ああ、お姉さん・「天皇の起源」3



猿の子供は、母親が次の子を産めば、母親から離れてひとまず群れの一員になる。
人間だって3歳くらいまでのことはほとんど忘れているのだから、猿だったらなおさらで、猿には、「母を慕う」というような感情はないにちがいない。
そしてネアンデルタールやクロマニヨンも、おおよそそのような子育てのシステムだったから、やっぱり「母を慕う」というような感情はそう強くもなかったはずである。
そのころはもちろん父親が誰かということもわからない乱婚社会だったのだから、「父を慕う」という感情もなかった。
人類が「母を慕う」とか「父を慕う」というような感情を持つようになってきたのは、一夫一婦制が定着してからのことである。
日本列島において庶民のところまでその制度が定着していったのは鎌倉時代以降のことだといわれている。共同体(国家)が成立して少しずつそういう関係の制度が浸透していったのだろうが、弥生時代まではまだ、女が中心の乱婚社会だった。
子が親を慕うということは、それだけ親が子に執着してかわいがるということがあるからだろう。親は何かをしてくれる存在で、子供も何かをしてほしいと願う。なんだかこれは、人間と神の関係のようだ。
しかし日本列島には、そういう神との関係はなかった。それはつまり、そういう神との関係が生まれてくるような親子関係ではなかった、ということだろう。
弥生時代に、そういう濃密な親子関係はなかった。
そのころだってやっぱり、3歳くらいを過ぎれば、集落全体で育てるような習俗になっていたはずである。子供は、よその家でご飯を食べてくるというようなことはあたりまえにしていた。
子供には子供の社会があったし、母の愛を感じて育つ、というような習俗は、ずっとあとの時代になってからのことである。
子供が社会の荒波に出てゆくまでのあいだ母親にかくまわれて育つ、というような社会の仕組みでもなかった。3歳を過ぎた子供は、家よりも集落そのものが棲みかだった。
少なくとも弥生時代のころまでは、「親を慕う」という感情がそれほど強く自覚される社会ではなかったはずである。



弥生時代においては、3歳を過ぎればすでに社会(集落)の一員だったし、3歳までの記憶なんかほとんど残っていない。たとえ1歳2歳でも、母親に次の子供が生まれればもう、集落の女の子が子守りをすることを引き受けた。だから兄弟姉妹の親密さとかライバル意識もあまりなかった。
子供が最初に「慕う」という体験をするのは、子供社会の遊びにおいてだった。最初に遊んでくれる相手は、男の子だっておそらく女の子だ。
3歳くらいでは、まだ男の子どうしの乱暴な遊びにはついてゆけない。
そうやってまず「お姉さん」と出会う。
女の子が子守りをするのは、日本列島の伝統である。このような習俗は、戦後の10数年くらいまでは、あたりまえの光景としてあった。
これは、血がつながっているいないは関係ない。とにかく少し年上のお姉さんに遊んでもらいながら成長し、お姉さんを慕ってゆく。
女の子だってもちろん「お姉さん」と最初に遊びはじめるのだし、この関係は男の子と違ってずっと続く。
それに対して男の子は、やがて女の子の遊びに飽き足らなくなって、男の子どうしの遊び社会に参加してゆく。しかし、いずれ性に目覚めるときが来れば、またお姉さんに寄ってゆくことになる。
ペニスの勃起とか射精とか、性に目覚めるのは、じつは男の子の方が早い。そのとき同世代の女の子には、まだ初潮がきていない。
だから性に目覚めた少年は、ほとんど生き物の本能として、同世代以下の少女には興味がない。
性に目覚めた少年が慕ってゆく対象は、あくまで「お姉さん」である。
そして弥生時代は、お姉さんがセックスをさせてくれる社会だった。
そのころの男と女はほとんどが姉さん女房の関係で、女がリードして男にセックスをやらせてあげる社会だった。
若い男たちは、年下の少女に興味がなかった。であれば性に目覚めた少女だって、年下の少年を相手にするようになってゆく。
原始共産制の社会では、男のたくましさとか男の甲斐性などという価値意識は希薄だった。
で、大人たちがそういう姉さん女房の関係になっているのなら、少年と少女だって見よう見まねでそういう関係になってゆく。
おそらく、弥生時代でもっとも慕われていたのは、「お姉さん」という存在だった。
血がつながっているとかいないというのはあまり関係ない。男も女も「お姉さん」を慕っていた。
ネアンデルタールのころだろうと弥生時代だろうと、そのようにして「お姉さん」が慕われながら、女が主導権を握って社会が動いていた。



