死に対する親密さの文化・「漂泊論B」5


     1・大切なのは「生き延びる」ことではない
けっきょく人間には、食い物よりも大事なものがある。
人と人の関係がうまくいかなければ、われわれは生きてゆけない。
われわれは、人と人の関係をよりどころにして生きている。人に対するときめきが人間を生かしている。
たとえ原始時代であっても、食い物の問題だけでは歴史のつじつまは合わない。
根源的には、人間にとって食い物すなわち「生き延びる」ことは二の次の問題であり、「いまここ」でこの世界や他者にときめいていられるかどうかということ、そういう快楽の問題こそ、人類の歴史を動かしてきたもっとも大きな契機なのだ。
人間は、遊びにうつつを抜かす存在であって、生き延びるために一所懸命に働くのが本性であるのではない。
働かないと生きてゆけない世の中だから働くしかないのだが、人間がそのことに邁進できる本性を持っているといわれると、ちょっと困る。この世の中にはちょっと困る人がたくさんいるし、僕もその一人だ。
人間は、生き延びようとしている存在ではない。
猿よりももっと弱い猿であった原初の人類は、生き延びる未来のことは忘れて「いまここ」をけんめいに生きながら生き残ってきたのだ。
生き延びようとあくせくしている人間よりも、「いまここ」を夢中で生きている人間の方が命のはたらきのダイナミズムを持っている。
意識が生き延びる未来にばかり向いているということは、それだけ「いまここ」の命のはたらきが希薄になっているということだ。そうやって人は、体の動きが鈍くさくなり、人にときめかなくなり、知性や感性も陳腐なものになってしまう。人間は、それらの「命のはたらき」がいきいきしたものでありたいと願っているのであり、「生き延びる」ことを後回しにしてでもそういう存在でありたいのだ。
原初の人類は、そうやって生き残ってきた。生き延びる未来など勘定に入れないで生きていたからこそ、豊かな命のはたらきが起きて生き残ってくることができたわけで、まあ、生き延びる未来を勘定に入れることができない立場の弱い猿だった。
けんめいに「いまここ」に立ちつくそうとしたから、命が豊かにはたらいた。そういうパラドックスとして原初の人類は生き延びてきたのだ。
生き延びようとしたのではない。
この世のもっとも強いものともっとも弱いものは、生き延びる未来など勘定に入れていない。前者は勘定に入れる必要がないし、後者は勘定に入れることができない。彼らは、そんなことを忘れて「いまここ」を生きている。
現代社会では、その中間の中途半端な連中が、あくせく生き延びようとしている。そして、死を怖がって悪あがきしている。
現代生活は衣食住のたのしみにもっとも大きな比重がかかっていて、そういう観念で原始人を未発達な存在だと規定している。現代人は悠々と衣食住をたのしんでいるが、原始人はそれをけんめいに得ようとしていた、と。
衣食住のたのしみこそ人類史の達成だと現代人は思っている。
だが、それは違う。
原始人は、衣食住すなわち生き延びる未来など勘定に入れないで生きていた。それは、彼らが「この世のもっとも弱いもの」として生きていた、ということだ。彼らにとって食いものは二の次の問題だったし、生きてあることは「遊び」であり、死は親密なものだった。
死が親密なものであることによって、命は豊かにはたらく。
衣食住の充実によってでも、生き延びようとあくせくすることによってでもない。


     2・鈍くさい運動オンチの武道論
縄文文化とは、旅の文化であり、死に対する親密さの文化であった。
人間は、死を怖がる観念的制度的な心と、死に対して親密な無意識を持っている。
人間の自然は、死に対する親密さにある。
原始人は、現代人よりもずっと死を怖がらなかった。だから人類は、地球の隅々まで拡散していった。べつに、死を怖がる心で住みよい土地を求めて拡散していったのではない。
死ぬことなど勘定に入れずに、住みにくいところ住みにくいところへと拡散していったのだ。
そのように、死ぬという「未来」を思わないのが、人間の自然にほかならない。
生き延びようとする衝動は、人間の自然においてははたらいていない。
