首飾りの起源・かなしみとときめきの文化人類学7


考古学の発掘証拠によれば、勾玉(まがたま)は縄文時代からあったらしい。
だったらそれは、大陸から伝わったものではなく、日本人が勝手にそんなかたちをイメージしていったのだということになります。
そのかたちが大陸にもあったとしても、人間は普遍的にそんなかたちをイメージしてゆく性向を持っている、ということでしょう。おたがい勝手にそれを発想した。
それは、「ひとだま」とか「霊魂」のかたちだ、という人は多いですね。
しかし縄文人は、霊魂などというものは知らなかった。日本人にとっての霊魂は、歴史的にずっと亡霊とか幽霊とか悪霊とか怨霊などといって気味悪いものとしてイメージしてきた。それは、仏教伝来のころに大陸から伝わった概念であり、もともとなじみのないものだったからそういうイメージになっていったのでしょう。日本人が、霊魂とかひとだまに親しみをおぼえた時代など一度もなかった。縄文人弥生人が霊魂に親しみををもっていたら、そのあとの時代ももっと親しみ深い霊魂観になっていたはずです。
縄文人が勾玉を首飾りにしていたとしたら、それは、彼らにとっていちばん親しみ深いかたちであったことになります。
おそらくそれは目のふちからこぼれれ出る涙のかたちであり、彼らがそれを自覚していなかったとしても、無意識のうちにそういうかたちに対する愛着が育っていったのでしょう。
つまり、それが何を表すかというような意識などなかった。彼らにとっては純粋なデザイン感覚だったのであって、後世の人間が勝手に霊魂のかたちだと決め付けているだけなのではないでしょうか。
ただ単純に丸いだけではつまらない、何かおもしろいかたちにアレンジしようと発想していった。涙のかたちからはじまって、だんだんそのようになっていった。勾玉のかたちにして並べると、それぞれに隙間ができて、首につけているときひとつひとつが微妙に揺れる。そんな効果もあったのかもしれない。
ぶつかり合ってかすかに音がするところも、つけているものの心を落ち着かせたのかもしれない。
そういうデザイン的なおもしろさだけでそのかたちが発想されていったと考えるのは無理があるでしょうか。僕にとっては、霊魂のかたちだと決め付けるほうがよほど無理があるように思えます。
そこにプリミティブ(原始的)な発想があったとすれば、それは「霊魂のかたちにした」ということではなく、「涙の粒が揺れれてキラキラ光るさまに対する愛着が残されている」ということにあるのではないでしょうか。
原始社会で大切にし共有されていたのは、「霊魂」ではなく、「かなしの感慨」だったのです。それがなければ、ネアンデルタール人の社会も縄文社会も成り立たなかった。
いや、現代社会おいても、人と人の関係性の根源=自然はそこにこそあるのではないでしょうか。



人が首飾りをつけるのは、基本的には宗教心ではないでしょう。
たんなるおしゃれです。
7万年前の人類が宗教心で首飾りをつけはじめたわけでもないし、今だっておしゃれのためにあれこれ工夫されている。
どうして人は、首飾りをつけたくなるのでしょう。ただ見せびらかしたいだけじゃない。それによって自分の体や心が落ち着くということがあるのでしょう。むしろ、そちらのほうが大事であるのかもしれない。
原始人にとっても、顔は、もっともはっきりと自分をあらわしている部分であったはずです。表情が表れ、言葉が口からこぼれ出る。人は、顔によって外の世界と向き合っている。外の世界と向き合っていることのよろこびもあれば畏れもある。外の世界や他者と関係してゆこうとする衝動もあれば、そこから逃れて隠れたいという衝動もある。
人間は「かくれんぼ」の好きな生き物です。かくれんぼをするように地球の隅々まで拡散していった。
猿よりも弱い猿である人間は、世界を畏れつつ世界にときめいている。
人と関係したいくせに、人から見られることの居心地の悪さも覚える。
この顔によって自分を外にさらしてしまっているという居心地の悪さは、誰もがどこかしらに抱いている。
その居心地の悪さに落ち着きを与えて他者と関係してゆける装置として、首飾りや髪飾りをつけたり化粧をしたりしている。
身体と世界との関係に落ち着きを与える装置として、人類は首飾りをつけはじめた。いいかえれば原始人は、首飾りをつけずにいられないほど身体に対する居心地の悪さを抱えた存在だったのです。人間にとっての生き物としての身体は、どうしようもなく脆弱です。体力も敏捷性も視覚や聴覚や嗅覚も、すべて退化している。



