世の中に踊らされている・「漂泊論」85

     1・そんなことじゃないんだよ
僕が「生きてあることのいたたまれなさ」といったら、「そのいたまれなさは死を思いこの生が有限であることを思うところからきている」という答えがある人から返ってきた。
まったく、アホじゃないかと思う。
おまえらの生は、そんなに大切ですばらしいものなのか。
そんな死の恐怖のことを僕はいっているのではない。
「生きてあることのいたたまれなさ」を噛みしめているものにとって死は、ときに救済でもある。
人間が抱く「生きてあることのいたたまれなさ」は、生きてあるこの身体の「無力性」や「受苦性」からきている。人間は、ことさらそのことを思うほかない存在の仕方をしている。そうして「自分はなぜこの世界に生まれてきてしまったのか」と思い、「生まれてきてしまったことはもう取り返しがつかない」と絶望するところからきている。
死のことなんか関係ない。純粋に生きてあるというそのことに対する思いであり、この身体に対する思いなのだ。
そういうことに気づかないからおまえらは、鈍くさいインポおやじになってしまうのだ。
少なくとも女子供は、そういうことに気づき、そういうことを噛みしめて生きている。
「生きてあることなんかクソだ」
「自分なんかクソだ」
おまえら、そういう思いになったことなんかないだろう。
若いときの蹉跌でそういう思いになりそうになったことはあるかもしれないが、それでもおまえらは、いつも自分を正当化し、命の尊厳とかなんとかとほざき、自分にしがみついて生きてきたのだ。そんなおまえらには、われわれのこの「いたたまれなさ」はわかるまい。
そういうアホなインポおやじがうじゃうじゃしている世の中だ。
人格者ぶったり、ステレオタイプな底の浅いへりくつを吹きまくったり、ハートのない愛想笑いをふりまいたり……かっこつけて、自分を見せびらかすことばかりしている。
人にちやほやされたくてうずうずしてやがる。
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     2・「目的を追求する」ことは人間の本性か?
原始人は言葉でどんなことを語り合っていたのか、ということについて、ある知識人は、こういっている。
ほとんどは実際の衣食住に関することで、それ以外のあいまいなことは表情や身振り手振りで済ませていた……と。
こういう単細胞で俗物のインテリは、あんがい世の中に多い。
原始人は文化も知能も未発達だから、衣食住にしか関心がなかった……そして今でも、頭の悪い大衆は衣食住のことしか頭がまわらず、学問や芸術に対する関心は薄い……おおよそこのような図式で考えているのだ。
ようするに彼らは、人間とは目的を追求する生き物であると信じていて、大衆は衣食住を追求し、知識人は学問や芸術を追求する、といいたいらしい。
べつに衣食住であろうと学問であろうと、そんな違いはどうでもいい。その「目的を追求する」というそのことが人間の本性であると考えているところが、単細胞で俗物であるゆえんなのだ。
ほんとに人間は目的を追求する生き物だろうか。
夢を持ちなさいとか、幸せを追求するとか、この世の中は目的を追求するというシステムで動いている。
そうして人は、知らず知らずにそんな世の中のシステムに頭の中を洗脳されてゆく。
いまどきは、インテリだって一緒になってシステムに踊らされている。それが、この国の戦後社会の様相だ。
言い換えれば、踊らされているか否かは、インテリか大衆かという区別とは関係なくなってきている。
AKB現象に踊らされているインテリはたくさんいるし、冷ややかに眺めている大衆も少なからずいる。
まあ「目的達成」のムーブメントだ。そうやって経済成長という目的を達成してきた「戦後精神」という亡霊がいまなお生き延びていることの証しだろうか。
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     3・「戦後精神」の無残
たとえばAKB選挙の仕掛け人は、少女たちのなりふり構わず目的を達成しようとする捨て身の意欲を引き出し、ファンはその意欲に拍手している。
けっきょく、仕掛け人も演じる少女たちもファンも、「目的を達成しようとするのが人間の本性である」という戦後精神のスローガンに踊らされている。
いまなおそんな「戦後精神」がゾンビのように跳梁跋扈している。
仕掛人だって、時代を動かしているのではなく、時代に寄生しているだけなのだ。そうやって、誰もが時代に踊らされている。「目的達成」という「戦後精神」のスローガンに踊らされている。
そしてその目的達成の意欲の対象は、バブル期までの「経済成長」から「人にちやほやされたい」という方向にシフトしてきている。
まあこれだって、戦後精神の残滓だ。「目的達成が人間の本性だ」というスローガンに洗脳されてしまえば、人にちやほやされたいという欲望も肥大化する。
