革命の不可能性・「天皇の起源」22               

 

この国の戦後は、良くも悪くも、ひとまず戦争の反省として伝統を捨てて新しく社会をつくりなおそうというスローガンではじまった。
伝統は日本人の弱点=限界であり、その象徴である天皇という存在はなくさないといけないという左翼の発言が優勢になっていった。
日本列島では、天皇を倒す革命はこの2千年のあいだついに起きなかったのだが、1950年代初めの一時期に左翼の党の政権ができたりして、彼らのその目論見は今にも実現しそうな状況があった。
なんのかのといっても天皇を崇拝する右翼によってリードされながら戦争をして負けたのだ。
それでもけっきょく実現しなかったのは、民衆には天皇をなくしたいという気持ちがなかったからだろう。
60年代後半の学生運動は左翼の知識人たちに後押しされながら大いに盛り上がったように見えたが、けっきょく多数の民衆を巻き込んでゆくうねりは起きなかった。
この国には、天皇を祀り上げているものでなければ民衆の支持は得られない、という歴史の法則がある。彼らは、この法則をついに打ち破ることはできなかった。
日本列島の民衆は、なぜ天皇を祀り上げるのか。
それは、政治の問題ではない。美意識の伝統の問題であり、われわれはもはや身体感覚として天皇を祀り上げる心の動きを持ってしまっている。
天皇がいなくなると、われわれの美意識や身体に対する意識が落ち着かなくなる。国家がどうのという問題ではない。
日本列島の民衆は、国家をどのようなものにしたいかという関心=自我が薄いから、もともと支配者にとっては扱いやすい存在である。
それでも、天皇をなくそうという扇動に乗せられることはついになかった。



日本列島の民衆は、国家をどうこうするということよりも、町づくり村づくりの方が熱心になる。それは、その方がより身体に近い単位だからだろうか。とにかく国家という単位にあまり関心がないし、その単位に対する実感が希薄である。
われわれは、国=世間=社会などというものは鬱陶しいものだと思っている。よりよい国=世間=社会などというものを信じていない。
そして天皇はわれわれの美意識や身体意識に響いてくる存在であって、国=世間=社会を象徴しているのではない。
天皇は、世間離れした存在なのだ。
まあそのときわれわれ民衆の、左翼知識人や学生運動に対する意識は、「あなたたちが何をしようと勝手だし、あなたたちが革命を起こせばそれに従うが、われわれもその運動に参加するつもりはない」というようなものだった。
一億総火の玉になって戦争をし、戦争に負けたら一億総懺悔し、また一億総革命といわれても、そうかんたんにはその気になれない。
この国においては、人々の身体性と国=世間=社会という単位とが結びついていない。この国においては、よい国=世間=社会をつくろうとすることは、身体性を喪失した思想であり行為なのだ。
われわれにとって国=世間=社会などというものは、つくるものではなく、最初からそこにあるものだ。それはこの世界の避けがたい「なりゆき」として先験的に存在しているのであって、われわれがつくるべきものではない。われわれにとって国=世間=社会をつくろうなんて、神のすることだ。だから、一緒に革命しようといわれてもそこに参加することはできないし、天皇制をなくしたいという気持ちもさらさらない。
まあ世の中には神になりたい人がたくさんいるのだろうが、われわれは神そのものについてもよく知らない。



