ラグジュアリーな世界・源氏物語の男と女10


とりあえずここでは、源氏物語を通じて、平安時代の宮廷の人々は死の問題をどのようにとらえていたかということについて考えてきました。
おそらく、現代社会そのものが、あのころの貴族社会のような様相を呈している。
この国の戦後社会も、人々の暮らしはどんどんラグジュアリーになっていった。そうして、あのころの貴族社会と同じように、死の問題を解決できない情況になっている。
人間は、もともと死の問題を解決している存在だった。「死んでもかまわない」と思っているような行動習性で歴史を歩み、進化してきた。しかし氷河期明けに共同体(国家)がつくられてゆくとともに支配層というラグジュアリーな暮らしをする層があらわれ、そこにおいて死の問題が解決できなくなって神や霊魂や死後の世界といった概念をもととする宗教が生まれ、それにすがるようになっていった。
日本列島では、こういうことが世界の歴史よりずっと遅れて平安時代の貴族社会において本格化してきた。そして現代の戦後社会も、それと同じような歴史過程が、日本人全体のレベルで起きてきた。
戦後社会は、「意志」や「欲望」を持つことが人間の本質であるかのような合意で歩んできた。古代の大和朝廷だって、民衆などほったらかしにしながら「意志」や「欲望」を野放しにした権力闘争に邁進してきた。その結果、勝ち誇ってラグジュアリーな暮らしを得た貴族たちが、しかし心の中は、どんどん「もののけ」に追いつめられていった。それはもう、「意志」や「欲望」をスローガンに経済発展にまい進してきた戦後社会の情況と同じだと思えます。
自分の「意志」や「欲望」に執着するということは、自分に執着するということです。そういう自己撞着こそ、貴族社会の政争のすさまじさであり、現代の戦後社会のダイナミズムでもあった。
そして吉本隆明はそういう自己撞着の時代の先頭ランナーとして「戦後最大の思想家」などとまつりあげられてきた。この『源氏物語論』も、まさしく人間をそのような存在だと規定し、紫式部は自己撞着でこの物語を書いていたという語り口に終始しています。そんな解釈で、源氏物語が表現しているものに届くはずがないし、男と女の関係の本質にも人間性の本質にも届くわけがない。もう、いやになるくらい下品で卑しい視線の書きざまです。
源氏物語は、死の問題を解決できなくなって右往左往している男たちの文化のカウンターカルチャーとして登場してきた。それが「今ここの死」という「もののあはれ」の美意識であり世界観です。日本列島には、すでにそのような美意識・世界観が生まれてくるような歴史風土があった。



もののけ」に追いつめられていた平安時代の宮廷社会は、人間社会としてひとつの危機的な情況だった。それはつまり、死の問題を解決できなくなっていたということです。貴族たちは、庶民を置き去りにしてさんざん摂関政治の政争に明け暮れてきた結果として、屠り去ったはずの政敵の「もののけ=怨霊」にどんどん悩まされていった。
政敵は、死んでも死に切れずに「もののけ=怨霊」になっている、と彼らは思った。だとしたら、自分たちもまた、死んだら亡霊になってこの世をさまよわねばならない、ということです。
どんなに栄耀栄華を極めても、貴族の男たちは、死の恐怖におびえていた。
そして女たちはけっして男たちの世界とかかわろうとはせずに、あくまで花鳥風月の歌の世界を生きようとした。源氏物語は、たくさんの歌が挿入された女の世界の物語でもあります。
女は、根源において男を拒否している。そういうことが露出してきた時代でもあった。
女だって男とかかわって生きているのだから、とうぜんもののけにまとわりつかれる心になってゆく。「まとわりつかれる」という心の動きに関しては、もともと女のほうが過敏だった。しかしそこから女たちは、男を拒否しながら、死の問題を解決する心の世界を見出していった。それが「もののあはれ」です。



