ミーイズム・「時代は変わる」7


現在は、「ミーイズム」ということがよくいわれる時代であるらしい。
そんなこともないと思えるのだが、若者たちは誰もが自分の世界に閉じこもりたがる、などという。
しかしそれは、人に対して興味がないというのではなく、必要以上に密着した関係になるまいと按配し合っているだけだろう。
なれなれしい関係が流儀の団塊世代からすると、人と人の関係の作法が稚拙で貧弱になっているかのように見えるらしいが、団塊世代のそうしたなれなれしい関係が豊かな関係だとはたしていえるだろうか。団塊世代に悪しきミーイズムがなかっただろうか。つまり、人に対する感受性の問題として。
団塊世代がなぜ密着した関係をつくってきたかといえば、それだけ人に対して鈍感なところがあったからで、そこまでしないと関係を確かめられなかったからかもしれない。
彼らは、仲間が同じことを考え同じ行動をしていないと落ち着かないところがある。また、人は同じことを考え同じ行動をするものだという信憑を持っている。彼らは自分のことしかわからないのであり、自分を物差しにして他人の心を推量する。というか、自分が物差しなのだから、他人の心などすでにわかっているつもりでいる。それだってまぎれもなくミーイズムだろうし、そんなふうにして群れて行動しているなんて、現在の若者からしたらおそろしく鈍感で野暮ったい人と人の関係かもしれない。
だから団塊世代は嫌われるのだし、かんたんに現在の方がミーイズムの時代だともいえない。彼らは、自分の心を物差しにして他人の心を推量するということはしても、自分を空虚にして他人の心を問うてゆくということはしない。彼らは、自分には人を見る目がある、という自信がある。すべての人の心が自分の物差しの範疇にあると信じることができるのなら、そういう自信も持てるだろう。そしてそういう自信があるものどうしが、密着した関係をつくってゆく。
それは、ミーイズムとは無縁だといえるだろうか。彼らのその自信は、自分に対する関心の強さでもある。



現在の若者たちが他人に対する関心を失っているということもないだろう。
われわれは集団の中に置かれている存在であり、人が他人に対する関心を失ってしまう時代などあるはずがない。
人と人の関係をどのようにやりくりして生きてゆくかというテーマを持たないですむ時代などあるはずがないし、ましてや現在は、団塊世代が生まれた時代よりも倍近く国の人口が多いのである。団塊世代のような粗雑な人間関係で生きてゆける時代ではないのだ。
いつの時代も誰だって、人と人の関係をやりくりしながら生きている。
現在の若者たちは他人に関心がないというのではない。団塊世代よりはずっと敏感だからこそ、団塊世代のようにはべたべたしない。
人間がこんなにも大きく密集した集団をつくって暮らしている時代になって、他人に対する関心なしに生きてゆけるはずもない。
問題は、人に関心があるかないかではなく、人に対してどのように反応するか、鈍感であるか敏感であるか、ということにある。
団塊世代は人に対して鈍感だったから、べたべたした関係をつくっていった。それで平気だったし、そうしないと関係を確かめることができなかった。そしてその関係の作法は、誰もが同じことを考え同じ行動をすることだった。戦後という時代は、そういう人間をたくさん生みだした。それが、戦後社会の人と人の関係の流儀だった。



80年代以降、自分の趣味の世界に閉じこもる「オタク」と呼ばれる若者群があらわれてきたのは、人と人の関係が密着しすぎた戦後社会の反動だったのだろうか。彼らの登場とともに「ミーイズム」ということが盛んにいわれるようになってきた。
戦後社会は、みんなが同じように考え同じように行動する習性になっていったことによって未曾有の経済繁栄を達成していったわけで、その中心に団塊世代がいた。
しかし社会がそのように人と人の関係を濃くしてゆけば、当然そこから落ちこぼれるものや逃げ出すものは出てくる。これはもう歴史の必然で、たぶん人類は、そうやって世界中に拡散していったのだ。
宇宙戦艦ヤマト」とか「機動戦士ガンダム」とか、そういう和製ポップカルチャーにオタクの若者たちが熱中していったといわれている。「ニューアカデミズム」のブームだって、ひとつのオタク文化だったともいえる。
みんなが同じように考え同じように行動する経済繁栄の社会の中で、じつは誰もが「自分だけの世界を持ちたい」という意識にもなっていた。
経済繁栄の中心にいる大人たちだって、自分が世の中を動かしている、という意識で、そこに「自分だけの世界」を確認していたのだろう。
人間は、みずからの身体の孤立性を持たないと生きられない生き物である。いや、すべての生き物の生が「身体の孤立性」の上に成り立っている。
原初の人類は、密集しすぎた集団の中でみずからの身体の孤立性を確保する姿勢として二本の足で立ち上がっていった。
まあ、オタク文化やミーイズムが病理的というなら、団塊世代によってリードされていった戦後社会の密着した人と人の関係もまた、人間の自然から見れば病理的であったといえる。病理的だったからオタク文化が生まれてきた。その集団性には、何か人を息苦しくさせる不自然があった。
他者の身体とのあいだに「すきま」をつくって「身体の孤立性」を確保したいという衝動は、生き物が生きてあることの根源であると同時に究極の主題である。「身体の孤立性」がなければ、体を動かすことができない。
団塊世代=戦後社会のべたべたした人間関係なんかついてゆけない……そういう気分でオタク文化が生まれてきた。そしてそれは、多くの若者の気分でもあった。オタク文化は、その気分の表現のひとつにすぎなかった。校内暴力とか学級崩壊などといわれて中学校や小学校がどんどん荒れていったことだって、「息苦しい」という時代の気分だったのだろう。
「閉塞感」は、今にはじまったことではない。そういうみんなが同じように考え同じように行動することに息苦しさを覚える気分は、戦後がスタートしたときからすでにじわじわと膨らんできていたのだ。
団塊世代はそんな時代の風潮にフィットして生きてきたが、フィットできない人間が増えてくるのもまた必然的ななりゆきだった。



