「天皇制の起源」1



歳をとるとなぜ時間が早く過ぎてゆくのかということは、誰もが考える。
子供の体は日々成長している。昨日までは背伸びしても届かなかったところに今日は届くようになっている。身体能力そのものも成長している。意識は、みずからの身体を物差しにして世界を計量する。去年までは広いと思っていた道が、いまはそうでもないように感じる。
子供にとって、目の前の世界の位相は、昨日と今日とでは違うし、明日にはどのようになっているかということもわからない。自分の身体も目の前の世界も、「いまここ」で計量してゆくしかない。「いまここ」にしか確かな世界はない。
子供にとっての時間は、「いまここ」という点の連続として流れてゆく。
それに対して大人にとっての世界という空間のスケールは、昨日も今日も同じだし、明日も同じだという予測がつく。そうやって過ぎてゆく時間は、点ではなく、飴の棒のように延びてゆく。
身体の成長が止まる、ということは、どうしようもないことだ。
そして歳をとればとるほど、死を意識して、時間が早く過ぎてゆくことの嘆きも深くなる。
この飴のように延びた時間の向こうに、天国や極楽浄土がイメージされていったのだろう。
人類が、死ぬことがどんどん怖くなってきて、しかも寿命が延びたためにそうした時間意識とともに生きる余生の時間も長くなってきた。
おそらく、現代人ほど時間が早く過ぎていっていることを嘆いている人々も、かつてはいなかったのだろう。
われわれはそれを、ただ「しょうがない」とあきらめるしかないのだろうか。
しかしこれは、現代的制度的な意識でもある。
いまどきは、若者でも「時間の過ぎるのが早い」と嘆いている。
おそらく原始人は、現代人ほど大げさに嘆くということもなかったことだろう。
彼らは「いまここ」のなりゆきのままに生きていた。それが「点を打つ」という時間意識だろう。
時間が飴の棒のように延びてしまえば、死に対する実感がぼやけてきて、死が受け入れられなくなる。
死は、未来も過去も思わない「いまここ」で実感される。未来も過去もなくなることが死ぬことだろう。そういうかたちでしか死と親密になることはできない。
死に対する親密さ、これが現代人と原始人を分けているし、現代社会においてもこの親密さを持てる人と持てない人がいる。
それは、ちゃんと点を打って生きてきたかどうかということだろうか。
そういう原始的な心性がこの島国にはまだ色濃く残っている。
しかし残っているからこそ、飴の棒のように延びた時間の向こうに天国や極楽浄土をイメージしてゆくということがうまくできなくて混乱してしまう、ということも起きている。
共同体の制度性に馴染んで生きれば、どうしても時間は飴の棒のように延びていってしまう。そうなればもう、天国や極楽浄土のイメージにすがるしかないのだが、日本列島の住民はこのことがうまくできない。
そうして、いたずらに時間が早く過ぎてゆくことを嘆いている。
天国をイメージできる人は、そのことに対する嘆きや混乱も少ない。彼らはすでにその問題を解決している。しかし日本列島の住民は、どうしてもそのような解決の仕方ができない。
原始的な、この生は「いまここ」にしかない、という生命観の伝統があるからだ。この国の歴史は、そういうかたちで死に対する親密さを紡いできた。天国や極楽浄土のイメージによってではない。
それが、過去も未来も思わない「なりゆき」の文化である。
日本列島の住民が「なりゆき」の文化を育ててきたことには、それなりの自然や必然がはたらいているのだろう。もともと人類はそういうかたちで歴史を歩んできたのであり、それをいまだに引きずっているだけなのだ。
日本列島の住民ほど時間が早く過ぎてゆくことを嘆き混乱している民族もいない。
そして多くの識者が、「いまここ」に点を打ってゆくことにしか解決はない、という。口をそろえてそういう。日本列島には、そういうかたちでしか解決はないらしい。
「いまここ」にヴィヴィッドに反応しながら点を打って生きてゆくこと……まあみんなそんなようなことをいっているのだが、その一方で未来の人生設計をちゃんとしなさいなどというのだから、なんだか意味不明である。
とにかく、日本列島の住民が天国や極楽浄土をイメージしようとしても無理なのだ。それだけは言えそうな気がする。



