄い土地柄だからだろうか。
いずれにせよ人の心は「神の裁き」によって病んでゆくし、「神の裁き=正義」を振りかざして戦争をはじめたりする。
太平洋戦争の直前は、民衆だってこぞって戦争をしたがっていた。それは、民衆の社会にもすでに「神の裁き」が浸透していたということだ。「神の裁き」は日本列島の伝統でもなんでもないのに。
日本列島では、仏教の戒律なんか、僧侶のあいだでもどんどん有名無実化していった。そういう伝統の国で、戦争が終わったいまだに戦前回帰を目論んで倒錯的な「神の裁き」を振りかざしたがる人種が大勢いるということは、戦後はまだ終わっていないということの証しかもしれない。 
アメリカやイスラム社会のように「神の裁き」が強く機能している社会では、心の病いが蔓延してしまうのですよ。「ハーバード白熱教室」で「正義」とは何かと説いていたサンデル教授だって、「神の裁き」に冒されていたひとりなのですよ。

この国の現在が右傾化しているということは、戦後はまだ終わっていないということかもしれない。かといって、それ以前には優勢だった左翼が戦時中をきちんと総括したかといえば、そうともいえない。軍人や政治家や天皇が悪かったと裁いても、その「裁く」という態度自体が戦前の思考作法の蒸し返しであり、それによって広く民衆を説得することはできなかった。
民衆の多くは、いまだに天皇を祀り上げている。
民衆は最初から戦争責任なんかどうでもいいと思っていたし、原爆を落としたアメリカを恨むということもしなかった。まあそれは、人類史の避けがたい運命だった、と認識していた。
あいまいの文化、裁かない文化。
「しょうがない」という言葉を英語でどう訳すのだろう。あいまいな言葉だ。まあ、前後の文脈でいろんな訳し方をするのだろうが、「それはもう、しょうがない」とか、「そんなことをしてもしょうがない」とか、「しょうがないからやってみる」とか、「しょうがない奴だなあ」とか、それぞれニュアンスが違うのに、ぜんぶ「しょうがない」という言葉ですませてしまう。
また、現象学では「すべての意識は何かについての意識である」といったりするのだが、「なんでもない」というときの意識は、何についての意識だろうか。いやこれは、「なんでもない=何も思っていない」ということについての意識、ということになるわけだが、「なんでもない」とは「非存在」を意識しているということ、つまりそのとき心は「非存在の異次元の世界に超出している」ということになる。今どきはこのことを「別に……」という方をすることも多い。ただふてくされているというだけのことではない、「決定したくない、決定できない」という思いがある。
英語でも「nothing」といったりするように、人の心は「非存在の世界」を思うはたらきがある。そこでは、善も悪もない。すべては許されている。すべては無意味だ。最終的には、何も決定することはできない。そういう感慨とともに日本的な「あいまい」の文化の伝統がつくられてきた。また、「非存在の世界」に魅入られるようにして「滅びの美学」が形成されてゆく。
「戦争=敗戦を総括する」ということは、あくまでもその事実を深く心に刻むということにあるのであって、その責任を問うとか善悪を裁くというようなことではない。そんなことは「どうでもいい」のだし「しょうがない」のだ。
そういう意味では、戦後に正義ぶって戦争責任を追及した左翼や、いじましく戦前に回帰したがった右翼よりも、「こうなったらもうパンパン(=街娼)になることも厭わない」と決心した下層の女たちのほうが、ずっと潔くずっと日本列島の伝統に添って「戦争=敗戦」を総括していたのかもしれない。
「ギブ・ミー・チョコレート」といってアメリカ兵に群がっていった子供たちだって、それはそれで「すべてを許す文化」や「進取の気性」の伝統がはたらいていたともいえる。
「しょうがない」の文化。いちいち憎んだり恨んだりしていてもしょうがない。すなわち「水に流す」文化の国であれば、「総括」なんかかんたんにできるし、総括しないことが総括だ、ということでもある。日本列島では、戦争が終わったその日にもう総括していたし、だからこそきちんと総括しないままいつまでも引きずってもいる。
とりあえず終わったことにしつつ、何も決着をつけていないし、責任を問うということもしていない。「とりあえず」とはいったいなんなのだという話だが、良くも悪くもそれが「水に流す」文化であり「あいまい」の文化だ。
「滅びる」ことの美学、「消えてゆく」ことのカタルシス、すなわち「非存在の世界を思う」ということ、「すべては許されている」ということ、「何も決定しない」ということ、そのようにして日本列島の「あいまいの文化」が生成している。
戦後は、とっくに終わっているし、永遠に終わらない……。