神と生贄・「天皇の起源」4



もちろん、自殺してもいいというつもりはない。しかし、死にたいする親密さが人間存在の生きてあるかたちなのだ。死にたいする親密さがこの生を活性化させる、そういう問題は確かにある。
人間は、死にたいする親密さとともに、無防備のままこの世界と向き合っている。そこから人間的な思考や感受性が発達してきた。
この世界を深く確かに認識し感じるためには、この世界に対して無防備になるしかない。
生まれたばかりの赤ん坊のような裸の心でこの世界と向き合っているときにこそ、この世界はより深く鮮やかに認識し感じられている。
日本列島の住民は、天皇に対して「無防備にときめいてゆく」という心の動きを持っている。これは、宗教ではない。
確かに、大和朝廷成立以来つい最近の太平洋戦争のころまで天皇は神であった。しかし日本列島の住民は、神という概念そのものをよく知らない。それは、大陸から輸入された概念であって、最初から日本列島にあったのではない。
縄文、弥生時代の人々は、神を知らなかった。ただ「この世界を深く鮮やかに認識し感じる」という意味の「かみ・かむ」という言葉があっただけである。そういうエクスタシーのことを「かみ・かむ」といっていただけだ。
で、大陸から「神」という概念が輸入され、ひとまずその延長として、この世でもっとも無防備にときめいてゆくことのできる特別な対象のことを「神」というようになっていった。
古代以前の日本列島の住民は、「神」がこの世界をつくり人間をつくったなどとは思っていなかった。そういう発想をするような思考の伝統はなかった。だから、神が人間に何かをしてくれるとも思っていなかった。



天皇という神は、ただもうそこに存在していてくれるだけでよかった。
天皇は、人間をつくったのではなく、人間を無条件で赦している存在だった。われわれはそれを「母」という存在になぞらえがちだが、そうではない。
母は、子を産み育てることに耽溺する存在である。耽溺しなければ、そんなしんどい行為はできない。したがって、子を手元に置いておこうとする本能を持っている。それは、離れていってはいけないといっているのと同じだから、赦していないことである。
それに、セックスをさせてくれない。子供は、母親が無条件に自分を赦してくれているとは思っていない。
母は、けっして子を赦していない。
男にとって自分を無条件に赦してくれている存在は、セックスをさせてくれる「お姉さん」である。
いや、すべての人間にとって自分を無条件に赦してくれているのは、母ではなく、「お姉さん」という存在なのだ。
誰の心の中にも「お姉さん」がいる。
人は、その胸のどこかしらに「自分はここにいてもいいのだろうか」という思いがある。それは、罪の意識ではない。この世に生まれてきてしまったことの「いたたまれなさ」のようなものだ。
どうせ死んでしまうのに、なぜ生まれてきてしまったのか。生まれてこなければ、死ななくてもすんだのに。
生まれてこない状態がほんとうのかたちで、生まれてきてこの世に生きてあるなんて、嘘の状態ではないのか?
人は、そういう「いたたまれなさ」を癒す行為としてセックスをしたがったり何かに夢中になったりしてゆく。
「ときめく」とは、つまるところ生きてあることの「いたたまれなさ」が癒される体験なのだ。
自分を忘れてときめき夢中になってゆく。
自分を忘れることがなぜ快楽なのか。人間性の普遍として、生きてあることには「自分はここにいてはいけないのではないか」という通奏低音がはたらいているからだろう。
人間は、「ここにいてはいけない」存在なのだ。
「ここにいてはいけない」のに、それでもここに生きてあるほかないことの「いたたまれなさ」がある。
原初の人類の歴史は、その「いたたまれなさ」という根源的な感慨を癒してくれる対象として「お姉さん」という存在を見い出し、女権社会になっていった。天皇は、そういうところから弥生時代奈良盆地の人々に祀り上げられていった。
人間の歴史をつくってきたのは「生き延びたい」とか「楽して幸せになりたい」というような欲望ではなく、それ以前のもっと深く切実なところで「自分はここにいてもいいのか?」という問いを背負いながら歩んできたのであり、その問いに対する答えとして「天皇」という存在が見いだされていった。



古代の人々は、天皇という神がこの世界をつくったとは思っていなかったし、自分たちに何かをしてくれる存在だとも思っていなかった。ただもうそこにいてくれるだけでよかったし、それによって生きてあることの「いたたまれなさ=嘆き」が癒された。
生きてあることの「いたたまれなさ=嘆き」が癒されることこそ人類普遍の願いであり、そこから天皇が祀り上げられていった。
人類が、この世界をつくり人間をつくり人間に何かをしてくれる「神=ゴッド」という存在を発想するようになってきたのは、共同体(国家)の発生以降のことである。
日本列島では、共同体(国家)を発想することもできずに、大陸からの帰化人に教えられながらようやくつくり上げたにすぎない。
現在のアフリカ中南部は、欧米人に教えられながらようやく国家建設の歴史を歩みはじめているが、そのいとなみは遅々として進んでいない。日本列島だって、そういう時代があったはずである。それがきっと、古墳時代だったのだろうと思う。そしてそれはたぶん、「神=ゴッド」という概念を受け入れてゆくことでもあった。
しかしわれわれは、現代においてもまだその概念を身体化することができていない。
そうしてわれわれも今や欧米流の国家づくりをけんめいに実現しようとしているのだが、何かにつけてもたもたしては、そのたびに歴史の古層が顔を出すということが起きてきている。
日本列島の「天皇を祀り上げる」という流儀と西洋流の「神=ゴッドを信じる」という観念とは、根底的にどこか矛盾する違いがある。生き物としての本能と形而上学くらいに違う。



