涙することの華やぎ・かなしみとときめきの文化人類学5


ネアンデルタールクロマニヨン人の社会には、「私有財産」という制度がなかった。
だから、死者の埋葬に際しては、たぶん彼らがいちばん大事にしていたであろうビーズを、誰もが惜しげもなく捧げていった。
人類の「私有財産」という意識は、氷河期明け以降、外部の異民族との軋轢が起こってきたところから芽生えてきた。そういう「外部を排除する」という意識が、個人の外部にも向くようになってきたからでしょう。つまり、自意識が肥大化してきた。共同体の自意識も個人の自意識も一緒です。それは、「外部を排除する」という意識です。まあ、そういう意識を持たないと集団も個人も生きられなくなっていった。
しかしネアンデルタールクロマニヨン人の意識には、そういう排他性はなかった。彼らは、外部からの旅人を歓待した。それが、地球の果てまで拡散してきた人々の遺伝子だった。その意識がなければ、人類の地球拡散など起きなかったのです。
集団の外に新しくできた小さな集団は、旅人を歓待してゆくことによってもとの集団より大きくなっていった。その繰り返しで人類は、地球の隅々まで拡散していったのです。
彼らにとっては「今ここ」がこの生やこの世界のすべてだったのであり、自分たちの「今ここ」に入ってきた旅人は大いに歓待した。
何はともあれ人間を生かしていたのは、心が華やいでゆく体験だったのです。
原始人は、水平線や地平線の向こうは「何もない」と思っていた。自分たちが見渡せるまわりの景色が世界のすべてだった。だから、「この世界は数頭の象の背中に支えられた円盤の上に成り立っている」というような絵が描かれた例もある。
人間の無意識は、「今ここ」がこの生やこの世界のすべてだと思っている。そういう意味での「外部」に対する意識はない。排除するとかしないという以前に、「外部」など存在しないのです。原始人には、そういう自意識はなかった。だから、「私有財産」という発想などするはずがない。



原始人は、「今ここ」がこの生やこの世界のすべてだと思っていた。つまり、自分の集団がこの生やこの世界のすべてだと思っていたということです。
それでも人は、その集団からはぐれてしまう。「すべてだ」と思っていた集団からはぐれてしまうから、「かなし」の感慨もいっそう深くなる。
はぐれてしまうことの嘆きを知っているものが、はぐれてしまって訪ねてきた旅人を歓待しないはずがない。
人は、心の中に「世界の終わり」を持っている。
人類は、「かなし」の感慨を共有しながら拡散していった。そしてその感慨は、行き止まりの地にたどり着いたネアンデルタール人のところで極まった。彼らは旅人を歓待し、他者を生かそうとする心を共有してゆくことによって暮らしていた。その氷河期の極寒の地は、共有してゆかないと誰も生きられない環境だった。
私有財産」という意識など持ちようがなかったし、とうぜん社会的な階層もなかった。まあ、そんな制度をつくれるような社会ではなかった。
どんどん人口が増えている社会なら、異民族は徹底的に排除すればいいし、社会の中の弱者も容赦なく切り捨てたり支配していってもいいでしょう。しかしどんどん人が死んでゆくネアンデルタール人の社会でそんなことをしていたら、たちまち先細りになって滅んでしまったことでしょう。
「かなし」の感慨を豊かに共有している社会では、そんな構造になってゆかない。まあ、「私有財産」や「階層」が生まれてくるような余剰の生産物などあったはずがないじゃないですか。
唯一の、といえるほどの余剰の生産物が「ビーズ」だったともいえるわけで、それすらも埋葬に際して誰もが惜しげもなく死者に捧げていった。それは、彼らにとっての「金銀宝石」だったのです。



死をどう扱うかとか、死者に対してどう振舞うかは、それぞれの地域によってかなり違うが、その事態に対して誰もが「かなし」という喪失感を抱くということにおいては世界共通でしょう。
「かなし」は、追跡する心であり、誘惑されている心でもある。そうやって人は、ときめきいとおしくなってゆく心を共有している。「火のゆらめき」「涙のゆらめき」は、人の心をそういうところにいざなってくれる。人類の「かなし」の感慨は、「火のゆらめき」「涙のゆらめき」を追跡し誘惑されていった。それが、現在の「金銀宝石」を第一の価値とする世界的な合意の基礎になっている。
ことに死と背中合わせの環境で生きていたネアンデルタール人の「火のゆらめき」「涙のゆらめき」に対する愛着は格別のものがあったはずです。彼らの歴史がなかったら現在の金銀宝石の文化もなかった、ともいえるのかもしれない。
彼らほど死者に対する「かなし」の感慨を深く体験している人々もいなかった。
現在の人類学では、どこで誰が最初に埋葬をはじめたのかということについては諸説あるのだが、何はともあれネアンデルタール人がいちばん生きにくい環境を生きている人々だったわけで、それだけたくさんの死者を見送って暮らしていたし、死者に対するかなしみも深かったはずです。人類が最初に埋葬をはじめた契機は、知能がどうのとか霊魂や死後の世界がどうのというような問題ではない。「かなし」の感慨をいちばん深く抱いている人々が埋葬をはじめたのです。


