祝福論(やまとことばの語原)・「かわいい」53・砂漠の思想

ユダヤ教キリスト教は、荒野(砂漠)から生まれてきた。
荒野に立てば、いやおうなく自分という存在を思い知らされる。しっかりと自分を持っていなければ、その景色の中にいることに耐えられない。そうやって、無際限に自我がふくらんでゆく。
自分が存在していること、それをしっかりと確認する手続きとしてユダヤ教キリスト教が生まれてきた。
「われあり」ということ、彼らは、そんな自分に酔いしれる手続きばかりにこだわっている。それを確認することが「生きられる意識」であり、意識の根源のはたらきだと思っている。
自分が今ここに生きてあること、そんなことなどいまさら確認するまでもないことではないか。そんなことくらい、アメーバだって承知している。そのことに気づいていたたまれなくなるのが、生きものなのだ。いたたまれなくなって、自分を今ここから消してしまおうとして動いてゆく。それが、生きものの身体が動くことの根源的な意識のはたらきだ。
そういう意識のはたらきが希薄だから、ドンくさい運動オンチになってしまう。
白人と黒人の運動能力の差は、この「いたたまれなさ」の差かもしれない。
生きてあることのいたたまれなさが、生きものの体を動かし、「生きられる意識」にもなっている。
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僕は中学高校のころ、「われあり」を確認することが哲学の大問題だということが、どうしてもわからなかった。どうしてそんなことをいまさら考えなければならないのか、まるでぴんとこなかった。
それよりも、「われあり」ということのいたたまれなさに追い立てられていた。このほうが、ずっと大問題だった。
それは、小学生のころから、学校の中でみんなと一緒に遊ぶということが少なく、家でもあまり親になつかないで、わりと一人でいることのほうが多いたちだったからかもしれない。
僕にとって「われあり」は、考えるまでもないことだった。
いや、誰だって、思春期とは、そういう「いたたまれなさ」に目覚めてゆく時期であるのではないだろうか。
「われあり」を確認しても、そのころ自分が抱え込んでいた問題は何も解決しないように思えた。
王様は裸だ。
「われあり」という問題なんかないのだ。そんなことが、われわれの考えるべき問題ではない。そんなことを大騒ぎして確認しようとしているなんて、僕には裸の王様にしか見えない。
意識とはひとつのストレスであり、意識は、「われあり」として発生するのではなく、「われあり」という現実の「いたたまれさ」として発生する。
「われあり」なんか、自明の前提なのだ。
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「われあり」ということを確認したって、いたたまれないだけじゃないか。
しかし砂漠では、それこそがたよれる唯一のものになる。その空漠とした景色の中で、自分が消えてしまいそうな不安に浸される。自分をしっかり持て、という声がどこかから聞こえてくる。そのようにして、「神」との一対一の関係を結ぶ。そういう体験の恍惚というか、カタルシスがあるのだろう。
彼らは、「神」がこの世界をつくった、という。したがって「われあり」を確認することは、「神」の存在証明でもある。「われあり」を確認することによって、「神」の存在を実感する。
デカルトの「われ思うゆえにわれあり」という定理は、神の存在証明として導き出された。
彼らはもう、「神は死んだ」といっている哲学者だろうと、いまだに誰もが「われあり」の証明にこだわっている。
神を信じようと信じまいと、欧米やイスラム世界ではすでにそういう精神風土になっているらしい。
だから彼らは、それが人間の根源的な意識のかたちであるかのようにいってくるのだが、果たしてそうだろうか。
まあ、砂漠ではそう思わないと生きてゆけないのだろうが、しかしそれが、人間の根源的な意識のかたちだとはかぎらない。
その証拠に、この国はでは、「われあり」の確認をよすがとするような文化は育ってこなかった。われわれはむしろ、「われ」が「消えてゆく」文化を育ててきた。そうやって人に対しては深くお辞儀をし、この世界を消えそうなものとして、「あはれ」とも「はかなし」とも詠嘆してきた。
彼らのいうことが人間の根源であるのなら、この国のような例外なんかあるはずがない。
ともあれ、それはたぶん宗教だけのことではなく、そういう宗教が生まれてくるような風土性と歴史をすでにそなえていたのだろう。
大陸の人々は、おおむね自我が強い。自我を強く持ってしたたかにならないと生きていけない世界をつくっている。
彼らのところでは、地平線の向こうから見知らぬ人がやってくるし、こちらから見知らぬ土地にたずねて行くこともできる。そういう「異質な他者」と関係してゆくためには、「われあり」を確かなものとして確認している自我を強く持っていなければならない。
そうやって「異質な他者」との戦争や交易を続けてきた歴史と風土性から、「われあり」の文化が育ってきた。
しかし、海に囲まれた日本列島の縄文時代には、水平線の向こうの見知らぬ世界から「異質な他者」がやってくることはなかったし、水平線の向こうに見知らぬ世界があるとも思っていなかった。
だから、自我を強く持つという文化風土はなかった。そして、山のむこうから人が訪ねてくれば、「自分を捨ててもてなす」という文化を育ててきた。
