癒される・かなしみとときめきの文化人類学・6


ビーズの玉をつなげて首飾りにする。これは「点線」の文化でもある。
ネアンデルタール人は、もともと点線に対する志向を持っていた。
数万年前に人類がはじめて描いた絵は、たんなる模様のようないたずら描きだったわけだが、アフリカのホモ・サピエンスは直線が好きで、ヨーロッパのネアンデルタール人は曲線と点線が好きだという違いがあった。
縄文人が土器に縄目の模様を入れていったのも「点線」に対する志向だといえるのかもしれない。
直線は、意識を覚醒させる。
それに対して曲線や点線は、意識を鎮静化させる作用がある。
アフリカ人は、ふだん暑い日ざしの下でぼんやりしてしまいがちな暮らしをしているから、直線が持つ覚醒作用に魅せられていった。
一方極北の地のネアンデルタール人は寒さを忘れるために心も体も騒がしく動かしているから、毎晩その心や体を鎮静化させないと眠りにつけなかった。だから、自然に洞窟の壁や土に点線や曲線を描くということをするようになっていった。
とくに点線は、見ていると眠くなってくる。「羊が一匹……」と数えてゆくのと一緒です。
ヨーロッパで哲学が発達したのも、眠れない夜のためのものだったのかもしれない。哲学なんて、どうでもいいことをまさに「羊が一匹、羊が二匹……」と数えてゆくようないとなみでしょう。
妄想は人を眠れなくさせるが、哲学的な思考は眠りに導く。酒を飲むこともセックスをすることも、安らかな眠りにつきたいという人間の願いとともにあるのかもしれない。そしてそれは、死と和解してゆきたいという願いでもあります。ネアンデルタール人はたぶん、無意識的にはそういう願いで「点線」を描いていたのだろうと思えます。点線を描きながら心が華やいでいったのです。
山の中で暮らしていた縄文人だって、生きてあることのなやましさとくるおしさとともに暮らしており、そういう眠れない夜の夜なべ仕事として縄文土器がつくられていったのです。



ネアンデルタール人は、動物の骨に穴を開けてフルートのような楽器を作っていたらしい。しかしその起源においては、音階を生み出そうという目的があったのではない。とにかく穴を開けてみた、そうしたら音階が生まれてきた、というだけのことでしょう。
べつに「知能」などという問題ではない。穴を開けてみたくなるような「点線」に対する志向があった、ということです。
ネアンデルタール人にとって点線を描くことは、死と和解してゆくいとなみだった。そうやって、死者の棺にビーズを捧げていた。
埋葬とは、人間の死と和解しようとするいとなみです。ネアンデルタール人の社会のように人が次々に死んでゆく環境においてはもう、死と和解してゆくことこそ何よりも大切な問題だった。
女たちは、半分以上が大人になる前に死んでゆく赤ん坊を次々に産んでいった。生まれてすぐに死んでゆく赤ん坊も少なかった。それはもう、死と和解していなければできないことだったはずです。
子供を産みたくないからセックスをしない、というわけにはいかなかった。男と抱き合っていないと眠りにつくことができなかったのだから。自分のためとだけでなく、そうしてやらないと男もまた眠りにつくことができないで死んでゆく環境だったのです。
子供を産むことはもう、彼女らの生まれてきてしまったことの運命だった。死んでしまうとわかっていても生むしかなかった。
まあ、そうやって誰もが死と和解している社会であったし、そうやって死に対して親密になってゆく文化が育つ社会であった。
他者を排除して生きのびようとする心の動きが生まれてくるはずがない社会だった。
原始時代に戦争などなかった。
死と和解してゆこうとすることこそ、人間の根源・自然の心の動きです。そこにこそ心の華やぎがある。



またネアンデルタール人は、点線のイメージのバリエーションとして、たとえばひとつの四角を描いてその中に線を入れながら「細分化」してゆくという模様も好きだった。「田」という字のような模様、ものごとを細分化してゆくのも、人間の心の自然ななりゆきです。
それは、視界が焦点を結んでゆく、ということです。
日本画は、葉っぱや花びらの一枚一枚をちゃんと描いてゆこうとする傾向がある。木を眺めても、全体の群がりよりも葉っぱの一枚一枚を見ていたりする。人間の意識は、自然にそのように動いてゆく。
人生がどうのこうのと考えていても、心はけっきょく「今ここ」に憑依してゆく。そうやって太平洋戦争のときの日本軍は、負けるとわかっている戦いがやめられなくなっていった。
人の心は、時間も空間も細分化してゆきながら最後には、「今ここ」のこの生やこの世界がすべてだ、と思ってゆく。そうやってネアンデルタール人は、氷河期の極北の地に住み着いていった。彼らには、排除するべき外部など存在しなかった。
細分化してゆくこともまた、死と和解してゆくことです。人生を細分化してゆけば、残るの「死」だけです。
自分の心を宥めるとは、自分の心を細分化してゆくということでしょうか。いやなことが、だんだん小さくなって消えてゆく。現代人は、そういう心の動きをもてなくなって、幸せでないと生きてあることができなくなってきたのでしょうね。それは、不幸に耐えられないということでもある。幸せであればいい気になりまくってゆくし、不幸になれば胸いっぱいにその気分がふくらみ落ち込んでしまう。そうやって心がどんどんふくらんでゆくのは、人間の自然でしょうか。
ネアンデルタールクロマニヨン人のビーズ作りは、心を細分化してゆくいとなみだったのでしょう。生きてあることのいたたまれなさやくるおしさを知っている人は、そういう細分化せずにいられない心の作法を持っている。



