「ケアの社会学」を読む・22・イノベーションの歴史

何しろ行き当たりばったりで書いているものだから、話が行ったり来たりすることをお許しください。
   1・絶滅の危機がイノベーションを生む
原初の人類が猿であることから決別して二本の足で立ち上がったとき、その姿勢は、きわめて不安定であったし、胸・腹・性器等の急所を外にさらしたままでいるという、極めて危険な姿勢でもあった。
そのとき人類は、そういう「生きられない」存在になった。ここから人類の歴史がはじまった。
現在の人類学における直立二足歩行の起源の仮説はすべて、それによって人類がどんなアドバンテージを得ようとしたかということばかり問題にしている。
そうではない。あとあとになってアドバンテージを持ったとしても、それは当初からの「目的」だったのではなく、たんなるなりゆきとしてもたらされた「結果」にすぎない。
歴史に進化とか変化とかイノベーションというようなことが起きるときは、必ず「このままでは生きられない」という状況がある。そして生き物の本能として、状況を変えようとするのかといえばそうではなく、それでもその状況を受け入れようとしてゆく。受け入れるから、進化とか変化とかイノベーションということが起きる。
たとえば、医療の歴史における大きなイノベーションの多くは戦争によってもたらされる、といわれている。戦争とは自分たちの社会が絶滅の危機にさらされることであり、戦場の医者もそういう無意識を持ちながらけんめいに「生きられないもの」を生かそうとしてゆくからだ。
集団が「絶滅の危機」を共有してゆくダイナミズムがイノベーションを生む。
人類の進化は、つねに絶滅の危機とともにもたらされてきた。
ある人類学者はこういう。人類は氷河期明けにたくさんの食料を生産できるようになったから人口爆発が起こってきた、と。
それはちょっと違う。
原始人が必要以上の食料を生産しようとするだろうか。そういう必要が生じて、はじめてそういうことができるようになってくる。
現代人が金を貯めてから子供つくるというのとはぜんぜん別の次元の話なのだ。現代社会の物差しでしかものを考えられないこんな俗物は、すぐこういう倒錯したことを言い出す。
このように経済優先の「下部構造決定論」で歴史を語ると必ず誤る。
そうじゃない、まずはじめに人口爆発が起きて、餓死者が出るなどの危機的な状況になったから、食糧生産のイノベーションが起きてきたのだ。
どうして人口爆発が起きたのかということは、食糧生産が充実してきたことの結果ではない。人類の歴史は、食料を用意しておいて人口を爆発させるなどというような「生きられるもの」として流れてきたのではない。つねに「生きられないもの」としての「絶滅の危機」から生まれてくるイノベーションを繰り返しながら歴史を歩んできたのだ。
いちばん大きな原因は、氷河期が明けて地球環境がよくなり乳幼児の死亡率が劇的に下がったことにあるのだろう。それに、次々に赤ん坊が死んでゆく氷河期の艱難辛苦が人間の女の体を多産系にし、育児介護の能力を飛躍的に向上させた、ということもある。
西ユーラシアは主食となるイネ科の植物が多く自生していて食糧生産のアドバンテージを持っていたから氷河期明けにいちはやく人口爆発が起きたんだってさ。
ほんとにくだらない仮説だ、と思う。
氷河期においてはいちばん過酷な環境を生きている北ヨーロッパネアンデルタールがいちはやく多産系の体になってゆき、その血が西ユーラシア全体に広がっていたのだ。そうして、もっとも乳幼児の死亡率の低い温暖なナイル川下流域やメソポタミアでいちはやく人口爆発が起こり、人類最初の文明が生まれてきた。
人口爆発が起きることの原因は、気候環境とか、女の体の具合とか、集団性や社会性の成熟とか、育児介護の技術や情熱とか、そういうことのイノベーションの問題であって、食料確保のイノベーションは、人口爆発が起きてからもたらされたにすぎない。
そんなことよりは、一か所で多くの人間が一緒に暮らすという文化が成熟してきた、ということの方がずっと大きな原因のひとつだろう。氷河期の北ヨーロッパネアンデルタールがそういうトレーニングを積み、その文化が西ユーラシア全体に広がっていた。食料を用意しながら人口爆発を意図して起こさせた、などということはあり得ない。まず、多くの人間が一緒に暮らす文化を持っていなければ、起きるはずがない。そしてネアンデルタールはその文化を、氷河期の極寒の空の下で「絶滅の危機」を生きながら獲得していったのだ。
歴史のイノベーションは、つねに「絶滅の危機」とともに起きてくる
人間は「生きることの不可能性」を生きる存在であり、そこにこそイノベーションが起きてくる契機がある。
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   2・これは社会的な問題であると同時に個人の内面の問題でもある
重度の障害児がそのままの状態で生きてゆくこともまわりが介護をすることも、きっと大変に違いない。しかし彼がその危機を生きることは、われわれにたくさんのことを教えてくれる。彼が生き、彼を介護するところから、医療や人間社会のイノベーションが起きてくることもある。ある意味で彼は、人間社会に連携や結束やイノベーションをもたらすために神からつかわされた存在なのだ。
であれば、そうした重度の障害児に成長抑制の手術を施したり生まれてすぐに間引きしてしまったりすることは、神に対する冒瀆だともいえる。
彼が生まれてきたという事実を受け入れることこそ、「生きることの不可能性」を生きる人間存在の本能であろうし、そこにこそ人間であることの尊厳も豊穣もあり、そこでこそ人間社会のイノベーションが起きてくる。
人類の進化は、「絶滅の危機」とともに起きてきた。
誰だって心の奥には「絶滅の危機」を抱えて生きているだろう。たまにはそういうみずからの内なる「生きられないもの」の「嘆き」と向き合っても無駄ではあるまい。そういう体験のないところには、人間社会の連携や結束も、恋のときめきも友情もないのではないだろうか。
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