原始人の小さな旅「漂泊論」88

     1・自己の不在を生きる
人と一緒にいて楽しければ、別れたくなくなってしまう。
われわれは、楽しいときや生きた心地がするとき、未来の時間を思わない。「いまここ」にとどまろうとする。生き延びようとなんかしない。
人間は、生き延びようとする衝動など持っていない。
人間は、生きた心地を得ようとする。生きた心地を得ながら生きている。生きた心地を体験できなければ、生きていられない。
そして生きた心地を得ているとき、未来の時間を思うことを放棄している。
生きるとは、生き延びようとしないことだ。われわれは、生き延びようとしていないときに、生きた心地を体験している。
この生が充実しているのなら、生き延びようとなんかしない。
ひたすら「いまここ」にとどまろうとする。
「いまここ」に消えてゆこうとする。つまり、自分忘れて何かに夢中になっているときのそういう消失感覚の中に生きた心地(カタルシス)がある。
われわれの生きた心地は、「自己の不在」の中にある。
根源的には、人間は「自己」を追求するのではなく、「自己の不在」を生きている。
それはつまり、この世界における自己の孤立性を生きている、ということだ。人間社会は、誰もがそのように生きながら集団をつくっている。そこが人間という存在のややこしいところで、その根本がほころびたところに現代社会の病理がある。
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     2・身体の孤立性が人間集団をつくる
旅に出ることは、自分が属する集団から離れることである。
旅とは、「不在」を生きる行為なのだ。
だから、旅の恥はかき捨て、というようなことも起きてくる。
人間は、身体の「無力性」「受苦性」から生きはじめる。
そうして、身体=自己を消す(忘れる)ことからカタルシスを汲みあげてゆく。
生きることは自己の不在を紡いでゆくいとなみである。
だから人は旅に出る。
旅に出ることは、自分がこの世界の孤立した存在であることを噛みしめる行為である。
人間はそのように存在している、と気づく体験である。
集団の中にいても、人は、じつはそのようにして存在している。
人間の集団は、つまるところ、誰もがみずからの孤立性を確保してゆくようなかたちでいとなまれている。
人は、孤立性を確保するために、集団の中に身を置く。
「群衆の中の孤独」といったりするように、集団の中でこそ、より確かに孤立性を実感する。
孤立性を確保しようとする生き物だから、どんな雑踏でもそれなりに流れてゆくことができる。誰もが、人とぶつかりそうになったら、思わずよける。
誰もが心の中に孤立性を持っているから、満員電車の中でも発狂しないでいられる。そこで新聞を読んだりケータイをいじったりしているのは、そうやって孤立性を確保しているのだ。そうやって、ときにふだんよりももっと自分だけの世界に入り込んでいたりする。
人間にとって集団は、孤立性を確保するための機能である。
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     3・どこからともなく人が集まってくる
人間の世界では、どこからともなく人が集まってくる場が頻繁に生まれる。
サッカースタジアムとかコンサートとかお祭りとかデモの集会とか市場(バザール)とかバーゲンセールの行列とか、誰もがひとまず集団=日常生活から離れて、どこからともなく人が集まってくる。そういう「小さな旅」をして人が集まってくる。
原初の人類が地球の隅々まで拡散していったことも、こういう「小さな旅」によって、どこからともなく人が集まってきて新しい集団が生まれる、という動きが基礎になっているのだ。
原初の人類は、長い道のりの旅なんかしなかった。そういう旅ができるような環境ではなかったし、能力もなかった。
そういう旅ができるようになったのは、氷河期が明けた1万年前以降のことだし、それだって旅の先々の集団が受け入れもてなしてくれたからだ。
受け入れもてなしてくれたのは、旅に疲れた少数または個人だったからだ。人間は、そういう弱っているものを介護しようとする本能的な衝動を持っている。
もともと人類の集落は、遠く離れていた。遠く離れようとして、地球の隅々まで拡散していった。
テリトリーが接近してきたのは、本格的に農業をはじめた6000年前くらい以降のことである。
人類学者はよく、原始人のテリトリーはこれくらいだったのだろう、というような推測をするのだが、集落と集落のあいだは、彼らのいうそういうテリトリーよりももっと離れていたのだ。
人間は、たがいの身体のあいだに「空間=すきま」をつくって、たがいの身体の孤立性を確保し合おうとする生き物である。
しかしそれでも、「小さな旅」をしてどこからともなく人が集まってくる新しい集団の場は、あちこちで生まれていた。その動きによって、地球の隅々まで拡散していった。
身体の孤立性を求める生き物だから、そういう動きが生まれてくる。
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     4・まったく、オカルトじみたことをいう
人間は、集団をつくろうとするのではない。集団に引き寄せられるのだ。
集団になりたいのではない。集団の中で孤立性を見いだしてゆく存在なのだ。
ある人はこう言っている。「人間の身体と身体は共鳴する。共鳴するから集団をつくろうとし、集団がうまくいく」、と。
本人はこれを哲学の大発見のように思っているらしいが、そういう単純なことじゃないんだなあ。
身体と身体は共鳴なんかしない、たがいに孤立している。
人間の集団は、誰もが身体の孤立性を求め、「自己の不在」において生きた心地(カタルシス)を汲みあげてゆくところで成り立っている。
人間の生のいとなみは、身体を消そう(忘れよう)とすることにある。したがって、身体と身体が共鳴し合うことなどあり得ない。
共鳴し合っていたら、街の雑踏なんか大混乱だろう。
それでも人は、そこで、みずからの身体の孤立性を噛みしめている。
人と人は、たがいの身体の孤立性を確保し合うようにして関係を結んでゆく。原始人だろうと現代人だろうと、関係の「ときめき」はそこにこそあるのであって、「身体と身体が共鳴し合う」などというオカルトじみたことにあるのではない。
共鳴し合ってたがいにちやほやし合うことが人と人の関係である、てか?
