女のカウンターカルチャー・源氏物語の男と女9


貴族の男たちによる「雨夜の品定め」という女性談義から啓発を受けたらしい光源氏はそれを実行に移してゆくが、次々に挫折してゆく。
たぐいまれな美貌の貴公子が、なぜ挫折し続けなければならないのか。
女とは本質において男を拒否している生き物である、と作者は言外にいっているのでしょう。そして読者の少女たちもそれに共感していった。
物語の女たちのこの拒絶のタッチはどこからくるのか、ということに対するわれらが吉本先生は探索は、どうもいまいち要領を得ない。「(それらの恋愛が)なぜ苦の色彩に塗られ、ただ男女の心理が行き違い、衰退をはらむように展開されるのか、その謎を知ることができない。知らないままに(読者は)すでにその世界におかれているのだ」などと解説されても、吉本が勝手に自分の文章術をまさぐっているだけのたわごとにしか聞こえない。
こういう場面の吉本の解説はもう、すべて、俗世間的な心理の駆け引きをくだくだしく語っているだけです。
しかし源氏物語の登場人物たちは、そうした俗世間的な心理や人格などというものは与えられていない。ただもう、「もののあはれ」の感慨のあやが書かれてあるだけです。つまり消失感覚・喪失感に浸されているときの心の動き、ということでしょうか。人は、そこから生きはじめる。その心で世界や人に反応してゆく。
それは、「生きはじめる意識」の世界です。そういう無意識的というかプリミティブな心の世界を、誰もが持っている。そしてそれが、最終的な死んでゆくときの意識でもある。
もののあはれを知る」ということは、何も宗教の「悟り」のような境地のことではない。子供や思春期の少女でも持っているのであり、大人よりもむしろ彼らのほうがたしかに持っている。おそらく、そういうところで女は男を拒絶している。
世の中には、他人の心理や人格とかかわるのがまめな人もいれば、そういうことにはうとい代わりに、心理や人格以前の心の動きに直感的に反応してゆくことができる人もいる。というか、誰もが、その両方の心の動きを持っている。まあ男と女のあいだでは、そうした無意識的な心の交歓がある。平安時代の宮廷の女たちは、そうしたプリミティブで最終的な意識のはたらきがとても鋭敏になっていた。
吉本はこれを「幼児的な敏感さ」と表現しているわけだが、それ以上のことは何もいってない。そのようにいうことができても、彼が接近できるような心の世界ではない。けっきょくは通俗的な心理の駆け引きの説明に終始しているだけです。



