女を追いかける・源氏物語の男と女6


源氏物語は、吉本隆明がいうような「光源氏の近親相姦願望の物語」とか「自然との調和と和解の物語」でもない。
吉本の個人的な観念世界に押し込めてそのように決め付けているだけのこと。
また、源氏物語はすでに近代文学のレベルに達しているといっても、べつに近代文学がえらいというわけでもないでしょう。
その時代だからこそ生まれ得たという必然性があり、時代を超えて女たちの共感を呼ぶ普遍性もある。
平安時代の宮廷社会は、日本人が歴史上もっとも迷信深くなっていた社会です。その迷信に浸されながら、男も女もどんどん衰弱していった。衰弱してゆきながらしかし女たちは、そこから女であることや人間であることの普遍を見出していった。
女が男を拒否することだって、人間性の自然なのです。女にとって男は、心や体にまとわりついてくる「もののけ」であり、それはもうどうしようなく普遍的にそうなのです。
吉本隆明は、男と女が愛し合うことを人間性の自然だと思っているらしい。まあそういう陳腐でステレオタイプの思考しかできない人だからしょうがないのだけれど、それに対してこの物語での紫式部は、女に愛されることなんか当てにしてくれるな、女は男を愛するのではなくその場のなりゆきで受け入れているだけだ、といっています。平安時代の宮廷社会の女たちは、迷信に浸され衰弱してゆきながら、そういう人間性の自然を見出していった。
日本人は迷信に浸されると、なぜこんなにも他愛なく衰弱していってしまうのか。しかし女たちは、衰弱しながらなぜ迷信を対象化し人間性の自然を掬い上げてゆくことができたのか。
それは、女たちの迷信深さが男たちの世界から照射された受動的な体験であったことと、日本人はもともと宗教とは無縁のメンタリティで文化を洗練させてきた民族だったことによるのでしょう。
権力闘争に明け暮れる宮廷社会の男たちは自分から進んで迷信深くなっていったし、さまざまな迷信をつくり出している当事者だった。それに対してそのそばにいた女たちは、男を受け入れその病理に伝染され衰弱してゆきながらも、心のどこかで男を拒否しつつその病理を対象化していった。そういう情況から紫式部が登場し、源氏物語が生まれてきた。
そのとき女たちは「自然と調和し和解していった」のではない。自分が生きてあるというその自然からはぐれていったのであり、その「あはれ」という喪失感に人間性の自然を見出していった。
まあこのような心模様は、吉本のような自己撞着の強いナルシストにはわかるまい。



平安時代の宮廷の女たちは、男たちの権力闘争の世界から照射されてくる「もののけ=悪霊」という迷信にどんどん追いつめられ、衰弱していった。彼女らはもう、ふとした風の気配にも「もののけ」を感じ、この生やこの身体にまとわりついてくるのを感じていった。
その「もののけ」には名前も姿かたちもなかった。「まとわりつかれている」という鬱陶しさというか追いつめられている心地そのものが、「もののけ」が存在することの証しだった。
女たちには、そういう日常感覚があった。
もともと女は、まとわりつかれることの鬱陶しさには、男よりもずっと敏感な生き物のはずです。まあ、毎月の生理という「もののけ」にまとわりつかれながら生きているわけですからね。そうやって聴覚や嗅覚や触覚(皮膚感覚)が男よりも敏感です。男の趣味だって、声が嫌いだとか匂いが好きだというようなことをいったりする。そのとき男の声や匂いは、自分にまとわりついてくる「もののけ」になっている。
そういう感性で、どんどん姿かたちのない「もののけ」に敏感になっていったわけで、男たちのようにただ政敵の怨霊がどうのというレベルではなかった。
このことを吉本隆明はこういっています。
「主人公をはじめ、登場人物たちは、愛恋の挫折や病気や死や出産の場面に立ちあうとき、いつも物の怪や怪異におびえ、つきまとわれる。このふたつはもともとそう簡単にむすびつけられる理由はないのだが、すくなくとも『源氏物語』の世界では、ぬきさしならない因果の連鎖をつくり上げている。そして物の怪はこの世界を緊密な骨組みで接着させる材料になっているとさえいえる」
問題は、どうして「このふたつはもともとそう簡単にむすびつけられる理由はないのだが」というような言い方をするのかということです。