ようわからん、と思うのだが、こういう考え方もある。
自分の死の時間をあらかじめ想定し、そこから逆算して残された時間を精いっぱい生きればいいのだ、といっている人がいる。
じゃあ、そう考えれば精いっぱい生きられるか。
その考えは、時間が飴の棒のように伸びてしまっていることを何も解決していない。
あと20年生きるから20年のあいだに何をしてとか、まあそんな計画を立てるのだろう。
しかし、たいていのことは計画通りにはゆかない。もう10年しか残されていないから、これだけのことに変更しようとか、妥協に妥協を重ねて生きてゆくのか。
途中で病気になって、「明日死にます」と宣告されるかもしれないし、何もできない余生をさらに10年生きなければならないということにもなる。
彼らには、10年20年という飴の棒のように延びた時間があるだけで、「いまここ」に対する意識は薄い。
吉本隆明とか内田樹という人は、「死から逆算して」という流儀の人である。
「死から現在を照射する」というのが口癖だった吉本氏は、おそらく死ぬまで歩くことができるという人生を想定していた。しかし伊豆の海で溺れてパニック症候群になって以来、歩くことがままならなくなってきた。だから、けんめいに歩けるようになる努力をしたのだが、努力すればするほど歩けなくなっていった。
人間の二本の足で立って歩くという行為は、背筋をまっすぐにすることの上に成り立っている。しかし、歩こうと焦れば、体は前のめりになり、やがて背筋や腰がどんどん曲がってゆく。晩年の彼の腰や背筋は、すっかり曲がってしまっていた。歩こうとしていつも前のめりになっていたからだろう。
おそらく、自分で自分の腰や背筋を曲げてしまったのだ。
いやこれは僕のたんなる推測だが、世の中にはそのようにして腰が曲がってゆき歩けなくなっていった老人がたくさんいる。
吉本氏だけは例外で避けがたい病気だったのだ、という人もいるかもしれない。それならそれでもいいのだが、とにかく世の中の老人の通例としては、歩こうと焦りながら歩けなくなってゆくのであり、その前段階として、痴呆症の「徘徊」ということも起きている。
彼らはみな、死から逆算した自分の人生をつくり上げようとしている。
原始人のように「明日死ぬかもしれない」という思いがあれば、そんな人生設計などできないだろう。もう「なりゆき」にまかせて生きてゆくしかない。
人類の直立二足歩行は、「なりゆき」まかせの歩き方なのである。体の重心を前に倒せば、足は自然に前に出てゆく。そのためには、背筋を伸ばして直立していなければならない。歩こうとして歩くのではなく、歩いてしまう身体作法なのだ。そういうことを、吉本氏はたぶんわかっていなかった。
死から逆算した人生設計をしている人にはわかるまい。
原初の人類は、目的地を想定して歩いていったのではない。ただ「なりゆき」まかせに歩いていっただけである。しかしだからこそ、どこまでも歩いてゆける能力を獲得したのだ。歩こうとしたのではない、ただもう歩いて行ってしまっただけだ。
原初の人類は、吉本氏やいまどきの徘徊老人のように、歩こうとして歩いたのではない。「歩いてしまう」という歩き方のタッチを獲得したのが、直立二足歩行の起源である。そしてこの歩き方を基礎にして、人間の思考や感受性が発達進化してきた。
まあ、能力のある人には設計通りの人生を実現することも可能なのだろうが、吉本氏は、「歩く」というもっとも根源的な部分で、人間の自然にしっぺ返しを食らった。少なくとも歩けなくなることは、吉本氏の人生設計にはなかったはずである。彼ほど散歩の好きな人もいなかったのだから。
僕は、吉本氏が死ぬまで散歩の楽しみを持ち続けることは可能だったはずだ、と思っている。だいたい、海で溺れてパニック症候群になってしまうということ自体が、吉本氏にとっては想定外だったことだろう。
観念によってみずからの人生をコントロールしてゆくことはある程度は可能だろうが、「自然」の部分は、そうそうコントロールしきれるものではない。だから彼は、運動神経が鈍かったらしい。
内田氏もまた、「死から逆算して」ということをよくいっていて、徹底的に自分の人生をコントロールしてゆこうとしている人である。そのくせ吉本氏と同じように「自然」としての身体操作はひといちばい下手くそだときている。彼の老後の人生航路がどのようになってゆくかは知る由もないが、少なくとも人間の自然においては、「死から逆算して」という戦略が有効だという根拠はどこにもないのである。
人類は、そんな「戦略」で歴史を歩んできたのではない。
それはまあ、共同体の制度性に染まって生きてきた人間が見つけ出した、ちょっとした悪知恵のようなものだ。彼らは、人間がすれている。そこのところを共感したり尊敬したりしている人ももちろん多いのだが。
目的地を想定して歩くというのは、「死から逆算して人生を設計してゆく」という思考である。それは、人間の本性(自然)ではない。人間はもともとそんな思考をする存在ではなかった。ただもう「なりゆき」で「歩いてしまう」存在だった。だからこそ、その姿勢を常態化することができた。
人類の直立二足歩行は、立ち上がろうとして立ち上がれる姿勢ではなく、歩こうとして歩ける姿勢ではないのである。
それでも人類は立ち上がってしまったし、歩いてしまった。すなわち「なりゆき」として。
日本列島の伝統の水源はどこにあるのかと問うなら、僕はもうここまでさかのぼるしかなかった。



僕は、日本列島の伝統の水源については、じつは高校時代からずっと考えてきたことで、このことを考えながら直立二足歩行の起源やネアンデルタールのことに興味を持っていったのだった。
そしてそれは、「人間の自然」について考えることだった。
また「天皇制の起源」という問題だって僕にとってはそういうことであり、僕は右翼でも左翼でもない。
したがって、政治思想を語ろうというつもりなどさらさらないし、もともと僕はそんなものなど持ち合わせていない。
それでも天皇制のことは、どうしても気になる。
人間の自然として、気になる。
人間の死に対する親密さはどこにあるのか、という問題として、気になる。
まあただの感覚的な物言いだが、現在、この国の天皇ほど死に対する親密さを体現している存在もない、と思える。
ヨイヨイのジジイに「死から生を照射する」とか「死から逆算して」などと言われても困るばかりだ。
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