人間性の基礎とか人間の自然ということを考えるとき、人間は生き延びようとする存在であるという前提で考えると必ず間違う。その思考にあれこれ矛盾が生まれてきて、奇妙な収拾の仕方をしなければならなくなる。
いまどきは、内田樹とか上野千鶴子とか、生き延びることを価値にして考えている俗物の知識人は多い。
たとえば内田氏は「武道においては、勝とうとする気持ちを捨てて体の動きは体にまかせてしまうことによってスムーズな体の動きが生まれる」といっておられる。それはまあいいのだが、そこから「武道とは生き延びるための身体作法である」という結論を持ってくる。まったく、鈍くさい運動オンチが、何をいってるんだか。
「勝とうとする」ことは、生き延びようとすることだろう。生き延びようとしたら、身体はスムーズに動かない、ということだ。だったら武道とは、生き延びるためではなく、生き延びることを断念する身体作法だ、ということになる。
で、内田氏は、その矛盾を収拾するために、「勝つためのものではなく、<負けない>ためのものだ」などという理屈をでっちあげてくる。「生き延びる」という自分のスケベ根性を正当化しようとして、いうことがもうシッチャカメッチャカである。そういう自分勝手な「収拾の論理」ばかりでっちあげているから、彼はいつまでたっても武道の達人になれない。
勝つも負けるもどうでもいいのであり、人間は体をスムーズに動かそうとする衝動を持っているというだけのこと、そこに生きてあることのカタルシスがあるから、武道という技芸が生まれてきたのだ。
現在、世界中の文明国でさまざまな武道が普及している。それは、文明人がスムーズに体を動かせなくなってきているからだろう。
人間が体をスムーズに動かしたいのは、生き延びるためではない。身体のまわりの「空間」とともに身体の孤立性を確保しながら「いまここ」に消えてゆこうとしているからだ。そういう快楽が、人間の命のはたらきになっている。それは、生き延びようとしているのではなく、死に対する親密さから生まれてくる。
現代人の無意識は、そういう快楽=カタルシスを欲している。
身体がスムーズに動くこと、すなわち武道とは、身体が「いまここ」に消えてゆく体験なのだ。
身体がスムーズに動くとき、人は、身体のこと(=生き延びること)を忘れている。
人間は、死に対する親密さを本能的無意識的に持っている。
身体がスムーズに動く体験を知らない鈍くさい運動オンチにかぎって、なんだかわけのわからない「負けない」だの「生き延びる」だのという通俗的なへりくつをでっちあげてくる。
武道とは、生き延びるための身体作法ではなく、いつ死んでもいいという心の上に成り立った身体作法である。
武道の達人は、いつどこでも死ねる心構えを持っている(はずだ)。そういう心構えから、スムーズな体の動きが生まれてくる。
おまえらみたいな鈍くさい運動オンチにはわかるまい。
というわけで内田氏は、矛盾だらけの自分の論理に対する奇妙な収拾の仕方ばかりしているくせに「自分は正しい」という信念はひといちばい強いのだから、まああきれる話である。
人間の本性を「生き延びようとする衝動」で語ると、その論理がぶれまくって必ず奇妙な収拾の仕方をしなければならなくなる。
これは、いまどきの文科系インテリ全般にいえることかもしれない。
その論理では、縄文時代は語れない。
縄文人は、死に対する親密さとともに、死という「未来」を思わない生き方をしていた。
現在の古人類学だって、「直立二足歩行の起源」にしろ「人類拡散」にしろ「言語の起源」にしろ、「生き延びるため」にどうしたこうしたといっているだけである。
そんな問題意識では、突っ込みどころ満載の矛盾だらけの論理になって、人間の自然にも原始人の生態にも迫れない。


     3・人間は、猿よりももっと根源的な自然に遡行してゆく
生き延びようとすることなど、人間の本性でもなんでもない。
縄文人ネアンデルタールの社会に、そんなスローガンはなかった。
彼らの生存には、「もう死んでもいい」というカタルシス=快楽があった。
生き物は死んでしまう存在としてこの地球上に発生したのだから、生き延びようとすることは、生物としての自然に矛盾する心の動きである。「もう死んでもいい」と思うことこそ自然であり、そういう自然に遡行してゆくかたちでカタルシス=快楽が発生する。
