祭りの起源・「漂泊論」90

     1・人が集まってくる場所
この「漂泊論」というテーマは、日本文化の源流としての縄文人や古代人の心性について考えたくてはじめたのだが、その序論の、旅についての普遍的なことを考えるのに、こんなにも長く書いてきてしまった。
序論ばかり長くて本論や結論はちょっと、ということになってしまうのかもしれない。
「漂泊=旅」ということを切り口にして、日本的な心性のかたちについて考えたかった。そしてそのことの向こうに見える人間の普遍性について考えたかった。
しかしここまでくればもう、人間であることの普遍性から日本的な心性を照射してゆく、という道すじをたどるほかない。
たとえば、「未来を思わない」とか「自己の不在を生きる」というような心のかたちは、何も日本的な無常観にかぎったことではなく、人間の普遍的な傾向なのだ。
漂泊の心性とは、まあそういうことだと思う。
「漂泊=旅」は、直立二足歩行する人類の普遍的な属性である。
そしてその属性は、アフリカのサバンナにとどまって進化してきたホモ・サピエンスではなく、氷河期の極北の地まで拡散していったネアンデルタールの方が色濃くそなえていたはずである。
漂泊とは何か、旅とは何かということを考えるなら、そういうことになる。
アフリカのサバンナのホモ・サピエンスが世界中に旅していった、などということはあり得ない。このことは、何度でもいいたい。そういう愚劣で陳腐な空想にしがみついている研究者がこの国にはたくさんいるから、何度でもいいたくなる。
人が旅に出ることの契機は、集団の中で暮らして「けがれ(の自覚)」がたまってくることにある。
原初の人類は、べつに何かを目指して旅に出たのではない。
人間は、根源において未来を思わない生き物である。
気がついたら旅に出ていた。
原始人であろうと現代人であろうと、人を旅に駆り立てる根源的な契機は、集団の中に置かれてあることの「けがれ」にある。
見知らぬ土地に対するあこがれとか、そういうことではない。
原始人は、あの山の向こうには何もない、と思っていた。
人間は、「いまここ」でこの生やこの世界を完結させて生きている。
「いまここ」に消えてゆくことこそ、人間の生きた心地=快楽である。
それでも原始人は、あの山の向こうまで拡散していった。
あの山の向こうまで旅していってしまう「けがれ」の自覚があった。生きてあることに対するそういういたたまれなさがあった。
そうして旅に出たものたちがいつのまにか一か所に集まってくるということも起きてきた。そうやって人類は、地球の隅々まで拡散していった。
人間は、人が集まる場所に引き寄せられるという生態を持っている。
また、集落のものたちは、旅に疲れたものを受け入れ保護してやろうとする本能的な「介護」の衝動を持っていた。
原初の旅がどのようにして成り立っていたかということは、人類学者がいうほどかんたんなことではない。彼らは、人間にとって旅とは何かということをきちんと考えていない。
ただ単純に「見知らぬ土地へのあこがれ」とか「狩の獲物を追いかけていった」とか、そういうことではないのだ。
彼らは、人間の「集団性」や「孤立性」のことを、本気になって考えていない。考える脳みそがない、ということかもしれないんだけどさ。
二本の足で立ちあがって身体の孤立性を確保しようとする本能を持った人間に、集団をつくろうとする衝動ははたらいていない。それでも、人間の世界では、集団が生まれてしまう。
人間は、集団の中で身体の孤立性を確保してゆく存在であり、確保できなくなったときに「けがれ」の自覚が起きてくる。
人間にとって二本の足で立っていることは、集団の中で身体の孤立性を確保している姿勢なのだ。
集団の中だからこそ、よりいっそう孤立性が自覚できるし、その孤立性の極みとして「いまここ」に消えてゆくことが人間の快楽である。
このようにして「祭り」が生まれてきた。
人々が集まってきて、誰もが「いまここ」に消えてゆく快楽に身を浸してゆく。これが「祭り」である。
身体と身体が共鳴し合うことが祭りの興奮である、などという人もいるが、そういうことではない。
そのとき誰もが身体のことを忘れ、身体が消えているのだ。だから、真冬で裸になっても寒くないし、冷たい水に飛び込んだり、死をも厭わなくなってしまう。
身体が消えてゆく高揚感がある。
人間は必ずしも、身体が大事で生きているのではない。
身体が大事というか、身体が気になって気になって仕方なくなってしまうことを「けがれ」という。退屈な日常生活のそういう状態からの旅立ちとして、祭りの興奮がある。
定住生活には、そういう「祭り」という旅の代替行為が必要なのだ。
祭りだってひとつの漂泊の旅であり、旅は祭りなのだ。
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     2・人間は生きてあることに倦み疲れている
旅をする人々がどこからともなく集まってきて、「祭り」の場が生まれた。これが、人類史における「祭り」の起源だろう。
人間は、どこからともなく人が集まってくる場に引き寄せられてしまう。
既成の集団の場ではない。
新しく生まれつつある集団の場に引き寄せられるのだ。
この両者の、集団としての性格の違いはたしかにある。
既成の集団は、なんとなく入ってゆきにくい。自分だけよそ者である。
既成の集団は安定している。安定しているからこそ、もしも自分が旅に疲れ果てているなら助けを乞いたくなるし、集団もまた助けてあげようとする。
しかしそれは同じ立場ではない。祭りの混沌としたエネルギーが湧いてくる場ではない。疲れた旅人を助けてあげれば、それによって集団は安定を再確認できるし、旅人もその安定にすがっている。
それに対してだれもが同じ立場で、しかも旅に疲れているなら、やけくその解き放たれたような活気が湧き起こってくる。
安定しているところからは、どんなに元気でも混沌とした活気は起きてこない。
