「漂泊論」・17・人間であることのストレス

   1・若ものと大人の会話のセンスの違い
いまどきの若者はコミュニケーションの能力がない、と大人たちがいう。
コミュニケーションの能力がないということは、言葉が貧しいということだ、とも。
そうだろうか。
ではいまどきの若者は会話の楽しさを知らないかというと、そんなこともない。若者どうしで楽しくやっているし、彼ら流の会話の仕方がある。
ただ、大人とはうまく会話ができない、というだけのことだ。
大人の会話の仕方と、若者の会話の仕方とのあいだに大きなギャップができている。
どう違うのか。
大人たちが使う言葉は、それがエリート層や知識層であれ一般の庶民の世界であれ、共同体の制度に沿って選択されている。彼らは、共同体の制度に沿った言葉の「規則」というものを使って会話をしている。
そこでは大量の言葉があふれ、そのぶんひとつひとつの言葉の意味が限定されている。だから、ひとつひとつの言葉の「意味=規則」を共有していないと会話が成り立たない。
若者たちは、この「規則」を知らないために、コミュニケーションの能力がない、といわれなければならない。彼らは、そうした「意味=規則」よりも、感慨の表出としての言葉の「感触」に対する愛着がある。それは、どうしても「規則」から逸脱してしまっている。
たとえば、大人たちが「くだらない」というのに対して彼らは「くだらな」という。「というか」は、「つーか」とか「つか」といってすませる。その方が、親しいものどうしが話しているという気分が出るからだろう。
しかし、大人たちは、それが耳ざわりだという。
まあ、語彙そのものの選択も、大人と若者ではずいぶん違うのだろう。大人たちが使っている共同体の規則に沿った語彙を知らないからといって、それがただちに言葉が貧しいということにはならない。
言葉を限定した意味でしか使えないのなら、言葉はたくさん必要になる。
それに対して、たがいにひとつの言葉からたくさんのニュアンスを感じあえるのなら、少ない語彙で会話ができる。それは、それだけ言葉(の感触)に対する感受性が豊かだからだ。
たくさんの言葉を知っているということは、言葉に対する感受性の貧しさでもある。そうやって、たいして必然性があるとも思えない外来語や漢字熟語を多用した文書が、あちこちの会社や役所でつくられている。そんな文書に慣れ親しんでしまうと、言葉に対する感受性がどんどん貧しくなって、たくさんの語彙を持っていないと不安になってしまう。
大人たちの言葉は「規則」の上に成り立っている。
若者たちの言葉は「感触」の上に成り立っている。
ひとまず、そういう違いがある。
だから、会話が成り立ちにくい。そしてそれは、いまどきの若者たちにとっては、魅力的な大人や尊敬できる大人がほとんどいない、ということでもある。彼らが社会に出て最初に出会う社会の壁は、「大人というのはこんなにもしょうもない人種だったのか」という幻滅にある。
そんなはずはない、と思い直そうとしても、どうしても尊敬できないし魅力的じゃない。今や、高学歴のたくさん給料がもらえる職場でもそんなことが起きて、さっさとやめてゆく若者が後を絶たないのだとか。
言葉に対するセンスがちがいすぎる。それは、人と人の関係に対するセンスがちがいすぎるということだ。いやもう、世界観や生命観そのものがちがう、ということだろうか。
近代において、共同体の制度が高度になるにつれて、言葉の機能はますます「意味=規則」の上に成り立つものになっていった。そしてその「近代」が行きづまりを見せはじめている現在、人々の言葉もまた原初以来の伝統に遡行しようとする傾向が出てきた。それはまあ、原初の伏流水が長い歴史の時間を経て地表に湧いて出てくるようなことだ。
べつに古い言葉をたくさん知っていればえらいというものではない。言葉の「規則=意味」にとらわれない、言葉に対する「感触」の問題である。
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   2・直立二足歩行する人間の集団性
人間は言葉を持っているから集団生活ができる。言葉によって集団生活をいとなんでいる……というようないい方をする研究者は多い。
そうじゃない、集団生活をする猿だから、言葉を持ったのだ。
彼らは、言葉が人と人のつながりを生む、だからコミュニケーションは大切である、コミュニケーションこそ人間であることの証しである、という。
そうじゃない、人間は先験的に集団生活をいとなむ猿として存在しているのだ。集団生活から言葉が生まれてきたのであって、言葉を生みだしたから集団生活をするようになったのではない。
直立二足歩行の起源の契機は集団生活にあるのであって、直立二足歩行したから集団生活をするようになったのではない。
