祝福論(やまとことばの語源)・「うつ」「はつ」

「うつ」の「う」は、「終わり」の語義。「うっ」と息がつまる感覚から生まれてきた音声。
また、「鬱」とか「打つ」というように、上から下に沈んでゆく動きのことも「う」という。
引力の法則で物は上から下に落ちて行くのが自然の常で、下に届いて動きが止むから「うつ」とか「つく」というのだろうか。「餅をつく」「杵をうつ」。
「つ」は、「つく」の「つ」。
何はともあれ、「終わりになること」を「うつ」という。
そして古代人にとって「終わりになること」は、必ずしもネガティブな体験ではなかった。
春の季節が好きだからといって、春が永遠に続くわけではない。春は必ず終わって、夏がやってくる。夏も必ず終わって、秋がやってくる。そうして、やがて冬になり、また春が来る。
「終わり」は必ずやって来る。そんな季節の中で生きていればもう、「終わり」を受け入れて、それぞれの季節季節を生きてゆくしかない。
「死」は必ずやって来る。「死」を受け入れることができれば、それはめでたいことだろう。
われわれ現代人は、「死」という「終わり」と和解できているだろうか。
いやもう、何かにつけて「終わり」と和解できない心で生きているのではないだろうか。
「終わり」と和解することを「うつ」という。だから「手を打つ」という。このときの「つ」には、「和解する」という意味、あるいは感慨がこめられている。さらには「打ち上げパーティ」というときの「うつ」の「つ」は、「和解」を通り越して「祝福」さえしている。
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人間の心は、もともと「終わり」と和解できるようにできている。
終わらせることが、生きることだ。
息苦しい状態を終わらせて、息を吸う。
飯を食うことは、空腹のうっとうしさを終わらせることだ。
人は、みずからの身体の物性が気になることにけりをつける手続きとして、衣装を着ることを覚えた。そして、他者の身体の物性が気になることにけりをつけるようにして、「ことばを交わす」ということを覚えていった。
「ことば」とは、まとわりつく他者に身体の物性を引き剥がして、他者の身体とのあいだに「空間=すきま」をつくってゆくいとなみである。「ことば」は、その「空間=すきま」に投げ入れられる。「ことば」は、その「空間=すきま」で生成している。
腹が減ったとか息苦しいとか、暑いとか寒いとか、痛いとか痒いとか、われわれは、そういう状態でみずからの身体に気づく。この生は、そこからはじまっている。
つまりこの生は、そういう「不幸」からはじまっている、ということだ。
だから人は、みずから不幸に身を浸してゆく、ということをする。それが、この生をはじめるという手続きだからだ。そうしてその不幸にけりをつけて、そこからカタルシスを汲み上げてゆく。それが、息をする行為であり、飯を食う行為であり、衣装を着るという行為であり、ことばを交わすという行為なのだ。
人間は、あらかじめみずから進んで不幸の中に身を浸してゆく生きものだから、大きな群れをつくったのだ。原初、チンパンジーの仲間の生きものとして、大きな群れが心地よいはずはなかった。それでもあえてその不幸に身を浸していったことによって、人間になったのだ。
そうやってみずから不幸に身を浸すところから、人間精神のダイナミズムが生まれてきた。
それは、不幸にけりををつける行為であり、「終わらせる」という行為だ。すなわち、「終わる」ということのカタルシスを汲み上げてゆく行為だ。
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不幸を終わらせる、ということならわかりやすいが、不幸だろうと幸せだろうと、「終わる」ということそれ自体にカタルシスがある。
古代人は、男と女が一緒に暮らさないで、「通い婚」というのをしていた。それは、そのつど関係が終わり、そのつど関係がはじまるという制度である。たとえ幸せであっても、ひとまず終わらせる。終わらせなければ、はじまることのときめきも体験できなくなってしまう。