世界は「なりゆき」で生成している。みずからのこの身体すらも「なりゆき」でこの世界に現れ「なりゆき」で生成しているにすぎない……とわれわれは思っている。
われわれは、自分の「意志」というものを信じていない。だから、この社会をつくるとか革命などということに参加しようとする意志を持つことができない。われわれにとって社会とは目の前に現れるものであって、自分たちでつくるものだとは思っていない。
人間が二本の足で立っている存在であるかぎり、身体に対する「穢れ」の自覚がやってくることからは逃れられない。それは、生きてあることの避けがたい「なりゆき」である。
われわれにとっては身体も社会も避けがたい「なりゆき」で生成している避けがたいひとつの「穢れ」であって、自分が支配したりつくったりできるものだとは思っていない。
だから、社会をつくることに参加はしないが、社会の中に身を置くことの穢れは受け入れる。
穢れを受け入れそそいでゆくのが、日本列島の住民の伝統的な身体意識であり美意識であり生きる作法だ。
われわれは、天皇とともに「なりゆき」を受け入れながら生きている。
われわれにとって社会=世間の中に身を置くことは「穢れ」である。たとえ「よい社会をつくる」という正義の言葉で扇動されても、それ自体が「穢れ」であり、参加はできない。その代わり、どんな社会であっても、避けがたい「なりゆき」として受け入れ従う。
われわれは革命に反対しないが、参加はしない。
現在の原発反対の運動に対しても、まあそういうスタンスなのだ。
われわれをあなたたちの社会運動に巻き込まないでいただきたい。われわれにとってそこに参加することはこの身の「穢れ」なのだから。そういうことは、人間の最上位の身分であることを自覚できる人たちだけでやっていただきたい。
あなたたちにとっては「穢れ」など他人のもとにあるものかもしれないが、われわれはもう避けがたくそれを自覚しながら生きている。



この国における身分が上位であるという自覚は、権力を持つことによってもたらされる。
この国の人間は、自分が人よりも上位に立っていると自覚したとき、あるいは人より上位に立とうとして政治思想に目覚める。よい国よい社会をつくる、などと正義ぶっても、つまるところえげつない権力志向の意識である。
内田樹先生は「明治大正の政治思想家たちは左右を問わず<身体>を持っていた」といっておられる。
気取っちゃって、何いってるんだか。北一輝とか中江兆民とか幸徳秋水とか、ようするにそういった先人たちに学んで自分も有能なアジテーターになりたいんだろうね。
この国において「身体を持っている」とは「穢れを自覚する」ことであり、それは、政治思想など語らない民衆のもとにある。
この国においては、いい気になって政治思想を振りかざすことができるのは、清らかぶってみずからの身体の「穢れ」に無自覚だからだ。「穢れ」の自覚なしに社会をいじくりまわそうとばかりしていられるなんて、「身体」を喪失しているからだ。
テロリストは、相手の身体ではなく相手の政治思想に刀を突き刺す。そのとき身体は存在しない。身体そのものを政治思想だと思って刀を突き刺すのだ。
また「身体を投げ打って政治思想に殉じる」などといっても、身体を喪失しているから身体を投げ打つことができるのだ。ふだんはどうであれ、少なくともその瞬間だけは身体を喪失している。
右翼であれ左翼であれ、政治思想を振りかざす人間はみな、身体を喪失している。
三島由紀夫なんか、みごとに身体を喪失していたではないか。彼は、身体の「なりゆき」を認めなかった。徹底的にみずからの身体を支配していった。みずからの身体など、ただの「物」でしかなかった。手に負えない「生身」ではなかった。
内田先生は、「身体は脆弱な存在であるという自覚がその政治思想の正しさを担保する」などといっている。身体は脆弱な存在だから支配しコントロールしてゆかないといけない、ということらしい。彼はもう、自分の身体だろうと他者だろうと社会だろうと「脆弱」だと見くびって支配していじくりまわそうとすることばかりしている。そういう「権力」を手に入れ、それを担保にして上位の身分であることを自覚したいのだ。
まったく、何いってるんだか。そんなことばかりいっているから先生、あなたは鈍くさい運動オンチであるほかないのですよ。
身体を喪失した権力意識・差別意識こそ、左右を問わずこの国の政治思想家の伝統的な意識のかたちにほかならない。
身体が「生身」であるということは、手に負えない「なりゆき」で生成している存在だということであって、支配しコントロールするべき「脆弱」な存在だということではない。
身体は、「脆弱」などという清らかな存在でもコントロールしやすい存在でもない。避けがたく「穢れ」がまとわりついてくる手に負えない存在なのだ。昔も今も、そういうことを自覚していない人間が政治思想に目覚める。
テロリストだって、内田先生や三島由紀夫と同じように、身体など支配しコントロールできる「脆弱」な「もの」でしかないと思っている。
「生身」というのは内田先生お気に入りの常套句だが、この人ほど「生身」ということがわかっていない人間もいないし、まあこの国の政治思想家全般の傾向なのだ。
北一輝だか中江兆民だか幸徳秋水だか知らないが、民衆はけっきょくどんな政治思想にも参加しなかった。そんな政治思想ごっこにつき合っている趣味などなかった。彼らの誰も時代を変えることはなかった。時代は「なりゆき」で変わっていっただけである。
この国の明治大正の政治思想家は誰も民衆を巻き込むことはできなかったし、それはもう戦後の政治思想家たちだって同じだったのだ。
民衆は、時代が変わればそれを受け入れ従うが、どんな政治思想家にもついていかなかった。
良くも悪くも民衆は天皇とともに歩んできたのであり、その身体意識や美意識は、政治思想を語ったり実践したりすることの「穢れ」に耐えられない。



