祝福論(やまとことばの語源)・泣く

人間は、その存在の根源において「嘆き」を抱えている。
悲しんだり嘆いたりすることなんかつらいだけだからやめておけばいいのに、それでも人は、そういう世界に避けがたく入り込んでしまう。
人間は不自然な生きものである。正真正銘の自然は、人間の外にある。人間にとっては、他者もまた、自分の外の存在ということにおいて正真正銘の自然である。女や子供がよく泣くのは、それだけ自分が不自然で無力な存在であることを深く自覚し嘆いているからだろう。彼らは、正真正銘の自然と出会って泣いているのだ。
子供が親に叱られて泣くのは、親が正真正銘の自然として迫ってくるからだ。べつに親のいうことが正しいと思うとか、そういうことではない。その存在の確かさに圧倒されてしまうからだ。
恋人に捨てられたら悲しい。相手は自分がいなくても生きてゆけるのに、自分は相手がいないと生きてゆけない。そのようにして、相手が正真正銘の自然であることと、自分がいかに不自然で無力な存在かを思い知らされる。
人が死ぬとき、その人の自然がもっとも確かにあらわれる。その確かさに、われわれは圧倒される。
世界や他者の自然としての存在の確かさにはかなわない。だから人間は泣くのであり、女や子供は、そういうことを深く思い知っている。
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「泣く」の「な」は「なれる」「なじむ」の「な」、「親愛」の語義。「く」は「組む」の「く」、「交錯」「複雑」の語義。
自然の確かさに圧倒されて混乱してしまうことを「泣く」という。
「泣く」ことは「愛着」の感慨である。正真正銘の自然に対する「愛着」、そして「悔し泣き」のときは自分の無力さ不自然さに「愛着」している。いずれにせよ、深く愛着することを「泣く」というらしい。
相手の存在の確かさであろうと自分の無力さ不自然さであろうと、それは、「この世界の真実と出合っている」という体験であり、その確信を「な」というのだ。
この世界の真実に対する愛着と確信、そしてわが身の無力感に対する愛着と確信。この二つの意識が交錯して、人は「泣く」という行為に浸されてゆく。
古代人は、うまいことをいう。「なく」とは、たしかにそういうことなのだ。
鳥が鳴くことも馬が鳴くことも、生きものと自然とのそうしたかかわりから起きている現象であり、おそらく古代人は、そういうところを見ていたのだ。
人間の泣き声と鳥の鳴き声と馬の鳴き声は、それぞれ明らかに異質だろう。それでもみな「なく」ということは、それが一部の研究者がいうような「なき声」から来ていることばではないことを意味している。古代人は、「なく」ことの「感慨」を表出したのだ。
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「さめざめと泣く」というとき、声を殺して涙を流し続ける静かな泣き方のようにいわれているが、もともとはそういうことではなかった。
「さ」は、「裂く」の「さ」。「変化」「分裂」の語義。心が裂けて悲しみの世界に入り込んでゆく。
「め」は、「出現」の語義。「目」を開けると、世界が出現する。「めっ」と叱るとき、よくないことの出現に気づいたお母さんの気持ちを表現している。
「覚める・冷める・褪める」とは、事態が変化すること、新しい事態があらわれること。
「小雨(こさめ)・春雨(はるさめ)」というときの「さめ」は、事態の変化を表しているのであって、音もなく静かに降るというその降りかたを形容しているのではない。それだったら「小」ということばはつけない。つける必要がない。雨が降ることは、たとえ「小雨」でも、この世界の変化であり、新しい事態の出現なのだ。
「さめ」は、「事態の変化」をあらわすことばであって、静かなさまを形容しているのではない。
「さめざめと泣く」とは、悲しみの世界に入り込んでしまうこと。声を上げて号泣するとか静かに泣くとか、そういうことは関係ない。どんな泣き方をしようと、「悲しみの世界に入り込んでいる」さまを「さめざめと」というのだ。
あるいは、「雨」から連想される「涙」を流しているさまをいうのだ。
そのとき、はたの者はもうどうしようもなくて、静かに見守るかそっと肩を抱いてやるかしかない。そういうさまを、「さめざめと泣く」という。
泣くことは、この世界の真実(=正真正銘の自然)と出会うことである。あるいは、みずからの無力さ不自然さを深く思い知ることである。この世界の真実と出会ってみずからの無力さ不自然さを嘆いているさまを「さめざめと」というのだ。
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「さめざめと泣く」という言い方は比較的新しく、中世になってからあらわれてきたらしい。
このことを、古代人は声を上げて号泣していたが中世ころになって日本人は静かな泣き方をするようになったからだ、というような解説がよくなされるが、そうじゃない、古代人だって静かに泣いていることもあったはずだ。
時代が変わって共同体の発展とともに人々の「自意識」が肥大化してきたために、「自分の世界に入り込んでしまう」という泣き方が多くなってきたから「さめざめと泣く」というような表現が生まれてきたのだ。
「さめざめと泣く」は、自意識のかたちというか、涙をたくさん流して「自分の無力さ不自然さを深く悲しむさま」をあらわしている。
時代が変わって泣き方が変わったというより、泣くことの感慨が変わってきたから「さめざめと」という表現が生まれてきたのだ。
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万葉集などの古代人は、もっぱら「哭(ね)のみ泣く」というような言い方をしていたらしい。
古代人は、深く悲しんで泣くさまを「哭(ね)のみ泣く」と形容した。
「慟哭」の「哭」だから、声を上げて激しく泣くことをいうのだろうか。しかしその意味はむしろ「慟」の字のほうにある。「哭」は、あくまで「泣く」ことだけを意味しているのではないだろうか。