生き物の意識は、「生き延びよう」として発生するのではない。死んでしまう命=身体に対する「苦痛」として発生する。
意識は、基本的には、身体の苦痛に気づく装置である。
したがって、身体の苦痛が消えてゆくこと、すなわち身体の存在を忘れてしまうことがカタルシス=快楽になる。
意識は、身体の存在を忘れようとする。
生き延びようとして身体の存在に執着してゆくことは、生き物としての自然ではない。
そして人間は、猿よりももっと生き物としての自然に遡行しようとする衝動を持っている。
原初の人類が二本の足で立ち上がることは、猿よりももっと弱い猿として、さらに根源的な自然に遡行してゆく現象だった。
生き物の根源にまでさかのぼれば、生き延びようとする衝動などはたらいていないのだ。
生き延びようとするから、死が怖くなる。死の恐怖とは、生き延びたいという心の動きのことだ。
生き延びたいと思っても、それでも死は必ずやってくる。そしてそれは必ず遠い未来であるとはかぎらない。次の瞬間かもしれない。われわれは2、3分も息をしないでいれば死んでしまう。死は「いまここ」の背中に張り付いている。
生き延びようとする観念的制度的な心の動きが希薄だった縄文人にとって、死は親密なものだった。
縄文人だけでなく、世界中の原始人がみなそうだったのだ。
人類は、700万年の歴史のうちの699万年以上を、死を親密なものとして生きてきた。
死を親密なものとして生きるのが「人間の自然」なのだ。そしてその心の動きは現代社会を生きるわれわれの胸の奥にも息づいており、その心の動きで人は、恋をしたり冒険をしたり体を動かしてスポーツをしたり学問や芸術に熱中したりしているのだ。
生きてあることのカタルシスは、身体を忘れてしまうことにあり、「もう死んでもいい」と思うことにある。


     4・「もう死んでもいい」というカタルシス
1日に50キロも60キロも山歩きができるなんて、一種の武芸である。
縄文人はそれだけ身体のことを忘れて歩き続けることができた、ということだ。
そんなにも歩けば、疲れないはずがない。疲れてもなお身体のことを忘れて歩き続けることができた。
なぜ身体のことを忘れることができたかといえば、生きてあることに執着していなかったからだ。
心の奥で「もう死んでもいい」というカタルシスを汲み上げながら歩いていたのだ。
身体(=足)のことを忘れて歩いているとき、われわれはどこかしらでそういうカタルシスを汲みあげている。
つまり「もう死んでもいい」という状態において、命が豊かにはたらいている。
そのようにして縄文人にとって死は親密なものであって、怖いものではなかった。
ターミナルケア」とかなんとか、現代人にとって「死の恐怖」は大きな問題であるが、人類の歴史のほとんどは死を親密なものとして動いてきた、ということを知っておいても無駄ではあるまい。
それは、昔の人は死んだら天国や極楽浄土に行けると素直に信じていたから、とか、そういうことではない。
人間の本性として、死に対する親密さがはたらいている、ということだ。
そういうことを、縄文人は教えてくれている。
どこかのアホのように「武道とは生き延びるための身体作法である」などといっているかぎり、現代人はいつまでたって悪あがきして死んでゆかねばならない。それだけではない、その前段階においても、人は生き延びようとすることによって「心の動き=命のはたらき」のダイナミズムを失うのだ。そうやって、たとえば認知症になっていったりする。
生き延びようとするとは、死を否定する心である。しかし生き物は死を宿命づけられて存在しているのであり、死を肯定することの上に生き物の意識の自然がある。そして二本の足で立っている人間は、猿よりももっとその根源の自然に遡行してゆくはたらきを持っている。人間の「心の動き=命のはたらき」のダイナミズムは、そこにこそある。
人間が二本の足で立って歩くことは、死に対する親密さの上に成り立った身体作法である。縄文人とはそういう人間の自然を豊かに持っている人たちだったのであり、そのようにして日本列島の文化の基礎がつくられていった。
というわけで、そこのところを考えてみたいのだが、今のところその展望があるわけではない。
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