霊魂の起源・「漂泊論B」9

ふまれても消えぬ霊魂の憎らしさ(鬼鬼)
やせがまんしてさかさまにおちてゆく(虫虫)
うたかたの歌唄ううたたねの歌唄い(魚魚)
戻り道戻らぬ犬の影ひとつ(月月)


     1・「霊魂」の歴史は、それほど古くはない
人類はどこでどのようにして「霊魂」という概念を発見したのか、ということを、われわれはまだちゃんと考えていない。
アマゾンやボルネオ奥地の原住民も「霊魂」を知っているといっても、彼らだって現代人なのである。5千年前の古代人とも1万年以上前の原始人とも違う。彼らも、われわれと同じ現代的なホモ・サピエンスの遺伝子を持っている。その遺伝子とともに「霊魂」という概念も彼らのところまで伝わっていった可能性がある。どこかしらで、そういう動きがあったかもしれない。
近代になってもまだ旧石器時代のような暮らしをしていたアフリカの孤島の住民が、「遠い昔に白い肌をした救世主があらわれた」などという伝説を持っていた、という例もある。
人類は、地域ごとに違う文化をはぐくんでいると同時に、いつの時代もつねに地球全体を覆う共通の意識のかたちというものもある。安土桃山時代の日本列島とヨーロッパはほとんど交流はなかったが、それでも何かしら共通の時代意識があった。それはもうアマゾンやボルネオの奥地でも同じで、そういう地球全体を覆う時代の気分のようなものがある。人間とは、そういう生き物だ。それぞれの地域が固有の文化を守り育てていても、たちまち地球全体に伝播し広がってしまう気分のようなものもある。
そのようにしてあるときから地球全体で、「霊魂=永遠」という意識とともに、死が怖い、永遠に生き延びたい、という空気になっていった。
「霊魂の永遠」というイメージを持ってしまった人類は、死を拒否して生きるほかない存在になってしまった。
人類の歴史における「死が怖い」とか「生き延びたい」という意識は、共同体(国家)が生まれ、その支配者の意識として本格化してきたのだ。
そうして「霊魂」という概念を発見した。
平安時代の支配者たちは、必死に永遠の生を願っていた。そこからやがて、その意識が庶民のレベルまで下りていった。
古代のエジプトかメソポタミアの支配者に芽生えたその意識が、やがて世界中に伝播していった。たぶん、アマゾンやボルネオの奥地の原住民にまでも。
それは、共同体(国家)の制度性によって肥大化してゆく意識だ。であれば当然、それを掌中にして身体化している支配者のところから芽生えてくるに決まっている。
そうしていまどきの市民社会では、誰もがその「死の恐怖」を身体化している。


     2・命のはたらきは「身体の危機」から生まれてくる
原初の人類は、二本の足で立ち上がることによって、自然界の生き物としての生き延びる能力を失った。
それは、きわめて不安定な姿勢であり、しかも胸・腹・性器等の急所を外にさらしてしまう姿勢でもあった。
それでも、二本の足で立ち上がり、いったんは猿よりも弱い猿になった。そうして逃げ隠れしながら、地球の隅々まで拡散していった。
逃げ隠れすることが、人間の本性である。
原初の人類は、逃げ隠れしながらひたすらセックス=繁殖に励んでいったために、猿よりも弱い猿でありながら生き残ってくることができた。
人間は、二本の足で立ち上がることによって、猿のレベルを超えた繁殖力を持った。
つまり原初の人類は、自然界の生き物としてはかんたんに死んでしまうしかんたんに殺されてしまう存在だったがそれを上回る繁殖力を持っていた、ということだ。
原初の人類は二本の足で立ち上がることによって生き延びる能力を獲得したのではなく、逆に生き延びる能力を喪失したのであり、つまり、二本の足で立ち上がることによって生き延びようとする衝動を強くしたのではなく、生き延びようとする衝動を捨てて死ぬことと和解してゆく心の動きを持つ存在になった、ということだ。
そのようにして人類は、「死」を自覚する存在になった。
死と和解してゆくことこそ、人間の本性(自然)である。
生き延びようとする衝動を捨てたからこそ、逃げ隠れしながら地球上のあちこちの住みにくいところ住みにくいところへと拡散していった。
生き延びようとしていたら、たとえば氷河期の北ヨーロッパというような、そんな住みにくいところに住み着いてゆくということはしない。そこは、原始人がかんたんに死んでしまう土地だったのである。それでも、それを上回る繁殖力で彼らは生き残っていった。
死と和解していたからそこに住み着いてゆくことができたのだし、そこに住み着いていったことによって人類の生命力(知性・感性・身体のはたらき)は飛躍的に発達していった。
生命力とは、生き延びようとする衝動のことではない。生き延びようとすることを捨てて(忘れて)死と和解してゆくところで生命力が豊かに花開くのだ。
原初の人類にとって二本の足で立ち上がることは、生き物として「身体の危機」に遭遇する体験だった。しかし、「身体の危機」は、生き物の生命力をうながす。
意識は、基本的には、痛いとか暑い寒いとか息苦しいとか腹が減ったとか、「身体の苦痛=危機」に気づくかたちで発生する。
そして身体もまた、「身体の危機」を克服してゆくかたちで働いている。「身体のはたらき」とは、「身体の危機の克服」なのだ。われわれは、そのようにして息をしている。
生き延びようとして「身体の危機を避ける」のではない。身体の危機を克服し、身体の危機を生きることが、命のはたらきなのだ。
命は、「身体の危機」においてしかはたらかない。
人類の命のはたらきは、「身体の危機」を生きるようになったことによって、よりダイナミックになっていった。


