鬱の時代3・酒場女ではないんだけどさ

太宰治玉川上水で心中した相手は、正確には、酒場の女ではない。
酒場の女ではないが、「核家族」の外に置かれていたという意味では、酒場の女と同じ立場であり、太宰も、酒場の女同様の「遊び」の相手として友人に紹介していた。
山崎富栄という。
美人である。28歳の、戦争未亡人の美容師で、知識階級の家で生まれ育ち、相応の学歴も身につけていた。その育ちのよさのせいか、ひといちばい純情で一途なところがあった。
一緒に死ぬ直前は、太宰の作家活動の秘書のような役割もしていたのだとか。
演技上手で口が達者な太宰にとっては、一番たらしこみやすいカモだった。
だから友達連中には「いかれた女で、お手軽な遊び相手さ」といっていたらしい。
なまじ無学な田舎の百姓女より、ずっと手玉に取りやすい相手だったのだろう。
まさしく、好きな男に泣いてすがられたら、一緒に死ぬことだって引き受けてしまう女の典型だ。今でいえば、もっとも結婚詐欺に引っかかりやすいタイプだろう。
太宰治が思春期のころにとても大きな衝撃を受けたという、有島武郎の心中事件の相手が、まさにこういうタイプの知的でもろいところのある美人だった。
太宰は、この心中事件をつねに模倣していて、二度失敗している。
今度こそは失敗するまい、と心に決めていたのだろう。有島武郎を模倣するのに、これ以上の相手はいない。
友達に、「お手軽な遊び相手さ」といっていたのは、そのカモフラージュだった。じつは、太宰のほうがずっとこの相手に執着していた。惚れていたとかそういうことではなく、もっとも心中にふさわしい相手として。
いや、それ自体が、惚れている、ということだったともいえる。
まわりに、今度こそこの相手と心中するんじゃないか、と悟られたらおしまいだ。それでは、彼の自意識が満たされない。有島武郎のように、あっと言わせて死んでゆかねばならない。
有島武郎のように心中して死んでゆくことが、彼の生涯の目標だった。
美人で知的な女性に付き添われて死んでゆくことこそ、この世でもっとも都会的貴族的で、もっとも美しく悲劇的な死だと思っていた。
田舎者は、都会人に対するそういう他愛ない憧れというか、コンプレックスを持っている。
これは、趣味の問題だから、太宰の頭のよさなんか関係ないことだ。
どんな大作家になっても、いつまでたっても垢抜けない人というのは、けっこう多い。
三島由紀夫だって、いつまでたっても小役人の上昇志向から抜け出せなかった。ほんものの貴族精神は、そんな暑苦しいがんばり根性とは無縁だ。また、日本列島の歴史の水脈としての「やまとごころ」とも「大和魂」とも、まるで似て非なるものだ。
そして、このどうしようもない垢抜けなさから抜け出せないことが、彼らの鋭敏な自意識を悩ませた。
彼らの自意識は、誰よりも自分に耽溺し、誰よりも自分を呪った。
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たとえば、太宰はこんなことをいっている。千円札数枚しか持たないで酒場に入り、最後に勘定を払うとき、ほんとうはたくさん持っているけど今日はこれくらいにしておくよ、という感じをいかに演技して見せるかが酒場遊びの極意だ、と。
なんという垢抜けなさ。田舎っぺだよね。
そんなもの、今日はこれだけしか持っていないからこれで飲ませてくれよ、と最初に有り金全部渡してしまえばいいだけのことじゃないの。酒場女だって、必ずしも金のある男しか相手にしない、と決めているわけじゃない。ちゃんと、男としてのセックスアピールも計量している。「ここから先は私のおごりだからもっと飲んでいきなさいよ」といってくれる女だって、いないわけじゃない。というか、いわせてみせるのが、遊び人の真骨頂だろう。
貴族は、遊び慣れていなくても、自然にそういうことができる。田舎っぺはできない。そして頭のいい遊び人の田舎っぺは、貴族のそんな態度を見て、負けたな、と思う。
たぶん、太宰も三島も、頭がいいからこそ、自意識が強いからこそ、そんな体験を何度もして生きてきたのだろう。