当時の宮廷の少女たちの夢・あこがれは、天皇をはじめとする貴人たちの后になることではなかった。それは彼女たちの人生に敷かれた既定のレールであったが、そのことに対する拒否や恐怖の思いが大いにあった。その思いを癒し宥めてゆく歌物語として、源氏物語が登場してきた。彼女らの夢あこがれが貴人の后になることであるのなら、源氏物語はもっとのうてんきな物語になったはずだし、言い換えれば源氏物語が生まれてくるはずもありません。そんな夢あこがれですむのなら、世間ずれした女房たちが宮廷社会で折々に語って聞かせている既成のハッピーエンドやサクセスストーリの物語でじゅうぶんだったのです。
しかし紫式部は、少女たちの心はそんな単純でのうてんきなところにはない、と知っていた。自分がかつてそうだったし、藤原道長の娘の教育係(女房)をしていたこともあって、むずかしい年ごろなのだということは、誰よりもよくわかっていた。そういう少女たちのための物語がなかった。もう、貴人の后になれば人生はめでたしめでたしですむ時代ではなくなっていた。貴人の后こそ、男たちの権力闘争のあおりを受けて、もっとも「もののけ」に追いつめられている女たちで、そういう女の象徴として「六条御息所」というみずからも怨霊になってしまう東宮の后が描かれている。貴人の后になるからこそ精神を病まねばならない。そういうことも、紫式部はよくわかることができる立場にあった。そうして、まとわりついてくる「もののけ」からの解放として、宮廷世界全体の女たちが「もののあはれ」の感慨を持ちはじめていることも、はっきりというか切実に感じていた。
現在の皇后や皇太子妃だって、「もののけ」に追いつめられて失語症になったり神経衰弱になったりしているわけじゃないですか。



もののあはれ」は、「今ここ」において「消えてゆく」というかたちで死と和解し親密になってゆく心の世界です。
女はもう、本能的に死と和解し親密になってゆこうとする衝動を持っている。平安時代の宮廷社会はどうしてもそういうことが必要になってきていており、それに答えるものとして源氏物語が登場してきた。紫式部がどこまでそれを意識していたかはわからないが、きっと書かずにいられない思いがあったのだろうし、それを待ち望んでいる時代の空気を無意識のうちに感じていたのでしょう。
とにかく「もののあはれ」の世界を表現したかった。そしてそれは、必然的に男を拒否している女の世界になるほかなかった。
もののあはれ」は、政争に明け暮れて死の問題を解決できなくなっていった王朝の男たちの文化に対する、ひとつのカウンターターカルチャーだった。
いつの時代も人間社会がカウンターカルチャーを持っているのは、男と女の社会であるからであり、男と女の心はけっして同じになってひとつになってゆくということはないからです。女は根源において男を拒否している。だから、女によるカウンターカルチャーが生まれてくる。そうしてそれは、やがて男たちの心の中にも浸透してゆく。つまり、ひとりの人間の中にも対立する二つの心模様があるということです。それが、雌雄を持った種の心の必然的ななりゆきなのでしょう。
平安時代の宮廷では死の問題を解決できなくなっていったからこそ、死の問題を根源において解決している「もののあはれ」の文化が生まれてきた。おそらく日本人は、縄文時代以来、そうやって死の問題を解決してきたのです。そのメンタリティを再発見し、王朝的に洗練させていったのが「もののあはれ」の文化です。



もののあはれ」の感慨は、生きるためのものではない、死と和解し親密になってゆく感慨です。人はそこから生きはじめ、そこで死んでゆく。
日本人は、死後の世界を思い描くことによって死の問題を解決してきたのではない。「今ここ」において「消えてゆく」ことの心の華やぎとともに死の問題を解決してきた。
男たちの「浄土信仰」では、けっして死の問題は解決されなかった。ますます執拗に「もののけ=悪霊」にまとわりつかれ、死が怖くなってゆくばかりだった。
「今ここにおいて消えてゆく」というかたちで死と和解し親密になってゆくメンタリティが伝統の風土になっている日本列島では、死後の世界があると信じてゆくことは、必然的に、死んだあとも亡霊となってこの世界をさまよわねばならないという想念を生み出してしまう。
日本人にとっては、極楽浄土も地獄も、しょせんは絵空事で、届きそうで届かない世界です。そうして届かないまま、亡霊となってこの世界をさまよっている、という想念に浸されてゆく。平安時代の宮廷人がそういう心の世界に入っていって以来、日本人はもう、現代にいたるまでずっと「幽霊を見る」という体験をしなければならなくなった。
東北大震災の被災者の多くが「幽霊を見た」という体験をしているのです。
日本人が死後の世界を信じてしまうと、この世界をさまよっている幽霊=亡霊にしかならない。なぜなら、「今ここにおいて消えてゆく」ということの文化を心の華やぎとして持ってしまっているから、それとのかねあいで死後の世界を信じてゆけば、どうしても極楽浄土や地獄までたどり着けなくて「今ここの幽霊」になるしかないのです。
日本人はこの千年間、ずっと「幽霊・亡霊」に悩まされてきたし、悩まされてきたからこそ、カウンターカルチャーとしてずっと「今ここにおいて消えてゆく」という「もののあはれ」の感慨も持ち続けてきた。それを持たないと生きられない民族なのです。
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