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ちなみに、人類が地平線の向こうまで旅をするようになってきたのは氷河期明けの1万年前くらいからで、それまでの人類には「異質な他者」とか「異質な世界」というようなイメージはなかった。
今どきの古人類学者はよく「5万年前ころのアフリカのホモ・サピエンスが世界中に旅をしていって在来の種と入れ替わった」というようなことを言っているが、そんなことはありえないのだ。
5万年前は、氷河期である。ろくな防寒具も持っていない原始人が道なき道を旅して極北の北ヨーロッパまで旅をしていくことなどありえないし、温暖な地でも道なんかどこにもなく、荒野ばかりだった。
5万年前の原始人がそういうところを旅すれば、すぐに全員野垂れ死にするのがおちである。
人類は、50万年前ころには、アフリカ・ヨーロッパ・アジアのほとんどの地域に拡散していた。それは、群れを飛び出した者たちが近くに別の群れをつくるということをさかんにするようになってきたからであり、そういうことを百万年以上かけて繰り返しながら少しずつ少しずつ拡散していったのだ。
旅をして拡散していったのではない。
5万年前の原始人が集団で旅をすることなど、あるはずないのだ。
彼らは、自分たちが見渡すことのできる景色の向こうに別の世界があるなどとは思っていなかった。みんな、自分たちが住むこの世界は円盤のようなもので、その向こうは「何もない」と思っていたのである。旅をしていたら、そんなふうに思ったりするものか。
彼らが集団で地平線の向こうまで旅をするなんて、あるはずがない。どいつもこいつも、よくそんなくだらない空想ができるものだ。
人類は、旅をして世界中に拡散していったのではない。世界中に拡散したから旅をするようになってきただけのこと。世界中に拡散したから、地平線の向こうにももうひとつの世界があるとイメージできるようになり、旅をして戦争や交易をするようになってきたのだ。
また、住みにくい土地に住み着いているから旅をしたくもなるわけで、氷河期である5万年前の地球でもっとも行動範囲が広かったのは、もっとも住みにくい土地に住み着いていた北ヨーロッパネアンデルタールだったのであって、もっとも住みやすい土地に住み着いていたアフリカのホモ・サピエンスではない。
したがって、5万年前にヨーロッパのネアンデルタールがアフリカに下りていって在来のホモ・サピエンスを追い払うということはあっても、アフリカのホモ・サピエンスが極寒の北ヨーロッパに進出してネアンデルタールを追い払うということなどありえないのである。
つまり、そのころ人類は誰も旅なんかしていなかった、ということだ。
氷河期明けの一万年前以降において、はじめてそういう動きが出てきた。ネアンデルタール=クロマニヨンの子孫であるヨーロッパ・中近東の人々は、もともと行動範囲が広かったから、いち早く積極的に旅をし、戦争や交易をするようになっていった。そういう歴史から、「われあり」の自我を追求する文化が育ってきたのだろう。
良くも悪くも彼らは、異民族との出会いをひんぱんに繰り返してきた人々だった。
5万年前のアフリカのホモ・サピエンスが世界中に拡散して在来種と入れ替わっていったというのなら、氷河期明けのアフリカ人だって、世界中でもっとも旅をする人種になっていたはずである。
しかし実際にはそれ以後もずっとサバンナにとどまり続け、やがてヨーロッパ人の奴隷狩りの餌食になるという歴史を歩まねばならなかった。
何度でもいう。5万年前にアフリカのサバンナから北ヨーロッパに旅をしていった人間なんかひとりもいないのだ。
そのころネアンデルタールの形質を持った人種はアフリカの入り口まで拡散していて、そこでホモ・サピエンスの遺伝子を拾ってしまった集団があった。その集団の遺伝子がやがてヨーロッパ中に拡散していったのは、彼らのすべての集団が近在の集団と女を交換するなどの関係を持っていたからであり、そのようにして遺伝子だけがヨーロッパ中に伝播していっただけのこと。
学者たちの「置換説」の根拠になっているミトコンドリア遺伝子は、女親からしか伝わらない。そしてホモ・サピエンスのその遺伝子は、ネアンデルタールのそれよりずっと長生きできる体質をつくるという特徴を持っていたから。近在の集団どうしで女を交換するということをしていたら、数万年のうちには、ヨーロッパ中のネアンデルタールががその遺伝子のキャリアになってしまうのだ。
ネアンデルタールホモ・サピエンスの混血なんか、アフリカの入り口で起こっただけだ。それだけのことで、すべてのネアンデルタールホモ・サピエンスミトコンドリア遺伝子のキャリアになってしまうことはありうるのだ。
ともあれ氷河期明けの大陸では人の往来が活発になってゆき、そういうときに「荒野(砂漠)」という基盤を持っている人々ほど異民族との交渉が上手だったし、旅をしようとする意欲も旺盛だった。ユダヤ人はまさにその代表であり、そういう環境を生きてゆくための思想としてユダヤ教キリスト教が生まれ、「われあり」を確認する自我の文化が発達していった。
だからそれが、普遍的根源的な意識だというのでもない。
そういう環境を持たないこの国では、「われあり」という自覚があいまいになることもなければ、自我を主張しあっていたら人と人の関係が成り立たない風土だった。
この国には、「われあり」を確認して自分に酔いしれてゆくような文化風土はなかった。
それは、「生きられる意識」の根源のかたちではない。大陸や砂漠という環境で生きてゆくための、たんなる地域風土的な意識にすぎない。(つづく)