穢れと身体の孤立性・「天皇の起源」8



トレーラーとかキャリアカーとか、特殊で大きなトラックを運転している人は、きっと気持ちがいいことだろう。
誰にでも運転できる車ではない。
しかしそれは、エリート意識、というのとはちょっと違う。
「身体の孤立性」の問題だ。
誰だってこの社会の一員として暮らしているが、同時に、生き物として、この世界の孤立した存在であるという自覚もなければ生きられない。
生き物として、みずからの「身体の輪郭」をちゃんと把握しておかなければ、うまく体を動かせない。
そのときトレーラーの運転手は、「身体の孤立性」をいつにも増してひりひりと感じている。
ここでいう「身体の孤立性」とは、みずからの「身体の輪郭」がくっきりと把握されている体験のことである。
誰もが、社会の一員として暮らしながら、「身体の孤立性=身体の輪郭」を確かめようともしている。
社会の一員になることによってより確かに「身体の孤立性=身体の輪郭」が確かめられる、というパラドックスがある。
すなわち「群衆の中の孤独」、まあそんなようなことだ。
そのとき人は、群衆の中に紛れながら、より確かに「身体の孤立性=身体の輪郭」を自覚している。
人は、身体の輪郭があいまいな存在にときめきはしない。
われわれが美人にときめくのは、人よりきれいだというより、存在そのものにおいて「身体の孤立性」を持っているからだ。
あんがい美人のはずなのにどこか俗っぽくてこちらの胸に響かない女性もいれば、そう美人でもないのに何か特別な気配を持っている感じのする女性もいる。
太っているとは、「身体の孤立性=身体の輪郭」があいまいになっている、ということだ。
歳をとると、意識が俗世間の垢にまみれ、それが身体の姿に現れて「身体の孤立性=身体の輪郭」があいまいになってくる。若い恰好をしていても、中年のおばさんであることは、後ろから見ただけでわかってしまう。
若い娘の姿には、若いということそれだけで「身体の孤立性=身体の輪郭」が宿っている。ここでいう「処女性」とは、そういうことである。身体の輪郭が俗世間に溶けてしまっていないこと。
人は、「身体の孤立性=身体の輪郭」が際立った存在を祀り上げてゆく。美人とかスターは、ひとまずそういう「固有性=孤立性」を持った存在として祀り上げられている。
誰もが社会の一員として暮らしているからこそ、「身体の孤立性=身体の輪郭」が際立った存在にはときめかずにいられない。われわれは、「身体の孤立性=身体の輪郭」を際立たせるためにこそ社会の一員として暮らしているのだ。



人は、「身体の孤立性=身体の輪郭」が際立った存在を祀り上げる。
弥生時代奈良盆地における起源としての天皇(=きみ)も、おそらくそのような存在として登場し、人々に祀り上げられていった。
何度もいうが、天皇は「支配者=王」として登場してきたのではない。
われわれ日本列島の住民は、この2000年のあいだ、天皇に支配されて歴史を歩んできたのではない。
天皇は、われわれが祀り上げる「いけにえ」だった。
起源としての天皇(=きみ)は、女だった。
「きみ」という古語は、「完璧な存在」という意味であり、それは「「身体の孤立性=身体の輪郭」が際立った存在であるということだ。
つまり、「穢れ」をそそいでいる姿を持った存在。弥生時代奈良盆地の人々は切にそういう存在にあこがれたのであり、その「穢れ」の意識(自覚)こそ日本列島の文化が生まれ育ってきた基礎(契機)になっている。
縄文時代以来、日本列島の歴史は「穢れ」の意識(自覚)とともに流れてきた。
弥生時代は、それまで少人数の集落で暮らしてきた人々が、大きな都市集落をつくって暮らすようになった時代である。また、縄文時代の多くの男たちは一年のほとんどを旅の日々で生きてきたのだが、やがて農業をして定住するようになり、それによって人口爆発が起きた。
縄文時代の集落が小さめで男たちが旅をしていたのは、「穢れ」をそそぐことが生きることの第一義の問題だったからだ。
しかしいつの間にか「なりゆき」で、定住して大きな都市集落の中で暮らすようになってしまった。そうして、「穢れ」の意識(自覚)が耐え難いほどに膨らんでいった。
彼らは、一か所に集まってさかんに祭りを催していった。祭りのカタルシスこそが、定住して大きな都市集落で暮らすことの醍醐味になり、「穢れ」をそそぐ体験になっていった。
集団の運営のことは、その都度みんなで語り合い「なりゆき」でなんとでもなってゆく。それよりも「穢れ」の意識(自覚)をそそいでゆかないことには、この生は始まらなかった。
縄文時代から弥生時代になって、人々の暮らしの生態は大きく変わった。そういう時代の変化から祭りのダイナミズムが生まれ、やがてその中から天皇というカリスマが祀り上げられるようになっていった。
彼らの「穢れ」の意識(自覚)は、「身体の孤立性=身体の輪郭」が際立った存在である天皇の「穢れ」をそそいでいる姿を祀り上げずにいられなかった。