コミュニケーションから人と人の関係から生まれてくるのではない、その、人と人の関係の位相からそれ相応のコミュニケーションが生まれてくるだけだ。
支配と被支配の関係は、意味の伝達というコミュニケーションの上に成り立っており、意味が伝わらなければ罰せられる。コミュニケーションの上に成り立っている関係なんて、その程度のものだ。
コミュニケーションなんかなくても成り立っている関係がある。そういうところでは、すでに心と心がつながっている。つまり、コミュニケーション以前の先験的な関係がある。人と人の関係はつくられるものではなく、先験的に存在するのだ。
言葉によって人と人の関係が生まれてくるのではない。人と人の関係があるから、言葉が生まれてくるのだ。
人間は、言葉によって集団生活をいとなんでいるのではない、集団生活をいとなんでいるから言葉が生まれてくるのだ。
集団生活をいとなむために言葉が存在するのではない。集団生活をいとなんだ結果として言葉が生まれてきたのだ。
集団生活をいとなんだ結果として、「あー」とか「うー」とか「もー」とか「のー」という唸り声を発するようになってきたのだ。それは、関係をつくろうとする行為ではなく、すでに関係がつくられていることの「結果=反応」として生まれてきた唸り声である。
言葉は、関係をつくるための道具としてではなく、すでに存在する関係に対する反応として生まれてきたし、現在だってそこにこそ言葉の本質がある。
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   3・人間であることのストレスを引き受ける
原初の人類が「あー」とか「うー」という唸り声を発し合っている段階から「もの」という言葉を共有するようになってゆくまでには、気が遠くなるほどの長い歴史的な時間があったことだろう。
彼らがたんなる「あー」とか「うー」という唸り声を発し合うようになってゆく契機はどこにあったのか。
原初の人類は、猿としての限度を超えて大きく密集した集団をつくっていた。猿がそんな集団の中に置かれたら、耐えられないほど鬱陶しいに決まっている。しかし人類は、二本の足で立ち上がることによって、ストレスをカタルシスに昇華してゆく心の動きを獲得した。そうしてその密集の中に置かれてあることのストレスも引き受けていった。
人類は、二本の足で立ち上がることによって、ストレスを引き受けて生きている猿になった。
それは、猿よりももっと弱い猿になることだった。
それは、種としていったん退化することであり、最初は、チンパンジーなどのほかの猿に対するアドバンテージなんか何もなかった。
そこから数百万年かけて猿に追い付き、追い越していった。
もちろんそれは、知能の発達によるのだろうが、ストレスを引き受けることは、知能が発達することだった。そうやってやがて人間的な文化や文明が生まれ、発達してきた。ストレスを引き受けること文化や文明が生まれてきた。文化や文明が生まれたことによって知能が発達していった。
ここで誤解するべきでないのは、知能が文化や文明を生みだしたのではなく、文化や文明が知能を育てていったということだ。つまり、「知能=意味」が「言葉=文化や文明」」を生み育てていったのではなく、「言葉=文化や文明」が「知能=意味」を生み育てていったということであり、それの根源的な契機になったのは「ストレスを引き受けること」だった、ということだ。
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   4・人間は、生きることの技術=方法論を追求する存在ではない
人は、大きなストレスを抱えていると、思わず独り言が出てしまう。ストレスは、言葉を生む。声を出すということは、体の中にたまったストレスを吐きだす、ということだ。
ストレスは、体の変調をもたらす。そして、胸の中がざわざわするような落ち着かない心地になる。そういうストレスを吐きだすようにして音声がこぼれ出る。
痛いとかびっくりしたときは、思わず声が出る。そうやって、ストレスを吐きだす。
人間にとって音声を吐きだすことは、ひとつのカタルシスである。
だから、うれしいときや好きな人に対しては、話がしたくなる。
原初の人類の「あー」とか「うー」という唸り声も、そのようにストレスを吐きだすカタルシスとして生まれてきた。そしてこれこそが、「もののあはれ」のもっとも原初的なかたちなのだ。
二本の足で立ち上がって大きく密集した群れの中で暮らしていれば、そのストレスで自然に音声がこぼれ出てしまう生き物になってしまう。そうして音声を吐きだすことのカタルシスを覚えれば、何かにつけて音声を吐きだす生き物になってゆく。