彼らは、さっさと死んでゆくことこそもっとも貴族的な行為である、という意識があった。もう、そういうかたちでしか自意識を満たすすべはなかった。そういうかたちでしか、自分の垢抜けなさを払拭するすべはなかった。
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太宰が熱海の旅館で仕事をしているときに、ある日、後輩の壇一雄が訪ねてきた。意気投合して二人は熱海の街を遊び歩き、有り金を使い果たしてしまった。そこで太宰は、壇を人質として旅館に残し、自分は東京に出て師匠の井伏鱒二のところに金を借りに行った。しかし、つつましく暮らしている井伏にそんな金はありそうになかった。だから、なかなか話を切り出せないまま、数週間が過ぎていった。そこに、しびれを切らした壇が上京してきて、太宰を責めた。
で、太宰はこう言い返した。
「待つ身がつらいか、待たせる身がつらいか」と。
まるで、俺はお前以上につらかったんだぞ、といわんばかりに。
垢抜けないよね。田舎っぺだよね。
そのとき壇は、太宰の自尊心を逆撫でするような物言いをしたのだろう。そして太宰は、金を借りられない自分の垢抜けなさを痛感していた。
井伏のところにいった太宰のとるべき道は、二つだった。さっさとあきらめて他を当たるか、「あなたも師匠なら貸してくれるのがとうぜんでしょう」と談判するかのどちらかだった。「ないのなら、家にある金目のものを質屋に入れてでも何とかしてくださいよ」、というべきだった。いわなくてもそうさせるだけの人格というか人間力を持っていなければ、「選ばれた人間」とはいえない(じっさい、最終的には、井伏がそうしてやったのだった)。
しかし彼の自意識は、どちらもできなかった。できない自分の田舎っぺ根性と戦っていた。
そんなときに壇に責められたものだから、かっとなって「待つ身がつらいか、待たせる身がつらいか」と言い返した。たとえそのとき、わざとらしくにやっと笑って見せたとしても、腹の中は、自意識の危機で慌てふためいていたのだ。
それがどんなに野暮なせりふかということくらい、太宰だってわかっていた。それでも、いわずにいられなかった。
作家の猪瀬直樹という人は、これを、「太宰らしい意表を尽くせりふだ」と感心していた。まったく、あんたも太宰以上の田舎っぺだよ。
それくらいのせりふは、中学出の土方だって、いえるやつはいえる。田舎出のあほなホステスだって思いつくせりふだ。
さっさとどちらかの行動に出ずにぐずぐずしていた太宰は、ほんとに自意識過剰な田舎っぺだったのだ。そして、そのことは、本人自身がいちばんよくわかっていた。
たぶん川端康成なら、あっけらかんと「何とかしてくださいよ、先生」といえたにちがいない。だから、そんな太宰の垢抜けなさが目ざわりで、芥川賞に推挙することができなかったのだ。川端康成には、「家族」とか「血」などというものに呪われた、そんなうっとうしく田舎くさい自意識とは無縁だった。
太宰は、「都会」とか「貴族」というステイタスに対するどうしようもないコンプレックスを抱えていた。そのコンプレックスで、「斜陽」という小説を書いた。三島由紀夫がその小説を酷評したのは、そのコンプレックスがよくわかるからであり、そのコンプレックスが自分にも大いにあったからだろう。
いや僕は、太宰のそんなところが悪いといっているのではない。ただ単純に、そうだったのだろう、といいたいだけだ。個人的には「せつないなあ」と思っている。
とにかく彼は、さっさと都会的で貴族的な心中をして死んでいきたかった。それ以外に自意識の地獄から抜け出せる道がなかった。
彼はたぶん、自分が死んだあとに、その心中相手がほんとうは都会的で知的で血筋のよい女性だったことを知ってみんながびっくりする、ということを想像したにちがいない。
有島武郎に負けず劣らず貴族的な心中だったと認めてもらいたかったのだ。
しかし、じっさいは、寄ってたかって彼女を、ただの「いかれた酒場女」同然の存在にしてしまった。
時代は、太宰の自意識を延命させたかった。自意識こそがこの生のエネルギーだということにして前に進もうとしていた。
彼はただ、「自意識にけりをつける」という問題を提出し続けて小説を書き、そしてまさにその問題の総仕上げとして死んでいっただけだったのに。