祝福論(やまとことばの語源)・「空蝉(うつせみ)」

桜の木の下の草むらで、蝉の抜け殻を見つけました。
それは、草の枝や葉の裏に、しがみつくようにして残っていました。
中身が空っぽのただの抜け殻なのに、なんだかまだ必死にしがみついているようなかたちになっていて、気になって仕方がない。
それで、ついしゃがみこんでのぞいてみる。
のぞいてみても、やっぱり空っぽだ。
ところが、最初は二つ三つ見えたそれが、しゃがみこんで見ると、そのまわりにもたくさんあることがわかった。
みんな、必死にしがみついている。
落ち武者の死屍累々……そんなことが連想されてくる。
そして、なんだかいまの俺みたいだという気持ちになれば、それはもう、この島国のただのパターン化された心の動きだ。
しかし、自分の体も空っぽになってしまったようなあてどない心地というのは、わるくない体験だった。
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「空蝉(うつせみ)」ということばは平安時代以前からあったらしいが、平安時代以降の無常観の思想と結びついて、急速に日本列島中に広がっていったのだとか。
しかし、「うつせみ」ということばが、最初から蝉の抜け殻を意味していたかどうかはわからない。
たんなる感慨を表出することばだったのかもしれない。そんな字を当てたからそんな意味になってゆき、そこから「はかなき現世」というような意味にもなっていったが、文字とは無縁のところからから生まれてきたことばである可能性もなくはない。
「うつせみ」という音声を発する「感慨」がある。
「うつ」の「う」は、上から下に沈んでゆく動きのこと。沈んでいって下に達するから、「つく」の「つ」が当てられる。
「う」と発声するとき、息が口の中でうごめいて、やがて胸や腹に逆流してゆく。「ううっ」と息がつまる感慨のときに、「う」という音声がこぼれ出る。
「うつせみ」というときの「うつ」は、「空」とか「虚」という字が当てられるが、「うつ」という言葉自体の語源的な姿は、そういう状態そのものではなく、そういう状態にに対する落胆して気持ちが沈んでゆく「感慨」の表出にすぎない。
落胆して気持ちが沈んでゆくことを「うつ」という。
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「空」とか「虚」という意味は、じつは「せみ」の「せ」にある。
「せ」は、「せめて」とか「せっぱ詰まる」というときの「せ」。「不可能性」の語義。途方にくれて追いつめられている心の動きから、「せ」という音声がこぼれ出る。
「み」は、「実」「身」の「み」。「中身」「実質」の語義。
「せみ」とは、中身がないもののこと。つまり、「抜け殻」。
何のことはない、最初から抜け殻のことを「せみ」といっていたのだ。おそらく縄文人もそう呼んでいたのだろう。それが、「蝉」という字を覚えたためにいつのまにか蝉の本体を指すことばになってゆき、「抜け殻」という意味が消えてしまった。
それで、あらためて「空」とか「虚」という字をかぶせて「空蝉(うつせみ)」というようになった。
しかし、もともとの「うつせみ」ということばは、なんにもないことにがっかりする感慨を表すことばだった。たぶん、蝉のことだけを指すことばではなかったのだ。蝉とは関係なく自立して使われていたことばだった、といってもいいかもしれない。
古代人は、「せみ」という音声に対して、「蝉」という虫をイメージする以上に、「中身が何もない」ということをイメージしていた。そしてそういう事態にひどくがっかりしたところから、「うつせみ」ということばが生まれてきた。
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しかし、「なんにもない」ことに、どうしてそんなにもがっかりしないといけないのか。
「なんにもない」ことは、ときにほっとすることでもあるだろう。少なくとも縄文人は、そういう心の動きを持っていた。彼らは、「なんにもない」ことを、嘆きつつ受け入れていた。
「うつ」は「写・移(うつ)す」の「うつ」。ものをある場所から別の場所に置き換えることを、「うつす」という。移して「(上から下に)置く」から「うつ」という。つまり、たとえ何もなくても、それは新しい事態が出現することである。そういうことに対するときめきもあれば、嘆きもある。しかしそれは、「うつ=鬱」になるほどのことでもない。
縄文時代に「鬱病」はあったか。たぶん、なかった。なぜなら彼らは、その新しく出現した「なんにもない」事態に、嘆きつつときめいていたからだ。
彼らの男たちの集団は、いつも旅をしながら、あちこちの女子供だけの集落を訪ね歩いていた。そのとき彼らが、どんな想いで「さようなら」といっていたのか。その別れは、つねに「終わりの始まり」だった。いなくなれば、また別の新しい男たちが訪ねてくる。思い切り悲しんで何もかもさっぱりと洗い流してしまえば、そこからまた新しい命がはじまる。「なんにもない」事態が出現することは、「終わりの始まり」だ。それが彼らの「うつ」という事態だった。
彼らの「うつ」という言葉に、「鬱」という意味はなかった。「写・移(うつ)す」という意味があっただけだ。
彼らにとっては「なんにもない」ことは、おもしろいことだった。だから、蝉のことを「せみ」と呼んだ。蝉の抜け殻が空っぽであるのは、蝉本体よりももっとおもしろいことだったから、「せみ」と呼んだのだ。その、抜け殻を残すことに蝉の本領があると思ったのだ。
「うつせみ」、すなわち「移るせみ」ということなら、それは、中身のある蝉本体のことになる。それでは、言語矛盾だろう。だから、少なくとも縄文時代に「空蝉」ということばはなかったし、「うつ」ということばに「鬱」という意味はなかった。それは、新しい事態が出現する充実した出来事だったのだ。
「なんにもない」ことの充実、そういうことを知っていた縄文人に、「うつ=虚=鬱」という感慨などなかった。
「終わりの始まり」としての「写・移(うつ)す」という意味があっただけだ。
蝉の抜け殻なんて、まさに「終わりの始まり」ではないか。そういう「ときめき」から「せみ」ということばが生まれてきたのだ。