人間は未来の危機を思わない・「漂泊論」91

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どちらかというと世間に背を向けたようなブログだからそんな場に参加する柄でもないのだけれど、だからこそたとえ少数でも「あなた」にこの言葉を届けたいという思いもそれなりに切実です。
このブログは直立二足歩行の起源やネアンデルタール人のことについて考える場としてはじめたのですが、それはつまり「人間とは何か」と問うてゆくことで、いつの間にか世の中の常識に対して「それは違う」と反論することが多くなってきました。
このままではみんなから愛想を尽かされる、と心配しながら書いています。
心配だけど、書かずにいられないことがある。
どこかで拾ってきた言葉をコピペして書いているのではないし、仲間もいるわけではなく、ぜんぶ、ひとりで考えています。
自分でもどうしてこんなにもむきになるのかよくわからないのだけれど、とにかくここで考えたことをなんとしても「あなた」に届けたい。
俺が負けたら人間の真実が滅びる、という思いもないわけではありません。
というわけで、もしも読んで気に入ってもらえたら、どうか、1日1回の下のマークのクリックをよろしくお願いします。それでランキングが上下します。こんなことは「あなた」にとってはどうでもいいことなのだけれど、なんとか人に見捨てられないブログにしたいと願ってがんばっています。

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<本文>

人間は未来の危機を思わない・「漂泊論」91


     1・あのときわれわれはときめき合っていた
東日本大震災から1年以上たって、人々の危機管理意識というか防災意識が薄らいできた、といわれているらしい。
喉元過ぎれば熱さを忘れる……内田樹先生なんかも、いまどきの日本人は未来の危機に対する想像力がなさすぎる、などといって嘆いておられる。
先生は、ふだんから生き延びるための用意をしっかりしておられるのだとか。
でもねえ、人間はほんとうに生き延びようとする生き物であるのかどうかわからないわけですよ。
いまが楽しければそれでいい、先のことなんか考えたくない、という人もいるし、そのような心の動きは誰の中にもある。人と人はそのような心の動きでときめき合ったり、楽しくおしゃべりをしたりしている。
学問や芸術に熱中することだって、ときめいて「いまここ」に立ちつくす体験だ。
内田先生のような近代人は、そういう知性や感性を制度的な観念で押し殺して生きているだけで、そのようにして鈍くさいインポおやじになっておられる。
人間は、根源において未来を思わない生き物である。
あんなに大きな災害だったのだもの、人間がほんとに生き延びようとする生き物なら、そうかんたんには忘れないだろうし、被災者は二度とあの土地に住もうとしないだろう。
あんなにも怖い体験をして、それでも故郷を離れるまいと思えるのは、人間は根源的には生き延びる未来など思わない存在であるということを意味しているのではないだろうか。
人間は、根源的には「いまここ」を生きている存在だから、故郷にとどまることができるし、ときめき合いいたわり合う人と人の関係をつくることができる。
人間がなぜ昔話や伝説や歴史という学問を持つかといえば、未来を思わない生き物だからだ。未来を断念して「いまここ」にとどまろうとするから、そうした「昔」に対する関心がふくらんでくる。
未来にやってくるかもしれない「危機」などどうでもいい、「いまここ」に対する切実さこそ人間を生かしている心の動きなのだ。
あのときけんめいにみんなが助け合うということが起きたのは、それだけ深く「いまここ」の目の前にいる他者にときめき合っていたからだ。
そういう「ときめき合う」という心の動きがなければ、助け合うということなど起きてこない。
生き延びるために助け合うのではない。ときめき合うことの結果として助け合わずにいられなくなるのであり、ときめき合っているものたちが助け合うのだ。
あのとき、みんなが生き延びようとしていたのではない、みんながときめき合っていたのだ。
「生き延びる」という未来のことがいちばんであるのなら、自分だけ得することを考えればいいだけである。生き延びたいものは、そういう行動に走る。