内田先生は「よいナショナリズムと悪いナショナリズムがある」というようなことをいっておられるのだが、われわれにとってはよい国だろうと悪い国だろうと国=世間=社会であることそれ自体が鬱陶しいのであり、どんなによい国であろうと日本列島の住民が本心から国を愛するということはないのだ。
われわれのアイデンティティは、伝統的に国よりも町や村という単位にあり、さらには生き物としてのこの身体にある。この身体にあるから、避けがたく「穢れ」を意識(自覚)してしまう。
日本列島の住民は、よい国であろうと悪い国であろうとひとまず受け入れて従うが、自分から国を愛してゆくというような心の動きは根源的には持っていない。
民衆は自分から天皇を祀り上げているが、それは国を愛するということはまた別のことだ。国なんか鬱陶しい、という心を癒してくれる対象として天皇を祀り上げている。
国=世間=社会に身を置くことの「穢れ」を自覚していないものばかりが愛国心を煽っている。彼らは、身体の「穢れ」に対する切実な意識を民衆ほどには持っていない。
人間は国をつくりたくてつくったのではない。他愛なくときめき合ってむやみに寄り集まってゆく存在だから、国が生まれてしまった。そしてそういう存在だからひとまず国を受け入れ従うが、人と人がすでに共生しているという前提の秩序ができあがってしまえば集団のいとなみも人の心の動きも停滞してくる。
誰もが親しい顔見知りの集団は、3,400人くらいが限度だろう。それ以上に膨らむと、知らない人間と一緒の集団にいるという不安や緊張感が生まれてくるし、集団が大きく密集しているということ自体が鬱陶しく、身体がざわざわしてくる。その存在の居心地の悪さが「穢れ」である。
そこで規範制度による秩序をつくれば解決になるかといえば、それ自体が停滞であり「穢れ」を飼い馴らすことにすぎない。
よい国=社会をつくればそれで解決するというわけにはいかない。その大きく密集した集団であるということ自体が鬱陶しいのに、規範制度で大きく密集した集団であることを美化し正当化されても、日本列島の住民はついてゆけない。
日本列島の民衆の伝統においては、大きく密集した集団を美化し正当化するための規範制度(公共性)をつくるよりも、「なりゆき」のままにそのつどそのつどの出会いの集団の語らいによってやりくりしてきた。
日本列島の住民の公共心や規範意識は希薄である。そういう民族に、国家や社会の運営のための政治思想を説いても、そうかんたんにはついてこない。
そんなことはそういう国や社会をつくってからいってくれ、そのときはそれを受け入れ従おう、というのが民衆の気持ちである。



