1・古人類学
ネアンデルタール人のシリーズは、ひとまずこれで終わりにします。
僕は、現在の古人類学の学説というか仮説のほとんどを疑っている。彼らの思考は、じつにいい加減だと思う。だからもう、研究者は材料だけ提出してくれればいい、考えることは自分でする、という流儀でこのブログを書いている。
僕は、人間とは何かということは、知識人からではなく、犬や猫やフーゾクのおねえちゃんから学ぶ。この世の弱者から学ぶ。明日死んでゆく人から学ぶ。
ひとまずそういうスタンスで、直立二足歩行のことと人類拡散のこととネアンデルタール人のことをここまで書いてきた。
本気で議論ができる人類学フリークとついに出会えなかったことは残念だが、既成の研究者に対して「おまえらみたいなアホに教えられたかないよ」といえる足がかりはできたと思っている。
だいたい古人類学の研究者なら、たとえネアンデルタールの専門家だろうと北京原人の専門家だろうと、すべての研究者が「直立二足歩行の起源」に対する見解はきちんと宣言しておくべきだろうと思う。たとえ世界中を敵に回しても言っておくべきだろう。それは、古人類学について考える者の志の問題だ。「直立二足歩行の起源」の問題を抜きにしてどんな古人類学も成り立たないのだ。
この問題を素通りしていい古人類学の研究者なんかひとりもいない。
4万年前にアフリカのホモ・サピエンスがヨーロッパに移住していったか否かという問題だって、人類がどのようにして直立二足歩行をはじめたかということと無縁では語れないのだ。ただ遺伝子のデータを差し出せばそれで答えが出るというような問題ではない。
古人類学について考えることは、人間とは何か、と考えることだ。現在の世界の古人類学者の多くは、そこのところを本気でせっぱつまって問うていない。
だから、たとえ世界的な権威の解釈・解説であっても、ほとんど信じられない。
・・・・・・・・・・・・・・・
   2・「いかに生きるべきか」という問題などない
僕は、「直立二足歩行の起源」=「ネアンデルタール人」=「縄文時代」¬=「この国の現在」という歴史を、ひとつの連続性として考え、そこに人間性の伝統=普遍を問おうとしている。
人類がここまでくるには社会の構造や観念のはたらき方がいろいろ変質してきたにせよ、われわれが人間であり生き物であるかぎり連続性はたしかにあるのだ。
べつに原始時代に戻れといっているのではない。
人間であり生き物であることの根源を抽出したいのだ。
何はともあれわれわれは、人間として生き物として、今ここのこの世界やこの生を生きてある。
僕には「いかに生きるべきか」とか「この社会はいかにあるべきか」というご託宣をたれる能力も趣味もない。
年間の自殺者が3万人以上で、老人介護の問題がいよいよ切迫してきているこの時代に、明日も生きてあることが当然のようなそんな議論ばかりしていていいのだろうか。
介護に疲れて自殺してしまう人もたくさんいる世の中だ。
内田樹先生のように、
『幼児や高齢者や病人や障害者を含む集団を維持するためには、「集団内の弱者を支援し、扶助し、教育することは成員全員の当然の義務である」という「倫理」が身体化しているような集団がどうしても必要である』
というようなことを得々と正義づらして語る人間がのさばっている世の中なら、そうやって追いつめられて自殺してしまう人も出てくるさ。
そんなことならもう「老人なんかさっさと殺してしまえ」という議論の方がまだ人間的である。僕は、この議論を否定しない。この国には「滅びてゆく」ということを止揚する美意識の伝統がある。かつてあった「姥捨て」という習俗は、この国の伝統としてのそういう美意識の問題でもあるのだ。
そういう美意識を身体化していないちんけな脳みその人間に「集団内の弱者を支援し、扶助し、教育するという義務が身体化している」などとちんけなことを正義づらして語られると、ほんとにむかつく。
そうやって「勝ち組」のちんけな正義と自己正当化の心理が「負け組」を追いつめている世の中なのだ。
「いかに生きるべきか」とか「この社会はいかにあるべきか」とか、そんなことをいってもしょうがない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
   3・「いまここを受け入れる」ということ
人は、いまここのこの生も、いまここのこの社会も、ひとまずまるごと受け入れる。どんな生であれ、どんな社会であれ、われわれはひとまず受け入れる。われわれが知りたいのは、いまここのこの生やこの社会がどんなになっているかということであって、あるべき生やあるべき社会のかたちではない。
人間は、この生やこの社会がどんなかたちであってもかまわないのだ。
たとえ自分が身体障害者でも、たとえこの社会が戦争をしていようとも、ひとまずその運命を受け入れるのが人間なのだ。