AKB現象は、人にちやほやされてがっている人間がこの世の中にはたくさんいるということを証明している。
仕掛け人も少女たちもファンも、みんなが人にちやほやされたがっている。
メイド喫茶」というのはそこのところをうまく突いたし、そこからAKB現象が生まれてきた。
しかし、世の中でそういう動きが盛り上がっているとしても、「人にちやほやされたいとは思わない、そんなの鬱陶しいだけだ」とか「そこまでしてちやほやされたいとは思わない」という意識の少女たちもいるにちがいない。
なぜならそれが、身体の孤立性に目覚めた思春期の「少女」という存在の普遍的な意識だからだ。
そうした目的達成のスローガンで誰もが踊っている世の中であっても、思春期の「少女」というのは根源的には世界から孤立している存在なのだ。それが彼女らの「自然」なのだ。
たぶん、本格的な美少女は、AKBには参加しない。なぜなら彼女らは、他者の視線にさらされたりちやほやされることの鬱陶しさをよく知っているから。
とすれば、浮世離れしたとびきりの美少女ではなく身近にいそうな普通の少女たちを競わせるところに妙があるのだろうか。おそらく、なりふりかまわず目立ちたい、ちやほやされたい、という意欲を持った少女が選抜されているのだろう。
人にちやほやされて生きてたいという思いをたぎらせているいまどきの大衆の生贄として。
ファンとしてお気に入りの少女のCDを何十枚も買ってやってスターに育て上げることに参加するのは、一種のロールプレイングゲームみたいなものだろうか。
新興宗教のお布施集めのようでもある。同じCDを100枚買ったって、わけのわからない仏像や水晶の玉よりはずっと安かろう。
あなたたちは、こんな現象が健康だと思うのか?
人間の本性に沿っていると思うのか?
仕掛け人やマスコミなどの大人たちに少女たちが食い物にされている。
そこまで食い物にしていいのか?
本人たちもファンもよろこんでいるじゃないか、というなら、ヒットラーだってみんなをよろこばせた、といいたい。
まあそれも時代のなりゆきなのだから仕方ないのだけれど、知識人まで一緒になって踊っているなんて、なんだか太平洋戦争前夜の大政翼賛会みたいだな、と思わないでもない。
でも、熱狂しているものたちばかりではないのだ。
人間の本性は目的を達成しようとすることにあると信じて人にちやほやされたいものたちは熱狂している。
そういうポピュリズムに染まっている知識人もたくさんいる。
内田樹先生や上野千鶴子氏はひといちばいちやほやされたいという意識をたぎらせて知識人になっていったわけだが、同じような意識の若手の知識人もいまなおけっこういるのだろう。まさに「戦後精神」である。
いまどきは、人にちやほやされたいという気持ちの多少は持つほかない時代状況であるのかもしれないが、「そこまでしてちやほやされたいとも思わない」という思いも人間なら持ってしまう。
熱狂するか冷ややかになるか、これはもう、その人の人間としての品性の問題だろうか。
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     4・「もう死んでもいい」という気持ちだってある
「人間は目的を追求する生き物である」といっているかぎり、インテリだろうとただの踊らされている俗物にすぎない。
戦後社会は、そういう俗物のインテリを大量に発生させた。
経済発展とともに、「人間は目的を追求する生き物である」というスローガンが強固に定着している社会の構造になってしまった。
しかし僕は、人間の根源的な(自然としての)行動原理がそのようなものになっているとは思わない。
幸せを追求しているように見えても、じつは、いまここに生きてあることのいたたまれなさからけんめいに逃れようとしているだけかもしれない。
生きてあることのいたたまれなさがなければ、幸せを追求するという目的も生まれてこない。しかしこれが、曲者だ。
その目的は、じつはなんでもいい。目的を追求するというそのことが、いまここを忘れさせてくれる。いたたまれなさを忘れさせてくれる。そうやっていたたまれなさと向き合うことを回避するから、いたたまれなさがなだめられるというカタルシスを汲み上げる体験も永久にやってこない。
そうやって人は、知性や感性や身体感覚が鈍磨してゆく。現在は、そういう世の中になってしまっている。そういう大人ばかりの世の中になってしまっている。
もしもいたたまれなさと向き合っていれば、いたたまれなさがなだめられることによって目的も消えてしまう。それが、快楽である。そうやって人は「もう死んでもいい」と思う。
子供が、家に帰ることを忘れて遊び呆けてしまうことは、そういう体験である。
子供は、大人以上に生きてあることのいたたまれなさを抱えて存在している。
そのいたたまれなさとは、大人のように死が怖いからいたたまれないとか、そういうことではない。みずからの無力性ととともに、この世に生まれてきてしまったことに途方に暮れている心である。