人々は、天皇のその姿に、生きてあることの「穢れ」を自覚せずにいられない「いたたまれなさ=嘆き」が癒される心地がした。そのカタルシスこそが、起源としての天皇という存在が生まれてくる契機になったのだ。
いまでも若者文化として「癒す」という言葉はさかんに流通しているが、これは「穢れ」の意識が基礎にある日本列島の文化の伝統なのだ。
というか、世界中どこでも、原始社会の人々のあこがれのカリスマは、願い事をかなえてくれる政治的リーダーや呪術師ではなく、生きてあることの「いたたまれなさ」を癒してくれる存在だった。
原始社会に、政治も呪術もなかった。神という概念も存在しなかった。
もしも弥生時代奈良盆地卑弥呼のような存在がいたとすれば、それは呪術師ではなく、人々の前で歌ったり踊ったりして人々の心を癒す存在だったはずである。
病気になってつらいのなら、病気を治してくれることを願うよりもまず、そのつらさが癒されることを願った。それが、原始的な心性である。
病気が治るかどうかなど「なりゆき」にまかせるしかないと、だれもが思い定めていた。
作物の収穫だって同じである。けんめいに働くこと以外に、どんな方法も思い浮かべなかった。
ただもう生きてあることに癒される体験があればそれでよかったし、そこからしか生きるいとなみは始まらなかった。そしてその体験によってくみ上げられる快楽は、神や文明に願い事をかなえてもらっているわれわれ現代人よりもずっと深く豊かだったのだろう。
人類は、願い事をかなえる政治や呪術よりもまず、心が癒される芸能や芸術に目覚めていったのだ。
貝殻やビーズの首飾りは10万年前からあったし、4万年前にはすでに洞窟壁画や楽器を鳴らすなどの芸術行為が生まれていた。
そして「踊り」という芸能は、それらよりももっと古い、もしかしたら人類の起源以来の伝統であり、芸能という行為こそ人間性の基礎であるといえるのかもしれない。
二本の足で立っている人間は、そういう心を癒す行為を生み出さずにいられない「穢れ」の意識を先験的に抱えている。
人間にとって二本の足で立っていることは、「穢れ」なのだ。この「穢れ」の意識をジャンピングボードにして人間的な進化発展が生まれてきた。



そうして人類はやがて、この「穢れ」を他者の中に見出し、自分を正当化し自分に執着するようになってきた。つまり、自我の目覚めというか、自我の肥大化。これが共同体(国家)の発生であり、そのようにして戦争が生まれてきた。
われわれ現代人は、どうしても他者の中に「穢れ」を見ながら自分に執着してしまう傾向がある。まあそのようになってしまったのならそれはそれでしょうがないのだが、それが人間の本性で原始人もそうだったというわけにはいかない。
もともと人間は、自分の中に「穢れ」を見出し、そこから生きることをやりくりしてゆく存在なのだ。そうやって芸能も学問も芸術も進化発展してきたし、そこから人間的な快楽が生まれてくる。
古代以前の日本列島の住民は、そういう原始性をいつまでも引きずって、なかなか共同体(国家)の意識に目覚めてゆかなかった。それは、海に囲まれた島国で、異民族という他者と出会うことがなかったからだ。
日本人は自我が薄い、などとよくいわれるが、それは、「穢れ」の意識(自覚)が強いから、他者に「穢れ」を見て自分を正当化してゆく手続きがうまくできないのだ。
「異民族という他者」を意識するようになって、大和朝廷が生まれてきた。そしてこれは、大陸との関係だけではない。弥生時代の段階ではまだ、個人と個人の関係や奈良盆地の外との関係においても、他者に「穢れ」を見るというような意識は希薄だった。彼らはまだ、外からやってくる旅人に対しても隣の集落に対しても個人と個人の関係においても、無邪気にときめき合ってゆく原始的な心の動きを残していた。
彼らは、ひたすら自分の中の「穢れ」を意識しながら、他者を祀り上げようとしていた。そのようにして祭りが生まれ、芸能が洗練してゆき、やがてそこから天皇という究極の祀り上げる他者を見出していった。



