ネアンデルタール人と拡散の衝動・「漂泊論」78

     1・とりあえず人類は北の果てまで拡散していった。
アフリカ中央部から拡散していった原初の人類が氷河期で地続きになったドーバー海峡を渡っていったのは、50万年前ころだといわれている。
彼らが、ネアンデルタール人の祖先になった。
人類が最初にアフリカを出てから150万年後のことである。
それは、げんみつには旅していったのではなく、生息域がじわじわ広がっていった結果なのだが、それでも、自分の集落から出てゆこうとする旅の衝動がなければ起きなかったことだ。
そうやって50万年前ころにはもう、人類は、ユーラシア大陸の隅々まで拡散していた。
彼らがそのような寒さに耐えられたということは、まだ猿のように体毛が生えそろっていたということだろうか。
火を使っていたかどうかはわからない。また、大型の草食獣の狩ができるほどの武器を持っていたわけでもない。
おそらく、そんな極寒の地で暮らせるような文化・文明は持っていなかった。
とすればそれは、そこに行こうとする「目的」などなかったことを意味する。
行こうとしたわけではないのに、行ってしまった。
人間とは、そういう生き物だ。生きようとする目的で生きているようで、根源的にはそうした目的のない衝動ににせかされているのであり、そうやって歴史が動いてきた。
「人間は目的に憑かれた生き物である」といっている人もいるそうだが、そんなものたんなる制度的な観念性であり、不自然な病理である。
まあ、現代人は、そのようにして心の大部分が病んでしまっているともいえる。
近代社会の病理……だからいま、いろんな意味で自然に遡行しようとするムーブメントが起きてきている。
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     2・生き延びようとする「目的」などなかった
温暖でもっと住みやすい土地はほかにいくらでもあったのに、彼らは北へ北へと拡散していった。
温暖な地では、食料に困ることもないし、そう大きな群れにはなってゆかない。
しかし小さな群れでは、人と人の関係が煮詰まってくる。だから、いったん群れを飛び出したものも、またもとの群れに戻ってくる。群れを飛び出してより温暖な地へ移動していっても、群れのレベルの集団になり切れない。
大きな群れの方が人間関係が煮詰まりにくいし、大きな群れでも煮詰まって出てゆこうとするものが出てくるのが人間の集団である。
まあ、寒い土地へ移動していったものたちだけが、しだいに集まってきて新しい群れを形成することができた。寒いところでは、集まっていないと暮らせない。
新しい群れは、つねにより寒い土地にできていった。
暮らしやすいかどうかなんて関係ない。人が集まっているところに引き寄せられてゆく。
より寒い土地に、より大きな群れができていった。そうやって、北へ北へと拡散していった。
くっつきたいわけではないが、くっつかないと生きていられないのが人間なのだ。
群れから飛び出そうとするが、群れに入ってゆこうとする。
住みよくなると、それに倦んでしまう。
住みにくいと、けんめいに住みつこうとする。
もう無意識のうちに北の集団に身を寄せていったのだろうし、北の地で群れをつくっていったのだろう。そういう「目的」があったのではなく、気がついたらそういう行動をしていた。そんなところに行きたいわけではなかったのに、そうなっていた。
とにかくこのことは、目的論では語れない。
生き延びたかったのではない。生きてあることを忘れていなければ、そういう行動はとれない。
一種の自己処罰だったのだろうか。
自分(の身体)のことなんか忘れていなければ、そんなところでは生きられない。
とにかく、北の地の方が、自分を忘れて他者にときめいてゆくということがダイナミックに起きていたのだ。
生き延びようとしてそんな現象が起こってきたのではあるまい。
そういう「目的」を持たないところで生きるといういとなみがダイナミックに起こってしまうことに、人間の人間たるゆえんがある。
生き延びるという目的があったら、誰が好きこのんで氷河期の極寒の地に住みついたりするものか。
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     3・風土の違いというのがある
その50万年前から5万年前くらいまでのあいだ、ヨーロッパでは、身体の形質も石器などの文化も、全域でほぼ似通っていた。