人類が小さな貝殻をつなげてネックレスをつくったのが7〜10万年前ころのことで、その考古学証拠はアフリカでもヨーロッパでも見つかっています。
しかしヨーロッパは、そこから「ビーズ」の文化にまで発展させていった。それは、「涙」に対する愛着が、生きにくい環境を生きていたネアンデルタールクロマニヨン人のほうがはるかに深かったからでしょう。
どちらの知能が高かったかというような問題じゃない。
どうやら、火のゆらめきにたいする親しみが発展して涙に対する親しみになっていったようです。
もともと人類はきらきら光るものが好きだったのだが、それはあくまで無意識レベルのことで、火のゆらめきに親しんでいったことによっていっそう「かなし」の感受性が発展し、その結実として涙に対する愛着になったのでしょう。
どう考えても、人類の金銀宝石に対する価値意識の基礎には「涙」に対する愛着があったとしか思えません。
それはまあ、人と人の関係に対する心模様の問題です。
けっきょく、人と人の関係に対する心模様が人類の歴史をつくってきた。



人は、人の死に対してどう振舞うか。
みずからの死に対する振る舞いと、親しい他者の死に対する振る舞い。人は、その体験においてどう振舞えばいいかと煩悶する。そうしたネアンデルタール人ならではの「かなし」の感慨の歴史の上に「ビーズ」の文化が生まれてきた。
人類は、「かなし」の感慨が極まって、涙を流す生き物になっていった。
乳幼児の涙にだって、人類の歴史の無意識がこめられている。乳幼児こそ、もっとも深く直接的に「かなし」の感慨を体験している存在です。
人間は「かなし」の涙を流す存在であり、「かなし」の涙に大きく心を動かされる存在です。その「かなし」の感慨は、人間的な火に対する親しみと人間的な「死ぬ」という体験とともに深くなってきて、そこからヨーロッパのビーズの文化が生まれてきたのでしょう。
人が死ぬという事態は、死んでゆくものにも生き残ったものにも深い感動をもたらす。



近ごろは、「孤独死」などということがよくいわれています。
一人暮らしの五十代六十代の男が増えているそうで、その人たちはまだ老人ホームに入るほどの年齢ではないが、社会の動きから落ちこぼれて働く気力も人付き合いもなく、やがて安アパートで枯葉のようにひっそりと孤独死してゆくことが多いのだそうです。
上野千鶴子という社会学者は、世の男たちはこの情況をきちんと深刻に受け止めていない、と批判しておられます。
そうでしょうね。多くの男たちは「そういう人生もありかな」と思ってしまう。
そういう「野垂れ死に」に、いささかのあこがれがないわけでもない。
野垂れ死に」や「行き倒れ」は、旅=漂泊の文化である日本列島の伝統です。
集団からはぐれてしまうことは、人間であることの属性です。誰だって、心のどかしらで集団からはぐれてしまっている。
そうかんたんに「孤独死はみじめでみっともない死に方だ」ともいえない。
そういう死に方をしていった人たちの人生はもう、取り戻せない。それを、「みじめでみっともない死にざまだ」と否定してしまっていいのか。というか、男は、否定してしまうことができないのですよ。
お幸せな高級老人ホームでの死だけが美しい死にざまだといわけでもないでしょう。
すべての死が、人に感動をもたらす。すべての死んでゆく人が、感動とともに死んでゆく。
安アパートの孤独死だろうと、頭の薄っぺらなブスのインテリばばあから「みじめでみっともない死にざまだ」と否定されるいわれはないのです。
少し前には、大原麗子飯島愛孤独死がマスコミで話題になりました。女であろうと男であろうと、孤独死は人に大きな感動を与えます。それはもう、日本列島の伝統の歴史意識です。
「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」と詠んだ有名な俳人もいた。まさしく「世界の終わり」の風景の中で心が華やいでいっているのです。
人は、死に対する「かなし」の感慨を共有している。幸せな死にざまでなければならないというわけでもない。むしろ不幸な孤独死こそ人に深い「かなし」の感慨を与えるという場合も多い。それは、われわれは死んでゆくことができるのだ、という希望を与えてくれる。人は、そういう希望を「火のゆらめき」や「涙のきらめき」に愛着しながら文化として紡いできたのではないでしょうか。
死んでゆくときの心の華やぎというのが、たしかにあるのです。それこそが「かなし」の感慨であり、その感慨=華やぎは孤独死においてもっとも深く豊かに体験されるのです。日本人はもう、そういうことを歴史意識として直感的に感じているから、「野垂れ死に」という死に方にあこがれたりする。
幸せ自慢して「孤独死」をさげすんでばかりいたら、死んでゆくことができなくなってしまう。この世の幸せに浸ろうとするばかりで死んでゆくことができなくなった心の騒々しさこそ、よほど醜態でしょう。
人類永遠の願いである「死と和解する」ということは、「孤独死」をさげすみ否定することにあるのではない。
人類は、死屍累々の悲惨な歴史を歩んできた。だから埋葬をするようになったし、歴史の無意識として「死んでゆくことほど幸せなこともない」という感慨がどこかに疼いている。そうやって心は、死んでゆくことに対して華やいでゆく。そういう心で生きていれば、死んでゆくときにほんとにそんな心地になれるのかもしれない。
まあ死んだことがない人間にはよくわからないことだが、人間がきらきら光るものを好きなのは、死に対する感慨からきているのでしょう。
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