この人は女の気持ちがわかっていない人だ、ということでしょうか。たとえば、産後の肥立ちが悪ければ、とうぜん何かの「もののけ」にまとわりつかれているからだと思うでしょう。男たちの政治の世界では何もかも「政敵の怨霊」ということにしてゆくとしても、女たちの生活場面においては、それこそ「声」や「匂い」に対する感覚のように名前も姿かたちもないひとつの「けがれ」として意識されてゆくのです。
簡単に結びつくじゃないですか。ちょっと考えればわかることなのに。
ちょっとの不幸でも、それをきっかけに、自分はもう生きられない運命に支配されてしまっているのだと追い詰められていったりしますよ。それは、自分のこの生は「けがれ=もののけ」にまとわりつかれている、という意識です。平安時代の宮廷人たちは、簡単にそういうところに追いつめられていった。
なんでわからないのかなあ。
まあ「女の気持ちがわからない」というよりも、自己撞着のナルシストだから、他人の気持ちそのものがわからないのです。自分の気持ちをまさぐることばかりして生きているのだもの。この人の批評は、いつもそうやって自分の観念世界を物差しにしてあれこれ分析したりしているだけなのです。
自分を捨てて紫式部平安時代の宮廷人の心の世界に飛び込んでゆくということなど、ぜんぜんできていない。そうやってわかっているのは自分の心の世界だけであって、けっきょく源氏物語に描かれた人間の普遍=自然にぜんぜん気づいていない。
「このふたつはもともとそう簡単にむすびつけられる理由はないのだが」だなんて、ちょいと口がすべった、ということかもしれないが、みごとにこの人の鈍感さと傲慢さが露出してしまっている。なんにもわかっていない、ということをみごとにさらしてしまっている。
源氏物語のこの世界観・生命観を、吉本は「作者の独創である」というのだが、そうじゃない、当時の宮廷の女たちはすでにそういうものを共有していたのです。そういう時代のそういう世界だったのです。
紫式部の独創性は、そういう世界観・生命観をつくり上げたことにあるのではなく、それを人の心の普遍にまで昇華して表現して見せたことにあります。女たちが「もののけ」に追いつめられていたのは宮廷世界がすでにそういう情況になっていたことであり、紫式部はそれを「この生からはぐれてしまう<もののあはれ>の心模様」として昇華し表現していった。



まとわりつく「もののけ」から逃れようとすれば、もう消えてしまうしかない。「もののあはれ」を思うことは、ひとつの消えてゆく作法です。「もののけ」に深く追いつめられていたからこそ、「もののあはれ」を思う心が鋭敏になっていった。
「あはれ」は、平安朝の歌の世界の根幹の美意識として発展していったのだが、それはつまり、男であれ女であれ、政治の世界から離れたところに身を置いていたものたちの美意識だったということです。
政治の世界には、「もののけ」だけがあって、消えてゆく作法としての「あはれ」がなかった。だから、いつまでも怨霊につきまとわれるし、自分たちも、死ぬことは消えて行くことではなく、死んだら浄土に行くという死後の世界の信仰にすがっていった。
政治の世界の「もののけ」はけっして消えない。それは、消すのではなく、退散させる、という方法論しかなかった。そういう堂々巡りが繰り返され、その世界から身を隠していたものたちによって「あはれ=消えてゆく」という心の作法が見出されていった。
自分が「消えてゆく」というかたちでしか「もののけ」から逃れるすべはなかった。
出家や隠遁もまた、ひとつの「消えてゆく」作法だった。
心や体が衰弱してゆくこともまた「消えてゆく」作法だった。
消失感覚および喪失感覚、それがこの生のはたらきであると気づきながら、「あはれ」の美意識が育っていった。それはもう、歴史の必然だった。
源氏物語が書かれているころにはもう「もののあはれ」という言葉は流通しており、紫式部がそれを人間性の普遍に届く美意識へと昇華させた。
それまでの「物語」は、歴史を記述した文書(ノンフィクション)と女子供のなぐさみとしての創作話(フィクション)とのふたつの分野があった。紫式部は、このふたつを統合しながら、より完成された人の心の真実と美の世界をつくり上げていった。ただの「そらごと」のようで「そらごとではない」世界。「まこと」の歴史を語っているふうを装いながら、じつは独立した「そらごと」の世界。そういう世界をつくり上げたかったのでしょうか。