天皇は神である」といいながらじつは日本列島の住民は、「神」がどういうものかわかっていない。わかっていないから「神である」と無造作にいうことができる。
西洋人からすれば、日本列島の住民が天皇ことを「神=ゴッド」だと思っているように解釈するのだろうが、そういうこととは少し違う。ほんとは「神=ゴッド」など知らないから、天皇が「神」であろうとなかろうとどちらでもいいのだ。
天皇はただもう無条件に民衆を赦している存在であり、民衆もまた、ただもう無条件に甘え祀り上げていっている。
そこには、西洋のような「神との契約」などという関係はない。あくまでたがいに一方通行の関係である。「契約」というかたちで縛り合う関係ではない。
だから、日本列島の住民は、罪の意識が希薄で、誰も責任を取ろうとはしない。
戦後の戦争責任を問う極東裁判でも、あきれるくらい誰も責任を自覚していなかった。誰もが、それは避けがたい「なりゆき」だった、といった。このことがいいか悪いかなんて、わからない。そういう民族なのだ。
天皇だって、責任を取らなかった。
天皇からすれば、責任を取れといわれれば取りもするが、責任を自覚せよといわれてもよくわからない、といいたいにちがいない。天皇だって「なりゆき」に翻弄されたひとりだったのだし、国民を支配しているつもりなどもとよりなかった。
日本列島には、「契約」の意識はない、関係はあくまで一方通行なのだ。
天皇はただ、国民が戦争をすることを赦していただけだ。赦さないで「戦争をしてはいけない」と天皇がいわねばならない責任も意思もない。
われわれ日本列島の住民は、天皇に責任取ってくれと要求できるような「契約」を天皇とのあいだで結んでいるわけではない。
われわれが一方的に天皇を祀り上げてゆき、天皇もまたそれを一方的に赦している。赦しているだけで、べつに祀り上げることを国民に要求しているつもりも、祀り上げられたいという思いもない。
天皇は、祀り上げてくれとたのんだ覚えはない、といっていいのだ。
そして国民も、戦争をしてくれと天皇にたのんだのではなく、自分たちが勝手に戦争をして天皇に赦してもらっていた、という思いがある。
大義名分がなんであれ、実質的には天皇が国民を戦争に駆り立てたなんて、じつは誰も思っていなかった。そういう「天皇のために」という大義名分をつくったのは国民自身であって、天皇ではない。そんなことくらい、誰もが知っていた。
天皇は、ただもう「赦す」存在として国民に祀り上げられていただけである。
まあ、そのような「いけにえ」として長い歴史を祀り上げられてきたのだ。
天皇は、西洋的な「神=ゴッド」という概念にも「支配者」という概念にもそぐわない。



天皇が責任をとって退位してくれないことには戦争が終わったことのけじめがつかない……まあこれが、戦後の左翼知識人たちの言い分だったのだろう。
そして多くの人たちが、「それはそうにちがいない」と思った。
それでも、そうならなかった。天皇は、そのあと40年以上在位し続けた。
それは、右翼勢力がそうさせなかった、というだけのことではあるまい。
この国には、そうはならないような幻想的な構造があるのだろう。
天皇自身だって、居座り続けたいと思っていたわけではあるまい。しかし、やめようともしない、というのが天皇の態度であり、すべては「なりゆき」に身をまかせるだけだ。
戦争が起きたことも同じだ。
誰も決めようとしないのがこの国の伝統である。「なりゆき」に逆らいたくないという意識があるから、小さいことは決めても、大きな問題であればあるほど決めたがらない。
それは、保身のためではない。そういう世界観なのだ。世界に対して無防備だからこそ、この世界は人間の力ではどうすることもできない「なりゆき」で動いている、と思ってしまう。
神が動かしているとも思わない。そう思うのなら、神におうかがいを立てればいいのだし、誰かが神になればいい。しかしそれは、西洋人の流儀だ。
この国の「なりゆき」という世界観は、神がこの世界をつくったとは考えていない。もともとそんな神など知らない民族なのだ。
けっきょく、その「なりゆき」で天皇は、戦後の40数年在位し続けた。
天皇の本音としては、戦後すぐにでもやめたかっただろうし、死刑にしてくれたってかまわない、という思いもないわけではなかっただろう。
それでも40数年、誰も何も決めないまま過ぎてしまった。天皇の晩年など、あんな老人にまだ天皇をさせておくなんてすごく残酷だなあ、と僕なんかは思ったくらいだが、誰も決めよう(=退位してもらおう)とはしなかった。
いまの天皇だって、早く楽隠居させてやればいいのに、なぜかそのようにはならない。
「いろんな事情がある」というのはたんなる言い訳で、ようするに決めたくないのだろう。
まったく天皇という存在は「いけにえ」だと思う。
どうして「いけにえ」に責任など要求できるものか。どうして「いけにえ」が責任を取らねばならないのか。