     3・「霊魂」は人間の本性から生まれてきたのか
人間の身体は、その根源・自然において「無力性」と「受苦性」を負っている。
われわれは身体の無力を思い受苦を思いして生きているわけだが、しかしそれが人間の命のはたらきのダイナミズムや、知性や感性の豊かさになっている。
身体の無力性と受苦性を負っている人間は、身体を忘れようとする心の動きを持っている。身体の無力性と受苦性を克服することは、身体を強くし身体の快適の中にまどろむことではない。身体を忘れる(=身体を消す)ことだ。それが人間の、「身体の危機」を生きる作法である。
身体の無力性と受苦性は人間の生の与件であり、われわれはつねにそういうかたちで存在している。そうして、そのしんどくて鬱陶しい身体の存在を忘れることの繰り返しが、この生のいとなみになっている。そうやって人は、我を忘れてこの世界や他者にときめいてゆく。そうやって身体を忘れてゆくことが、この生のダイナミズムなのだ。
「身体の危機」を生きているから、命のはたらきのダイナミズムが起きる。
身体の強さと快適を生きたら、命のはたらきは痩せ細る。
身体の無力性と受苦性が与件である人間は、その根源・自然において、身体を忘れようとする衝動を持っている。これが、問題なのだ。
人間は、執着しまさぐり続けていられるような身体も自分も持っていない。
そこでだ。身体を忘れて身体を消してゆくのが人間のいとなみであるなら、身体の上に観念を置いて、観念だけで生きてゆこうとするのは人間の自然であるか、ということになる。
観念だけで生きてゆくことを覚えたことによって人間は、身体から離れた「霊魂」という概念を持った。
その契機になったのが、「共同体(国家)」の出現であり、その「制度性」とともに「霊魂」という概念が生まれてきた。
共同体の制度性は、「こうしてはいけない」とか「こうしなければならない」という規範の上に、観念=霊魂によって身体=行動を支配してゆくシステムである。そういう制度性に心が染まってしまって、観念=霊魂だけで生きてゆくことになる。
もともと原始人は、「身体の危機」とともに身体忘れる(消す)作法で生きていた。
それに対して共同体の制度性は、身体を支配しつつ「身体の安全」を確保してゆく。そうやって人類は、観念=霊魂だけで生きながら、身体を忘れる(消す)のではなく、身体の安全を確保して身体に執着してゆくようになっていった。