朝鮮半島では、葬式のときに激しく声を上げて泣いて見せる「泣き女」という職業があるが、古代の日本列島にもそういう女がいて、古事記などには、それを「哭女(なきめ)」と記されている。彼女らは、甲高い声を上げて激しく泣いて見せた。しかし、甲高い声を上げることを「哭(な)く」といっていたかといえば、そうだともいえない。「なく」ことはあくまで「泣く」ことであり、悲しみに浸ることだ。
「なく」というやまとことばに、「甲高い声を上げる」という意味などない。
とにもかくにも「悲しみに浸る」ことを「なく」といったのだ。
やまとことばの原初のかたちは、「感慨」の表出にあったのであって、外見のかたちを説明していることはほとんどないといってよい。
語源を考えるなら、まず「感慨の表出」として問うべきである。
「哭(ね)のみ泣く」とは、「泣きに泣く」とか「ひたすら泣く」というような意味だろう。
「ね」は、「寝る」の「ね」。「混沌」の語義。寝ることは、意識がぼやけて「混沌」に沈んでゆくこと。「根」は、地中の「混沌」。古代人は、根を見て、地中が「混沌」として生成していることを感じた。
心が乱れに乱れて泣いているさまを「哭(ね)のみ泣く」といったのだ。「ね」とは「心が乱れる」ことを指しているのであって、甲高い声を上げて激しく泣いているさまを表しているのではない。そこに「哭(ね)のみ泣く」とだけ記されてあるということは、甲高い声を上げて激しく泣いているか静かに泣いているかは、そのときの状況で読者が想像することだったらしい。
万葉集から、
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独り寝て 絶えにし紐を ゆゆしみと せむすべ知らねに 哭(ね)のみにしそ泣く(安倍郎女)
訳・あなたと離れひとりで寝ていて、取れてしまった紐が不吉で、どうしたらよいかわからずにひたすら泣いております。
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このとき彼女は、葬式の「哭女」のように甲高い声を上げておいおい泣いていたのだろうか。安倍郎女がどんな性格の女か知らないが、必ずしもそんな情景が想像されるわけでもなかろう。
「心が千々に乱れてひたすら泣いている」、といっているだけだろう。
古代人は、あくまで自分の外の世界や他者に対する反応として泣いていた。しかし中世になると、自分の世界に入りこんで自分の無力さを嘆く、という自意識が生まれてきた。それが「哭(ね)のみ泣く」と「さめざめと泣く」の違いだ。
「ね」は、「混沌」の語義。「慟哭」という意味に限定されているわけではない。「激しい」とか「声を上げる」というような意味があるのではない。
「哭(ね)のみ」は、泣き方泣き声の問題ではない、感慨の表出なのだ。
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「猫(ねこ)」の「ね」は「にゃあ」という鳴き声からきている、という研究者もいるらしいが、なんだかこじつけめいている。犬と違って何を考えているのか「わけがわからない(=混沌)」生きものだからだろう。
「こ」は、「ひそかにあらわれ出る」というようなニュアンス。子供は、産室で、ひそかに産み出される。そして、家の中にかくまわれ育てられている存在でもある。
「こぎれい」とか「こ憎らしい」というときの「こ」は、そういう気配がひそかにあらわれ出ることを指している。そういうところから「こ」は、「小さい」という意味にもなっている。ひそかな気配やものを「こ=小さい」という。
猫もまた、暗闇からひそかに現われ出て、なにやら「わけのわからない」行動をとっている。そんな猫との出会いの感慨から「ねこ」ということばが生まれてきたのであって、べつに「にゃあ」と鳴くからでもなかろう。
彼らは、猫は「にゃあ」と鳴くもの、という通俗的固定観念にとらわれすぎている。
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古代の「哭(ね)のみ泣く」から中世の「さめざめと泣く」への変化は、泣き方の変化ではなく、泣くことの感慨の変化を表しているのだ。
古代人の自意識は希薄だった。その意識は、共同体の発展とともに肥大化してきた。共同体に対する意識として「個人=私」という意識が生まれ肥大化してくる。
他者に気づくとは、自分を忘れることである。「意識はつねに何かについての意識である」、という現象学の定理を敷衍すれば、「意識は二つのものを同時に意識することはできない」、ということになる。他者に気づいているとき、意識は自分を忘れている。根源的には、われわれは、そうやって他者との関係を結んでいる。そしてそれこそが、他者との関係の究極の作法であるのだし、それがもっとも熱く切ない恋する感慨のかたちだろう。
「私」という自己意識は、共同体との関係において肥大化してくる。現代人は、つねに共同体との関係を意識しながら、際限もなく自意識を肥大化させている。
しかし中世の人々は、その自意識を扱いかねて混乱し、「さめざめと」泣いた。
そういう煩悶から、西行のような生きることのくるおしさを表現する歌も生まれてきた。
自意識に居座っているだけが能でもないし、自意識が人間性の根源であるのでもない。それは、現代の病理であり、現代社会を生きることの「傷」なのだ。
たしかに自意識に居座った村上春樹の小説や内田樹らの言説が幅を利かせている世の中だが、彼らはそうやって現代社会の病理に乗じて商売をしているだけなのである。
それが悪いというつもりもないが、それはまあそうなのであり、彼らのように、自意識に居座ることによって現代社会が抱えている問題が解決されるわけではない。
彼らは、自己正当化のために、問題のありかをはぐらかしてしまっている。というか、問題のたしかなかたちと向き合う能力を持っていない。
彼らは、大衆を導いてやる、という態度をとる。その傲慢さとナルシズムは、いったいなんなのだ。大衆がいけないのではなく、あなたたちがのさばっていることがこの社会の傷口を広げているのだ。