それは、季節の移り変わりと一緒だ。彼らは、この生はそういうものだと思っていた。この生は終わりとはじまりが繰り返されてゆくことだ、と思っていた。
逢えないときのせつなさが、彼らの関係をよりいっそう熱いものにしてくれる。逢えないときは「終わりのはじまり」だった。終わったことへのせつなさとはじまることへのときめきと、そのはざまで揺れている心の動きにこそもっとも深いカタルシスがあるのかもしれない。
「移・写(うつ)す」という。このことばこそ、まさに「終わりのはじまり」を表している。
移せば、前のことが終わって、新しいことのはじまりになる。
家具の位置を移せば、何か部屋の中がよみがえったような気がする。旅は、自分の体を「移す」ことだ。そうした「終わりのはじまり」のせつなさやときめきから、「移(うつ)す」ということばが生まれてきた。
「写(うつ)す」ことも同じだ。山の姿が水に写れば、その三次元の物性が解体されて、二次元の画像があらわれる。その「終わりのはじまり」。それは、ときにほんものの山よりももっときれいだったりする。そのときめきが「写(うつ)す」ということばになった。
「うつ」は、「うつくしい」の「うつ」でもある。古語としての「うつくし」は、たとえば子供の愛らしさのことで、その、今はじまったばかりの生の新鮮さや無邪気さにたいするときめきと同時に、みずからがすでにそれを失っていることのせつなさをこめて発声されることばだった。
「移・写(うつ)す」ということばに関しては、万葉学者の中西進氏や竹内整一氏が講釈をしてくれているが、あまり参考にならないから、ここでは省いておく。
とにかく、古代人にとっての「うつ」ということばは、終わりのせつなさとはじまりのときめきを同時に表出することばだった。
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その「うつす」ということとの中間に、終わりでもはじまりでもなく終わりでもはじまりでもある、という「すきま」の状態があり、それを「初(はつ)」といった。
「初(はつ)」は、「果てる」の「果(は)つ」でもある。
春と夏のあいだに、春でも夏でもなく春でも夏でもあるという時期がある。それは、春が春の終わりに向かって果ててゆく時期であると同時に、夏のはじまりに向かっている時期でもある。もはや春ではないが、夏でもない。まだ春がであるが、すでに夏でもある。そういう時期を「初(はつ)」という。
正月のことを「初春(はつはる)」という。旧暦の正月は、二月はじめ。梅の花が咲いて、もはや冬ではないが、春でもない。まだ冬でもあるが、すでに春でもある。そういう時期を「はつはる」という。
五月の「初鰹(はつがつを)」は、春でも夏でもなく春でも夏でもある時期の「はつもの」である。
日本列島の住民は、そういう「すきま」という「空間」を見つけてゆく。
「は」は、「はかない」の「は」。すなわち「空間」の語義。
「つ」は、「つく」の「つ」。
「うつ」が、「終わりになる」と訳すなら、「はつ」は、「空間(すきま)になる」と訳すことができる。前者が「終わりのはじめ」であるなら、後者は「終わりでもはじめでもない」という状況のことをいう。
古代人は、われわれよりずっとデリケートにこの世界を感じながら生きていたのだ。
「初(はつ)」ということばにめでたいイメージがあるのは、正月を連想するからというだけではない。「はつ」という音声そのものが、日本列島の住民の心を和ませる響きがある。
「はつる」ということばは、「果てる」という意味のほかに、「余分なものをそぎ落とす」という意味もある。日本列島の住民にとってそれは、「みそぎ」のイメージが喚起されることばなのだ。
「空間=すきま」を生きることのカタルシス、われわれの存在の「けがれ」は、そこにおいてすすがれる。
人との別れに泣いている人は、未来も過去も失ってその「空間=すきま」に立っており、そこにおいてこそ人間であることの「みそぎ」が果たされている。そうやって「新しい命」になりつつある。それが、「はつ」ということばの意味するところだ。
今日から「立秋」、すなわち「初秋(はつあき)」、あなたは今、夏と秋の「空間=すきま」を感じますか。