愛を読むひと」という映画の主人公のハンナ・シュミッツという女性が、ナチスユダヤ人収容所の看守である自分の立場を受け入れその任務を遂行していったとしても、いったい誰が裁くことができよう。戦争をさせられた兵士と同じじゃないか。子供が親を選ばないのと同じじゃないか。自分が身体障害者であってもひとまずその事実を受け入れるのと同じじゃないか。
人はなぜ、みずからの運命を受け入れるのか。
だって自分で望んで生まれてきたわけではないのだもの。まず生まれてきてしまったという事実を受け入れることからこの生がはじまっているのだ。
空が青ければ、青いと思うだろう。それは、運命を受け入れることだ。彼女が自分の運命を受け入れたからといって、いったい誰に裁かれねばならないのだ。
自分で望んで生まれてきたわけではない。生まれてきたことは、何かの間違いだ。それでも人は、その事実=運命を受け入れる。
彼女がドイツ人として生まれてきたことだって、彼女の運命であって、みずから選んだことではない。
運命であるとは、何かの間違いである、ということだ。みんな、何かの間違いでこの世に生きてあるのだ。
われわれが生きてあることも、この世界が存在することも、何かの間違いなのだ……そういう思いが誰の中にもある。
誰もが何かの間違いでこの世に生きてあるだけなのに、何が正しいとか間違っているとか「いかに生きるべきか」とか、そういうことを詮索してもナンセンスではないか。われわれはみずからの運命を受け入れこの世界に反応して生きているだけで、この生を選択しているわけではない。
・・・・・・・・・・・・・・・
   4・何かの間違いで生まれてきてしまった
生まれてきてしまったことの不幸、というのがある。このことを自覚し共有してゆくことができないのなら、われわれの社会はもう、裁いたり裁かれたりということばかりしていなければならない。
正義には、限界がある。正義は、無限に捏造される。正義は存在するものではなく、捏造されるものだ。
人間は、正義を受け入れるのではない。「いまここ」を受け入れる。「いまここ」が正しかろうと間違っていようと、どんなに変わってゆこうと、そのつどそのつどの「いまここ」を受け入れている。
「いまここ」を受け入れるしか、生きるすべはない。
誰の生も、何かの間違いなのだ。それでも、誰もがそれを受け入れて生きている。そこにしか「赦す」という態度はない。
少なくとも彼女は、人が何かの間違いでこの世に存在しているということを、誰よりもよく知っていた。だから、誰も裁くことをしなかったし、自分が裁かれることも拒否した。
誰もが何かの間違いでこの世に生きている、というところにしかわれわれの希望はない。
「正義」は、われわれの希望にはならない。
僕は、法の正義というものを否定しているのではない。人間は文字を持ってしまったし、誰もが彼女のようであることができないのであれば、それもまた避けがたい社会運営のための手続きではあるだろうと思う。
しかし、「正義」に人間の尊厳を託す、などという思想には加担しない。正義には限界がある。それはもう、そうなのだ。
人間は、文字を持ってしまったことの矛盾をやりくりする暫定措置として「正義」という概念を生み出したのだ。
「正義」というものがまるでゴジラのように巨大化して人間社会を支配しはじめたのは、近代以降のことであって、それまでは社会運営のためのただの暫定措置にすぎなかった。
近代以前の人々は、正義などというものをよりどころにして生きていたわけではない。誰もが「何かの間違いで生まれてきてしまった」という「嘆き」を共有しており、それによって人と人のつながりや集団の結束を生み出していた。
ことにこの国はそういう伝統文化を持っていたし、文字を持っていなかった有史以前の原始社会なら、世界中が普遍的にそうだったにちがいない。
・・・・・・・・・・・・・・・・
   5・命の重さ
現世なんて、生まれる以前と死んだあとのあいだの「かりそめ」の状態であることは、誰にとっても同じだろう。そんな世の中に置かれて、正義などというわけのわからないものに裁かれたくはないと思うのは、当然の人情だろう。
誰もが何かの間違いで生まれてきて「かりそめ」の憂き世を生きているだけなのに、どうして正義などという絶対的な基準をつくってそれに縛られねばならないのか。みんなが「かりそめ」の憂き世を生きている「嘆き」を共有していれば、ときめき合うことも結束してゆくこともできる。
自分がかつて無数の精子の中の一匹だったということは、自分がこの世界に存在することの必然性を意味するのではない。それは、何かのはずみであり間違いだったのだ。
「いまここ」のこの世界が絶対のものだといえる根拠などどこにもないし、そんなことをいっていたら死ねなくなってしまう。
「文字」が、この世界を絶対のものにしてしまった。そしてわれわれは、文字を持ったことによって多くの人間としての能力を失った。記憶力や人にときめく能力などなど、われわれはもう、そういうことを文字の助けなしには十全に果たすことができない。