政治も階級も存在しない原始社会は、世界中どこでも女が主導権を持って動いていた。
日本列島の住民は、弥生時代になってから本格的に農業をはじめた。
それまでの縄文時代は、山や海辺で採集生活をしていた。
しかし女たちは、そのあいだに趣味のようなかたちで漆を精製するとか米をつくることなども覚えていた。
女は、すでに農業の心得があり、その技術はおそらく、女から女へと伝えられてきた。
縄文時代に男たちが伝統として蓄えてきた技術は、土木建築のことだった。
弥生時代になって人々は、盆地の平原に下りてきた。縄文時代にはそこは湿原だったのだが、その後の地球気候の乾燥寒冷化によって干上がってきたのだった。
そこに人が集まってきて、農業がはじまった。
男たちが田や畑をつくる工事をし、女たちが作物を育てる作業をした。
男たちは、あまり農作業をしたがらなかった。縄文時代の一万年のあいだそういうことをしてこなかったのだから、すぐには馴染めなかった。
したがって、収穫された作物の管理分配は女たちに主導権があった。それはつまり、集団の運営の主導権も女たちにあったということだ。
男たちは、あまり生産的ではなかった。そういう社会で男たちが主導権を持つことは不可能だった。
弥生時代にすでに階級が生まれていたと推測している歴史家は、おそらく男が率先して農業をしていたと考えているのだろう。
しかしたぶんそうじゃない。植物を育てることは、子供を産み育てることと似てなくもない。男が先にその行為に目覚めるということなど、原理的にあり得ない。
弥生時代の社会は女リードしていた。男女の関係も女がリードしていた。
そしてそういう状況でいちばん慕われていたのは、「お姉さん」という存在だった。



弥生時代奈良盆地のカリスマ的存在になっていったのは、「お姉さん」だった。
卑弥呼が実在したのかどうかわからないが、まあそういう存在だ。
しかし、「呪術=鬼道」によって君臨していたという魏志倭人伝の話は、信用できるかどうかはわからない。
ほんとうに、そのころに「呪術」があっただろうか。そのころの人々にもっとも必要だったのは、みんなで楽しめる「娯楽」だったのであって、呪術によって作物の生育が約束されるという考えは持っていなかったはずである。
彼らには、そういう約束をしてくれる「神」という概念がなかった。
そういう「神」という概念は、もっとあとの時代に大陸から輸入されたものにすぎない。
役(えん)の行者とか安倍清明などという呪術師が活躍してくるのは、奈良時代平安時代のことである。男が呪術師として登場してきたということは、それが新しい能力だったことを意味する。
「呪術=鬼道」は、大和朝廷成立以後に、おそらく陰陽道として大陸から輸入された。
原始神道における巫女とは神殿で舞い踊る存在だったのであって、「呪術=鬼道」が仕事だったのではない。
弥生時代卑弥呼のような巫女は、舞い踊ることによって「お姉さん」的なカリスマになっていったのだ。
人類社会において、最初に人々の心を癒す行為として生まれてきたのは、娯楽としての芸術・芸能であって、神に何かをお願いするとか神のお告げを聞くとか、そんなややこしいことではない。
弥生時代に神という概念はなかった。なかったから日本列島には「なりゆき」の文化が根付いていったのだ。
人は、神という概念を持っていたら、「なりゆき」という発想はしない。とうぜん、神にお願いをする。しかし日本列島ではそういうことなどしなかったから、「なりゆき」の文化が生まれてきたのだ。
「さきのことなどわからない」という気持ちで生きていたから「なりゆき」の文化が生まれてきたのであって、それを知っている神という存在を信じていたらそりゃあ神にお願いして知りたくもなるだろうが、神を知らない彼らは知りたいという気持ちもなかった。
日本列島では、奈良時代になっても「言挙げ(=神に祈ること)なんかするものじゃない」という生き方の作法としての社会通念があったくらいで、それでどうして弥生時代にはせっせと「言挙げ=呪術=鬼道」をしていたといえるのか。
言挙げをしないことは、日本列島の古代人のたしなみであり誇りであり美意識だった。