いつも音声を吐きだしていれば、やがて、さまざまな色合いの音声が生まれてきて、自分たちもその違いに気づいてゆき、その違いを共有するようになってゆく。
さらには、同じ音声を発し合うことは同じ感慨を共有することだ、と気づいてゆく。
最初は、音声を発することそれ自体にカタルシスを体験していただけで、「伝達する」というような目的などなかった。
言葉は、音声を発するカタルシスとして生まれてきたのであって、伝達の手段として生まれてきたのではない。音声を発し合い音声を共有してゆくよろこびとして生まれ育ってきた。
その音声を、伝えようとしたのではない、共有しようとしたのだ。密集した群れの中に置かれてあるストレスを、「共有する」カタルシスとして昇華していったのだ。みんなで集まっていればいるほど、共有するよろこび(カタルシス)も深く確かになる。
人間が密集した群れをいとなんでゆくために必要なのは、そのための技術=方法論ではない。そのストレスがカタルシスに昇華してゆく快楽(よろこび)なのだ。それがなければどんな技術=方法論も虚しいし、それさえあれば少々ぎくしゃくしてもやってゆける。
人類は、少々ぎくしゃくしてもやっていける群れのかたちを持っていたから、地球の隅々の住みにくい土地にも住み着いていった。人類は、住みやすい技術=方法論を追求してきたのではない。下手くそでも、住みにくくても住みついてゆけるカタルシス(よろこび)が育ってゆく歴史を歩んできたのだ。
50万年前以降のネアンデルタールとその祖先たちは、技術=方法論で氷河期の北ヨーロッパに住み着いていったのではない。技術=方法論的に原始人がその地に住み着いてゆくことは不可能だったが、彼らはそれを、ストレスがカタルシスに昇華されてゆく体験によって克服していった。
原始人が住みよさの技術=方法論を第一義に追求する習性を持っていたら、氷河期の極寒の地になんか住み着いてゆかない。今ごろは住みやすい温暖な地にひしめき合っている。
人間は根源的にストレスを深く負っている存在だから、カタルシスの体験とともに歴史を歩んできた。そういう存在として、言葉を生み育ててきたのだ。
言葉は、「伝達」という技術=方法論として生まれ育ってきたのではない。人間は、根源において、そんなことを追求する存在ではない。
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   5・「もの」と「こと」
言葉は、人間として存在することのストレスをカタルシスに昇華する機能として生まれ育ってきた。人間は、それがないと生きられないし、それがあれば生きられる。
人間は、根源的には生きてゆくための技術=方法論を追求する存在ではないし、それを追求することによって心が病んでゆく。
そうやって現代人の心は病んでいる。
「もの」という言葉は、人間として存在することのストレスの表出として生まれてきた。
日本列島の住民は、「もの」という言葉が生まれてくるような人間として存在することのストレスを共有していた。人間であることは、胸がざわざわしていたたまれなくなることだ。われわれはそこから生きはじめ、「あはれ」というカタルシスに体験のたどり着く。
存在することのストレスから「もの」という言葉が生まれ、やがてこの世のすべての存在するもの(=森羅万象)を意味するようになっていった。
「もの」に対する「こと」。
ここではかいつまんで書いておくにとどめるが、「こと」は「非存在」を意味し、この世界の隠れているものをいう。そして、隠れているものは、出現する。何かにはっと気づくときの感慨から「こと」という言葉が生まれてきた。つまり、「出会いのときめき」。
生きてあることの「もの=いたたまれなさ」が「あはれ」というかたちでカタルシスに昇華してゆくことも、ひとつの「こと」という体験かもしれない。
生きることは、「いたたまれなさ」と「ときめき」の往還運動だ。そのようにして「もの」と「こと」という言葉が生まれてきた。そのようにして日本列島の住民は漂泊の旅に出る。
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しばらくのあいだ、本の宣伝広告をさせていただきます。見苦しいかと思うけど、どうかご容赦を。
【 なぜギャルはすぐに「かわいい」というのか 】 山本博通 
幻冬舎ルネッサンス新書 ¥880
わかりやすいタイトルだけど、いちおう現在の若者論であり、日本人論として書きました。
社会学的なデータを集めて分析した評論とかコラムというわけではありません。
自分なりの思考の軌跡をつづった、いわば感想文です。
よかったら。

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