それは、彼らがたえず旅をしていて血の交換や文化の交換をしていたということを意味する。
単純に考えて、北の果てまで拡散していった人種がそのころの人類でいちばん旅の習性を色濃く持っていたに決まっている。
アフリカのサバンナの民は足が長くて走るのが早いから旅の習性も拡散の能力もあるとか、そういう問題ではないのである。
彼らは、50万年前以降、ほとんど拡散することのない人種になっていった。
彼らは、家族的小集団でサバンナの中の小さな森から森へと移動しながら暮らし、部族内の小集団どうしで女を交換していた。そのために部族だけで世界が完結し、やがてアフリカは、言葉の通じない無数の部族が散在するようになっていった。
身体の形質だって、長身のマサイ族と大きな尻のホッテントットと小柄なピグミー、というようなあからさまな違いは、ヨーロッパでもアジアでも起きていない。
50万年前以降のアフリカ人は、どんどん拡散しなくなっていった。
それに対してヨーロッパでは、全域で血や文化の混じり合いが起きていた。
人間は北へ北へと拡散してゆく生態があるが、北ヨーロッパは行き止まりの地である。そこで逆流してヨーロッパ中で血や文化を交換するようになっていったのだろうが、それだけではない、彼らはそうなるような生態やメンタリティを持っていた。
寒いところでは、寒いからたくさんの人間が一か所に集まってくる。そうして大きな集団で暮らす文化が育っていった。
しかし人間は、集団内の顔見知りどうしだけでは完結できない。どうしても人間関係が煮詰まってきて、他の集団に移ってゆくものや他の集団から移ってくるものが出てくる。そういうことがヨーロッパ中で起きていた、ということだ。
まあ灼熱のアフリカではできるだけ木陰でじっとしていたいし、極寒の地では動きまわっていないと体温が下がってしまう。そういう違いもあるのかもしれない。
今でも、アフリカ人よりもヨーロッパ人の方がずっと旅が好きである。それはもう、ヨーロッパ50万年、あるいは100万年の歴史の伝統なのだ。
アフリカのホモ・サピエンスは旅が好きでネアンデルタールは動かない、などという歴史の事実はない。、
寒いところに集団で暮らしている方が、ずっと強く旅をしたくなる衝動が起きてくる。
ネアンデルタールは寒さに閉じ込められ、集団に閉じ込められながら、つねに旅に出ようとする衝動を疼かせていた。
人類の旅ををしようとする習性をを発達させたのは、氷河期の北ヨーロッパに住み着いていたネアンデルタールである。
その習性によって、地球上のすべての人類がホモ・サピエンスの遺伝子のキャリアになった。
われわれは、誰もがホモ・サピエンスの遺伝子のキャリアであると同時に、ネアンデルタールの遺伝子のキャリアでもある。
しかしそのとき、ヨーロッパのネアンデルタールがアジアまで旅していったわけではないし、氷河期以前にアフリカを出ていったサバンナの民などひとりもいない。
ただもう、世界中の集落どうしが血の交換をしていただけだ。そういう旅の習性を、人類は発達させてきた。
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     4・人間の自然
ネアンデルタールほど、生きてあるいまここに対するいたたまれなさを強く疼かせている人々もいなかった。
それが、人間が旅をすることの契機なのだ。
人類の文明や文化の発達は、ネアンデルタールのところがはずみになっている。
人類が氷河期の極寒の地に拡散してゆくということがなければ、現在の文明や文化はない。
アフリカのホモ・サピエンスは人類拡散の勢いを停滞させ、ヨーロッパのネアンデルタールがその勢いを加速させた。
まあこのことを書きはじめるときりがないのだが、このブログではすでにあれこれ書いてきたから、できればそれも読んでもらえたらと思う。
ひとまずここでは、人間はなぜ旅をするのかということを問うている。
そしてそれは目的をもたないエロスの衝動にあると思えるのだが、因果なことに人間は目的を問いたがる生き物でもある。
とくに現代人は「目的」というパラダイムで語って納得してしまう傾向が強い。それは人間の病理であって本性(自然)ではないということを、僕自身としてはどうしてもはっきりさせておきたい。
人間の自然とは何かということが問われている時代であるとも思えるし。
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