われわれは天皇に何かをしてもらいたいと思っているのではない。天皇はいてくれるだけでいい。だから、死ぬまで祀り上げる対象にしてしまう。
誰もが天皇を慕っているのに、誰も天皇の身になって考えていない。ただもう一方的に、勝手に祀り上げている。
天皇と民衆の関係は「契約」の関係ではない。たがいに一方的なのだ。
日本列島の住民が深くお辞儀をして挨拶することだって、たがいに一方的に相手を祀り上げてゆこうとする態度である。
一方的に相手を祀り上げてゆくことのよろこびがある。
相手が好きなってくれないとこちらも好きにならない、という「契約」関係が美しいか。
「祀り上げる」とは、一方的な心の動きであり、ときめきである。
人間が二本の足で立って向き合っていることは、相手が弱みをさらしてこちらを向いていることを忘れ、たがいに一方的にときめき祀り上げてゆく関係になることである。それは、弱みを見せることであり、弱みに付け込まないことである。そうやってたがいに無防備になって、ときめき合い祀り上げあってゆく関係である。
弥生時代奈良盆地の人々は、そのように生まれたばかりの子供のような無防備な心でときめき祀り上げてゆく対象として、天皇という存在を見い出していった。
人と人の関係は、根源的には一方的なものだ。
たとえ相手がこちらに無関心でも嫌いでも、好きなものは好きなのだ。そういう関係から人間の歴史がはじまっているのだし、そういうときめきを持てるのが人間の人間たるゆえんだろう。
人は、自分が無防備になれる対象を祀り上げてゆく。
弥生時代奈良盆地の民衆は、自分たちが無防備になれる対象として、天皇を祀り上げていった。



生き物は、根源的には世界に対して無防備な存在なのだ。無防備であればあるほど、世界は確かに鮮やかに認識される。
「死んでゆく」ということが定義の生き物は、世界に対して無防備な存在だから、「意識」を持つというかたちに進化してきた。
「死んでゆく」存在だから無防備になれる。生き物は、世界に対して無防備になってしまう本能を持っている。
そして人類は、そういう無防備なときめきによって知能や感受性を発達させてきた。
無防備なときめきを持ったことが、人類の知能や感受性が発達進化してくる契機になった。
天皇の起源は、生き物としての本能と通底している。
無防備な一方通行でときめき祀り上げてゆくということ、人間は、こういう心の動きを猿よりもダイナミックに持っている。
津波が襲ってきて、無防備に思わず見とれてしまう。それもまた、人間的な「祀り上げる」心である。東日本大震災であんなにもたくさんの死者を出したのも、そういう日本的な「祀り上げる」心が災いしたというケースも少なからずあるにちがいない。
天皇陛下万歳」と叫んで死んでいった特攻隊の兵士だって、最後はもう無防備な「祀り上げる」心を胸にあふれさせることが、その悲壮な決心のよりどころになったのだろう。そういうことだって、ただの右翼思想というだけではすまない「人間の自然」や「生き物の自然」がはたらいているはずだ。
たしかに戦前の天皇は、戦争遂行のシンボルだった。良くも悪くも日本列島の住民は、天皇を祀り上げてゆくことによって、生き物の本能としての死に対する親密さを紡いでいる。
右翼思想に染められていようといまいと、人間ひとりが死んでゆくことの重みというのはある。「天皇陛下万歳」と叫んだ特攻隊の兵士だって、ただ単純に喜んで死んでいったわけでもあるまい。そう叫ばずにいられないところに追い詰められていたということもあるし、天皇がそれを強いたというのでもない。
ただもう無防備になって何かにときめき祀り上げてゆくしかなかったわけで、そういう心の動きに、天皇という存在が有効に機能していた。
生き物が生きてあることの根源は、世界や他者を警戒しながら生き延びる戦略=本能をはたらかせることか。そうではあるまい。根源に無防備なときめきがあるからこそ、意識が発生し「認識する」というはたらきが起きてくるのであり、根源に無防備なときめきがあるから人間的な連携とか思考とか感受性が発達してきたのだろう。
弥生時代奈良盆地の人々はそういう人間性の根源=自然を生きたのであり、それがこの国の伝統になっている。
日本列島の住民が外来の文化を無防備になんでもかんでも取り込んで祀り上げてゆく習性は、天皇に対する無防備なときめきと甘えとも通底している。そして、生き物とはもともとそういう存在であり、原始人はそのようにして歴史を歩んできた。
幸か不幸か、日本列島の住民は、そういう原初のかたちを引きずっている。
「無防備」「甘え」「お姉さん」「祀り上げる」……これらの言葉が、天皇の起源を考える上でのキイワードだろうと思える。
さて、ここからどう考えていいのやら。
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