人類拡散・ネアンデルタール人論1

またネアンデルタール人のことを書いてゆこうと思います。
いまさら書いても以前に書いたことの蒸し返しがほとんどなのだけれど、新しく書き加えることができる部分もあるかもしれません。
このレポートは、基本的に人類学の評論とか解説のようなものではありません。感想というか批評いうか、そういう類の文化論および人間論です。まあそういうモチーフでここまで考えることを続けてきたつもりだけど、とにかく書いてみないことには何が出てくるかわかりません。とりあえず最初は、今まで書いてきたことのおさらいです。

 ネアンデルタール人は、人類拡散の総決算として登場してきた人々です。
 考古学の証拠からは、アフリカ中央部での二本の足で立ち上がった人類の誕生が700万年前といわれており、そこから徐々に拡散をはじめて50万年前に北ヨーロッパまでたどり着いた。
 人類学の通例ではよく、アフリカを出て行ったことが人類拡散の起点のようにいわれたりしているが、アフリカの出口のスエズ運河あたりまでたどり着くことだって、猿の生態としてはかなり異例のことです。
 人類にもっとも近い猿であるチンパンジーは、いまだにアフリカ中央部にとどまって拡散してゆくことができないまま、いまや絶滅危惧種の仲間入りをしてしまっている。
 700万年前にアフリカ中央部で誕生した人類がゆっくりと拡散をはじめながらアフリカの出口までたどり着いたのが、およそ2〜300万年前。これは、現在の中央アジアグルジア共和国で180万年前の人類遺跡が発見されたことから類推した数字です。しかしアフリカからもっと遠い地で発見されたジャワ原人もそれくらいの年代だといわれているから、もしかしたらグルジアにはもっと古い人骨も埋まっているかもしれない。
 その遺跡で発見されたもっとも古い骨はかなり原初的で、体や頭蓋骨の大きさはむしろ猿に近いレベルのものです。
 猿に近いレベルなら、拡散のスピードもとうぜん緩やかでしょう。そしてそのレベルですでにそこまで拡散していたということは、二本の足で立ち上がったときからすでに拡散がはじまっていたということを意味します。
 おそらく原初の人類は、4、500万年かけてアフリカの出口まで拡散していった。
 そして、そのころにはもう、かなり体が大きくなっている種族もいました。とすれば、アフリカで進化した種族はアフリカにとどまり、進化から取り残された人々が拡散していったことになります。
 人類学ではひとまず、形質の劣った人種はどんどん滅んでゆき、発達した人種だけが生き残ってきたというように考えられているのだが、グルジアの遺跡で発掘されたその骨は、体の大きさも脳容量も猿並みで、明らかに形質が未発達だったのです。
 それはまあ、とうぜんです。人類拡散は、未発達の人種が追い出されるようにして起こってきたことです。進化した人種は、移住してゆく必要なんか何もない。
 基本的に人類拡散は、いくつかの集団からはぐれてきた者たちが集まってもとの集団の外に新しい集団をつくってゆくということの繰り返しで実現していったことです。
「住みよい土地を求めて」とか、「狩の獲物を追いかけて」とか、そういうことではない。
 はぐれ者は、知らない者と出合ってときめき合ってゆくことができるメンタリティを持っている。というか、人類は二本の足で立ち上がることによってそういうメンタリティをしらずしらず身につけていったわけで、それこそが人類拡散の原動力だったのです。



 われわれのお祭りやコンサートやスポーツ観戦にしても、知らない者どうしが集まってきてときめき合ってゆくイベントです。人類は、この心模様によって猿から分かたれた。現代社会だって、人がこの心模様を基礎に持っていないと住みにくいものになってしまう。
 なんのかのといっても、人間を生かしているのは、他者とときめき合う体験にあるのでしょう。
 人類は、拡散してゆくほどに、人と人が他愛なくときめき合ってゆく心模様を豊かにしていった。そうして、猿のレベルを超えた大きな集団をいとなむことができるようになっていった。
 他愛なくときめき合う心模様を持っていなかったら、人類拡散は起きなかった
 それは、人類学者がいうような「知能の進化」などという問題ではない。最初にアフリカを出てグルジアまで拡散していったのは、知能も身体ももっとも未発達な人種だったのです。彼らは、「はぐれ者」だったから、住みにくさを厭わない耐久力と他者に対する豊かなときめきをそなえていた。人類は、拡散してゆけばゆくほどそういう心模様が深まってゆき、ついに氷河期の北ヨーロッパでも住み着いてしまう生態になっていった。
 それがネアンデルタール人で、そのころの地球上で彼らほど住みにくさに対する耐久力と他愛なくときめき合ってゆける心模様を豊かにそなえている人びとはいなかった。その心模様によって人類の知能や文化が爆発的に進化していった。
 現在の人類社会の基礎は彼らによってつくられた。
人間は、生きてあることにうんざりしながら、それでもというかそれゆえにこそ世界や他者に豊かにときめいてゆく存在なのです。
 誰もが、その無意識の中に、生きてあることに対する嘆きを抱えている。そうでなければ、人間的なときめきなど起きてこない。