「蛍の巻」では、光源氏と少女の玉鬘が物語談義をするのだが、けんめいに物語に肩入れする玉鬘に対して、光源氏は「物語などどうということもないさ」という調子で、最後は、「よくいへば、すべて何事も、むなしからずなりぬやと、物語を、いと、わざとの事に、の給いなりつ」というかたちで終わります。
「しょせんすべてがむなしいといえばむなしいし、むなしくないといえばむなしくない」……というようなニュアンスでしょうか。
もしこの場面の光源氏のせりふが作者の気持ちを代弁しているとすれば、べつに卑下しているのでもなんでもなく、「もののあはれ」を知ってしまったものの本音でしょう。
生きてゆくことは消えてゆくことだ、ということ。べつに歴史文書がすべての真実を語っているわけではないし、「そらごと」の物語に真実がないのでもない。かといって人間はどうしても生きねばならないという存在でもない。この生は「もののあはれ」とともにある。その「消えてゆく」ということを抱きすくめてゆくところに生きてあることの真実がある。
紫式部日記』でも、「なるべく自分を消して生きてゆくことにしよう、そのほうが人との関係もうまくいくし」というようなことを書いています。
このことを吉本隆明がまた「近代の芸術家のような自分を仮装してしまおうとする告白」などとちんけな分析をしているのですが、自分を消そうとすることはべつに「仮装」することでもなんでもなく、それが「もののあはれ」のタッチなのですよね。自分を消そうとすることは自分の本音であり、日常生活の場面で他人と向かい合って、自分の個性を見せつけたいなどとは思わない。まあ、わずらわしいときは呆けたふりをしているのがいちばんだし、愉しければ自分なんか忘れてしまう。
そしてたぶん、源氏物語を書くことだって、吉本のように自分をまさぐり骨身をけずるような作業だったのではなく、苦とも思わないで熱中していただけかもしれない。ああいう尋常ならざる描写力というのは、あんがい苦心惨憺したからといってできるものでもないのかもしれない。専門家じゃないからよくはわからないが、なんかもう自由自在で、紫式部はあの鮮やかな描写力を基礎体力として持っていた、というだけじゃないのですか。
源氏物語にはなぜ1000回以上も「あはれ」という言葉が出てくるのか。それはきっと、作者の消失感覚や喪失感覚が無意識のうちに反映しているのでしょう。



源氏物語の女たちはみな、言い寄ってくる男に対して拒否や恐怖の反応を見せます。それは普遍的な女の生理であり、吉本がいうような「作者の意識の投影」でもなんでもない。作者はもう、自分を捨てて、あくまで無名の語り部に徹している。
そして物語は、最初から暗い影を帯びて、源氏の女遍歴といっても、空蝉・夕顔・藤壷と次々に女から拒絶されてゆきます。
しかし吉本は、それはそれで「感性的な調和と自然との和解を持った華麗な遍歴の姿」だという。
最初の、身分が低くて亭主のいる空蝉はもう、困惑しきって拒絶し続けます。どうせちょいとつまみ食いされて捨てられるというのはわかりきっていることです。どんなに光源氏をまぶしく眺めても、受け入れることなんかどうしてもできない。そうやって女の気持ちをもてあそぶことなんかしないでくださいと泣きながら訴え続ける。
夕顔は、セックスするために廃屋に連れてこられ、そこに突然あらわれた悪霊に呪い殺されてしまう。
藤壷は、不倫の子を産まされたあげくに、世間の冷たい視線を浴びながらどんどん衰弱して死んでゆく。
だが吉本は、女たちのこうした受難などどこ吹く風で、「感性的な調和と自然との和解を持った華麗な遍歴の姿」が描かれている、といけしゃあしゃあという。
源氏物語は、最初から宮廷の子女の大人気になったらしいのだが、この子女たちは、どんな思いで、そうした次々に起こる女の悲劇を読んでいたのでしょうか。自分もあんな男に口説かれてみたいと思ったのでしょうか。そうじゃないでしょう。そこに登場する女たちのその傷ましさにこそ、自分の生の嘆きを投影できる何かを感じていった。そしてそれを感じさせる筆力や構想力を紫式部が持っていた。
最初から「華麗な女性遍歴」でもなんでもないのですよ。光源氏だろうと女たちだろうと、生きてあることのいたたまれなさの中で必死にもがき続けている。
なのに吉本からすると、光源氏は「女性との優美な交渉ぶり」を持った「おおらかで遊興的な」男なのだそうです。こんなステレオタイプな見方しかできないこの粗雑で残酷な脳みそはいったいなんなのでしょうか。ひとまず女の身になってみる、ということがどうしてもできないし、する気もない。女なんてこういうものだと決めてかかっている。