生まれてきてしまったことはもう取り返しがつかない。それが、いたたまれないのだ。
しかしじつは、子供だけじゃなく、人間はもともとそのようにして存在している。
人と会って楽しい時間をを過ごせば、別れが惜しくなってしまうだろう。明日の目的よりも、いまここでいたたまれなさがなだめられていることの方が大切になってしまう。
それは、極端にいえば、生きようとする目的意識が消えて「もう死んでもいい」という体験である。
人間は、目的追求の意識だけで生きているわけではない。
言い換えれば、目的を追求することばかりしていると、そういう体験の機会も感性も失ってゆく。そうやって人は、死ぬことがますます怖くなってゆくし、人にときめくという感性も失ってゆく。
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     5・「戦後精神」はまだ清算されていない
目的追求に邁進できればいいが、その行為がかなわなくなったとき、鬱病や引きこもりということが起きてくる。
人にちやほやされたいという気持ちをたぎらせて生きている人間には、人と会うのが怖くなって引きこもってしまうものの気持ちはわかるまい。
現代社会は、そういう両極の傾向が存在している。それは、目的追求の意識の表と裏であり、光と影だ。
目的追求のスローガンを追いかけても、生きてあることのいたたまれなさがなだめられるわけではない。そうやっていたたまれなさと向き合うことを回避しているだけだ。そうして生きてあることそれ自体に鈍感になってゆく。つまり、思考力も感受性も身体感覚も、どんどん鈍くなってゆく。
一方、目的追求に挫折すれば、いやでもいたたまれなさと向き合わされてしまい、途方に暮れて引きこもってしまう。
目的追求のスローガンを追いかけることは、この生のいたたまれなさと向き合うことを回避する観念行為である。だから、いたたまれなさがなだめられる快楽を知らない。
現代人は、生きてあることのいたたまれなさを知らない。だから、快楽も知らない。
われわれはべつに人を好きになるという目的で好きになっているのではない。気がついたら好きになっているだけだ。
人を好きになることが素晴らしいことだから好きになるのではない。好きになってしまうだけだ。
だけど現代人は、好きになることはすばらしいことだから好きになるらしい。そういう目的意識で好きになるらしい。現代社会は、人間のすべての行為を目的達成の行為のように解釈してしまう。
「目的を追求する」という戦後社会のスローガンに踊らされて生きてくれば、知識人だってそういう安直な思考になってしまう。あれこれ言葉を駆使しても、考えていることはじつに安直なのだ。
どんなに立派な知識人や芸術家でも、アホはアホで、どうしようもない俗物はたくさんいる。学問や芸術といっても、それが世渡りの道具になっている例はいくらでもあるにちがいない。そうやって目的追求のことしか頭にない知識人が、「原始人は衣食住のことばかり語り合っていた」とか「言葉は衣食住の追求に便利な道具として生まれてきた」というような発想をする。
原始人は低レベルの目的や欲望しか持っておらず、自分は高級な目的追求の意識を持っている……といいたいらしい。
しかし、その「目的」や「欲望」で人間を語るということ自体が俗物の証拠なのだ。
現代社会は、そのようにして動いている。彼らもまた、世の中に踊らされて生きているひとりにすぎない。世の中をリードしてしているつもりで、世の中に寄生しているだけだ。
ヒットラーは、時代を動かしたのではない、時代に寄生したのだ。
世の中に踊らされている思考回路しかもっていないと、目的を追求するのが人間だと信じこんでしまう。
人は、目的を追求すると同時に、目的の追求に挫折する。それは、能力がないからではない。誰にだって能力はある。ひたすらそれに邁進すれば、たいていのことはなんとかなる。だから、「夢はかなう」などといわれたりする。
なぜ挫折するかといえば、人間は目的の追求だけではすまない生き物だからだ。
いまここに生きてあることのいたたまれなさをなだめたい、というテーマを抱えている。
だから、勉強を放り出して、映画を見に行ってしまったりする。
学問や芸術はともかくとして、「自分がいまここに生きてあること」に対する思いは、知識人も大衆もないのである。そういうことに対する思いの深さや豊かさは、知識人の方がすぐれているともいえない。
現代人は、自分がいまここに生きてあることに対するいたたまれなさもそれをなだめようとする意識も希薄で、ひたすら目的追求に邁進しようとしている。
それは人間の本性でもなんでもなく、近代合理主義の迷妄であり、この国では、そういう「戦後精神」のスローガンがまだ清算されていないし、AKB現象がそれを清算するのでもない。
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