「憂き世」という伝統・「天皇の起源」31


「お上」というか、日本列島の住民は国家に対して従順なところがある。だから、この国では革命が起きない。しかしそれは、国家(世間)を肯定し親密な感慨を持っているのではない。その鬱陶しさを嘆きつつ受け入れ、無理やりなじませているだけである。
日本列島の住民にとっては「嘆き」こそがこの生のすみかである。
その「嘆き」が契機になってときめきや感動が生まれてくる。
われわれが他愛なく人にときめいてゆく民族だとしたら、それはこの生の「嘆き」を抱えているからであり、それなしに最初からそういう資質を持っているというのなら、それはそういうポーズをとれば生きてゆくのに有利だからというたんなる処世術にすぎない。
われわれは、みずからの身体の「物性=穢れ」を嘆くところから生きはじめる。そうやって身体の受苦性を受け入れているように、国家という対象もまた嘆きつつ拒否はしない。
「憂き世」が、われわれのすみかなのだ。だから「国家=世間」を受け入れつつ、しかしじつは、支配者を置き去りにして民衆自身の連携で新しい時代の意識を持ってしまっている。
民衆にとって国家は嘆く対象だから、国家というフィルターを通さずに直接時代を感じてしまう。そうやって国家をフィルターにして時代を感じている支配者よりも、先に時代の変化に気づいている。



われわれにとって「いまここ」が「新しい社会(時代)」であり、したがって新しい社会をつくろうとか社会を変えようというような欲望は持たない。
支配者やリーダーたちが「新しい社会をつくろう」とか「社会を変えよう」と扇動するのは、新しい社会が到来していることにまだ気づいていないからだ。
「新しい時代」とは、「新しい社会」のことではない。「新しい社会」より先に、すでに「新しい時代」が到来している。時代とは空気のようなもので、その空気に染められて「新しい社会」になる。
日本列島の民衆の時代精神は、「新しい社会」を欲望しない。なぜなら、すでに「新しい時代」の中に置かれていると感じているからだ。
これは、日本列島の季節の移り変わりに対する感覚が下敷きになっているのだろうか。
春の終わりは、すでに夏のはじまりでもある。そして季節の移り変わりは人間がつくるものではなく、受け入れるしかないものである。
われわれわれは、ひとつの時代の終わりに、すでに新しい時代の中に置かれていることを感じる。
戦争に負けてアメリカに占領されたとき、民衆はすでにその「憂き世」の状況を受け入れていた。そしてその後の民衆の暮らしがアメリカナイズされていったことは、アメリカのせいでもこの国の政治家のアメリカ追随の政策のせいでもなく、民衆自身が先にその気になっていったからだった。



日本列島の住民は、西洋人よりずっと新しいもの好きで、保守的ではない。社会が変わることを受け入れる民族である。戦後の日本列島がまたたく間に経済復興を果たしたのは、つねに新しい時代を感じながら社会が変わることを受け入れる民族だったからだ。
われわれは、どんなに社会が変わってもそれを受け入れる。まあ戦後社会は、その新しいもの好きの習性によってたくさんの伝統を屠り去りながら、経済発展に邁進してきた。
しかし、天皇を祀り上げるという伝統は、ついに手放さなかった。なぜなら、天皇を祀り上げているからこそ、さまざまな伝統が消えてゆくことを受け入れることができたのだ。
われわれは歴史的な無意識として「憂き世」という感慨を持っているから伝統を屠り去ってくることができたのだが、その流儀で「憂き世」という感慨すらも屠り去り、バブル景気のころにはもう、新しいものを欲しがるという「欲望」ばかりがひとり歩きしていった。
その「欲望」が独り歩きしてしまうことの不安やうしろめたさを、天皇に甘えてゆくことによって解消していたのだろうか。
天皇は、すべてを祝福し赦している存在である。
日本列島の住民は、かんたんに祝福され赦されているつもりになってゆく無防備なところがある。自分が他者を祝福し赦しているから、自分もついその気になってしまう。おそらくその調子でバブルまで突っ走ってきたのだろう。こののうてんきさは西洋人にはないもので、それがあのころの経済競争のアドバンテージになっていたのかもしれない。
天皇はもともと「憂き世」を生きるための形見として発生してきたのであるが、ときに自分が祝福され赦されている存在だと自覚して暴走してしまう契機にもなったりする。あの無謀な太平洋戦争もそのときの朝鮮に対する同化政策もそうだったのだろうし、戦後の経済成長だって、心の底では天皇に甘えながら突っ走ってきたのかもしれない。



天皇制を存続するのか廃止するのかというような議論は、僕にはわからない。
ただ、日本列島の住民のような政治的にナイーブな民族が天皇というよりどころを失うとどうなるのか、ということはかんたんな問題ではないだろう。
天皇がいなくなっても、天皇制を生きてきた歴史の無意識は消えない。
われわれは、天皇がいない国家をいとなんだ経験がない民族なのだ。
優等生の知識人が「天皇などいなくてもやっていける、もっとうまくいく」といっても、この社会は、彼らのためにあるのでも、彼らのような人間ばかりであるのでもない。
天皇制がなくなれば、いったいどうなるのだろう。
知識人にとってどうなのかということは、どうでもよい。民衆の心は、知識人に先導された通りになってゆくのではない。
時代の変化は、いつだって民衆のところから先にあらわれる。知識人に先導されて時代が変わるのではない。民衆が先に「天皇なんかいない方がいい」と言い出してこそ、はじめてその流れが本格的になる。
戦後の天皇制廃止論も、近ごろの原発反対論も、知識人が躍起になってそれを扇動してもその通りにはならなかった。