日本列島の住民が「お姉さん」という存在を慕うのは、ひとつの美意識であって、「お姉さん=神」に何かをしてほしいという意識ではない。
東日本大震災の被災者が天皇に対して精いっぱいの親しみをこめてつらい現状を訴えるのは、天皇に何かをしてほしいからではあるまい。ただもう、天皇に甘えているのだ。
弥生時代奈良盆地の住民だって、何かをしてくれる対象(=神)を求めたのではなく、甘えることのできる対象が欲しかったのだ。それが「お姉さん」という存在だった。
まあ、母親が「何かをしてくれる対象」だとしたら、「お姉さん」は「甘えさせてくれる対象」である。
母親に甘えるのとお姉さんに甘えるのとはちょっと違う。そして母親が甘えさせる態度とお姉さんが甘えさせる態度も違う。
母親は「何がしてほしいの?」と聞く。それは、母のやさしさであると同時に、子供を自分に従属させようとしている態度でもある。
「お姉さん」は、何もしてくれない。しかし、存在そのものにおいてすでに他者を赦(許)している。この気配に人は甘える。
日本列島の母親は「お姉さん」の部分も持っているから、この違いは混同されやすいが、基本的に母親は、子供が自分の手元から離れてゆくことを許していないし、さびしがってもいる。それだけ子を産み育てることに深く耽溺してきたのだから、それはもう当然である。
しかし「お姉さん」は、もともと弟や妹を所有していたわけでも従属させていたわけでもないから、先験的に赦している。言い換えれば、所有しようとも従属させようとも思っていない存在である。
母親は、そのつもりがあろうとあるまいと、不可避的に子供を所有し従属させてしまう存在になってしまう。
天皇は、そういう母親のような存在ではない。天皇は「何がしてほしいの?」などとはいわない。ただもう他者を深く赦している存在なのだ。
しかし、日本列島の「赦す」ということと神のいる国の「赦す」ということは、ちょっと違う。
神がいれば「罪」の意識が発生する。しかし日本列島には神などはいないから、基本的には日本列島の住民に罪の意識はない。罪を赦されたいのではない。ただもう生きてあることの「嘆き」が癒されたいだけだ。
日本列島の住民の生きてあることの「嘆き」は、罪の意識ではない。たぶんもっと生物学的な感覚なのだ。プリミティブな実存感覚というか、そういう部分の「嘆き」を癒してくれる対象として「お姉さん=天皇」という存在を見ている。