その居心地の悪さに落ち着きを与えることこそ、首飾りのもっとも大切で本質的な機能であるはずです。
最初は、顔や体に色を塗ったりするところからはじまったのでしょうか。
なぜそんなことをするのかということの説明として、多くの人類学者が「部族のアイデンティティを示すため」などといったりしています。
ばかばかしい。
原始人に「部族」という意識があったはずがないじゃないですか。彼らはほかの部族の存在などというものは知らなかったし、戦争をしていたわけでもない。人と人が出会えば、他愛なくときめき合っていた。サバンナのアフリカ人は家族的小集団で一定の地域内の小さな森から森へと移動生活をしていて、そこで他の小集団と出会えば女を交換していた。女は、よその集団の男とセックスしたがった。そして北ヨーロッパで定住生活をしていたネアンデルタール人は、旅人の来訪を歓待していた。男も女も、見知らぬ相手とセックスしたがった。
今でも、文化人類学者がフィールドワークに出かけると原住民の女が寄ってくる、といわれています。
人間は、生きるためには何の役にも立たないきらきら光るものに心を動かされるように、ふだんの生活圏の外の相手との出会いにこそときめいてゆく。それほどに、生きてあることのいたたまれなさを抱えて存在している。
みずからの部族であることを証明しつつ他の部族を排除するために首飾りをつけたんじゃない。安心して他者にときめいてゆくことのできる形見として首飾りをしていったのです。それをつけていると、みずからの身体の居心地の悪さや世界=他者に対する畏れが和らいで、安心してときめいてゆくことができた。
首飾りは、他者にときめいてゆくための形見だった。その「かなし」の感慨の形代として、縄文人は勾玉を作っていった。
呪術のためでもなんでもない。



「かなし」の感慨の形代=形見を作ろうとすることこそ、日本人のデザインセンスの基礎になっているのではないでしょうか。
そこに立って他者にときめいてゆく、ということ。
たとえば、現在の「かわいい」のファッションの重ね着やマスコット飾りのあの不規則な装飾性は、西洋の「見せる」ための美の基準・法則から大きく逸脱しています。「見せる」ためではないから、それでもいいのです。それは、自分が世界や他者にときめいてゆくための根拠なのです。しかしそれが根拠たり得るためには、「かなし」の感慨の形代=形見になっていないといけない。その形代になっている気配が「かわいい」のでしょう。
「見せる」ためではないが「見られる」ことからは逃れられない。かわいいのファッションには、「見られる」ことの困惑と羞恥がにじんでいる。だからあんなにも不規則になってしまうし、不規則でもなお愛らしい気配がある。つまり、世界や他者にときめいてゆこうとする気配がある。そういう「かなし」の感慨が潜んでいる。「見せる」ファッションじゃない。「見られる」ファッションなのです。
人間は「見られている」存在であり、その居心地の悪さを処理し宥めながら、そこから世界や他者にときめいてゆこうとしている存在です。そういう人間であることの根源・自然の上に「かわいい」のファッションが成り立っている。
それはもう、この国の縄文時代以来の伝統なのです。あのバッグにぶら下げたじゃらじゃらした飾りは、縄文人火焔土器と同じなのです。「きもかわ」とは、縄文土偶のことでもあるはずです。
「見せる」ためなら、何もわざわざあんなへんてこりんなかたちにはしない。それは、「見られる」ことの困惑と羞恥に耐えながら世界や他者にときめいてゆくかたちなのです。
それは、「見られる」ことが前提になっているが、その困惑と羞恥に耐えるために、その視線を混乱させ分散させてしまう効果としてあのようなじゃらじゃらした装いになっている。そうやって彼らは、「見られる」ことの困惑と羞恥に耐えながらこの世界や他者にときめいてゆく。
それは、世界や他者にときめき心が華やいでゆくファッションなのです。そういう華やぎを持っていないと、その装いは愛らしい姿になってこない。外国人が「見せる」というコンセプトでそれを真似しようとしても、どうしてもさまになってこないのです。