「憂き世」という。
 あなたがもしも生きてあることやこの社会に対するいくぶんかの違和感や疎外感があるのなら、それは自然なことです。
 人類はもともと集団からはぐれてしまいやすい生態を持った存在だった。だからこそ、地球の隅々まで拡散していった。
 最初の人類は、アフリカ中央部のサバンナの中の孤立した小さな森の中で発生した。そこはサバンナに囲まれた場所だから、余分な個体を追い払うことができなかった。まあ奥地のジャングルに棲むチンパンジーはそうすることによって群れの個体数や秩序を守っているのだが、そのときの人類にはそれが不可能だった。外はサバンナなのだから、たちまち肉食獣の餌食になってしまう。そこにはもう、追い出す場所がないし、誰もが追い出されるまいとした。もしかしたらそのころチンパンジーと同じような生態を持った猿だったのかもしれないが、もはや追い出そうとする衝動も起きてこなかった。
 ひとまず食料となる木の実だけは潤沢にあったのかもしれない。そうして集団は、無際限にふくらんでいった。
 気がついたら、限度を超えてふくらんでいた……これが、人間の生態の基礎のひとつになっている。人間は集団をつくろうとする存在ではない。すでに集団の中に置かれている状態から生きはじめる。そのふくらみすぎた集団の中の生きにくさをやりくりしたりはぐれてしまったりして生きている。
 集団をつくろうとする衝動を持っていないから、現代社会のように無際限に大きな集団になってしまう。猿のようにつくろうとする意図でつくれば、ちょうどいい規模が保たれる。しかし人間にあるのは、集団をやりくりしようとする衝動だけで、根源において集団をつくろうとする衝動は持っていない。人類史は、はじめに集団の鬱陶しさがあり、それをやりくりしようとするところからはじまっている。そうやって、二本の足で立ち上がった。
 人類の二本の足で立ち上がる姿勢は、集団の鬱陶しさから逃れる姿勢であると同時に、集団をやりくりする姿勢でもある。これが、人間の集団に対する意識の基礎であるらしい。
 人間の無意識は、すでに集団からはぐれてしまっている。そうやって人は「憂き世」と嘆いたり、正義ぶって悲憤慷慨したり、自分は世の中の連中よりましな人間だとうぬぼれたり、自分はだめな人間だとひがんだりしている。まあ人さまざまだが、誰もがどこかしらに集団からはぐれてしまっている心を抱えている。
人間は、集団からはぐれるようにしながら集団のうっとうしさををやりくりしている存在であって、根源的には、集団にしがみついて集団のすばらしさを称揚してゆこうとしているのではない。
 集団からはぐれてしまう存在だから、人類拡散が起こった。
 それは、住みよい土地を求めて集団で移住してゆくというようなムーブメントではなかった。集団からはぐれてしまったものどうしが集まって集団の外に新しい集団をつくっていったことの繰り返しで拡散していったのです。



 では、そのムーブメントはいつごろからはじまっていたかといえば、おそらく、700万年前の二本の足で立ち上がった直後からはじまっている。
 ともあれそれは鬱陶しい集団であった。そして二本の足で立ち上がることは、いっときその鬱陶しさから解放されることだったが、それによって人類は、集団からはぐれてしまう心も持ってしまった。
 それは、くっつき合っている他者の身体から離れて、たがいの身体のあいだに「空間=すきま」を確保してゆく姿勢です。その姿勢そのものが、「離れる=はぐれる」という契機をはらんでいる。
 また、もともと猿のメスは、よその集団に紛れ込んでゆくという生態を持っています。したがって原初の人類の女にだってそういう集団からはぐれてしまう生態は引き継がれていたはずであり、二本の足で立ち上がったことによって、さらに頻繁になっていったにちがいありません。そうして女だけでなく、男にも集団からはぐれてゆく心の動きや行動が生まれてきた。
 猿の若いオスは、ボスによっていったん群れから追い出され、衛星のように群れの周囲をうろつくようになる。しかし猿の場合は世代交代の時期がくれば群れに戻ってゆくわけだが、人間は、はぐれたまま、はぐれたものどうしがもとの集団の外に新しい集団をつくっていった。おそらくその動きはもう、二本の足で立ち上がった直後の時期からはじまっていたはずです。
 群れから追い出された猿の若いオスの場合は群れと付かず離れずの距離でうろついているだけだが、人間の場合は、戻るのがいやになるか戻れなくなってしまうくらい離れてしまった。
 原初の人類の集団は、ライバルの猿の群れに対しても、人間の集団どうしでも、相手と隣接するのではなく、緩衝地帯をつくってできるだけ離れようとした。これが、たがいの身体のあいだに「空間=すきま」をつくって立ち上がっている人間の本能です。チンパンジーの群れどうしは、くっつくどころか、一部が重なり合ってそこで殺し合いになったりする「オーバーラップゾーン」という場所まであるが、二本の足で立っている弱い猿である原初の人類にはありえないことで、緩衝地帯があるところまで逃げて行かないと安心して暮らせなかった。
 そうやってできるだけ離れて集団をつくろうとする生態とともに、地球の隅々まで拡散していった。
 人間は、根源的に集団からはぐれてしまう無意識を持っている。このことを抑えておかないと、人類拡散は説明がつかない。原初の人類は、猿と違ってもとの群れには戻ることなく、はぐれてしまったものどうしがときめき合っていつの間にか新しい集団になってしまう生態を持っていた。



