「ケアの社会学」を読む・54・脳のはたらきと命のはたらき

  1・不安定、不完全な脳
人間の脳は、左右で大きく機能が違う。どちらか一方だけではうまく生きられない。猿の脳はひとつの脳として完結しているが、人間は、二つの不完全な脳をやりくりして生きてゆくというかたちで進化してきた。
人間の右の脳とは左の脳は、雌雄の関係のようになっている。
人間ほど雌雄の色分けが際立っている生き物もいない、身体的にも精神的にも。つまりそれは、どちらも個体として不安定・不完全な存在になってしまっているということだ。
それは、脳の機能が左右に分かれているからか。それとも雌雄の関係が際立っているから、脳もそのように変化してきたのか。
ともあれ男も女も、身体的にも精神的にも、個体としてきわめて不安定・不完全な存在の仕方をしている。だから、人間の男と女は恋をするし、必要以上にセックスをする。
雌雄の関係とは、二つの異質で不完全な個体どうしの関係、ということだろうか。
不完全な個体だから、多くの可能性を持ち、多くのことが上書きされてゆく。
生きることは、命を上書きしてゆくことだ。しかしこれは、命がふくらんでゆく現象ではなく、衰弱してゆく現象なのである。ここのところが、命の問題のやっかいなところだ。
命のはたらきとは、衰弱することだ。われわれは、命が衰弱することの不安定・不完全を生きている。
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   2・「はたらき」とは、スイッチがオフになること
人間の雌雄の関係が他の動物のそれ以上に際立っているということは、他の動物以上にそれぞれの個体が不安定で不完全な存在の仕方をしている、ということを意味する。
だから人間は、完全なひとつである「神」にあこがれる。人間が「神」という概念を持ったのは、それほどにそれぞれが不安定で不完全な存在の仕方をしているからであり、不安定で不完全な状態を生きることの困難それ自体が生きることの醍醐味になっているからだ。
人間は、不安定で不完全な状態を生きるほかない存在である。不安定で不完全な存在の仕方をすることが人間の自然であり、そこにこそ人間の可能性がある。
安定している状態を消去してゆくのが、命のはたらきである。だから、じっとしていると、だんだんだん息苦しくなってくる。息を吸う以前に、「息苦しくなる」というはたらきがある。息を吸うことは、命のはたらきのたんなる「結果」にすぎない。
一般的には「息を吸う」ことが命のはたらきのようにいわれているが、そうではなく、そのまえにまず「息苦しくなる」ということが命のはたらきとしてあるのだ。
われわれの「命のはたらき」の定義は、現在のままでいいのだろうか。「息を吸う」ことが命のはたらきのように考えることによって、いろんな現象に対する解釈を間違ってしまっているのではないだろうか。つまり、「人間とは何か」と問うときのパラダイムの問題として。
たとえば、人間は「笑う」という表情を持っている。では脳に「笑う」という指令を出すはたらきがそなわっているのかといえば、そうではなく、もしかしたらそれは、平常の表情を保つ機能を喪失するはたらきではないのか。その「結果」として「笑う」ということが起きる。そのとき脳は、「笑う」という指令なんか出していない。
スイッチを「オンにする」ことが命のはたらきではない。
命のはたらきとは、スイッチが「オフになる」はたらきなのだ。だんだん息苦しくなってくるように。
「はたらき」とは、「する=できる」ことではなく、「できなくなる」ことではないのか。
そうでなければ、僕がここまで考えてきた進化論はつじつまが合わなくなってしまう。
いや、厚かましくいわせていただくなら、生物の進化を考えるなら、どうしたってそういうふうに解釈するしかないではないか、ということだ。
世界中の人に向かって「おまえらはみんな、進化論を命のはたらきの問題としてちゃんと考えることができていない」といいたいのだ。
生き物に「生きようとする衝動=本能」などあるものか。命とは、生きようとするはたらきではなく、生きられなくなるはたらきなのだ。
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   3・ボケる
痴呆老人が徘徊するとき、べつに徘徊しようとするスイッチが入っているわけではないだろう。景色に目を奪われて立ち止まってしまう(=歩けなくなる)という機能を喪失しているからだろう。つまりそれは、世界に対する関心(=反応)を失っている状態である。
世界に対する関心(=反応)を失っているとは、自分に対する関心に特化してしまっているということだ。
「ボケる」とは、脳のはたらきが弱ることではなく、脳のはたらきが偏ってしまうことであり、そこが認知症の介護のやっかいなところではないのか。あの老人たちの脳は、なんであんなにもいきいきと騒々しくはたらいているのか。