政治思想なんか、自分は人間の上位に立っているという自意識から発想されるのだ。そうやって、まず民衆という自分よりも下位の人間を設定する。国=世間=社会がちゃんと機能していなければ、上位の人間と下位の人間という区別はつくれない。
プライベートの顔見知りの集団なら、上位も下位もないだろう。
彼らは、上位と下位がはっきりする公共性を止揚する。それが、政治思想だ。
世のため人のために命を投げ出すことが、そんなに素晴らしいか。笑わせてくれる。そうやって国とか世間とか社会を正当化し美化されることは、民衆にとってはいい迷惑なのである。
彼らが民衆に向かって政治思想を説くことは、そうやって「自分は人間の上位に立っているという自意識」を満足させていることなのだ。
日本列島の民衆は、国=世間=社会の中に身を置くことの「穢れ」をそそぐための形見として天皇を祀り上げてきた。
この国では、民衆よりも上位に立っていると自覚したものたちが国=世間=社会を正当化し美化するために政治思想を語っている。なぜなら、国=世間=社会の正当性こそ彼らが人間の上位に立っていると自覚するための根拠だからだ。
彼らの自意識は、国=世間=社会の正当性の上に成り立っている。そうして自分は人間の上位に立っていると確認している。それはきっと、差別意識に違いない。



彼らは、差別はなくさないといけない、と差別意識で叫んでいる。人は、差別はなくさないと叫んだ瞬間から、差別主義者になっている。
差別反対運動は「差別という問題など存在しない」という場に立ってなされなければならない。差別するものを差別してはならない。
さあ、どうする……?
「民衆を救う」などといっても、そうやって救う人間と救われる人間を設定して自分は救う立場に立つということ自体が差別ではないのか。
他者の「いまここ」は、誰も救えない。それは、すでに存在するものであると同時に、次の瞬間には消えてなくなるものである。そういう「いまここ」を尊重し合い、他者は「いまここ」の目の前にしか存在しないと思い定めて世間を生きる関係を紡いでゆくのが日本列島の伝統の作法だった。
国=世間=社会の秩序なんかつくらない、「いまここ」の出会いがあるだけだ……これが日本列島の民衆の伝統的な集団性であり、すなわちそれは「差別をなくす」という思想ではなく「差別など存在しない」という思想だった。
少なくとも縄文・弥生時代は、そういうかたちの社会だった。それがまあ、大和朝廷という国家の発生以来、しだいに変質してきてしまった。
国家が存在し、規範制度が存在するということは、支配者と被支配者という階層=差別構造がすでにできてしまっているということだ。
よい国よい社会であろうとあるまいと、日本列島の民衆は、国=世間=社会は鬱陶しいものだという意識を共有してきた。
「国(くに)」の「く」は「苦しい」の「く」、「くっくっくっ……」と息をつまらせて笑う。「く」は、そういう息苦しさをともなった音声である。「に」は「煮る」「似る」の「に」、「接近遭遇」の語義。「国(くに)」とは、「だんだん苦しくなってゆく」感慨、すなわち「穢れの自覚が膨らんでくる」感慨を表出している言葉である。
日本列島の民衆にとっての「国(くに)」はよかろうと悪かろうとそのような対象であり、したがってこの国では、よい国よい社会をつくろうと扇動する政治思想が有効に機能したためしがない。
歴史的には、民衆はもう、「いまここ」を切実に生きてきただけである。
まあ戦後は、そういう伝統が否定されておおいに政治思想が発言されてきたのだが、国=世間=社会の中に身を置くことの「穢れ」を自覚するわれわれの歴史的無意識は、どうしてもそれになじめない。
戦後は誰もが民衆の上位に立っていることを自覚して政治思想を発言したがる時代になってしまったが、それでもバブル以後、政治思想などというものをうさんくさいと思う歴史の古層が少しずつよみがえりつつあるのではないだろうか。
もともと日本列島には差別も階層もなかった。少なくとも縄文・弥生時代は、どうすれば人と人が他愛なくときめき合ってゆくことができるか、という問題があっただけだ。そういう状況から、起源としての天皇が生まれてきた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一日一回のクリック、どうかよろしくお願いします。
人気ブログランキングへ