とにかくこの長尺の物語が3分の1を過ぎて光源氏が壮年になって落ち着き、その息子たちが恋の場面に登場してくるあたりからはもうちぐはぐな関係の恋ばかり描かれるようになってくる、と吉本は分析しているのだが、そんなことをいったって「ちぐはぐな関係」は最初からのことです。物語の最初に登場してくる空蝉も夕顔も藤壷も、ひたすら光源氏を拒否し怖がっていただけです。そうして空蝉は出家し、夕顔はもののけに取り付かれて死んでしまうし、たった一回のあやまちで光源氏の子を身ごもってしまった藤壷もお産のあとにそのまま衰弱して死んでゆく。
源氏物語は、べつに吉本のいうような「宮廷の華やかな恋模様」を描いて宮廷の子女たちからもてはやされていたのではない。人が生きてあることのかなしみといたたまれなさとともに男と女のどうしようもない「隔絶」をあはれに鮮やかに描いてみせたからこそもてはやされたのでしょう。
女子供は単純に「華やかな恋模様」をいちばんにあこがれていると決め付けるのは、まったく女子供をなめているし、女子供に対して鈍感すぎます。
吉本は、こんな言い方もしています。
「華麗な理想的な主人公の女性遍歴…(略)…(作者は)はじめは宮廷の子女たちにもてはやされる、抜群にすぐれた草紙を書き綴っていたが、年月を経るうちに何か自分の生のかたちに復讐するために、厳しく暗い世界を描きつづける執念に化していった」
それは作者のルサンチマンである、と吉本はいう。これだったら、なんだか紫式部が読者を置き去りにして暴走していったみたいじゃないですか。
そうじゃない、紫式部は最初から男と女の関係の不可能性の物語を書いていったのであり、おそらくそれによって自分を救済し、読者もそこに共感していった。べつに、物語が途中から違う展開になっていったというわけではないし、それによって読者からそっぽを向かれたというのでもない。吉本のいうとおりなら、とうぜんそうなりますよ。
いつの時代も思春期の少女たちは、吉本がなめてかかるほど単純な存在ではない。おそらく平安時代の宮廷子女の源氏物語ブームは、現代の少女たちが萩尾望都池田理代子の少女マンガの世界に熱中していったような現象だったのでしょう。
紫式部はきっと、つねに同時代の読者に対して語りかけ問いかけるようにして書いていたと思いますよ。そして、思春期の少女たちに支持されることによって、自分の中にもまだそういう感性が残っているということの慰めと救いになっていった。
吉本から見てどんなに「ちぐはぐな男と女の関係」であろうと、当時の読者にとってはこれもまたとても興味深い物語だったのです。女はみんな心のどこかで男を拒否しているのであり、思春期の少女はもっともそのことに自覚的な存在です。吉本にとっては途中から作者の語り口のポテンシャルが衰弱し凋落していっただけの話に見えても、おそらくそうじゃない、こういう話だからこそ、さらに熱い共感を呼んでいったのです。
源氏物語に、ラグジュアリーな恋物語なんかひとつもありませんよ。
思春期の少女はみな、それこそディズニー的な「白馬の王子様」の恋物語にあこがれているということで片付けられたらたまりません。1970年代の高度経済成長期の少年たちが「巨人の星」や「明日のジョー」にあこがれていたのをよそに、少女たちは、萩尾望都池田理代子が描く「男と女の関係の不条理・不可能性」や「人間が生きることそれ自体の不条理・不可能性」の世界に浸っていったのです。つまり、萩尾望都池田理代子はそのようなかたちで「もののあはれ=滅び」の世界を描いていた。
平安時代の男たちの権力闘争や浄土信仰の上昇志向の世界は「巨人の星」と同じでしょう。そして女たちは、そういう自己撞着的強迫神経症的な不自然な世界観から逃れたがっていた。あるいは、軽蔑していた。源氏物語は、思春期の少女のそうしたややこしい心模様を揺さぶる「もののあはれ=滅び」の世界を携えて登場してきた。
70年代の萩尾望都池田理代子の登場は、平安時代源氏物語の出現と同じ現象だったのかもしれない。そのころの女のフォークシンガーの山崎ハコ森田童子だって、表現していたのは高度経済成長に背を向けるような「もののあはれ=滅び」の世界だった。
もののあはれ」は、「今ここの死」を生きる、という世界であり、それが日本列島の歴史の風土だった。