     4・観念=霊魂で身体を支配してゆく
観念=霊魂だけで生きることは、身体をまさぐり身体に執着してゆくことである。観念=霊魂が身体から離れることによって、身体をまさぐり身体に執着してゆく。
幽体離脱した意識が自分の身体を観察しているようなものだ。われわれの意識は、「身体の危機」に遭遇すると、そういう心的現象を引き起こす。つまり、身体を消せなくなったときの最後の手段としてそういう状態になる。
死が間近に迫れば、誰だって身体のことが忘れられなくなる。死にそうになって苦痛が極限まで達したときに、身体のことを忘れよといっても無理な話である。
で、緊急避難として、幽体離脱してゆく。それは、自然としての身体を忘れる(消す)ということができなくなったことによるあくまで病理的な現象である。
瀕死の病人でもないくせにそういう体験をするとしたら、それは、霊感があるからではなく、身体を忘れる(消す)という、人間の自然としての命のはたらきが貧弱だからであり、すでに心が、観念=霊魂によって身体を支配してゆく制度性に色濃く染められてしまっているからだ。
宗教もまた、そのように自然を喪失した制度性のひとつにほかならない。
宗教の修行であろうと何だろうと、そういう作為的なことが人間の自然であるはずがないじゃないか。
身体を解き放って自然に還るとは、身体を忘れて身体が消えてゆく体験のことをいうのであり、少なくとも原始人はそういう作法で生きていた。
したがって、原始時代に「霊魂」という概念はなかった。彼らは、永遠に生きる「霊魂」よりも、「消えてゆく身体」をよりどころにして生きていた。
共同体(国家)の出現を境にして、人類は、「身体の危機」とともに身体を忘れてゆく生き方から、観念によって身体を支配しながら身体の安全を確保してゆく生き方に変わっていった。そのようにして「霊魂」という概念が生まれてきた。
現代人は、観念=霊魂で生きているからこそ、身体をまさぐり身体に執着して生きている。
身体の安全を確保してゆくのが生きる流儀であるのなら、死が怖くなるに決まっている。
原始人は、「身体の危機」を身体とともに生きていたからこそ、身体が消えてゆく体験を生きてあることのよりどころにしていた。身体が消えてゆくことがよりどころだったから、死が怖くなかった。彼らにとって身体が消えてゆく体験である死は親密なものだった。そしてそれは、現代社会で暮らすわれわれの中にも引き継がれ息づいているところの人間の自然であり、普遍的な本性なのだ。
原始人は死が怖いと思っていたわけではないし、生き延びたいという意識がもてるほどの生き延びる技術や知識を持っていなかった。
人間が身体を忘れよう(消そう)とする存在であるとしても、「霊魂」という概念を知らない段階の原初の人類が「霊魂」という概念を持つようになることは、それほどかんたんなことではないはずだ。
彼らはあくまで「身体の危機」とともに「身体の消失」をよりどころにして生きていたわけで、「霊魂の永遠」をイメージする契機を持たなかった。
素直に死を受け入れて生きている存在が、そうかんたんには「霊魂の永遠」などというイメージを持てるはずがない。それは、身体の死に絶望し、観念が身体を支配して観念の優位を意識して生きるようになってはじめて浮かんでくる。
それは、共同体(国家)があらわれてから芽生えてきたイメージなのだ。


     5・「霊魂」と死の恐怖
現代人は、死の恐怖から逃れることに絶望している。
多くの人が死におびえている。おびえたまま憔悴しきって死んでゆく人がたくさんいる。
ターミナルケアといっても、恐怖を紛らわせる方策が主たるテーマで、問題の解決など、半ばはじめからあきらめている。
いまどきはたいてい、憔悴しきってあきらめるのがやっとこさの解決になっているだけだ。
「死を受け入れる」とは、どういうことだろう。
「霊魂の永遠」を信じれば解決される、というわけにはいかないだろう。
人間が「霊魂」という概念を持つのは普遍的なことで、人間の歴史とともに意識され続けてきた……などというのは大嘘だ。
人間の本性は、そんなことを意識するところにあるのではない。
死が親密なものであった原始人の心は、われわれの中にも息づいている。
人間がこんなにも死を怖がる存在であるということも、「霊魂」という概念を持ったことも、何かの間違いなのだ。
べつに知能が発達したから死を怖がるようになったのではない。死を怖がることは、知能が発達していることの証しでもなんでもない。たんなる共同体の制度性の問題なのだ。
人間は「死」を知っている存在であるということは、死を怖がる存在であるということではなく、死に対する親密さを持っている存在であるということを意味しているだけだ。われわれの知性も感性も快楽も、そこから生まれてくる。
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