疲れ果てて弱っているからこそ、混沌とした活気が起きてくる。そうやって「祭り」のエネルギーが生まれてくるのだ。
二本の足で立っている人間は、存在そのものにおいてすでに疲れ果てている。だから、祭りを生みだす。
かつての日本列島では、集落と集落のあいだの「市(いち)」という場で祭りが生まれてきた。ここでは誰もが、日常生活の秩序と安定を脱ぎ棄てて集まってきていた。
日常生活の秩序と安定に倦み疲れていた、といってもいい。
そこでは誰もが、助けてやる能力など持たなかったし、すがる気もなかった。
そうして「もう死んでもいい」という気になっていった。そういう混沌のエネルギーが湧いてくる場だった。
奈良県三輪山のふもとにに海石榴市(つばいち)という地名がある。もっとも古い「市」の名残らしい。
やまとことばの「つば」とは、「混沌」「にぎわい」という意味。「つば=唾液」は、口の中の「混沌」であり「にぎわい」である。
そういう混沌のにぎわいが起こる場に新しい集落が生まれ、その反復によって人類は地球の隅々まで拡散していった。
そしてその新しい集落は、とうぜん既成の集落よりも大きな規模で混沌の賑わいがあった。
その「もう死んでもいい」という混沌の賑わいが、より住みにくい北の地に住まわせ、より大きな規模の集落をいとなむことを可能にしていった。
5万年前の地球でもっとも大きく賑わっていた集落は、極北のネアンデルタール人のところであったはずである。
人間は、存在そのものにおいて、すでに倦み疲れている。生きてあることに、倦み疲れ果てている。しかし、そこから人間の思考や感性や人間集団のダイナミズムが生まれてくる。
そのデカダンスこそが、じつは人間を生かしている。
人は、歳をとれば生きてあることに倦み疲れてくる。それはつまり、歳をとれば心が枯れて悟りが生まれてくる、などということではなく、人間の自然においては、歳をとるほどに心はにぎわい混沌としてくる、ということだ。
歳をとるほどに鬼の心になってゆく、というか。
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     3・遊びをせんとや生まれけむ
ネアンデルタールは、氷河期の極北の地を「祭り」として生きた。
彼らにとってマンモスなどの大型草食獣の狩をすることは、ひとつの「祭り」だった。だから、そのことに死を厭わなかった。
いや、生きてあることそれ自体が「祭り」であり「遊び」だった。
原初の人類が住みにくい北へ北へと拡散していったことは、住みやすさや身体の心地よさや生き延びることなどの追求というパラダイムでは説明がつかない。
人間は、根源においてそういうことを追求する生き物ではない。心の底では、そのような近代合理主義的な価値などどうでもいいと思っている。われわれの中には、そういうデカダンスが、歴史的な無意識としてひそかに息づいている。
原初の人類は、お祭り騒ぎをしながら北へ北へと拡散していった。
それは、生き延びようとする「労働」ではなかった。生きてあることも身体のことも忘れてしまう快楽を汲みあげてゆく「遊び」だった。
そういうお祭り騒ぎがなければ、ろくな文明を持たない原始人の身で氷河期の極北の地に住み着いてゆくことなどあり得ないのだ。
われわれ現代人からしたら、気ちがい沙汰のことではないか。
人間の根源的な生きる作法は、身体の存在を忘れようとすることにある。
したがってわれわれのこの生は、「私はなぜ存在するのか?」という命題を持っていない。そんなことがわかってこの生を予定調和の退屈なものにしようとする衝動などはたらいていない。ただもう「近代合理主義」という観念的な制度的思考が機能しているだけである。
人間は、「自己の不在」において生きた心地(カタルシス)を汲みあげてゆく。
われわれは、この身体が「物質=存在」であることを忘れて、「空間=非存在」として自覚されるときに生きた心地(カタルシス)を覚えている。
「われあり」ということなど、どうでもいいのだ。
だから人は、旅をしながらどこからともなく集まってきてはお祭り騒ぎをする生き物になっていった。
人間の「集団性」や「孤立性」の根源は、身体存在のことを忘れて「自己の不在」を生きようとすることにある。僕はここまで、このことの上に人類拡散や言葉の起源の問題を考えてきた。
しかしこの問題の立て方は、近代合理主義やこの国の戦後精神とおそらく矛盾している。「私はなぜ存在するのか?」と問うのが人間の本性だと信じている人たちには通じるはずもない話である。
そりゃあ、わかってもらえそうもないことを必死に考えているんだもの、「おまえらみんなアホだ」ともいいたくなるさ。
彼らの限界は、時代に踊らされてそういう問題の立て方しかできなくなってしまっていることにある。
このまえ、ある人から「おまえは自分の中の承認願望をちゃんとえぐり出していない」といわれた。
しかしそんなものがあるなら、時代に合わせてみんなにわかってもらえる問題の立て方をするさ。
べつに反論したいわけではないが、おまえらのいうことは全然納得できないし、陳腐だ。
直立二足歩行の起源にしろ、ネアンデルタールのことにしろ、人類拡散の問題にしろ、世の人類学者のいうことなんかカスばかりだ。
僕には、人間の本性(自然)が彼らのいうようなところにあるとは、どうしても思えない。
どうしても思えなかったから、このブログをはじめたのだ。
おまえらみたいに、人にちやほやしてもらいたからじゃない。人に嫌われてもいいたいことがあるのだ。
人間の本性(自然)としての「自己の不在」というテーマを探求したかったからだ。
そして「自己の不在」は、「悟り」ではなく、にぎわい混沌としている「祭り」であり「鬼の心」なのだ。
というわけで、次回からはもう少し日本列島の歴史に即して考えてゆきたいと思う。
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