老人になれば、世界との関係のいやなことはいくらでも起きてくる。とくに、自分が世界(社会)から置き去りにされている、と知ることは苦痛だろう。その苦痛に耐えられなくて、世界に対する関心(=反応)を捨ててしまう。
そうして徘徊するとき、いったん歩きはじめたら、歩いている自分に対する意識だけになってしまい、自分がどこを歩いているかということなどまったく考えていない。
世界=社会と調和して「上機嫌」であることをよりどころにして生きてきた人は、「世界との調和を失って嘆き悲しむ」ということができない。嘆き悲しむことができなくて、世界に対する関心(=反応)そのものを捨ててしまう。
人間が生き物であるかぎり、世界と調和することはできない。世界と調和できなくなるのが、生物の発生以来の根源的な命のはたらきである。生き物は、この世界のじゃまっけな塵として「死滅する」という機能を持って発生した。
生きられなくなるのが、命のはたらきなのだ。この「できなくなる」というはたらきを失ってボケてくる。脳だけじゃなく、体全体がぎくしゃくしてくる。
この世の多くのボケ老人たちの命のはたらきは衰弱しているのではなく、今なお元気で、ただぎくしゃくしてしまっているだけだ。むしろ、われわれよりもずっと元気でたけだけしいものを持っていたりする。介護をする人たちのしんどさも、そこにあるのではないだろうか。
すべての認知症を網羅的に語ることなんか僕にはできないが、「ボケる」ということの多くは、衰弱することではなく、むしろ生き物の命のはたらきの自然としての衰弱する機能を失っていることにあるのではないだろうか。
あの老人たちは、どうしてあんなにも元気でたけだけしいのか。これは、認知症予備軍としてのわれわれの問題でもある。
内田樹先生や上野千鶴子氏のあの騒々しさやたけだけしさは、それ自体ボケ症状だと思う。いまどきは、ああいうたけだけしい老人および老人予備軍がいっぱいいるよね。
命のはたらきとは「スイッチがオフになる」はたらきであり、衰弱することが通常の命のはたらきである。現代人は、衰弱できなくてボケてゆく。
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   4・「認識する」という脳のはたらき
生き物の世界に対する関心(=反応)は、「世界と調和できなくなる」という命のはたらきの上に成り立っている。息苦しくなる(=世界と調和できなくなる)から空気に対する関心(=反応)が生まれ、息をする。
それを「赤」と認識することは、赤以外のほかの色に認識することが「できなくなる」ことである。べつに赤を認識する装置を脳が先験的に持っているわけではない。それが赤いから赤と認識するだけのこと。網膜がそれ以外の色に認識させてくれないから、そう認識しているだけのことだ。
そのとき赤を認識する機能が「発生」するのであって、脳細胞や遺伝子が先験的に赤を認識する機能を持っているわけではない。
ただ赤いものを赤いと認識するだけのことだって、脳にとっては、つねに生まれてはじめての体験なのだ。そんな「情報」があらかじめ脳細胞にインプットされてあるわけではない。だからこそ、その赤に感動したりもするのだ。生まれてはじめて見る赤として。
われわれの脳は、笑うことも赤という色も知らない。つねに、生まれてはじめて笑い、生まれてはじめて赤と認識するのだ。そうやって、命はつねに「上書き」されている。脳細胞や遺伝子があらかじめ持っている「情報」にフィードバックしているのではない。脳細胞や遺伝子は、そんな「情報」など持っていない。
記憶喪失は、脳細胞の異常ではない。神経回路の流れが変質してしまっているだけのことだろう。べつに言葉まで忘れるわけではない。言葉という情報が詰まっている脳細胞があるのではなく、言葉が浮かんでくる神経回路の流れがあるだけだろう。
赤を認識する脳の一点がある、などという話もあるらしい。それは、脳の神経回路の流れがそこに集約されてゆくというだけのことで、その一点が赤を知っているかどうかはわからない。僕は脳科学者ではないから確たることはいえないが、その一点に集約されてゆく神経回路の「流れ」が赤と認識しているのであって、その一点が赤と認識しているとは思えない。べつにその一点が損傷したらもう赤と認識することは永久にできないというわけでもあるまい。
色盲は、その一点の異常ではなく、神経回路の「流れ」の異常ではないのか。
まあ、詳しいことは知らないが、僕は脳細胞に情報が記されてあるなんて、ぜんぜん信じていない。認識するとは、そのつどそのつどの「流れ」だと思っている。
完璧な赤を認識する脳細胞とか遺伝子などというものを僕は信じない。
「情報」が詰まっている細胞とか遺伝子なんて、僕はようイメージできない。
細胞とか遺伝子などというものは、ただの物質だろう。