今どきの少女漫画家の中には、恋などというものは男の世界の話だ、と思っている人もいて、そうやって「ボーイズラブ」という少年どうしのホモセクシュアルな物語が一部で熱狂的に愛読されたりしている。
平安時代は、男たちの権力闘争や漢文の教養の世界と、女たちの花鳥風月の歌やかな文字の文化と、男と女の文化が際立って分離していた時代です。女たちはそうした男の文化に対する拒否反応が強く、いつの時代にも増して男と女の関係の不可能性が意識されていた。とくに思春期の少女たちはそれを強く意識し煩悶していた。彼女たちにとって男と女の関係は、あくまで「受難」でしかなかった。
宮廷の子女たちは、より有利な結婚ができるようにと、小さいころかさんざん教養や芸事を仕込まれて育ちます。だからこそ、いろんな意味で男そのものや男の文化に対する拒否反応が育ってきてしまう。
なのに、源氏物語があらわれるまで、思春期の少女のそうした感性に訴える物語がなかった。「かぐや姫」の話だけでは物足りなくなってくる年ごろです。彼女らの前にはこの世界の現実があらわれてきている。できることなら、この世界の現実を素材にした物語が読みたい。そして彼女らは、女がこの世界の現実を生きることはきっと「悲劇」であるに違いない、と本能的に感じていた。
しかしまあ「かぐや姫」だって、男を拒否する物語です。そこから現在の宝塚まで、日本列島には男を拒否する少女文化の伝統があるのかもしれない。
思春期の少女は、男を拒否すること以前に、まとわりつかれることの鬱陶しさを強く意識している世代です。月々のさわりにまとわりつかれはじめたということもあるし、そうやって心は、この生やこの世界からはぐれてゆく。
女は、存在そのものにおいて男を拒否している。男を拒否しつつ、男を受け入れる。つまり心の動きがどんどん過敏になっていった平安時代の宮廷の女たちは、意識が、社会的存在であることから離れて、女であることの根源に届いてしまっていた。そこから、紫式部源氏物語が登場してきたのです。それはもう、男を拒否する物語になるほかなかった。
まあ生き物のメスは、本能的にオスを拒否する生態を持っている。
思春期の少女だって、無意識のところでそういう本能に呼ばれているのかもしれない。
女にとって男との関係は、悲劇なのです。セックスのときだって、悲劇そのものの表情と声であえいでいるわけで。
その喪失感から女の心は華やいでゆくのであり、それが「もののあはれ」です。
おそらく、源氏物語の魅力というかカタルシスは、その「悲劇性」にある。カタルシスに導くようなあはれで鮮やかな書きざまになっている。それはもう、人間性の根源の問題であるはずです。
吉本ごとき俗物の上滑りした勝手な解釈など、冗談にもならない。



平安時代の宮廷人たちは、「もののけ」の気配にまとわりつかれ追いつめられて、どんどん神経過敏になっていった。そういう空気に囲まれて育った少女たちの心はもう、女であることの根源に届いていた。現実世界の前に立たされた彼女らは、男にまとわりつかれることに対する拒否と恐怖を本能的に持っており、そういう感性に訴えて源氏物語が登場してきた。
敏感になることは、根源的な「生きはじめる意識」が露出してくることであって、世の中のことがあれこれよくわかるということではない。むしろ、世の中のあれこれのことなんかどうでもよくなってしまう。そういう世の中からはぐれてしまった感性で女たちが世の中を生きるとどうなるかということを描いていったのが源氏物語です。
平安時代の宮廷の女たちの心は、自分にまとわりついてくるものとしての世の中からも生きてあるということからもはぐれてしまっていた。もう、避けがたくはぐれていったし、はぐれていかないと生きられなかった。そういう心を宥める物語として源氏物語が登場してきた。



紫式部は、父親の仕事の都合で、思春期になってから地方(今の新潟あたり)に移って暮らし、そこで結婚しています。そうして30代で未亡人になり、都に戻って藤原道長の娘のそばに仕えた。
だから、宮廷世界を客観的に眺める視線を持っていたし、その視線で道長の娘を観察しながら、思春期の宮廷の娘の感性に訴える物語を構想していった。彼女らはもう、いやおうなくやがて宮廷世界という現実と向き合わされることになるのだが、そのことに対する拒否と恐怖が無意識のところではたらいていることが紫式部にはよくわかったし、そういう感性を宥める物語がまだつくられていないという現実があった。
もののあはれを知る」とは、世の中からも生きてあることからもはぐれてしまっている心から生まれてくる感性です。源氏物語は、そういう感性にはたらきかける物語として構想されていった。
まあ時代の流れとして、平安時代の宮廷の少女たちのあいだでそういう感性がきわまっていったわけだが、それはまた「生きはじめる意識」としての人間性の自然=根源の問題であり、最終的な「死んでゆく意識」でもあったわけです。
少女たちはもう、大人たちや男たちのような「自分」や「社会」や「この生」に執着してゆく趣味などなかった。そしてそれこそが人間性の自然としての「生きはじめる意識」であり「死んでゆく意識」であり、「もののあはれ」だった。