この国では、時代が変わってもそれほど大きな混乱が起きない。それは、国家という集団の単位に対する意識が薄い伝統があるからだろう。意識のかたちが、そういう大きな単位の集団に左右されない。そういう大きな集団(国=世間)を「嘆き」の対象として相対化し、いじくりまわそうとしない伝統がある。
それに対して大陸ことに欧米の先進国では、みんなして国をつくってゆこうとする意識がある。民衆がそういう国との関係を持っているから、うまくいけば国中で盛り上がるし、うまくいかなければ、国中で混乱したり不満が爆発したりする。
千年の「アラブの春」は国中で不満が爆発した例だし、日本の原発反対運動でもそれを再現しようとしたのだろうが、うまくいかなかった。国民性の違いだろうか。
それでもまあ戦後社会は、そうした大陸の流儀を模倣して「みんなして国をつくってゆこう」という主張が、とくに左翼系知識人のあいだで活発に起こってきた。全共闘運動は、国民のみんなをそういう意識にさせようと扇動していったのだが、けっきょくうまくいかなかった。
われわれ日本列島の住民の伝統としての「国=世間=時代」は、自分たちのあずかり知らない「なりゆき」で動いてゆくものであって、自分たちでつくるものだとは思っていない。
みんなでつくろうとしてしまったら、そういう伝統の習俗を持っていないから、どんどん息苦しくなってしまう。
われわれは、「国=世間=時代」などというものは「なりゆき」で動いてゆくものだと思っている。そんなものを「みんなでつくってゆこう」などと扇動されても困る。オタク文化もまたそういう伝統から生まれてきたのであり、それはまた、生き物としてのみずからの「身体の孤立性」を確保しようとする衝動でもあった。生き物としてというか、原始的というか。



戦後社会は、敗戦の余韻で人に「反応」してゆく知性や感性を失ってしまったところからスタートした。「反応」する知性や感性を失っているから、人と人の関係にしろ「国=世間=時代」にしろ、作為的につくってゆこうとする。
人と人が豊かに「反応」し合っていたら、つくろうとする作為なんか起きてこない。黙っていても、自然に関係が生まれてくる。
「なりゆき」に身を任せるという部分がなければ、この生はしんどい。作為性が習性になってしまっている団塊世代はそれで生きてゆけても、人間の本性としては、それではあまりに騒々しすぎる。なぜなら人間は、この生やこの世界に豊かに「反応」してゆく知性や感性をすでに持ってしまっているからだ。
みんなして国をつくってゆこうと叫ぶことは、飼い犬根性の裏返しである。みんなしていい国をつくっていい国の飼い犬になろう、といっているのだ。団塊世代は、支配欲も強いが、飼い犬根性も強い。そうやって一丸となってバブル景気に突き進んでいった。
いやまあそれはいいのだが、人に「反応」する知性や感性を失うことは病理的な心的現象だし、失うことができないのが人間性なのだ。
この世の中にたくさんの人間がいるということは、国が存在するということよりもずっと気になることである。
団塊世代というか戦後社会は、人と人の関係なんか同じことを考え同じ行動をするという前提の意識で生きてきた。だから彼らにとって「この世の中にたくさんの人がいる」ということは、鬱陶しいことでもなんでもなく、いちいち気にする必要のないことだった。というか、気になるほどの知性や感性をすでに失っていた。
しかし、誰もが団塊世代のようにして生きてゆけるわけではないし、生きてゆけないのが人間性のノーマルなかたちなのだ。
戦後社会は、伝統及び人間性の普遍(自然)を喪失して歩んできた。
この世にたくさんの人間がいるということ、人類は、直立二足歩行の開始以来、その人と人の関係をどうやりくりして生きてゆくかという主題ともに現在までの歴史を歩んできた。
戦後社会は、そのような主題を忘れて「自分はどのように生きるか」とか「国=世間=時代をどのようにつくってゆくか」という主題とともに動いてきた。現在のこの国は、そうした空騒ぎが一段落して、「人と人の関係をどうやりくりしてゆくか」という人間ほんらいの主題が切実になってきているのだろう。それに対して現在の若者たちの「むやみに相手の世界に立ち入らない」という関係がどこまでその主題を解決しているのかはわからないが、ひとまず密着した関係で群れていた団塊世代よりは健全で人間的であろうと思えるし、日本列島の人と人の関係の作法の伝統もそこにこそある。
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