「かわいい」も「かなし」も同じなのです。きらきら輝いている「かなし」が「かわいい」です。
「かはゆし」の「はゆ」は、「映(は)ゆ」すなわち「キラキラ輝いている」です。
人間は「かなし」の感慨がきわまって「涙」を流すようになり、「涙のゆらめき」に対する感慨が契機になって「かわいい」という言葉が生まれ、金銀宝石が価値の世の中にもなっていった。
原始人が首飾りをつけはじめたときにもきっと、見られることの困惑と羞恥があったのでしょう。べつに、見せるためだったのではない。現代においても、ファッションの基礎にあるのは「見られることの困惑と羞恥」です。それを知らない女がどんなにおしゃれをしても、いつまでたっても野暮ったい。
外国のギャルも「かわいい」のファッションに魅せられるのは、世界中どこでも思春期はもっとも深く「見られることの困惑と羞恥」に浸される時期だからでしょうね。まだまだ大人のように「見せる」ことに邁進してゆける段階ではない。
しかし外国は「見せる」文化が発達しているから、その自意識が邪魔してどうしても日本列島のギャルほどにはうまくゆかないらしい。
言い換えれば、日本列島では、「見せる」ための美の基準が確立されていない。
誰が美人かという基準も、いろいろいわれているが、外国ほどには一定していない。日本人の男は、その女のなんとなくの存在の気配こそがもっとも気になったりする。
美人とは見られることの困惑と羞恥を持っている存在、ということになるのでしょうか。
日本人の自意識が薄いとすれば、それは原始的な民族だということです。
原始人はみな、見られることの困惑と羞恥を持っていた。
首飾りのことにせよ、原始人の生態を考えるのに現代人の「見せる」という自意識を当てはめてゆくと間違う。
生きてあることのいたたまれなさを抱えた自分を忘れて世界や他者にときめいてゆこうとするのか、それとも自分を確かめるために他者からときめかれようとしながら自分を見せびらかしてゆくのか。そういう違いなのだろうと思えます。
そしてわれわれ現代人だってそういう原始性を基礎にして他者との関係を結んでいるのだということを、今どきの若者の「かわいい」の文化が教えてくれます。
現代のもっとも高度なファッションだって、「見られることの困惑と羞恥」を持っている。



ビーズの文化を生み出したネアンデルタールクロマニヨン人は、人の涙に対する愛着を自覚的に持っていたのでしょう。その生態が基礎になって、氷河期明けの人類は金銀宝石を価値とする社会をつくっていった。
人間の観念と遺伝子は、どんどん世界中に広がってゆく。原始時代だってそれぞれの集落がまわりの集落と女を交換したりして行き来していたのだから、首飾りの習俗だって、あっという間に世界中に広まってしまうのです。
数万年前の北のネアンデルタールと南のホモ・サピエンスのどちらが先に貝殻の首飾りをつけはじめたのかはわかりませんが、そういう文化はあっという間に伝播してゆくし、たんなる偶然の一致の同時発生だったとしても、彼らがきらきら光るものが好きだということは共通していたのでしょう。
ネアンデルタールクロマニヨン人は、火のゆらめきに対する愛着とともに「かなし」の感慨を深くしながら、しだいにきらめく涙を形象化することに自覚的になってゆき、ビーズの文化が生まれてきた。
生きてあることに対する嘆きが深くならなければ、世界や他者に対する「かなし=ときめき」の感慨も深くならない。
誰もが幸せに生きたいし、美しいとか魅力的だと認められたいだろうが、それでも人生のなりゆきで不幸に遭遇することはあるし、歳をとれば美しさを失いつつ世間的な評価の外の存在になってゆくしかない。しかし人は、その嘆きの体験を通して「かなし」の感慨を深くし、人とときめき合うことのできる存在にもなってゆく。
ほんとに誰だって幸せに生きたいのだけれど、人類のもっと深い「かなし=ときめき」は、もっとも深い嘆きとともに生きたネアンデルタール人によって体験されている。そして何はともあれその体験を引き継いで日本列島の文化が洗練してきた。
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