生きてあることは、いたたまれないことです。ネアンデルタール人は、そのことを深く自覚していた。
そのいたたまれなさを宥めてゆくことが人間の生きるいとなみであるのでしょう。いたたまれなさから逃れられるわけではないし、いたたまれなさがあるから人間的な知性や感性が育ってゆく。いたたまれなさを宥めながら心が華やいでゆく。
いたたまれなさを忘れた人から順番に、思考停止におちいり、鈍感になり、ぼけてゆく。
今どきの若者が「癒し」とか「萌え」という言葉が好きなことにしても、心が細分化されてゆく体験に対する切実な思いがあるのでしょう。たぶん、そういう心のタッチを失った人がぼけてゆくことも多いのでしょう。
「かなし」の感慨とともに、世界や他者に対して心が焦点を結んでゆく。それが「細分化」するということであり、「癒し」とか「萌え」という体験なのでしょう。
「細分化」し、この生やこの世界のすべてが「あはれ」や「はかなし」の印象になって消えてゆく。そうやって心は死と和解してゆく。
人間は、死と和解しようとしている生き物です。それはもう「かなし」の感慨とともに体験される。ネアンデルタール人がそれを教えてくれている。「かなし」の感慨は、人類の普遍的な心の動きなのだろうと思えます。



人間が住めるはずのないところに住み着いていたネアンデルタール人は、つねに環境からの淘汰圧にさらされていた。今どきのこの国の若者たちも、大人からのプレッシャーを強く受けて生きている。能力のないものや運の悪いものは、どんどん切り捨てられ強く支配されてゆく社会です。
もともと大人からのプレッシャーの少ない社会だったのに、いまやもう、それとは逆の管理社会になってしまっている。
世界でいちばん大人との関係に自由な歴史を歩んできた若者が、大人からの大きな淘汰圧にさらされるようになった。
その発端となったのは、全共闘運動だったのでしょうか。それ以来、大人たちによる若者や子供への支配管理がどんどん強化されていった。そうして支配管理されていった若者たちがいまや、支配管理するがわの大人になっている。
団塊世代をはじめとする戦後世代は、他者に干渉してゆく習性を持っています。それが全共闘運動になり、現在の管理社会にもなっている。まあ、大人が、若者や子供に干渉してゆく社会なのでしょう。
そのプレッシャーを受けながら「癒し」だの「萌え」だの「かわいい」というムーブメントになっている。もともとそういう「かなし」の感慨が生まれてくる風土があるのだから、それは当然の現象であるのかもしれない。
日本列島住民は、縄文以来、この社会を「憂き世」と嘆きながら歴史を歩んできた。もともと権力者が民衆を支配管理してゆく伝統があるのだろうが、大人と若者や子供との関係がこんなにもいびつになってきたのは戦後特有の現象であるのかもしれない。
大人の領分があり、若者や子供の領分があった。そうしてみんなで「憂き世」と嘆いていた。しかしいまや、幸せ自慢をする大人が若者や子供を支配管理し、若者や子供ばかりが「憂き世」と嘆いている。
「憂き世」という嘆きを生きることができなくなった大人たちは病んでおり、「かなし」の感慨を持てなくなっている。そうしてお騒がせ老人になったあげくにぼけてゆく。
なんにせよ、大人と若者が「かなし」の感慨を共有できなくなっている。
大人たちはこういう。「幸せになりなさい、幸せでなければ生きたことにならないよ」と。しかしそれは、そういうかたちでしか生きられない大人たちの病んだ心をさらしているだけなのです。



生きていれば、いろんななりゆきに遭遇して人それぞれいろんな人生になってゆく。そうして「かなし」の感慨を汲み上げながら死と和解してゆく。
戦後世代の大人たちは、死と和解してゆくことに失敗している。それは、死を語るとか語らないという問題ではない。彼らは、死を語りつつ死と和解してゆくことに失敗している。幸せであろうとなかろうと、「かなし」の感慨とともに心を細分化しながら消えてゆくというタッチこそ、人類に普遍的な死と和解してゆく作法なのでしょう。
肥大化した幸せ感は、そのまま肥大化した不幸感に反転してしまう危険をはらんでいる。そのはざまで、多くの大人たちが鬱になったりぼけたりお騒がせ老人になったりしている。それはきっと、死と和解してゆくことに失敗した体験なのでしょう。
歳をとれば、幸せ感だけでは生きられなくなってくる。それでも幸せ感だけで生きようとするのなら、もうぼけてしまうしかない。あるいは、世界中の人間を幸せ感でしか生きられない存在にしてしまおうと企む。そうやって現在の大人たちは、若者や子供を支配管理しにかかっている。
自分の幸せに酔って生きるか、それとも自分を忘れてこの世界や他者に対して「かなし」の感慨を向けてゆくのか。
なんといってもネアンデルタール人は、現代人とはずいぶん違う条件の中で生きていた人たちですからね。現代人は、彼らのことをわかりたくないし、肯定したくないのでしょう。しかし彼らが、われわれの原型になっているのです。彼らのところで、人類の「かなし」の感慨は極まったのです。死と和解しながら心が華やいでゆく作法は、彼らから学ぶことができる。
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