しかしあのとき、いつにも増して人と人がときめき合っていた。
なのにあなたたちは、そのことの記憶よりも、生き延びようとする強迫観念を持ち続けることの方が大事だという。
あなたたちがどんなに「危機意識を持て」と扇動しても、人間は忘れてゆくのだ。
あの津波の現場を体験した人の恐怖なんか、第三者には持ちようがないのだ。われわれ第三者が体験したのは、そういう恐怖と絶望に遭遇した人たちに対して、ふだんには持つことができないほどのあつくせつない思いでときめいていった、ということだけだ。
あなたたちは、彼らの恐怖と絶望をわれわれ第三者も共有できるとでも思っているのか。
そんな厚かましいことは、僕はよう思わない。
彼らの恐怖と絶望は、彼らだけのものなのだ。
「いまここ」にない恐怖や絶望をおまえも味わえといわれても、僕にはできない。
三者が、当事者のその恐怖と絶望と悲嘆を共有できていると思うのだとしたら、それは病気だ。僕には、そんなオカルト趣味はない。
あの大震災のときにわれわれは、そんなものを共有していたのではない。
ただもう、あつくせつなくときめき合っていただけだ。そうやって、多くの人がボランティアに駆けつけていった。それは、恐怖や絶望や悲嘆を共有したからではなく、あつくせつなくときめいていったからだ。
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     2・死んでもかまわない
もっとも、福島原発の事故に対する恐怖と絶望を、福島の住民よりももっと大げさに味わっている人がこの世の中にはたくさんいるらしく、そうやって反原発の運動が起きている。そうやって、福島の住民の立場をさらに居心地の悪いところへと追いつめている。
僕は、げんに原発の近くで暮らしている人がいるかぎり、自分にはその恐怖や絶望を叫ぶ資格はないと思っている。
死にたくないから原発をなくせといっている人の心よりも、死んでもかまわないからここで暮らすといっている人の心の方が美しいと思うし、それが人間の自然だとも思う。
死んでもかまわないと思えるくらい何かにときめいているのだとしたら、それは素敵なことだ。
故郷を捨てろといわれたら、なお故郷が好きになる。死んでもかまわないと思うくらい好きになってしまう。そういう心に冷水を浴びせるようなことは、僕はようしない。
ときに人間は、生き延びることよりも「いまここ」のときめきの方が大切になる。
ときめくとは、もう死んでもいい、と思うことだ。
もう死んでもいい、と思うことが人間の自然なのだ。
人間は、心の底にそういう思いを抱えているから、原発を生みだしてしまった。
生き延びることが第一の生き物なら、原発なんか絶対つくらない。
したがって、原発は生き延びることにじゃまだといっても、原発をなくす理由にはならないのである。
まあ、人間が原発を生みだしてしまったのは人間の意志ではなく歴史のなりゆきだったわけで、原発がなくなるのも、人間の意志ではなく歴史のなりゆきにによるのだろう。
自分たちの意志で原発がなくせると思っているなんて、この世に人間が存在することに対する傲慢と鈍感さ以外の何ものでもない。
あなたたちには「他者」というものがないのだ。
この世には「死んでもかまわない」と思っている人がいるし、そういう心の動きは、「人間の自然」として人間なら誰だってどこかしらに持っているのだ。
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     3・われわれは彼らと何を共有したのか
人間は、根源において、未来を思わない生き物である。
だから「もう死んでもいい」と思ってしまう。そしてそこから、人間的なイノベーションが起きてくる。
人間は、目の前にない危機など忘れて生きているし、目の前に危機が迫れば驚きうろたえてしまう。その驚きうろたえてしまう心によってときめき合っているのだ。
あのとき被災地の人々は、おろおろとうろたえているばかりだった。
そしてそのおろおろとうろたえている姿にわれわれはときめいていったのだし、おろおろとうろたえていたから彼らはときめき合い助け合っていったのだ。
それは、日常の安定の「けがれ=停滞感」から解き放たれている姿だった。そのことに、われわれは感動した。