幕末の尊王思想にしても、最初のムーブメントは民衆のところにあったのであって、一部の武士がいきなり唱えはじめたのではない。すでに列島中にそのような機運が広がっていた。
それは、江戸時代中期に、既成の儒教や仏教を批判しつつ日本列島の伝統に立ち返ろうとする立場の「国学」という学問が起きてきたところからはじまっている。
国学は、「和学」とか「皇朝学」とか「古学」などとも呼ばれ、日本語の言語学や国文学や歴史地理や神道天皇のことなどを対象とする学問で、日本列島における二度目の「ルネサンス」だともいえる。
徳川幕府による儒教や仏教の推進政策によってその支配体制は確立していったが、人々の心は、仏教思想に洗脳されてとても迷信深くなったり儒教道徳に締め付けられて思考や行動の自由を失ったりしながらどんどん閉塞感が募っていった。
そういう状況からの解放を目指すかたちで国学が生まれてきた。そのころ、人々の学問をしたいという意識が高まり、日本中にたくさんの私塾が生まれてきた。そしてその私塾の経営を支えていたのは民衆であり、商人の子弟から農民まで進んで国学の私塾に通うようになっていたのだった。
つまり、時代の閉塞感を最初に体験したのは民衆であり、民衆がその新しい在野の学問である国学の興隆を支えていたのだ。
その国学から、尊王思想が生まれてきた。幕末のころには多くの民衆がすでに尊王思想になっていたのであり、お伊勢参りの気運が高まっていったのも、そういう流れや仏教思想を厭う背景があったからだろう。
あのころ、多くの民衆が倒幕運動に参加していった。民衆がその気になっていたからその運動が盛り上がったのだし、昭和の全共闘運動や平成の反原発運動は、そういうかたちにはならなかった。



妙な言い方だが、民衆は、その遺伝子の中に天皇を祀り上げる心を持っている。それはもう弥生時代以来の伝統であり、なぜ祀り上げるかといえば、天皇が支配者ではなかったからだ。
支配者は、利益をもたらしてくれるときだけ祀り上げられる。しかし天皇が民衆に利益をもたらしたことなどない。いつだって民衆の方から一方的に祀り上げていったのだ。
民衆にとって天皇は、利益をもたらしてくれる対象ではなく、「憂き世」を生きる心のよりどころとなる対象だった。
民衆は、心が危機におちいったときに、天皇を祀り上げる。天皇が民衆の物質的な暮らしに利益をもたらしたことなど一度もないし、民衆自身もそんなことを当てにして天皇を祀り上げてきたのではない。
民衆にとっては天皇を祀り上げること自体が解放であり、もともと「よい社会」に対する欲求やイメージが希薄な民族なのだ。民衆にとっての「社会」はいつだって「憂き世」であり、それでよかった。
この社会を「憂き世」だと思い定めているのなら、「よい社会」など原理的に望みようがない。
「よい社会」などというものはない。「社会」であることそれ自体が疎ましいのであり、それでもその疎ましさを引き受け共有しながら社会の中を生きてゆこうとするのが日本列島の伝統的な作法であり、そのための形見として天皇が祀り上げられている。



幕末の民衆は天皇を祀り上げたかっただけであって、おそらく「よい社会」が到来するかどうかということはあまり意識していなかった。
民衆は「憂き世」であることを受け入れる。受け入れながら、文化が花開いてゆく。だから、民衆にとってあんなにもひどい徳川の世が300年も続いた。
そのとき民衆は、武士たちほど社会を変えようとは思っていなかったが、武士よりももっと熱く天皇を祀り上げていた。
明治維新など革命でもなんでもなく、たんなる武士どうしの覇権争いだろうが、それでも民衆を巻き込むことができたのは画期的なことだったのかもしれない。それは「天皇を祀り上げる」という大義名分があったからだ。
けっきょくそのあとの戦争の時代も、「天皇を祀り上げる」という大義名分によって民衆を巻き込んでいった。
日本列島の民衆は、「よい社会をつくる」という「未来」のことよりも、「いまここ」の「天皇を祀り上げる」ということに動かされる。
では、天皇制を廃止すれば「よい社会をつくる」という「未来」に向かって参加してくるかといえば、そうともいえない。
日本列島の住民は「いまここ」を祀り上げようとする。はじめに天皇が存在したのではなく、「いまここを祀り上げる」ことの形見として天皇が生まれてきたのだ。
民衆は「憂き世」をなくしたいとは思っていない。よい社会であろうと悪い社会であると、社会であることそれ自体が「憂き世」なのだ。その「いまここ」の「憂き世」を生きるための形見としてわれわれは天皇を祀り上げている。
われわれは、天皇がいなくなっても、べつの何かを祀り上げながらなおも「憂き世」を生きようとする習性を引きずってゆくのだろう。あるいは、「祀り上げる」心がどんどん希薄になってゆくのだろうか。
まあたとえ天皇が一民間人になっても、多くの民衆が天皇を祀り上げることをやめないだろうし、そんなことを議決した政権はたちまち民衆から見放されるに違いない。
今は天皇制が存在するからかんたんにそれをやめろといえるが、いざやめるとなれば日本中が大騒ぎになるだろう。たぶん、左翼の知識人が想像するよりももっと大きな騒ぎになることだろう。
そのときこそ、この国でもはじめて大衆運動なるものが組織されるのかもしれない。
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