現在この国では世の中に居座って幸せに生きるための女性論や人生論が花盛りになっているが、それはまあ自己撞着の上昇思考に邁進してきた戦後社会の男文化の焼き直しなのでしょう。いまどきはそうやって多くの女たちも世の中やこの生の中に閉じ込められてしまっており、そこから心が停滞し衰弱してくるという病理もあらわれてくる。もしかしたらそれは、源氏物語が生まれてくる前夜の状況と同じかもしれない。
だから、社会に出る前の思春期のギャルたちの心はもう、どこかはぐれてしまっている。そこから「かわいい」の文化が生まれてくる。「かわいい」とときめきながら、世の中からもこの生からもはぐれてゆく。
彼女らのミニスカートは、はぐれてしまっていることの表現かもしれない。はぐれてしまわないと、生きられない。彼女らは、大人社会の秩序に吸収されてしまうことのおそれがあって、そのはぐれてしまっていることのひりひりした感触を生きている。
この国ではつねに、男の文化に対する女のカウンターカルチャーが機能してきたのかもしれない。そうやって「和歌」が生まれ「ひらがな」が生まれてきた。仏教だけではなく、つねにそれに拮抗するように神道に対する関心も維持されてきた。
男の上昇志向や自己撞着や制度意識に対する、女による、自分からも社会からもこの生からもはぐれてしまった「もののあはれ=滅び」の意識。本居宣長はそれを、「からごころ」と「やまとごころ」、といった。
現在のギャルのミニスカートは、現代社会に対するカウンターカルチャーであり、「やまとごころ」であり、「もののあはれ」なのでしょう。それは、男の性欲を拒否し、自分もまた性欲とは無縁になっていることの表現になっている。男の性欲と上昇志向がつくっている既成の文化(=社会秩序)に対するカウンターカルチャーです。
ボーイズラブの少女漫画は相変わらず流行っているそうだが、これは、恋愛などというものは男どうしのあいだでしか成り立たないということで、男と女の関係に対する不信感が広がってきているということでしょうか。世の大人たちが描く予定調和の男と女が愛し合う世界など信じられない。
まあ、そうやって女によるカウンターカルチャーがいつのまにか生まれてくるのが日本列島の文化の伝統なのでしょう。



現在のこの国では、裸になって抱き合っても最後の一線は越えないというルールのフーゾクシステムがある。そんなルールが成り立つのは、男のがわにも、男と女の関係の不可能性に対する認識が無意識のところにあるからかもしれない。そういうこの国独自の「もののあはれ」の関係性、いずれにせよそれは、女の心の世界から生まれてきた文化です。
日本列島では、つねに女のがわからのカウンターカルチャーがはたらいてきた。女の文化は、死に対する親密さの上に成り立っている。そうやって女は、衰弱してゆくことができる。だから、年をとることを怖れない。
年をとれば誰だって衰弱してゆくのだが、男はそれを、女よりももっと怖れている。体の痛みに耐えられないというのも、まあそういうことです。
女の心は、この生からもこの社会からもはぐれてゆく。女は、衰弱し滅んでゆくことと和解できる。源氏物語の女たちは、そうやって死んでいった。
女は、死と和解できない男の文化を拒否する。社会が死と和解できない文化に覆われてくると、カウンターカルチャーとして死と和解する女の文化が突出してくる。最初それは女たちだけの文化として機能しているだけだが、やがて男の世界にも浸透してゆく。
日本人は、「今ここで消えて行く=もののあはれ」というかたちでしか死と和解できない。そうやって宗教以前のところで死を解決しているし、宗教以前のところでしか死を解決できない。それが「もののあはれ」です。
つまり日本列島の歴史においては、宗教によって死の問題を解決してきたのではなく、女が生まれながらにして持っている「もののあはれ=今ここの死」の感慨にリードされながら解決してきたのです。
平安時代の宮廷の女たちの「もののあはれ」の感慨は、やがて武士階級の「無常感」として受け継がれ、ついには日本列島全体を覆っていった。なぜなら、もともと縄文以来そういう世界観・生命観・美意識で歴史を歩んできた民族だからです。
おそらく、戦後社会の反動=カウンターカルチャーとして70年代ころから起きてきたマンガをはじめとする女による「もののあはれ」の風俗文化が、現在のギャルのミニスカートや「かわいい=ジャパンクール」の文化になっているのでしょう。
まだまだ自己撞着の上昇志向が主流の時代だが、それでもあちこちに「もののあはれ」の感慨が露出してきている。
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