彼らの恐怖や絶望を共有したのではない。そんなことは、第三者にはできない。人間は、そんなことを共有できる生き物ではない。共有できないという、その不可能性を思うからときめき合うのだ。
そのとき日常の安定に倦んでいたわれわれは、彼らがわれわれには体験することのできない恐怖や絶望を体験していることに気づき、それがこの日常のけがれから解き放たれている体験であることを思った。そのうろたえている姿に感動していったのだ。
人間は、「死んでもいい」という思いを心の底に抱えている生き物だから、未来にやってくるかもしれない危機なんか思わない。それは、目の前にあらわれてはじめて思うことができる。そうして、驚きうろたえる。
その驚きうろたえている姿にわれわれは感動した。
驚きうろたえることこそ、人間の可能性である。
驚きうろたえている人は日常の「けがれ」から解き放たれているし、われわれは日常の「けがれ」に倦んでいる。
だから、危機管理してこのままこのさきまで生きてゆこうとする意欲が湧いてこない。
われわれは、この日常の「けがれ」から解放されたがっている。
そうやって、デートをしたり映画を見たりセックスをしたり学問や芸術に熱中したりしている。
われわれは、日常の「けがれ」から解き放たれる体験がなければ生きていられないし、解き放たれることは大きな感動になる。
それは、「もう死んでもいい」という体験だ。そういう体験として人間は「祭り」を生みだした。
誰だって、生きてあることをお祭りにしてしまいたいだろう。もう死んでもいい、と思えるほどの。
だから人は、津波がくる土地にでも住み着いてゆけるし、5万年前のネアンデルタールは氷河期の極北の地に住み着いていた。
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     4・生きてあることは予期せぬ出来事だ
原初の人類は、密集し過ぎた群れの中で体をぶつけ合って暮らしているという、日常の「けがれ」から解き放たれるようにして二本の足で立ちあがっていった。そしてそれは、不安定な姿勢で胸・腹・性器等の急所を外にさらしてしまって、生き物としての生き延びる能力を喪失して驚きうろたえる体験だった。しかし驚きうろたえながら、そのときたがいの身体のあいだの「空間=すきま」を確保し合ってそうした「けがれ」から解き放たれていることに気付き、ときめき合っていった。
つまりそれは、「もう死んでもいい」と思えるほどの「祭り」の体験だった。
東日本大震災が起きたときわれわれは、そういう原初の記憶をを呼び覚まされた。
人間は未来を思わない生き物だから、危機に遭遇すると、驚きうろたえる。驚きうろたえながら、生きた心地を汲みあげる。深く豊かに驚きうろたえるところから、人間的なイノベーションが生まれてくる。
人間がつねに危機にそなえて危機を回避しながら生きている存在であるのなら、猿から人間への進化など起きていないのだし、かくも文化や文明が発達するということもなかった。
人間にとって生きることは予期せぬ出来事であり、生きることを予期せぬ出来事として体験しているところで知性や感性が育ってゆくのだ。
われわれは、あの大震災によって危機管理の大切さを学んだのではない。人と人がこんなにもときめき合う存在だったのかということを体験したのだ。
危機管理のあいまいさを反省する前に、われわれはどうしてあんなにもときめき合うことができたのかということをもっと思ってもいいのではないだろうか。
そしてなぜときめき合うことが出たかといえば、人間は危機管理があいまいな生き物だからだ。
危機管理があいまいな生き物でなければ、原初の人類は二本の足で立ち上がりはしなかった。というか、二本の足で立ち上がることによって、危機管理があいまいな生き物になった。
人間は「死んでもいい」と思うことができる生き物なのだ。そういう未来を思わない心によってときめき合っている。
ときめくとは、意識が「いまここ」に立ちつくすことだ。
感動とは、予期せぬことと遭遇して驚きうろたえることだ。
あなたたちがどんなに危機管理の大切さや原発反対を叫ぼうとも、人間からその心の動きを奪うことはできない。
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