もうあえていってしまうけど、吉本の中に、女に対するどす黒いルサンチマンがうごめいているのですよ。そしてそれは、過去に女にもてたとかもてなかったというような問題ではない。もてたって女に対して鈍感で残酷な男はいくらでもいるし、振られてばかりいても無邪気にあこがれ続けている男だっている。
たぶん吉本は、人間そのものにどす黒いルサンチマンを抱えているから、あのような自己撞着の強いナルシストになっていったのでしょう。そうしてその自己撞着で、人にやさしい人格者を演じ続けていった。
すべりだしのストーリーが「理想の地位と資質を持った美貌の主人公がさまざまな女性を遍歴して歩くという説話的な結構」だなんて、恐ろしく鈍感で残酷な分析ですよ。そんなおとぎ話じゃない。
女が読めば、女の受難を読み取りますよ。そしてそうした受難=悲劇に自分を仮託していったのでしょう。



壮年になった光源氏は、ひとまず色好みをやめてしまう。
この変化を吉本はこう語ります。
「おおらかで微妙な情念のふるえをも見逃さずに女性たちとかかわる光源氏の華麗な姿…(略)…それがひとりでに感性的な調和の世界になっており、愛恋の喪失さえも喪失と感じさせずに、自然との和解になっている、あの手さばきを独りでに喪ってしまっている」
何を粋がってかっこつけているんだか。それまでの光源氏は、最初から「感性的な調和」などどこにもなかったし、「自然との和解」もできずに、「喪失感」で胸の中をいっぱいにして生きてきたのですよ。そういうこの生からはぐれてしまったような「もののあはれ」の感慨は、鈍感なナルシストである吉本にはわからない。
「愛恋の喪失さえも喪失と感じさせず」だなんて、どうしてこんな鈍くさくて虫のいい解釈ができるのだろう。光源氏はもう、そのつど喪失感で胸をいっぱいにしながら生きていられないほどに嘆きまくっていただけです。そうやってすべての登場人物を生と死の境に立たせてゆくところが源氏物語の構想の魅力になっているのでしょう。
しかし吉本にとっては、みずからのこの批評作品がかっこよく決まるためには、この物語の最初のストーリー展開は、何がなんでも彼がいうところの「説話的な理想の宮廷の人々の恋物語」だということにしておきたいらしい。
源氏物語の現代語訳をした谷崎潤一郎は、源氏という男はどうしても好きなれない、と語っている。吉本にすればそれに対抗して客観的な場に立って見せたつもりだろうが、じつは、自分の都合のいいように勝手な光源氏像を捏造するという、谷崎よりももっと意地の悪いことをしている。
とにかく吉本は、「もののあはれ」とは正反対の観念でこの物語を批評している。「自分=自我」の「あはれ」という生のかたちなどは、この人にはまったく無縁であるらしい。「自分=自我」の充足こそこの人が目指す地平であり、それがそのまま戦後社会の活動の中心的なコンセプトであると同時に病理にもなっている。
つまり、その病理がきわまったところに平安時代の宮廷社会の情況があったわけです。そこから女たちは「もののあはれ」という消失感・喪失感のカタルシス(=みそぎ)を見出していった。そうやって彼女らは死と和解していった。
源氏物語は、「自然との和解」の物語ではなく、「死との和解」の物語なのですよ。それはもう、あの時代のあの社会においては、女にしかできないことだったし、女たちは痛切にその必要を感じていた。男たちの浄土信仰という時代の情況をはるかに抜き去っている源氏物語の出現はたしかに唐突な事件だったが、それはそれで歴史的な必然でもあった。
世界はいつだって女たちにリードされている。
女は、自己喪失の向こうがわで死と和解し、そこから心が華やいでゆく。そこから生きはじめるし、そうやって衰弱しながら滅んでゆきもする。
まあ、男の中にだってそうした女性性というのはあるはずなんですけどね。なぜなら男は、けんめいに女を追いかけている存在だから。
男のエロス(性衝動)とは、男を見せびらかして女に寄ってこさせることではなく、けんめいに女を追いかけることにある。そんなことは当たり前のことだけど、そうやって人間なら誰の中にもそうした「女性性」が潜んでいるわけで、そこにおいて人は死と和解してゆく。まあ源氏物語は、光源氏をそのような男として描いているのではないでしょうか。
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