 人類が地球の隅々まで拡散していったのは、より住みよい土地を見つけていったからではない。移住していった先は、いつだってさらに住みにくい土地だった。それでも住み着いていったのはそこにときめき合う人と人の関係があったからであり、もとの集団に戻れないほど離れてしまっていたからであり、もともと人間がいやだいやだと嘆きながら生きてゆく生き物だったからです。
 嘆きは、けっして人間の生を妨げる感慨ではない。嘆きを共有しながら人と人はときめき合ってゆく。
 より嘆きの深い者たちが集団からはぐれて移住していった。
 知能的にも体力的にもより進化していた者たちが拡散していったのではない。進化できないまま嘆きを深くしていった者たちが拡散していったのです。それでも人類の世界は流動的だから、文化や遺伝子はたちまち世界中に伝播してゆく。そうやって拡散していった者たちもやがて知能的にも身体的にも進化してゆく。そうして、さらに住みにくい土地にも住み着いてゆける能力を身につけていった。
 で、とうとうネアンデルタール人が氷河期の北ヨーロッパにも住み着くようになっていった。そのとき彼らはすでに知能的にも身体的にも、もっとも進化した人種よりも劣っていたわけではないし、もっとも豊かに人間的な生態やメンタリティをそなえていた。
 たとえば、人と人がときめき合う関係性や住みにくさを厭わず住み着いてゆく耐久性の伝統は、ネアンデルタール人がもっとも豊かにそなえていた。その生態が進化しなかったら、人類拡散なんか起きなかった。人類は、拡散してゆきながら、そうした生態やメンタリティを進化発展させていった。



 ひとまず現在の人間社会が成熟しているといえるのなら、その基礎は氷河期の北ヨーロッパに移住していったネアンデルタール人のところにあるわけで、それは知能の問題ではなく、これまで書いてきたような人間的な生態やメンタリティがネアンデルタール人のところで極まったということにあるのです。
 われわれがスタジアムに10万人も集まってスポーツやコンサートを楽しむことができるのは、集団からはぐれた原初の人類がどこからともなく集まってきて新しい土地に新しい集団をつくっていったという歴史の上に成り立っているはずです。知能の発達がそういう生態をつくったのではない。他愛なくときめき合うメンタリティこそ人間性の基礎であり、人類の文化は、知能によってではなく、じつはそのメンタリティによってこそ生まれ育ってきた。
 さまざまな困難に分け入って学問の探求をすることだって、原初の人類がどんどん住みにくい土地に住み着いて拡散していった歴史が基礎になっているはずです。
 言葉の進化発展もまた、人と人のときめきあう関係によってもたらされた成果であって、単純に知能の進化ということだけで説明がつく問題ではない。
 知能のレベルというなら、ネアンデルタール人も現代人も大差ないし、そのころの世界中の原始人にも差はなかった。ただ、そのような人間的な生態や心模様がネアンデルタール人のところで極まっていたというだけです。
 まあ、知能の問題はともかく、人間の探求する心や感動する心は、人類拡散とともに育っていったことです。
 それは、アフリカ人がいきなりヨーロッパに移住していって得られるようなものではない。人類700万年の拡散の歴史とともに長い長い時間をかけて育ってきた生態であり、心模様なのです。
 なのに人類学の世界では、4万年前のアフリカ人がヨーロッパに移住していって原住民のネアンデルタール人と入れ替わったという「集団的置換説」がいまだにかまびすしく合唱されている。
 そのころヨーロッパに移住していったアフリカ人などひとりもいないのです。
 ネアンデルタール人ホモ・サピエンスの遺伝子を取り込んで形質を変化させていっただけなのです。
 まあそのことがいいたくてこのこのレポートを書いているようなものだが、状況証拠だけでそれをいおうとすると、なかなか骨の折れる作業になってしまう。そのためにひとまず人類拡散のところから書きはじめたわけだが、はたしてどこまで耳を傾けてもらえることやら。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一日一回のクリック、どうかよろしくお願いします。
人気ブログランキングへ