そのころ卑弥呼のような存在が奈良盆地にいたとしたら、それは呪術師としてではなく、おそらく舞の名手として人々から祀り上げられている存在だったのだろう。
弥生時代奈良盆地の人々の心を癒してくれたのは、おそらく人々の前で美しく舞って見せる存在だった。
二本の足で立っていることの「穢れ」負った存在である人間にとって、歩くことや踊ることは、その「穢れ」をそそいでゆく行為である。
われわれ人間にとって、生きてあることそれ自体が「穢れ」なのだ。
「穢れ」をそそいでゆくことこそ、人類の普遍的な生きるいとなみにほかならない。
少なくとも原始社会においては、「穢れ」をそそいでゆくことこそ、生きてあることのもっとも切実な問題だったのだ。
いやわれわれ現代人だって、表立って意識していないだけで、じつはそれこそが心の動きや行動の基礎になっているのではないだろうか。
人間にとって、「生き延びる」ことよりも「穢れをそそぐ」ことのほうがずっと切実な問題なのだ。
原初の人類は、生き延びることを断念して二本の足で立ち上がったのだ。
人間性の基礎は、生き延びるための戦略を立てることにあるのではなく、「穢れ」をそそごうとすることにある。
原始社会の祭りの中心となるイベントは踊ることにあった。人々は、踊りによって身体の穢れをそそいでいった。
ことにまわりの地域から絶えず人が集まってきていた弥生時代奈良盆地ではそういう祭りがさかんに行われていたのであり、そこから舞の文化が洗練発達してきて、やがてその名手が現れてくることになった。
彼らは、大きくなりすぎた集団の「穢れ」を嘆きつつも、人と人の出会いにときめきあってもいた。そのジレンマを克服するイベントして、人が一か所に集まる祭りが催されていった。



「穢れ」をそそぐとは、「身体の輪郭=身体の孤立性」を確かにする、ということだ。
「水をかぶる(沐浴)」という作法は、それによって皮膚に意識が集中して「身体の輪郭=身体の孤立性」がより確かになる心地の体験であるのだろう。
「身体の輪郭=身体の孤立性」を確かにしなければ、生き物としての生は成り立たない。
人間は、猿よりももっと生き物としての生の根源に立ち返ろうとする意識を切実に持っている。
それは、二本の足で立って「穢れ」を自覚している存在だからであり、「生き延びる」ことを断念している存在だからだ。
「生き延びる」ことを断念するのは、生き物の本能である。なぜなら生き物の生は、「死んでゆく」というコンセプトの上に成り立っているからだ。
生き延びることを忘れ(断念し)ながらこの世界や他者に無邪気にときめいてゆくことができればという願いは、人間なら誰の心の底にも息づいている。
そういう願いとともに起源としての天皇が生まれてきたのだ。
生き延びるための戦略としての政治や呪術から天皇が生まれてきたなんて、そんなことはたぶん大嘘なのだ。
良くも悪くも、天皇はそんな通俗的な存在ではない。
世の、あまたの歴史家のいっていることなんか、全部おかしい。天皇の起源を政治や呪術・信仰の問題で語ろうなんて、人間の生態の根源をちゃんと考えていないのだ。
弥生時代奈良盆地の人々にとっては、「穢れ」をそそいでゆくことこそもっとも切実な問題だったのであり、そこから起源としての天皇が生まれてきた。
起源としての天皇は、もっとも確かに「穢れ」をそそいでいる存在だった。それは、もっとも鮮やかに「身体の輪郭=身体の孤立性」をそなえている存在だった、ということだ。
人々は、そのことにときめいていった。
そしてその「身体の輪郭=身体の孤立性」の鮮やかさは、踊り=舞によって表現される。
もちろん天皇の起源は、原始神道の問題でもある。
原始神道は、呪術や神への信仰としてあったのではない。「穢れをそそぐ」作法として生まれ育ってきたのだ。「穢れをそそぐ」ことこそ、原初の日本列島の住民にとってのもっとも切実な問題だった。
それは、縄文時代以来の伝統だった。そういう1万年以上の歴史があったのだ。
そして「穢れをそそぐ」とは、「身体の輪郭=身体の孤立性」を確かにすることである。
つまり、原始神道もまた踊り=舞の文化として生まれ育ってきた、ということだ。
「祭政分離」とか「祭政一致」などというが、原初の祭りは、呪術や信仰のことではない。天皇の起源は、純粋な「芸能」の問題なのだ。
天皇の起源や原始神道は、政治や呪術・信仰等の「共同幻想」の問題として考えるべきではなく、「踊り=舞」という芸能のほうがずっと大きな契機になっているのだ。
それは、生き物としての実存の問題であり、そちらの方が政治や呪術・信仰よりもずっと大きな問題であっても、なんの不思議もないだろう。
生き物としての根源に遡行しようとすることこそ、二本の足で立っている人間の基本的な生態なのだ。
天皇の起源、それは、政治や宗教が生まれる前の時代に起こったことである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一日一回のクリック、どうかよろしくお願いします。
人気ブログランキングへ