死者の記憶も死者はもう生きかえらないというかなしみも、文字を持たない人の方がずっと深く豊かに持っている。
われわれの記憶もかなしみも、もはや文字の上にしか存在しないのか。
そうして、正義の名のもとに、人を裁くことばかりしている。
人生の途上で死んでゆかねばならなかった人も、幸せに天寿をまっとうした人も、どちらの人生が幸せとか不幸ということもない。長生きしたから満足しようとしたって無駄なことさ。誰の人生だろうと、何かの間違いなのだ。
われわれが疑うことができないのは「いまここ」に生きてあるという事実だけであり、人は、その事実だけを受け入れて生きているのだ。その事実だけは、まるごと受け入れてしまう。その受け入れるという心の動きが、人を生かしている。
われわれが、原爆に焼かれて死んでいった人や、アウシュビッツガス室で死んでいった人たちより幸せだということはない。誰の命であれ、何かのはずみでこの世に生まれてきた一瞬の泡みたいなものだ。
どんな命にも、重い軽いはない。そういうことをわれわれはきっと、死ぬ直前に悟るのだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・
   6・正義の限界
原爆を落としたアメリカ人は許せない、などといっていたら、原爆で死んでいった人々の命はわれわれのそれよりもみじめで無意味だといっているのと同じになる。まあそういうことにして「アメリカは許せない」とか「ナチスドイツは許せない」と叫んでいるのだろうが、誰の命も何かの間違いの一瞬の泡だと思うのなら、許すも許せないもない。
たしかなことは、「いまここ」があるということだけだ。自分の過ぎてしまった人生などなかったも同じだし、未来なんかあるのかないのかわからない。死んでゆくことは、生まれてこなかったのと同じだ。
それでも人は、「いまここ」の世界が鮮やかに現前することに驚きときめいてしまい、その事実だけはまるごと受け入れる。
われわれ日本人には、人の命に重い軽いを付ける趣味はない。誰の命も一瞬のあぶくみたいなものだと思っている。しかしだからこそ「いまここ」の鮮やかさに深く豊かにときめいてゆき、その運命を受け入れてしまう。
僕は、アメリカは許せないと思えない日本人の気持ちも、「愛を読むひと」という映画の女主人公が「どうして私が謝らないといけないのか」という気持ちもわかるような気がする。その気持ちが、人の命なんて何かのはずみで生まれてくる一瞬の泡みたいなものだ、という感慨の上に成り立っているのなら、たしかにそうだよなあ、と思う。
僕は、自分たちの命は重くかけがえのないもので、原爆やアウシュビッツガス室で死んでいった人の命は虫けらのようにみじめで軽いものだ、と比べることなんかできない。
生きていようと死んでしまおうと、そんなことはどっちでもいい。ただ、「いまここ」が目の前に存在するということの事実だけは、生き物はどうしても受け入れてしまう。どうでもいい命なのに、どうしても「いまここ」は受け入れてしまう。その「いまここ」を鮮やかに感じてしまうのなら、過去のことを許すの許さないといっている暇はない。鮮やかに感じてしまう人ほど、そんなことはどうでもいいと思ってしまう。
そしてこれが、文字を持たない原始人であるネアンデルタール人の生のかたちだった、と僕はいいたいのだ。
原始人だろうと現代人だろうと、人は根源において「いまここ」を生きている。だから僕は、「原爆を落としたアメリカは許せない」とか「ナチスドイツは許せない」とか、そういう正義を振りかざすことなんかに興味はない。むしろそういう自明のように見える「正義」を否定して克服してゆくことこそ人類の課題ではないか、と思っている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一日一回のクリック、どうかよろしくお願いします。

人気ブログランキングへ
_________________________________
_________________________________
しばらくのあいだ、本の宣伝広告をさせていただきます。見苦しいかと思うけど、どうかご容赦を。
【 なぜギャルはすぐに「かわいい」というのか 】 山本博通 
幻冬舎ルネッサンス新書 ¥880
わかりやすいタイトルだけど、いちおう現在の若者論であり、日本人論として書きました。
社会学的なデータを集めて分析した評論とかコラムというわけではありません。
自分なりの思考の軌跡をつづった、いわば感想文です。
よかったら。

幻冬舎書籍詳細
http://www.gentosha-r.com/products/9784779060205/
Amazon商品詳細
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4779060206/