この世界の孤立した存在として、「あなたの心はわからない」という前提でひたすら「片思い」してゆくことができるところに、人間の自然がある。
少なくとも原始人は、そういう流儀で関係を結んでいた。
「自己の不在」への希求なしに旅の習性が生まれてくることなどあり得ないし、どこからともなく人が集まってくる場に引き寄せられてゆくこともない。まわりが知らない人ばかりなら、誰だって孤独だろう。そういう場に、人は引き寄せられるのだ。孤独を味わうために集団に引き寄せられてゆく。
人にちやほやされたい……すなわち人間の本性が「承認願望」にあって身体と身体を共鳴し合いたいのなら、誰が好きこのんでそんなところに引き寄せられるものか。
身体と身体が共鳴ししてそれが気持ちよいのなら、誰も家族の外に出ようとしない、学校や職場の外に出ようとしない、つまり、旅なんかしない。近親相姦だらけだ。
人間は、慣れ親しんだ集団を離れて、見知らぬ集団に引き寄せられてゆく。見知らぬ集団といっても、そこですでにみんなが慣れ親しんでいるのなら、そんなところによそ者として入ってゆきたくはない。あくまで「見知らぬものどうしがどこからともなく集まってくる場」に引き寄せられるのだ。
誰もが慣れ親しんだ日常の集団から旅立って集まってきている新しい集団に引き寄せられる。学校や会社だって、基本的には家の外のどこからともなく人が集まってきている場として成り立っている。
誰もが「孤立した存在」として集まってきている場に引き寄せられる。
そのとき人と人は、孤立してあることを共有している。
人間は「自己の不在」「不在の自己」を希求する存在である。そこにこそ生きた心地(カタルシス)がある。
人間は根源において、この世界の孤立した存在として「いまここ」に消えてゆくことを願っている。
つまり、「未来を思わない」とはそういう空間意識のことであり、そういう空間意識で人間のいとなみが成り立っている。
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     5・いまさらそんなことをいわれてもしらける
歳をとると、人は死を意識しはじめる。
で、そんな自分を正当化するために、人間は死を思う存在である、とかなんとか、付け焼刃の論理で死を語りはじめる。
「死を思え」とか「死はわかることも体験することもできない」とか、そういうよくあるフレーズをコピペして死と向き合っているつもりになっている。
気取ってみても、けっきょく付け焼刃だから、死と和解できない自分をずるずる引きずっているだけである。
子供のときからずっと死を思って生きてきた人や原始人は、ちゃんと死と和解している。死を親密なものとして生きている。
彼らは、「わかることも体験することもできない」というそのことと和解している。
それはつまり、「自己の不在」を生きるタッチを持っている、ということだ。
その人の死に対するスタンスは、ほとんど無意識に近い感情(思い)の問題であって、付け焼刃の理屈だけではどうにもならない。
子供のときからずっと思ってきた人と歳とってからあわてて気づかされた人とでは、大きな差がある。
僕の場合は、20代の後半ころに社会人の仲間入りをしたとたんにものすごく死ぬことが怖くなり、夜中に「うぎゃあ」と叫んで飛び起きることが何度もあった。そうして一時期、「埋葬」というタイトルでモノクロームの暗い抽象画を飽きずに何百枚も描き続けていた。
ようするに、わけがわからなくてうろたえていたのだ。子供のときから死を考えてこなかったつけを、そこで一挙に支払わされた。
「社会人になったとたん」ということは、仕事の締め切りに追われながら目的追求の戦後精神に洗脳されていった、ということだろうか。未来を思わない生き方をしてきて、とたんに未来を思うことの上に成り立った社会の動きに呑みこまれていった。
というわけで僕は、子供のころから死を思い続けてきた人と、歳を取ってから意識しはじめた人との中間の立場である。
まあ、子供のときから思い続けてきた人は、その思い方が板についている。これは、スポーツや芸事と同じであろう。
そして、歳をとってからあわてて意識しはじめた人のいいざまは、野暮ったくてさまになっていない。ほとんどは、どこかからのコピペだ。
死に対する親密さは、そうかんたんには身につかない。付け焼刃で持とうとしても、もう無理なのかもしれない。
それでも、自分はよくわかっていないと自覚すれば望みもあるのだろうが、そういう人間にかぎってわかったようなことをいって、少しも恥じていない。
彼らの行く末がどのようなものであるのか僕の知る由もないが、おまえら程度の言い草に感心するものなんか何もない、とだけはいいたい。
けっきょく、幼児体験として「自己の不在」を生きるタッチを持つことができたかどうか、という問題だろうか。そういうタッチを持っていないと、意識は時代に洗脳され踊らされてしまう。
死に対する親密さは、「自己の不在」を引き寄せる作法を持った「未来を思わない」心の中に宿っている。
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