「この世に生まれてきてしまったことのいたたまれなさ」といえば、たんなる個人的な気分のように取られそうだが、僕は、これが生き物の生きてあることの根源的なかたちだと思っている。アメーバや、われわれの体から吐き出される精子の一匹だってそのようにして生きてある。アメーバも精子も「いたたまれなさ」として動いている。「いたたまれなさ」がなければ、動くということは起きない。
そういう「いたたまれなさ」を許してくれるというか癒してくれる存在として原初の人類は「お姉さん」という存在を見い出し、長いあいだ女権社会として歴史が動いてきた。
男が社会の主導権を持つようになったのは、つい最近の共同体(国家)の発生以降のことである。
人類社会は、遠い昔に二本の足で立ち上がったときから、すでに女権社会だった。
それは、オスとしてのアドバンテージがすべてご破算になってしまう姿勢だった。二本の足で立ち上がれば、誰も身体の強さを誇示できなくなるし、オスは隠れていたはずの性器を外にさらしてしまい、メスは外にさらされていた性器が股間に隠れるという逆転がそのとき起こった。
そうして人類のオス=男はもう、猿のとき以上に強くお願いしないとセックスをやらせてもらえない存在になった。
そうやって男女が逆転し、長く女権社会の歴史を歩むことになった。
そのとき人類は、猿のとき以上に「生きてあることのいたたまれなさ」を抱え込み、男は猿のとき以上にセックスがしたくてたまらない存在になったにもかかわらず、猿のとき以上に強くお願いしないとやらせてもらえない立場になったのだ。
で、男の「やりたくてたまらない」気持ちや「いたたまれない」気持ちを赦し癒してくれる存在として「お姉さん」が見出されていった。
原始社会はもう、女権社会であるほかなかった。
なのに、いまどきの歴史家は、「生き延びる戦略」だの「未来にたいする計画性」だのと「男の論理」で歴史が動いてきたかのように解釈してばかりいる。10〜3万年前のアフリカのホモ・サピエンスが世界中に旅して先住民と入れ替わっていったなどという説は、まさにこの典型の愚劣である。子を産み育てることに耽溺してしまう女が、そうそうむやみに旅なんかしようとするものか。そして原始時代の歴史は、そういう「女の論理」で動いてきたのである。



日本列島の住民がなぜ「天皇=お姉さん」という「甘えさせてくれる対象」を求めるかといえば、何かをしてほしいと思うのでも未来のことが知りたいと思うのでもなく、ただもう「いまここ」に生きてあることの「いたたまれなさ=嘆き」が癒されたいからである。
日本列島の住民は、ことのほかそうした生物学的な嘆きを生のまま抱え込んでしまっている民族である。
ようするにそれは原始的だということなのだが、われわれは「神」という衣装(意匠)を持たないまま素っ裸でこの世界に立たされている。だから、神に対する「罪の意識」は薄いが、生きてあることの「いたたまれなさ¬=嘆き」はことのほか切実である。
何かをしてほしいのではない。そういう「甘え」は、神という概念を持っている民族のものである。
第二次大戦後のユダヤ人は「神は何もしてくれなかった」と恨み、ユダヤ教を捨てるものもたくさんあらわれた。彼らは、神に甘えている。
日本列島の住民は、そんなことは思わない。
その「神は何もしてくれなかった」という世界的な潮流に乗っかろうとした左翼の知識人はともかく、ほとんどの民衆は「天皇は何もしてくれなかった」などという発想はしなかった。
日本列島の住民は、そういうことではなく、ただもうすがりついておいおい泣いてみたいのだ。
そういう「甘え」である。そしてそれは、人類の歴史を通じて疼き続けてきた普遍的な願いであり、生き物が生きてあることの根源のかたちにも通じている。
日本列島の住民は、「神の子」としてではなく、生物学的に天皇に甘えているのだ。
日本人だからというのではない。原初の生物において雌雄が発生したときの状況を反芻するようにして天皇に甘えているのだ。
まあ、だからこそきわめて他愛ない甘えだともいえる。
そういう「癒し」の対象としての「お姉さん」という存在のイメージが、人類の歴史の基底に横たわっている。
だから、原始社会は女権社会だった。
母こそが人類普遍の思慕の対象であり、それによって原初の女権社会が成り立っていた……というような歴史解釈はきっと嘘だ。
天皇は、日本列島の住民の「母」でも「父」でもない。
日本列島は「罪の意識」の上に成り立った社会ではなく、生きてあることの「嘆き」の上に成り立っている。そこから「天皇」という存在が生まれてきた。
べつに天皇が「お姉さん」だというつもりもないが、日本列島の住民はそういう祀り上げ方をしているということはいえそうな気がする。つまり、祀り上げるとはどういうことか、という問題である。
いまはまだ、あまり観念的なことはいいたくない。
「神に甘える」ことと「お姉さんに甘える」ことはちょっと違うんだよ、ということ。
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