「情報」などというものは、そんな物質に刻印されているものではなく、そのつど浮かんでは消えてゆく「流れ=現象」だと思っている。
「情報」は物質にはなれない。
脳なんて、ただの物質だ。優秀な脳とそうでない脳があるなんて、信じない。ただもう、そのつどつどの神経回路の「流れ」があるだけだと思っている。
僕の脳なんか、ただの使い古しのくたびれきった停止寸前の代物だ。しかしだからといって、嘆き悲しむはたらきもときめくというはたらきも起きなくなっているわけではないし、考えたり想像したりすることができなくなっているわけではない。今でもあれやこれやとそうした機能を持て余している。
まるで文字を記すように、情報が細胞や遺伝子の中に入っている、てか?わけわからんよ。
命は、生きることの不可能性においてはたらきが起こる。生きることの可能性に向かってではなく、不可能性に向かってはたらいている。それが「できなくなる」ということであり、したがって、命の根源において生きようとする衝動=本能などというものははたらいていない。生きられなくなってゆくことが命のはたらきなのだ。
生きられなくなってゆく状況において、はじめて「生きる」という現象が起きるのだ。
そういう命のパラドックスを、僕はここでどう記せばいいのかと四苦八苦している。
ようするに、生きられないと嘆き悲しむことを肯定したいのだ。そういうかたちで原初の生命が発生した、といいたいのだ。嘆き悲しむことは人間の根源的な命のはたらきなんだぞ、といいたいのだ。
「上機嫌で生きている」といってえらそうな顔をするな、といいたいのだ。
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   5・脳のはたらきと命のはたらきの関係
茂木健一郎氏は「脳のはたらきのふくよかさ」などといっておられる。彼もまあ「上機嫌で生きている」人種らしい。
そして僕は今、命のはたらきは「生きられない」と衰弱してゆくことだと考え、「ふくよか」でなんかあるものかと思う。
赤いと認識することは、赤以外の認識をすべて喪失することなのだ。そのとき、青とか緑という認識が頭の隅をちらついているのではない。「赤以外の何ものでもない」と信じきっているのだ。そのように、感動するとは、命が衰弱することだ。「鳥肌が立つ」とは、命が収縮する現象である。それは、命の危機であり、「生きられない」という体験なのである。
言い換えれば、命のはたらきも脳のはたらきも、瞬間瞬間新しく生まれ変わっている。死ぬから、生まれ変わるのだ、命のはたらきとは、死ぬはたらきである。原初の生命の発生以来、生き物はそうやって命を紡いできたのだ。
感動することは、命の危機なのだ。いや、われわれはもう、赤いものが赤く見えるということそれ自体が命の危機として体験していている。
原初、命の危機として命が発生した。最初のその命は、発生した瞬間に死滅したのだ。
命のはたらきは、命の危機として起きている。
脳のはたらきだって、命が収縮する現象である。認識するとは、それ以外のすべての認識を喪失する体験である。何が「ふくよか」なのものか。赤いと認識することは、赤以外の認識ができなくなってしまう体験なのだ。
これは、ただの言葉の問題ではない。僕は、脳科学者が「ふくよか」などという文学的な表現を使うことにけちをつけたいのではない。基本的科学的な思考のパラダイムの問題として茂木先生は間違っている。世の中の脳科学者がみなこのような考え方をしているのだとしたら、脳科学の未来なんかアウトだと思う。
文科系の安っぽいヒューマニズムに気を使う必要がないのが科学者の特権なのに、その安っぽいヒューマニズムに媚びを売ってお追従をいっていやがる。
原初の生命は、死滅するものとして発生した、発生した瞬間に死滅した。これが、命のはたらきの基本だ。死滅し発生することの反復を「命のはたらき」という。
われわれの命は、「ふくよか」でもなんでもない。「ふくよか」でないことにこそ、命のはたらきのダイナミズムがある。
生きられなくなるのが命のはたらきであり、脳のはたらきなのだ。
生き物が生きることは、生きようとすることではなく、「生きられない」状況の中に飛び込んでゆくことなのだ。
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しばらくのあいだ、本の宣伝広告をさせていただきます。見苦しいかと思うけど、どうかご容赦を。
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わかりやすいタイトルだけど、いちおう現在の若者論であり、日本人論として書きました。
社会学的なデータを集めて分析した評論とかコラムというわけではありません。
自分なりの思考の軌跡をつづった、いわば感想文です。
よかったら。

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